Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
昼① 夏の朝
誰かがいた。たとえ結末が滅びであっても、己の人生を誇れるようにしてくれた誰かが。
誰かがいた。たとえ結末が滅びであっても、歩んだ道のりをなかったことにすることはないと教えてくれた誰かが。
今だその名を思い出せない。
それでも、その後ろ姿は――碓氷明では、ない。
「……ッ!」
ベッドから跳ね起きて目にしたものは、知らぬ広い部屋。ゆっくり身を起こすと、豪奢なホテルのリビングのソファの上だった。
サーヴァントの身にもかかわらずじっとりと脂汗をかいて、寝巻が気持ち悪く湿っている。
――そうか、美玖川での戦闘のあと、アーチャーのホテルにキリエとともに来たのだ。
ベッドが足りないから、サーヴァントである自分はソファでよいと言った……。
気づけば、ソファの上に濡れた布が落ちていた。多分自分の額に乗せられていたものだろう。
「お、起きたのか」
腕に水の張った洗面器を抱えていたのは、白いガウンを羽織ったアーチャーだった。
「まさか貴方が看病を……申し訳ない」
今日の戦闘、可笑しなものは見たが、アルトリア自身に傷はない。おかしなこと、違和感はたくさんあるが、どこも傷ついてはいないはずだ。
「まだ夜中じゃ。ゆっくり眠っておくがよい」
「……ええ。しかし、私はいつからその……うなされていましたか」
「三十分ほど前かの、私が気づいたのはな」
「……」
暫し、沈黙が下りた。まだ部屋は暗く、夜明けも遠いだろう。お互いサーヴァントであり眠りをとらなくていい気持ちからか、アルトリアは自然と口を開いていた。
「……私は昨日の昼、人探しをしていました。探し人が誰なのかは、自分でもよくわからないのですが」
「……?」
「……春日駅前で日が暮れるまで、記憶にある人物を探していました。名前も姿も、よくわかりません。だけどもし、会えたら絶対にわかると思うのです。その、カズナリと同じくらいの歳で、料理の上手い、男性が」
探した。だが見つからない。いない。それでもいないはずはないという確信。
アルトリア自身も、何をバカなことをしているのか、と呆れられるのが関の山だと思っている。自分でさえ一体、どうしてこんなにこだわっているのか判然としないのだから。しかしアーチャーは笑いもしなかった。
「騎士王、そなたは知らぬと思うが、私は一成を殺そうとしたことがある。一成の左腕は、私が奪った」
「――!? アーチャー、何を言って」
「ならば聞こう。一成の左腕、何故喪われた?」
「それは……あなたがカズナリから目を離した隙に、敵サーヴァントに」
「その敵とは?」
「……」
思い出せない。碓氷明と一成は聖杯戦争初期から共同戦線を張って、その中で裏切りなどなかった……と、思う。
口ごもるアルトリアに対し、アーチャーはただ淡々と告げた。
「――そなたが探している人物を私は知らぬ。だがいくら虚ろであっても、忘れてはならぬことがある。それはきっと、そなたの運命だったのだ」
「……貴方は……」
アーチャーは毛布の上に落ちていた、温いタオルを回収し、新しいタオルを絞ってアルトリアに手渡した。
これだけ気遣われるということは、傍から見ても自分は思い詰めているように見えるのであろうか。そして目の前のアーチャーは、何処で何を知ったというのか。
「そなたももう一度思い出してみるがよい。春日の聖杯戦争を……いやそなたの場合、それより前の戦争かもしれぬが」
「……」
「……私の記憶からの推測じゃ。そなたは春日聖杯戦争に参加しておらず、碓氷明をマスターとしたことはない。とすれば、そなたが参加したのは」
アルトリアはその戦争の名を知っている。
かつて二度戦争に参加し、その末に自分は長き戦いを終えて死を迎えたのだから――。
「冬木の聖杯戦争」
アルトリアの記憶では、彼女は明・ヤマトタケルとともに春日聖杯戦争を勝ち抜き、故国の救済という願いを捨てたことになっている。
そしてヤマトタケルの記憶も、アルトリアと共闘したことになっている。
にもかかわらず、アルトリアはアーチャーの言葉を違和感なく受けいれていた。
頭の中では矛盾が渦巻いていても、心は納得している。
「……まあ、今は眠るがよい。もう焦っても仕方のないことでもあろうしの」
アーチャーは洗面器を抱え、ぼうっとしているアルトリアをそのままにリビングを後にした。
彼女が何を思っているか、アーチャーにはわからない。ただもし自分がアルトリアの立場であっても、どんなに虚ろな存在であっても、名前も姿も忘れても、一成という存在を忘れたくないと思うだろう。
アーサー王は春日聖杯戦争にはいない。
しかし冬木の聖杯戦争でアーサー王が呼ばれた記録はあるという。おそらく彼女は、そこで出会ったマスターによって、故国の救済という願いを捨てることができたのだ。
