Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
「……さて」
碓氷邸から徒歩十五分で辿り着く土御門神社。丘の上へと連なる石階段の上には、既に見慣れた赤い鳥居が待ち構えている。
セイバー・ヤマトタケルは普段着のTシャツから武装姿へと切り替え、階段を上り始めた。
あっという間に神社の境内に辿り着いた。両側に並ぶ灯籠には明かりがともされ、夜でも十分に歩き回ることができる。夜でも涼しいというより生温い空気のなかで、彼は空を見上げた。
セイバーは明に言われたとおり、もうひとりのヤマトタケルを探しに来たはいいものの、その実どうやって時間を潰すかを考えていた。
――おそらく明は本気で『ヤマトタケル』を探そうとしてはいない。
セイバーに人の心はわからない。
記憶の中の、聖杯戦争時の明と今の明を引き比べると、どうしても違和感はある。
碓氷明は管理者として、春日と春日に住まう人々を護ろうとしていた。
セイバーにとって街の壊滅などどうでもいいのだが、明が重要視するため、彼も気を配らざるを得ない。
しかし今の明から、焦りを感じない。ここが造られた偽の春日だというなら、人々は結界の外からここへ運ばれてきた・取り込まれたことになるのだろうか。
そうだとしたら、今ごろ現実では、春日市から人っ子一人消えてしまったことになる。それが何日も続いて、大騒ぎにならないはずがない。現代の治安維持機構、警察はセイバーの時代より(そもそも警察などなかったが……)はるかにまめまめしく働くそうで、より騒ぎが拡大するだろう。
同じことをアルトリアも気にかけており聞かれたこともあるが、「本当に危険ではないのだろう」と返しておいた。
明は自分にも何も言わないが、自分から明にそう確認を取るべきか、セイバーは悩んでいる。勝手に行動していいことがあった試しもないが、明が聞かれたくないならば無理に聞き出すのもどうかと思い、今に至っている。
さらに、イギリスから一時帰国してから明はずっとどこかおかしい。奇妙な電話に加え、どうも最初はよそよそしかった。
原因に全く心当たりがないため、気付かないうちに何かしでかしたかと思いきや、明は何も言わない。
明は、我慢ならないことは言ってくれるはずだ。
――そうだ。何もかもおかしなことばかりだ。俺は、聖杯戦争に勝利して、
「よう。能褒野で死んだ俺」
気配がなかった。それは、宝具に加え、相手方に戦意がなかったからであろう。あたかも最終決戦のライダーのように――賽銭箱の上に胡坐をかく、
賽銭箱の上の『ヤマトタケル』は、セイバーよりも軽装というより普段着のGパンとTシャツで、傍らに葛で封じられた黒塗りの太刀を置いているだけ。
もう、片目を覆っていない。焦点を合わせる振りもしない。
「……これまでこちらに接触しようとしなかったのに、随分あっさり姿を見せたな」
「俺は本気で隠れる気もなかったが、進んで接触する気もなかったぜ? 必要な一部以外は。……けどまあ、人間どもが色々探ってくるもんだから、こそこそ隠れる方が面倒になったんだ」
『ヤマトタケル』はゆらりと賽銭箱の上から腰を挙げ、刀を片手に立ち上がった。歩くたびにちりんと、腰の鈴が鳴る。「ついさっき、お前の――マスターに会ってたぜ」
セイバーは、『ヤマトタケル』がどのように明に関わっているのか知らない。しかしセイバーの知らないところで会っていたと聞いても、動揺はしなかった。
明の隠し事の一つであろう。だが何を話したのかは気になる。『ヤマトタケル』は笑う。
「大した話はしてねえよ。ていうか、俺が何にも言わなくてもだいたいのとこわかってるぜ、碓氷明は。お前も検討くらいつけてるんだろ」
この春日は造られたニセモノの春日。そして榊原理子らが出会った知らないキャスター。
実はセイバーにもこの事態を引き起こせるものに心当たりはある。だがあくまで仮定に仮定を重ねた砂上の楼閣のようなもので、口にするのも恥ずかしいくらいである。
