Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】   作:たたこ

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今日もまた、夜が来る。


夜② 蘇る記憶

「ホァー!! 超絶黒歴史!!」

 

 ベランダにつながる窓を通してみた空の色は赤紫から紺色に変わりつつあり、夜が近いことを教えていた。

 碓氷邸から一旦帰宅して夜に備えていたのだが、二人ともまどろんでしまったらしい。

 

 キャスターは窓際に座り込んで眠りこけていたのだが、自身の寝言で覚醒するという奇妙な技をやってのけ、のろのろとベランダへと出た。

 

「なんて夢見の悪い……夢じゃなくて過去ですが……」

 

 若さ、若さって何だ? 振り向かないことさ。うん若いって怖いね! 十代思春期のこう、体は大人になってきていることととそれに追いついていない精神の、アンバランスが成せる業か。

 夢の自分を十字架に磔にしてジャンヌ・ダルク処刑の如く燃やしたい。キャスターは思いっきり頭を振って顔を上げた。

 

 

 外は髪を揺らすほどの微風があり、比較的涼しかった。昨日が五日目、今日で六日目。

 魔力量は問題ないが、その魔力はこの世すべての悪に汚染されたものであり、自分の霊基では耐えられて数日が限度だと思っていたのだが、今もこの通りピンピンしている。

 

 ――呪いを肩代わりしている何かがいる?

 

 わからない。すでにこの世界はキャスターの手を離れている。

 もともと、偶然で存続を許されている――存在を見逃されている世界だ。作りも細かなところは粗雑だし、ほとんど記録のコピーでつじつまの合わないところもある、元々無意味な苦し紛れで逃げるためだけに作った世界だった。

 こんなに長続きする予定も、するはずもなかったものだ。

 

 だってこんな世界を長続きさせてしまえば、小心者の自分は罪の意識を抱いてしまう。

 

 ――どうせ罪であるのなら、せめて、ハルカ様は、

 

 ここが終わってしまったとき、ハルカはまた元のハルカに戻ってしまう。

 

 それはよくない。というより、いやだと思う。この世界が無事である内に、自分が正気である内に、ハルカは自分の真実と向き合わなければならない。

 

 実際、それは時間の問題だった。ハルカはすでに夢の形をとって、自分の身に何が起こったのか思い出しつつある。頭は忘れても、体は、血は覚えているのか。

 

 それを理解していながら、キャスターはあえてその点には触れないでいた。

 いつかは向き合わなければならないと知っていたけれど、放置した。

 

 その理由は単純で、この世界が楽しかったからだ。

 そもそもこれほど長居できること自体想定外で、正気でいられたことも奇跡で――楽しかったから、いずれ来る終わりに目をそらした。

 

 人は死に時というものがあると、キャスターは思っている。ランサーは戦国を生き抜いてしまい太平の世で生きながらえたことを心の片隅で悔み、戦場で死ぬことを望んだ。

 

 そしてャスターは、あの荒れ狂う異界の海で死ねなかった。

 死にたくないと思って、生きながらえてしまった。

 

「……そういえば、夜にはまた碓氷さんちに行くってハルカ様言ってましたねえ」

 

 キャスターが踵を返し、部屋の中に戻ろうとしたその時――ハルカがベッドから転がり落ちて、うずくまっているのが目に入った。

 

「マスター!?」

「……っ」

「……大丈夫ですか!?」

 

 体をゆすってしばらくすると、ハルカの震えは止まった。彼はキャスターの手を払い、ゆらりと起き上がると、顔を上げて勢いよく部屋を飛び出し階段を駆け下りていく。キャスターは慌てて彼についていく。

 

「ちょっ、マスター!? どうなさったんですか!」

 

 ハルカは聞く耳を持たず、どたどたと階段を踏み続け降りていく。

 

「……っ!!」

 

 ハルカは最後の階段を踏み外し、そのうえ受け身も取れずに床に転がった。起き上がろうとしてもうまく起き上がれない。

 だがそれよりも思い出したことの方が重要だ――!

