Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
「よし、それでは行くぞ」
「おう」
「とうっ」
若干気の抜けた掛け声とともに、アーチャーは河川敷を助走をつけて、川べりから高々と跳躍した。目指すは美玖川の対岸、隣市である。
理子が試したところによれば、向こう岸に渡ったつもりが何故か向こう岸からこちらに来たことになっており、全く渡れなかったとのこと。それは明も認めており、一成も信じていないわけでもないのだが、どうにも実体験として納得しにくく、アーチャーに実験を頼んだのだ。
跳んだアーチャーの黒い衣冠束帯が闇にまぎれ、一成たちの眼に一瞬映らなくなった――。
「ほれ、変であろう」
「!?」
一成の傍らには、いましがた対岸へジャンプしたはずのアーチャーが立っていた。彼がこちら側に引き返すための跳躍は見ていない。
「……やっぱ、ほんとに春日の外に出れないのか」
「これでわかったでしょ。とりあえず、私たちの目的はハルカ・エーデルフェルトとキャスターを見つけて、聖杯戦争が終わってることを納得してもらう。そして今の状況について、知ってることがあったら話してもらうこと」
理子の言うことはもっともなのだが、そのハルカの居場所について手がかりがない。
そもそも春日聖杯戦争にハルカ・エーデルフェルトなどいなかったはずだ、と一成は思う。
ハルカはひとり聖杯戦争をしているのだから、こちらもサーヴァントをひきつれて徘徊していればそのうち出会うだろうという楽観的・あまり計画性のない行動予定だ。
明もハルカの拠点については何も言っていなかった。一成ははと何か思い出したように振り返った。
「俺たちに戦う気はねえけど、あっちは戦うために来てる。また戦闘になるかもしれねえし、お前の魔術教えといてくれよ」
「……そうね、そもそも、そのつもりだったし」
「私も気になるのう。真神の件は察しがつくが、そなた、神道とは関係のない……いや、少々ずれた力もあろう」
先日の美玖川での戦いの際に遅れて参じたはずのアーチャーだが、少々戦いの成り行きを遠目から観察していたようである。アーチャーからの期待の眼差しがなくても理子は話をしただろうが、彼女は少々改まって咳ばらいをした。
「大口真神、あの狼は実家で代々契約している使い魔。でも私たちの生殺与奪の力なんてない」
盗難と火難の厄除けの神とされる大口真神は、本来であれば当の昔に世界の裏側に行ってしまっているはず神獣である。それでも最後の一匹が今も残り続けられているのは、真神に近いほど長い歴史を持つ巫女と神官の一族――榊原家の先祖との繋がりがあったからだ。
要するに榊原の一族が憑代となり、真神の最後の一匹を表側に引き留める楔となっている。だから理子の一族が消えれば真神は表側に居られなくなる一方、榊原家はエーテルが薄れたとはいえ魔そのものを退ける獣を意思一つで操れない。
マスターとサーヴァントに関係に近いものがある。
「……最近も呼び出しているけど、何かあんまり呼び出すな、って渋ってるのよね」
ヤマトタケルに乞われて呼び出した時には真神も粛々と従っていたので、前のあの言葉にどれほどの意味があるのか、理子にもよくわからない。
「とにかく、私の一番強い味方は真神。私自身の神道魔術はオーソドックスなもの。あとは……あんまり役には立たないんだけど、一応超能力者でもあるから」
超能力とは、魔術のように神秘に根差した技術でもなく、混血のようにヒト以外の力を取り込んだものでもなく、ヒトがヒトのまま持つ機能。人間という生き物を運営するのに全く関係のない力であり、超常現象を起こすチャンネルである。
本人にとってその超常現象は「できて当たり前」であり、外部からの指摘によって異常であると気づくことが多い。
基本は一代限りの異能であるが、近親婚を繰り返して血脈に異能を留めようとする一族も存在し、また異能に魔術的な手を加えて変質させることもある。