しかし目の前の『ヤマトタケル』は、境界主。この結界を護るのに、一役も二役も働いているに違いない。
「聞きたいことがある。弟橘は何故、世界を作った? そしてお前は何故、弟橘の生んだこの世界を維持しようとしている?」
以前理子と話したように新たなキャスターは、セイバーの知る弟橘ではないはずだ。だが如何なる世界の弟橘であっても、大筋の生涯は似てくる。
ライダーとのやり取りを経て、セイバーはキャスターの宝具がここを生み出していると予測していた。
――神と同一になることによって、人を辞めた末の
「全く碓氷明と同じことを聞くんだな。つまんねえ。知らねえよ」
「妙な奴だな。折角この世界にいるのだから、直接何をしたいか聞けばいいのではないか」
ざわりざわりと、吹き抜ける風が木々を揺らした。境内を取り囲む林の奥から、複数の赤黒い視線を感じる。数えるのも億劫になるほどの瞳の数に、獣の匂い。
セイバーも知る気配――穢れた聖杯・狼の形をした聖杯の呪いの群れ。それらは賽銭箱前に立つ、『ヤマトタケル』の指揮を待つように震えている。
「その言葉、そのままお前に返すぜ。とっとと碓氷明に『なんでこの事態を解決しようとしない』と聞けばいい」
『ヤマトタケル』は鞘に収まったままの刀をセイバーに向けて、笑う。
烈風が吹き抜けた。どちらが先かは、判断がつかない。ヤマトタケルの不可視の神剣と『ヤマトタケル』の黒塗りの鞘が激突すると同時にわき出でた黒狼の群れ。
そしてセイバーがやってきた石階段から飛び出した、白く大きな獣。
「――真神一号! 黒狼を追い払え!」
高圧の電光のごとく走った白い獣は、猛然と黒狼の群れへと突っ込んでいく――生ける神秘殺したる狼は、ただ体当たりするだけで呪いを散らしていく。
セイバーと『ヤマトタケル』は互いに剣を合わせ、鞘と不可視の剣がかちあって震えている。『ヤマトタケル』は薄笑いを浮かべたまま、愉快気に問うた。
「――おや? お互いに戦う理由はないはずだが?」
「ああそうだ。だからこれは俺が戦いたい――否、お前を殴りたいから殴ろうとしている」
「奇遇だな
話には聞いていたものの、相手を見た瞬間に、セイバーは相手もまた同じく『ヤマトタケル』であることを理解した。同時に言いようのない嫌悪感も懐いた。相手がどんな
きっと『ヤマトタケル』も同じことを思ったに違いない。
「――お前、サーヴァントとしてのクラスは」
「呼びたいのならば、アヴェンジャーと呼べ!」
セイバーが力づくで剣を弾き、距離を取る。間髪入れず地を蹴ったセイバーの剣とアヴェンジャーの鞘が何回も何回も競り合い弾いていく。
ちりん、ちりんと涼やかになり続ける鈴の音に合わせ、あたかも演武のように火花が飛び散る。鞘と不可視の剣の長さはほぼ同じ。つまり間合いは同じ。同じ英雄同士が打ちあっても、決着がつかないと思われる――だが、少しずつセイバーの方が圧しているのは、見る者が見ればすぐわかる。
原因は単純に膂力である。それに限れば、セイバーの力が上回っている。
「く……」
苦しい声を漏らしたのはアヴェンジャーの方。魔力を孕む風が吹き荒れ、削れた石畳の破片を巻きあげて黒狼にも突き刺さる。何合も何合も続く剣戟の中、セイバーはほんの一瞬だけの隙を見つけ、針の穴を通すような正確さで一息にアヴェンジャーの
「――」
その時、背後より飛来する何かを感じ――僅かな風の動きと振動で――セイバーは僅かに体をずらさざるを得なかった。
背後に感じた何かは剣で、その三振りはセイバーの顔の両側面・右わきすれすれを貫いて石畳へと突き刺さった。そして不可視の剣もアヴェンジャーの肩の上着を掠めたにすぎず――二人は至近距離にて静止し、互いに退いた。
――やはり……。
アルトリアは最初、美玖川でアヴェンジャーを見た時はヤマトタケルだと思ったらしい。サーヴァントとしての気配すら絶つ宝具、「
これらは本来、ヤマトタケルが「アサシン」として召喚されれば持ちうる宝具である。