 

「ハ、ハルカ様、とりあえず落ち着いて、お身体が……」

「……あの女は、シグマは……!」

「ハルカ様、落ち着いてください!」

 

 俯せになりながらもなお前進しようとするハルカの上に覆い被さり、キャスターは自重で押さえつけようとする。体力を使い切ったのか、ハルカはそのまま顔を床に押し付けた。息を荒げ床に向かったまま、ハルカは口を開いた。

 

「……キャスター……。思い出しました……」

 

 ――時計塔からの派遣として、春日聖杯戦争を何事もなく終わらせる。

 その目的のため、春日聖堂教会、果ては碓氷家との同盟・共闘をすることを条件として聖杯戦争へと参加したハルカ・エーデルフェルト。触媒も春日聖堂協会に用意され、彼自身は戦闘準備を整えて日本を訪れることになっていた。

 

 季節は冬とはいえ、フィンランドに比べれば物の数の寒さではない。コートの一つも羽織らずに、ハルカは空港からバスで春日市に向かった。

 

 冬木の第三次聖杯戦に参加した時は、エーデルフェルトは冬木市内に拠点となる屋敷を用意していた。此度も急造で拠点を断てるかと本家に尋ねられたが、ハルカはそれを遠慮し、聖堂教会の用意する拠点を使用することに決めた。

 この参加自体本家が望んだことではないため、手間をかけさせるまいとしたのである。

 

 時計塔にいた時、同じく春日聖杯戦争を聞いた影景とも顔を合わせた。彼は娘に一任する、と呑気に言っていたが、流石に何か含め置いてはいるに違いない。

 また管理者である彼自身が参加しないということは、この聖杯はやはり「根源」に至ることはないのだろうとも感じたが、ハルカとしてはそれでもよかった。

 根源に辿り着かずとも聖杯戦争に勝つことでエーデルフェルトの雪辱も晴らせ、聖杯を持ちかえれば家の役にも立つだろう。

 

 影景は親切にも春日の三大霊地を教えてくれた――少し調べればわかることでもあるが――ので、ハルカは教会に寄るまえにそちらを見てみることにした。

 

 三大霊地は大西山・碓氷邸・土御門神社。距離的に大西山は遠く、碓氷邸をアポなしに寄るのは躊躇われ、消去法で土御門神社に向かった。

 

 普通の平日ゆえ、人もまばらである。ハルカは一般の参詣道を一通り見た後、神社を取り囲む林へ足を踏み入れて、そこで――

 

 黄金の女神(シグマ・アスガード)に出会った。

 

 ハルカは以前にシグマと出会ったことはない。だが、現代において疑似的に神霊を降霊できる封印指定の魔術師がいることは知っていた――それが、すぐに目の前の女と結びつきはしなかったのだが。

 その後、どのように戦いどのように敗れたのかまでは記憶にない。

 

 シグマによって魔術的に干渉されたのか。気が付いた時には、

 和風建築(恐らくは神社)の中で、指一本動かせず天井を見上げていた――。

 

 

 

 そうだ。

 つまり――このハルカ・エーデルフェルトは――

 

 サーヴァントすら呼び出さぬまま、聖杯戦争が始まる前に、敗れていた。

 

 

 そして事前に春日聖堂教会から聞いていた聖遺物は、戦国の益荒男の愛槍。

 呼び出そうとしたのは、この可愛らしい穣子(おとめ)ではない。

 

 ならばこのキャスターは何者なのか。

 

 ――布団の上に寝かせられ、指一本動かせない己。その傍らに寄り添う影。

 

 自分には、影にしか見えなかった。しかし気配は、間違いなくこのキャスターのもの。

 思うに、あれはサーヴァントとして召喚されたものの、正規サーヴァントとなるには霊基が足りなかった存在。シャドウサーヴァント、といったものに思えた。

 

 何故かはわからない。だがそのシャドウであったキャスターはなぜか、ずっと自分の傍に寄り添っていた。その彼女に、自分はうわごとのように繰り返していた。

 

 

「助けてくれ」と。「聖杯戦争を、したい」と。

 

 

「……」

 

 荒くなった息を整え、鉛のように重い体を起こしてから、ハルカはキャスターをどかせた。押さえつけられて少しは冷静になった。

 