そして理子の異能は、そういった手を加えた異能ではなく、純粋に自然発生した異能だった。その上、彼女の家もその異能について知悉していないため、重要視はされていないそうだ。
「地味だし、面白いものではないわ……こんな感じ」
理子はポケットからメモ帳を取り出すと、一番上の一枚をちぎった。そして眼を瞑り、右手を紙の上にかざして数秒――。
ひらりと見せられたそれには、なんとまるで写真のように鮮明な、今の一成の姿が映っていた。事前に書いておいたものを手品のようにすり替えたのか? それは違う。
「見ての通り、念写。英語だと
念写――よく知られるのは頭の中にあるイメージを感熱紙に映し出すものだが、彼女の場合ただの紙でもいい。
「へえ……ってこれ、どう使ってるんだ?」
「正直あんまりない。私は魔術を使うから、遠当の命中補正に使うのが一番多いわ。頭の中で、撃った遠当がまっすぐ相手に目がけて当たるイメージを強く念じて、それを現実という感熱紙に写すって感じ」
「……サラッと言ってるけど、それやばくねえ? たとえばお前が頭の中で「土御門一成、あの10トントラックに轢かれて死ね!」って念じたら俺は死ぬの?」
これまでの行状を振り返っているのか、妙に挙動不審な一成を見て、理子は溜息をついた。
「そんなうまく行ったらこんな苦労してないわよ。……そうねえ、似て非なる固有結界って言えばいいのかしら」
固有結界は、己の心象風景で世界を一時的に塗りつぶすもの。世界にとっては染みであり異物であり矛盾のため、修正力が働き通常数分で消えてしまう。
理子の念写も、念じた物事を世界に張り付けようとする試みという意味ではかなり近い。
「ただ念写は『結界』じゃない。本当に世界を上書きし、永続させようとしてしまう。だから固有結界よりも激しく世界の抵抗を受けて、非現実的な空想は秒どころか刹那も持たない。できることは世界から許される程度の改変、つまり「実際に十二分にありえる時に、そうありえる可能性をちょっと増やす」程度なの。さっき言った遠当の命中補正がまさにそれ。実際私は相手に当てるつもりで遠当を放っているわけで、その瞬間に当たるイメージを念写することで命中させているの。それでも完璧に念写できることが少ないから、外れる時は外れるの」
「そうなのか」
なんとなく、すごそうだけれど実際使い道が少ないと言う意味で、天眼通とシンパシーを感じてしまう一成である。
また、彼女が日常生活でカメラを持ち歩いているのはその超能力による影響で、幼い時から「写真を撮る」行為から能力を鍛えようとしていた名残だが、今では単なる趣味になっているとのこと。
「さて、榊原の姫の力も聞いたことで、これからどこを廻るとする? 手がかりがないにしても、可能性の高そうな場所とすると……「カズナリー!」
アーチャーの声を遮ったのは、元気な少女の声――河川敷と道路の境を通りかかっている、白ワンピースの少女、キリエスフィール・フォン・アインツベルン。そして彼女を護るようにすぐ脇に控える、蒼銀の少女騎士セイバー。
「キリエにセイバー!? あれ、どうしたんだ」
「アキラにカズナリたちが心配だから見てきてあげってって。ね、セイバー?」
「ええ」
アルトリアはどこか釈然としない顔をしていたが、それでも一成たちの姿を見て微笑んだ。
「あ、そーだアルトリアさん、碓氷のやつ、ハルカの拠点について何か言ってなかったか? あいつ管理者……「伏せろ一成!」
殆どアーチャーに蹴り飛ばされるような形で、一成は地面を転がった。文句を言うより早く届いたものは真昼のような光に次いで轟音、そして振動が広がって、地面に伏した一成にまで伝わった。
「……っ!」
「何者かッ!」
一成と理子の前にアーチャー、それより前にキリエにアルトリアが立ちはだかり、奇襲をしかけてきた相手を探った。
しかし探るまでもなく、敵は最も前方に立つアルトリア目がけて、煙を切り裂いて迫った。
彼女は難なく煙幕の奥から繰り出されてきた攻撃を不可視の剣でいなしたが、その相手に眼を奪われた。
彼女からすれば三日ぶりに見える、新キャスターのマスターであるハルカ・エーデルフェルトなる魔術師――!