ここは造られた春日。市をまるまる生み出す固有結界か、もしくはそれに類するもの。
仮に固有結界だとすれば、通常、世界からの修正力を受けていくら魔力があっても分単位でしか維持できない。
固有結界が長持ちしないのは、魔力不足と修正力の為――ならば、聖杯の残留魔力を元に現実世界以外で固有結界を築けば、固有結界は長持ちする。
とすれば、世界と世界の狭間、虚数空間を操り行き来する魔術師がいるではないか。
しかし彼の魔術師が固有結界を操るとは聞いたことがない。とすれば、この結界を展開した者は別にいると考える方が自然だ。
そして、春日の聖杯戦争にいなかったあの、三峰の狼が襲い掛からないキャスター。
神代の巫女、身を投げて神となった女がいる。
*
――そうさな、バーサーカーを倒した時。
そなたを殺せなかった時点で、私は負けていたのじゃ。
一体、この左腕は――何の為に、失ったのだったか。
「……」
半ば眠っているような状態で、一成はアーチャーのホテルのリビングで紅茶を飲んでいた。昨夜の巡回を終えた後、一成・理子・アーチャー、さらにアルトリアとキリエまでこのホテルに押し掛けてきたのだ。
美玖川からだと、碓氷邸は徒歩で四十分の一方、ホテルは徒歩十分なのだ。
ベッドが足りず、ダブルベッドに理子とキリエ、シングルベッド二つに一成とアーチャーが眠った。アーチャーはアルトリアにベッドを明け渡そうとしたが、ここはアーチャーの借りたホテルだからと、アルトリアは固辞した。(そもそもサーヴァントは寝なくてもいい)
勿論巡回自体も色々ありすぎて、一成には整理ができていない。しかしそれよりも、湧き出る黒い狼と目が合った時に、脳裏に過ったモノが気になって仕方がない。
神父を刺し殺す己。
自分を裏切り、右腕を持ち去るアーチャー。
気が狂ったように嗤う咲――。
こんな景色は知らない。こんな聖杯戦争は知らない。誰も消滅なんかしていない。
だがサーヴァントが誰も消えなければ、そもそも杯が満ちることもまた、ないはずだ。
「一成」
「……」
「おーい一成や」
肩をゆすられて、一成は我に返った。
真隣には、自分の右腕を持ち去ったサーヴァントの姿が――「うわああああ!!」
俄かにバランスを崩し、彼は椅子からひっくり返った。同時に右手に持っていたティーカップまでひっくり返して、自分の制服を汚してしまった。
尻もちをついたまま見上げると、呆れ顔をしたアーチャーがいた。そして、同じテーブルに理子・キリエ・アルトリアも腰かけ、同じく紅茶を飲んでいた。
ただ楽しく雑談をしているような雰囲気ではなく、真面目な相談――昨日起きたことについて――であることはすぐに察した。
「何をやっておるのじゃ、そなた」
アーチャーが一成を起こそうと伸ばした手を、一成はとらずに自力で起ちあがった。
「わ、わり。何してたんだっけ」
「大丈夫ですか、カズナリ。先程からずっとうわのそらですが……」
「い、いや大丈夫だ。ちょっと頭がまだ起きてないみてーだ」
一成は汚れたワイシャツも気にせず、とにかく立ち上がって席に坐りなおした。こちらも呆れた顔の理子だが、それでも世話焼きらしくこれまでの話のダイジェストを聞かせてくれた。
春日市の外に出られないことを皆で確認したこと。美玖川で行き合わせたハルカとキャスター。
その最中、川から湧き出してきた黒い狼。黒い狼を掃討し逃げたあとには、既にハルカたちも逃げた後で、追跡のしようもなかった。
キリエは優雅にティーカップをソーサーに置き、話を継いだ。
「あの黒い狼だけれど、元をたどればあれは聖杯の中身よ。魔力の塊。そして
「じゃあ、彼がこの異変の原因なの?」
キリエは首を振った。「違うわ。三十年間漏れ続けた魔力と、破壊されて残った大聖杯残りのせいだって、アキラも言ってなかったかしら」
「……確かに」
「もう、かなり事態は煮詰まってきているわ。こと細やかに知りたいのなら、毎日でも碓氷邸に通いなさいな」
口ぶりからして、ロクに巡回もしていないのに、キリエもかなり事態を把握しているようである。
足を使っている自分としては哀しいものを感じながらも、一成は碓氷邸に向かうことはいいと思う。昨日明もバーベキューはしたものの、黒狼の話はしていない。
しかし今日、夏休みも終盤を迎えた今、一成と理子にはすることがある。今日は文化祭準備の為に集まる日であり、そろそろ学校へ向かわなければならないのだ。
となれば、代わりに誰かに行ってもらうのがよいのだが。
「……アーチャー、俺の代わりに碓氷邸に行って来てくれ」
*
閑話休題。一成はすでにズボンとワイシャツを一組ホテルに置いており、理子も今日を見越して制服を持ってきているため、軽く身支度をすれば学校に行ける。
一成と理子は話が区切れたのを見計らって立ち上がった。
「じゃあ俺たち高校に行ってくる。碓氷邸での話、ちゃんと夜に聞くからな」
「心得た~」