 ハルカは廊下の壁にもたれかかり、不安げにのぞいてくるキャスターに顔を向けた。

 彼自身、人を見る目がある方ではない自覚はある。それでもキャスターが自分に対し、害そうとしているようには感じない。

 だが、しかし。

 

「……キャスター」

「はい」

「私に、嘘をついていますね」

 

 暗い廊下、眼も慣れたとはいえ、それでも互いの顔はぼんやりとしている。キャスターは観念した、と大きな息をついた。

 

「……最初、記憶が飛んでいたのは本当です。でも数日で思いだして、真名も宝具もわかっています」

 

 何故、彼女がそのような嘘をついたのかまでハルカにはわからない。それでも敵意あっての行為ではないと信じている。

 キャスターは顔を上げて、真摯な眼差しでマスターを見つめた。

 

「私の真名は弟橘媛(おとたちばなひめ)。かつてこの国であらゆる悪神と反逆の芽を刈り取った英雄の、妻だった者です」

 

 ――「さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」

 

 弟橘媛。日本武尊の妻にして、彼の東征事業にも随行したと伝えられる女性。一説には巫女とも伝わっている。

 

 日本武尊一行が走水から船で上総に渡ろうとしたとき、彼は「こんな海飛んでわたっていけるだろう」と、海の神を侮った発言をした。それを神が効き咎め、海を荒らし、彼らが上総へたどり着けないようにした。

 

 そこで弟橘媛は、彼の代わりに海に身を捧げ、神の怒りを鎮めた――おかげで、日本武尊一行は上総に辿り着くことができた。彼女を喪った日本武尊は彼女を惜しんだと伝えられている――。

 日本神話における屈指の悲劇のヒロインとして、その名を知られている。

 

 

 空が徐々に濃紺に染まる中、ハルカがいつも眠るベッドの脇で、彼とキャスターは膝をつきあわせていた。重苦しい空気にも拘わらず、いや、あえてそうしているのか、キャスターは能天気な様子で笑った。

 

「さて、真名もバラしてしまったことですし、私のことはキャスターではなくどうぞタチバナと。あっ、引き続きラヴァーでも構いませんよ」

「……キャスター。聞きたいことがあるのですが」

 

 まだハルカの脳内は大混乱であり、何が起きたのか信じられない。

 キャスターの正体も気になってはいたがそれよりも本当に自分は、聖杯戦争に参加すら出来ていないまま倒れたのか。冷静なのか興奮しているのか、もう自分で判断がつかない。

 だからきっと通常の己ではない――必死でそれだけ念頭に置いて、ハルカは膝の上の拳を握りしめた。

 

「……ンアー! 知ってた!」

 

 キャスターは自分の額を叩いて、何故か床に転がった。今のハルカにキャスターの奇態にツッコミを入れる余裕はない。

 

「……信じがたいことですが、本当に聖杯戦争は終わっている。そして私は、自分自身の意思でサーヴァントを呼び出すことさえ叶わず、シグマという女に倒されて傀儡にされていた――」

 

 やっとのことで絞り出した声は、今も震えていた。思い出すだけで憤怒と恥辱で体も震える。踊る金髪碧眼、現代の女神――噂には聞いたことはあった、神代より伝わるセイド(降霊術)の大家が、神霊を降ろす巫女を生んだ、と。

 

 この記憶はきっと別人のものだと信じたがっている――そう思っていることはキャスターにもよく伝わっているはずなのだが、彼女は敢えて気にしない素振りをしているのか、気遣う声音をしない。

 

「そうでしょうね。私は見た訳じゃないですけど」

「……何故、貴方はそのことを知っていたのですか。私は話した覚えなどありません」

 

 ハルカはキャスターを信じている。今までのふざけた姿をわざとで、自分を欺くために成していたこととは思っていない。

 だが、彼女の思考と目的が分からないことも確かであった。

 

「ハルカ様も御察しの通り、私は正規のサーヴァントではありません。ならば何故、私は召喚されたとお思いですか」

「……」

「春日聖杯は、本来なら大聖杯設置から五年で戦争が始まる予定だった。にもかかわらず、開催は三十年かかってしまった。それは、冬木と違い大聖杯魔法陣の核は一人ではなく二人で、二人の回路接合のわずかなずれから魔力が漏れ出していたからです」