明や一成たちの話からマスターのほうが戦う側だとは聞いたが、確かにこれはサーヴァント並みの身体能力である。
しかも、剣や槍などの武器はなく拳で向かってくる。
「ハァッ!」
裂帛の気合と共に真正面から突き出された拳は、剣とかちあい高い音を響かせた。彼には聞きたいことがある――殺すのではなく、戦闘不能に追いやりたい。
そして今、アルトリアはただハルカの気を引き付けるだけでいい。
「……ッ!!」
次の瞬間、ハルカの右腕には幾本もの弓矢が突き立っていた。まだ煙が晴れぬ中、アーチャーの矢が容赦なく狙う。そもそも、距離は20メートルと離れていないのだ。
たとえ幸運補正に頼らずとも、その程度彼は当てる。アルトリアは威力を押さえ、それでも強く刹那の隙を狙ってハルカの腹に剣の腹を叩き込んだ。
「ハ、ハルカ様ぁっ!!」
悲鳴めいた女の叫び声も、アルトリアや一成たちには聞いた覚えのあるもの。
アルトリアはキリエをつれ、アーチャーは一成と理子を促して足早に彼らから距離を置いた。
煙が晴れると、女――キャスターに支えられながら、ハルカ・エーデルフェルトは肩で息をしていた。ただその眼だけは炯々と輝き、憎しみさえ籠ってアルトリアたちを睨んでいた。
「……ハルカ・エーデルフェルトですね。あなたに聞きたいことがあります」
「……戦えッ! 戦えサーヴァント!お前たちは、戦うために現界したはずだっ!」
「話を聞いてください。もう聖杯戦争は終わっているのです。戦ったところで、万能の杯など手に入らない。戦っても得るものなどなにもありません!」
アルトリアの言葉に、ハルカはひきつった声で笑った。「聖杯がない? そんなことはもうでもいいのです。私が、私が勝ちさえすれば……」
「話を聞きなさい、キャスターのマスター。聖杯戦争は終わったのです。それに私たちは、あなたの存在を、そもそも知らない」
「騎士王や、話の腰を折って申し訳ないが周りを見よ」
アルトリアの背中側に立っていたアーチャーは、いつの間にか再び矢を番えていた。言葉に促されたアルトリアが視線だけで周囲を伺うと、確かに、何かがおかしい。
美玖川の湖面が夜だからという理由では片付けられないほど黒ずみ、まるで汚泥のようだ。月明かりさえ反射しない漆黒の泥。
これに似た何かを、アルトリアと一成・キリエは知っている。
聖杯によって穿たれた黒い孔から漏れ出る中身。この世全ての●。だがそれは彼らの記憶の中にある形ではなく、大型の犬、狼のような形を伴って川を這いずっている。
やがてそれらは意思を持っているかのように、河川敷へどろどろと上がってくる。その数はざっと見渡した限り百体以上。
「……何だ、これ?」
これは本当に犬なのか。眼だけが爛々と輝き、黒に赤い孔が空いているだけのようだ。泥の大群のごとき獣の群れの中の紅い眼のうちのひとつが、一成たちをとらえた。
「――!」
一成の脳裏に過ったのは、土御門神社の境内。自分と、その真向かいに立っているのは神内御雄。自分の手には、碓氷明から借り受けたナイフが握られていた。
泥に囲まれた中で、白刃が神父を貫いていた。
アーチャーは? いるわけがない。だって自分のサーヴァントは、大西山決戦で。
「一成! ぼうっとしておるでない!」
「とにかく、この狼たちを追い払います!」
状況はハルカを問い詰めるどころではない。一成が呆けている間に黒狼たちはいや数を増し、のみならず鋭い牙をむき出しに襲い掛かってきていた。
幸いなことに、サーヴァントを前にしては遠く及ばない程度と見え、容赦なくアルトリアに切り伏せられ、アーチャーに射抜かれていた。
身を守るだけなら理子の結界でも間に合っていた。
狼たちは一個体がそれぞれ別れているのに、どことなく密集する虫を思わせる。アルトリアはアーチャーに一成やキリエの護衛を任せると、自分は一歩退いた。
不可視の剣に纏わせた高密度の風の鞘を解放して放つ飛び道具で、一度にこの黒い塊を薙ぎ晴らう!
「爆ぜよ、
解き放たれた風の突撃――正面方向の狼たちを、風圧で千切り細切れにし、断末魔を最後に消失させる。
だが、この黒狼はまだまだ湧き上がり蠢いている。宝具で焼き払うしかないか、とアルトリアが思ったその時、これまで黙っていたキリエが声を上げた。
「――とにかくここにいてはダメよ。この境界――川から離れるわよ! アルトリアの開けた道から!」