やる気がなさそうなアーチャーの返事だが、やることはやるサーヴァントではある。一成と理子はそれぞれ別れて、鞄など持ち物の準備をすることにした。
そして数十分後、一成は理子とともに部屋から出たが、何故か余計な何か二人が、しれっとついてきていた。
「……何でアルトリアさんが? ……あ」
「全く、あなたから「男装での振る舞いを教えてほしい」と頼んだのに忘れたのですか」
少々呆れ顔のアルトリアは、溜息をついた。今日は朝から呆れられてばかりだと思うが、一成自身でもこの間抜けっぷりは相当だと思う。
「で、その服は……」
「アーチャーに男装を教えると伝えたら、二つ返事で用意してくれました」
そう、先程テーブルで話をしていたときには、アルトリアは白い半そでのTシャツに半ズボンという非常にラフな寝間着姿だった。
だが今は全く様相を変えて、全身黒いスーツに身を包み、シニョンに結っている髪は首許で一本縛りにされている。少女というより、青年になりかけの美少年といった風貌である。また、ボディーガードのようでもある。
そして、非常によく似合っていた。
「アーチャーは白拍子衣裳もいかがかと言ってましたが、それは日本古来の男性の衣装なのでしょうか。現代でもよくわかる男装のほうがいいかと思い、遠慮しましたが」
「何勧めてんだアイツは」
白拍子とは、起源は神事で神を降ろすための巫女舞だが、一般には平安時代末期に流行った男装の遊女や子供が今様(現代で言う流行歌)を歌い舞うものを指す。
その衣装は水干に立烏帽子をかぶり、白鞘巻という男装なのだ。ぶっちゃけ、少々一成たちがやろうとしている男装女装とは異なる。
だが、金髪美人の白拍子もそれはそれで……としょうもないことを一成が考えていたその時、理子が珍しくおずおずとした声音で訊ねた。
「あの……すごく今更なんだけど、アルトリアさんって、まさか、セイバーで、……アーサー王……?」
「? 今更何言ってんだお前」
「何が今更よ! 全然知らなかったんだけど!」
「ああ、明から紹介されたとは思うのですが、理子にはきちんと自己紹介をしていませんでしたね……私の真明はアルトリア・ペンドラゴン。生前は男装し男として生きたので、アーサー王のほうがとおりはいいはずです」
完全に言葉を失った理子であるが、彼女とておかしいとは思っていたのだ。
碓氷邸に訪れた時も、碓氷がアーサー王と連れていると聞いていたのに、ヤマトタケル以外に男の姿はない。かわりに金髪の美少女がいる。
しかしアーサー王は男だ。
「……」
まだ衝撃の沈黙から脱せない理子はさておいて、一成はもう一人の問題児に眼をやった。
「んでアルトリアさんはいいとしても、キリエ、何でお前も?」
「あら、私がついていっては具合が悪いのかしら」
いつでもお嬢様然とした様子を崩さないキリエスフィール・フォン・アインツベルンは、白いワンピースに、何処から出したのか麦わら帽子をかぶっていた。
春日の異状には興味のないキリエであったが、一成の学校生活については違うらしい。
しかし文化祭についてはこれまで連れていけ、とは一言もなかったのにどういう風の吹き回しか。
「聖杯戦争中にあなたの学校を訪れたことがあったでしょう? その時、ちょっとした人だかりができてしまったじゃない? その時に淑女たるもの、むやみやたらに人々を驚かせるものではないと反省したの」
ふふん、と微妙にドヤ顔を向けてくるキリエだが、一成としてはロクな案を出してこないのだろうなと思っていた。キリエは肩掛けのポシェットから、一枚のカードを取り出した。
「管理者のアキラに頼んで、学校に連絡してもらって正々堂々入れるようにカードを手に入れたわ!」
プラスチックと思えるカードには、入館許可証と書かれ、一緒に埋火高校の校章が印刷されていた。
というかこれはICカードで、学校にとってお客様といえる人間に渡されるものだと思う。普通に入るだけ、しかも見た目は小学生のキリエならそんな手続きなどしなくても、一成の親戚ということで学校見学できてしまう気もする。
というより前回騒ぎになったのは、事前連絡をせずに学校に来たせいではない。
どうせまたクラスメイトに詰め寄られることが予想されたが、絶対に来るなというほどかといわれれば、そうでもない。ちらりと理子を見たが、彼女には「入館許可証」が効いているのか、溜息をついていたが強く言いだす気配はなかった。
「じゃあいきましょう、キリエ……にセイバー」
「ええ。あなたたちブンカサイ、というものの準備をしているのでしょう?興味深いわ。催し物は何をするのかしら」
「一成の同輩と会うのは楽しみですね」
キリエと理子はすでに何回か顔を合わせている仲であり、一成が特に口を挿まなくても雑談をしている。
また礼儀正しいアルトリアは、これまた元生徒会長の理子とも性質が合いそうだと思う。
今更ながら、キリエを連れて行くとロリコンの濡れ衣を着せられかねないと思うが、考えたところでやっぱりロリコン扱いの宿命からは逃れなさそうであった。