 

 ハルカには初耳のことだ。管理者である影景や娘の明であれば事情を察していてもおかしくないが、何故キャスターが、いや、腐っても神話の魔術師(キャスター)だからだろうか。

 

「しかしそもそも、五年で戦争が始まる公算の、その五年と言う数字はどう出されたものなのでしょうか。冬木聖杯戦争は六十年周期だったのに。それは春日(ここ)が一等の霊地であると同時に――それは冬木でも同じはずですが――ちょっと特殊な霊地だから、五年でできるという公算だったのです」

「――四神相応、ですか」

「前にちょっとだけお話はしたと思います。アレは四神の中央に魔力を集め、都を護るために使うというのが基本です。だから、春日の市街地には魔力が溜まるんですよ。何もしなくても。魔力は水のようなもので、普通放っておくと蒸発して霧散しますが、ここにはそれがない」

 

 魔力を貯める方法はいくつか存在する。エーデルフェルトの得意とする宝石魔術も宝石に魔力を貯める術であり、冬木の大聖杯も魔力を貯めることを可能にしている。

 しかし何もしなくとも魔力が溜まるとは――いや、だからこその霊地である。

 

「何を考えていたのかはわかりませんが、ここの管理者の一族は魔力を地下に溜めていたようです。春日聖杯戦争が企画されるよりもずっと前から。だからその貯金を踏まえて、五年という予想が成立していたわけです。そこで春日聖杯戦争のための魔力貯蔵が始まったわけですが、魔力は漏れていた。漏れる量より溜まる量の方が多いから開催はされましたが、その漏れた魔力はどうなったと思いますか」

「霧散――いや」

 

 キャスターは頷く。「そうです。漏れて消えたのではなく――土地に滞留していたのです。一度聖杯の魔力に染まりながらも滑り落ちた魔力が、残り続けていたのです。近くに聖杯戦争用、という膨大な魔力塊があるため、それに比べれば本当に微々たる量ですが……。だけどそれは一度聖杯に染まった魔力なのです。大聖杯が壊れても残り続けた魔力は聖杯としての活動を始めてしまった」

 

 聖杯としての活動――サーヴァントを召喚し、聖杯戦争を始める。その聖杯の残滓によって召喚されたのがこのキャスターだった。

 

 最早願いを叶える力もない聖杯の残りかすが召喚した、ただただ弱いサーヴァント。そう、聖杯戦争はとっくに終わっていて、これは後始末し損ねた聖杯(奇跡)の悪足掻きでしかない。

 

「私はこの土地、聖杯の残滓に呼ばれたサーヴァント。ほとんどの魔力は聖杯から供給されていて、ハルカ様との契約がなくても消滅しません。その代わり、春日市からは出られない体です。聖杯は、この土地に根付いたものですから」

「……!、待ってください」

 

 私はあなたのサーヴァントではないと告げる彼女に、ハルカは流石に声を上げた。間違いなく彼女と自分の間にはパスが通っている――弱い代わりに燃費がいいのかと思うくらい少ない魔力負担だが、確かに自分からキャスターに魔力が渡っている感覚がある。

 

 決してこの繋がりが嘘だと信じたくなかった、わけではない。そこで初めて、キャスターは僅かに口ごもった。

 

「……ハルカ様。ご自身の今の身体の状態って、御存じですか」

「シグマ・アスガードに倒され、傀儡にされた……」

「その結果の、状態をご存知ですか」

 

 考えたく、ない。

 考えたく、ない。

 

 黒魔術をもっぱらとする家が、生贄をどういう風に扱うか知っているか。

 人造人間作製に長けた家が、試作品レベルのホムンクルスをどう扱うか知っているか。

 つまり、は。

 

「私のスキルで、ハルカ様を強化してサーヴァントと同レベルに戦えるまでにしていましたとお伝えしていました。だけど、あれはスキルじゃなくて、私の宝具『この身・英雄の妻』。宝具によりあなたの身体を普段は魔術師並み、戦闘時は最大出力でサーヴァント並みにしていたのです」

 