しかし知らぬ剣を三振り取り出し、自在に操った――セイバーのヤマトタケルにその記憶はない。今も振動に震えて突き立っている三振りは、彼が見たことのない形状の剣であり、もっと後世の作と思わせた。その三振りは焔に包まれて姿を消した。
「――フン、まるで
アヴェンジャーは鼻で笑った。セイバーも同じ顔で笑った。
お互いがお互いを把握したうえで成された
「――剣を棄てた俺は、演技の達者さに磨きをかけたらしい」
アヴェンジャーの上着の下、晒に巻かれた体からは古傷がいくつも見て取れる。それは本来のヤマトタケルであればありえない。
神剣の加護によって、どんな深手も跡形もなく治癒するのだから。
両目が見えないのに、右目にだけ眼帯をしている理由も、セイバーは察していた。
右目を覆えば、人は残った左目は見えているのだろうと勝手に勘違いする。そして戦闘時には、右目側に死角が増え、自然敵はそちら側から攻撃を仕掛けるようになる。
つまり、アヴェンジャーには読みやすくなる。
また、相手が片目でも見えているなら、まさか音で世界を把握しているとはまず考えない。つまり目が見える振りをするのは、敵を欺く戦術のひとつなのだ。
ただ「音で世界を把握している」のも、アヴェンジャーの詐術のうち。情報伝達の速度が音速――水中ならともかく、空気中では、サーヴァント戦では確実に後れを取るからだ。
そこまで考え、セイバーは溜息をついた。
「……まあ、いい」
アヴェンジャーが、どんな生を送ったのかはわからない。だが神剣を棄てる――神の剣を辞めるというのは、神の剣として生まれたゆえに死と同義。
神の剣とは、神霊天津神々の支配を人代にもつなげ維持する役目のこと。直接には天皇の命という形をとるが、その実神霊の命である。
ライダーはすべてを承知のうえで神の剣であることを享受し、セイバーは神命に振り回されて神の剣を終え――アヴェンジャーは神の剣を辞めた。
人代とはいえまだ神代の残り香深い時分に、神霊をも敵に回した。
つまりは、大和朝廷への反逆者である。
――死血山河。
木々や住処は灰燼に帰して、息する者は誰一人もない――そんな大和を幻視した。
何を思いアヴェンジャーがその道を選んだかはわからずとも、その選択自体がヤマトタケルにはありえない。
仮にアヴェンジャーと己が道を分かった理由を知るときが来ても、融和はない。
セイバーは剣を消して、息をついた。既に黒狼は成りをひそめ、真神一号――拾った犬の真神三号にちなんで(順序としては逆なのだが)一号――も、おとなしくセイバーの後ろに控えている。
「もう用はない。帰るぞ」
真神の首の下を撫で、セイバーはアヴェンジャーに背を向けた。一匹と一人は事は済んだと、神社の出口、鳥居に向かった。アヴェンジャーも、追いかけない。
何も口にせず、真神とセイバーは黙々と石階段を降りていく。真神の純白の毛並みは、月光を受けると、まるで真神自体が白光しているように見える。
『主』
「昔から、俺はお前の主になった覚えはないのだが……それよりお前、榊原の使い魔だろう。今の主を放っておいていいのか」
『榊原は同盟者だ。主ではない』
当初、理子に呼び出された真神は何にも干渉するつもりはなかった。ゆえにできるかぎり理子には呼ぶなといったが、かつての主の匂いを嗅ぎつけて気にかけてはいた。
ちょうど折よく、セイバーヤマトタケルは白い犬を飼い出していた。神秘としての格があまりにも違うとはいえ、真神も獣にして狼のため、近しい動物との意思疎通は容易い。
あの真神三号は本当にただの犬であるが、彼の眼を通して真神一号は碓氷邸周辺、もといセイバーヤマトタケルの状態を把握していた。
『で、主、そなたは何もしないのか。この結界のカタチ、術はまぎれもなくお前の妻のものだろう』
「……これは弟橘のものだと感じるのだが、問題は俺のものではない。だから関わるつもりはない。あちらの俺がどうにかすることだ」
『……主がそういうなら、よい』
しかし、自分が何をすることが最適なのか、セイバーに答えはない。
聖杯戦争は終わって、ただ強ければどうにかるという話ではないのだ。