 つまり、キャスターはハルカが活動している時は常に宝具を展開していた。常時宝具を使い続ける離れ業が可能だったのは、彼女が聖杯と接続している身だったからだ、

 つまり、は。本来の自分(ハルカ)は、きっと本当に屍のようであったのだろう。

 もう自分が何を考えているのかさえ曖昧で、きちんと正座で坐れているのかも模糊としていて、世界が歪んでいる。

 

「……貴方は、では、何故……私に宝具を使い、終わったはずの聖杯戦争をしよう、などと……」

 

 キャスターは最初から、戦いは得意ではないと言っていた。聖杯に願いがないとも。

 ハルが戦いたいなら、それに付き合おうと。

 ハルカの願いを叶えることが願いだ、と。

 

「何故召喚されたかわからず、彷徨っていた私がたまたま出会ったのがハルカ様でした。あなたはずっと、助けてくれ、聖杯戦争をしたい、戦いたいとおっしゃっていました。だからその願いを叶えようと思いました」

「……それだけですか」

「そうですけど、何か変ですか?」

 

 ……頭が痛い。何も考えたくない。キャスターの言が正しいなら、今自分がまともに坐っていられるのも彼女の宝具のお陰に違いあるまい。

 全く、彼女がしていることには、彼女にはなんの益もない。聖杯はない、身動きの取れない男一人の戦いたい、という願いを叶えても何も見返りはない。

 

 ならば何故、この女はそんな骨折り損のくたびれもうけをしているのか――と考えて、ハルカの口から笑いが漏れた。

 

「……そうか、貴方は……私が可哀そうだから、憐れんでいるのですね」

「……え!? はっ!?」

 

 それは不憫だろう。息巻いて雪辱を晴らす、誇り高きエーデルフェルト、と言いながらもその実サーヴァントさえも呼び出せずに、知らぬ魔術師に操られていた道化だ。

 身動き取れないまま、戦いたい、聖杯戦争で勝ちたいと繰り言を言っている廃人だ。

 それは憐憫の情を催すだろう。

 

「魔眼の価値もないと、売り払われた私を不憫だと思っているのですね」

 

 ハルカは勢いよく立ち上がり、そのままキャスターの首を掴んだ。そのまま力任せに引きずり、部屋の外へと投げだし、扉を閉めて施錠した。

 本当にただ施錠しただけで、サーヴァントならキャスターでも容易く壊せてしまうのに、それすら思い至らぬほど彼の頭は回っていないようだ。

 

「……ゴホッ、!? ちょっ、ハルカ様!」

 

 キャスターは急いで立ち上がり、扉を強くたたくが中から返事はない。数分、キャスターは粘り強く声をかけたが梨の礫。

 彼女は一回扉から離れ、大きく息を吐いた。

 

 ハルカは色々な事を思い出し、キャスターも色々な事を告げた。ここは一度、時間を置いた方がよいと彼女は思った。

 

 キャスターは彼を憐れんで、同情心から助けようと思ったのではない。

 ただ、助けを求められたから、助けたかったのだ。

 

「……私の願いはあなたを助けることだって、言ったじゃないですか、ハルカ様」

 

 ただ人の為にと思ってしたことでも、それが本当に人の為になるかは別の話だ。

 

 自分は大和を護るなんて大口をたたいた癖に、護れなかった。誰も助けられなかった。

 我が身かわいさに死ぬべき時に死ねなかった。

 

 そんなだから自分は、誰も幸せにできぬまま殺された。

 

 だからもし、偽りでも願いが叶うならば――今度こそ、誰かを救うために死にたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

どれくらい時間が経っただろうか。睡眠も食事も不要なキャスターは、まんじりともせずに扉の前で正座をして待っていた。

勿論今も宝具でハルカを通常の活動ができるレベルを保ち続けている。

 

「……」

 

キャスターが春日聖杯のカラクリを既知としていたのは、彼女が聖杯(の残骸)から召喚され、接続されて魔力を得ている状況以外にももうひとつ要因がある。

 

碓氷影景が聖杯に後から付属させた、春日市自動観測機能――聖杯に貯蔵される魔力を拝借し、春日の人間、動物の誕生と死亡、思想、魔力の流れを記録する計算モデル《オートマトン》。

影景は春日の管理を容易かつ、いざという時には詳細にできるように全春日の記録《ビッグデータ》を観測機能に蓄えさせていた。

ただ、それが聖杯に付属させたものであるため――聖杯からそれを切り離しても、聖杯は全く問題なく動く――聖杯の残留魔力から呼ばれたキャスターは早期にその機能の存在を知り、アクセスを試みていた。

 

故に彼女は、その気になれば碓氷影景と同様に春日に起きたあらゆることを把握できた――そのため、聖杯の仕組みさえ知っていた。

 

しかし当然ながら、春日市自動観測機能の記録に残っているのは、春日市に来てからのハルカのみ。それ以前の彼がどこで何をしていたかはわからないのだ。ゆえにハルカの生い立ちまでは詳細につかめていなかった。

 

キャスターは、ひとまずハルカが落ち着くのを待っていた。

波が過ぎればまともに話ができるはずだと思う――と、その時、部屋の奥で物音がした。足音はこの扉に近付き、そして開かれた。扉は外開きのため、すぐそばにいたキャスターの膝に扉が激突した。

 

「痛!!」

「……キャスター。行きますよ」

「ハルカ様、まずはご自分の、……って、え?」

 

キャスターに声をかけたものの顔を向けず、ハルカは足早に階段を駆け下りていく。彼女は慌ててそれに追従する。階段を降り切ったハルカは廊下をつっきり玄関に向かい、手早く扉を開けて夜の街へと踏み出した。

空は暗く、星も良く見えない――既に深夜となっていて、住宅街に人気は全くなかった。

 

「ハルカ様、何を!?」

「教会に行きます。シグマ・アスガードを探し、戦います。あなたは宝具で私を助けてください」

「え、ハァ!?何で、というか、碓氷影景という方に会うのでは!?」

「私はシグマ・アスガードに一度敗れました。身体も無事ではなかった。しかしあなたの宝具がある限り、私は通常以上の力で戦うことができる。だから、今シグマを討ち果たすのです。聖杯戦争が終わってしまっていても、それだけは成さなければ」

「いやいやいやいや!」

 

キャスターは走り出し、ハルカの前に回り込んで足を止めさせた。

最早会話も成立していない。

 

春日の夜は、静かだった。ここが住宅街であることを差し引いても静かに過ぎた。温い風が吹いて、顔を上げたハルカの前髪を攫った。彼の顔は真顔でありながら、どこか強張り瞋恚に燃えていた。

 

「私は、ハルカ様の「聖杯戦争をしたい」という願いを叶えようと思いました。だけど、本当にしようと思ったことはそうじゃなくて――聖杯戦争に負けても、まだあなたの人生はこれからだって、歩いて行ってほしくて」

 

キャスターは宝具でハルカを回復させるより前の彼を知っている。ずっと彼は、聖杯戦争がしたい、エーデルフェルトの雪辱を晴らしたいと、そればかり呟いていた。

壊れた機械人形のようにそのことばかり。

 

だからキャスターはウソでも聖杯戦争をしようと思った。

聖杯戦争をしたいと願った彼だから、ウソでも聖杯戦争をし終えれば、きっと彼は未来を考えられるようになると、信じたから。

 

「――あなたの考えていることはわかりました」

「……じゃあ、」

「ならばこそ、私はせめてシグマを倒さなければなりません。私はエーデルフェルトの雪辱を雪ぐために来ました。万に一つ、それが叶わなかったとしても――決して、恥の上塗りは赦されない」

 

自分を拾ってくれた、エーデルフェルト家への感謝。そして素質なしと烙印を押され、それを恥辱と思っている昔から通じる今の己。

ハルカ・エーデルフェルトを舐めるな。そして誇り高きハイエナ、エーデルフェルトが侮られることなどあってはならない。

 

ハルカはそこで初めて、キャスターの顔を見据えて微笑んだ。

 

「あなたがいてくれてよかったです。あなたがいれば、私はシグマと刺し違える可能性があるのですから――」

 

そしてハルカは、足の速さを緩めず再び歩き出す。言葉を失ったキャスターはしばし遠ざかる彼の背中を見ていたが、あわてて追いかけた。

 




わかりにくくてアレなんですが、ハルカはまだ「ここが結界内の春日かも」説は知りません。

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