Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
――人には死ぬべき時がある。自分は死ぬべき時に死ねなかった。
走水の海に沈めなかった。
あそこが死ぬべき場所だとわかっていたのに、土壇場で死にたくないと願ってしまったから生きながらえた。
今思えば、あれは魔の契約――海の神は、この結末まで知っていたのだろうか。
燃えている。初恋の人の代わりに、自分が護ると誓った
緑は灰に、蒼は真紅に、木は黒ずんで、焼き払われた都にはもう何も残らない。
それでもこれまでの営みを薪として、最後の生命の断末魔のごとく――赤赤と煌々と、大和が燃えている。
――私は選べなかった。人魚姫には、遠く及ばない。
恋に破れ、海の泡と消えた人魚姫。王子様を殺すくらいならば自分を殺すことをえらんだ彼女の生き様は、愚かであっても醜いものではないと思う。
王子を恨み、彼と結婚する王妃を妬み、忠告を無視した己の愚昧を悔んだかもしれない。
それでも――彼女はその思いをねじ伏せて、何も知らない王子の命を選んだのだ。
きっと、人魚姫は後悔なんかしなかった――と思う。
命を賭けてもいいと思える人がいた。たとえそれが一時の熱狂・狂奔・衝動で、長い時が過ぎれば消え去るものだとしても、その一時の情熱は、彼女の命を擲つに価するものだった。
――仮に、人魚姫が王子を殺していたらどうなった? 姉たちは喜んで人魚姫を海に迎え入れ、慰めたり怒ってくれたりして、人魚姫は王子と出会う前の暮らしに戻っただろう。王子は死んだことで、その父母である王様と王妃は嘆き悲しむだろう。
うん、王子を殺すバージョンの人魚姫は熱しやすく冷めやすい図太い女と見た。強そう。
キャスターは拠点の書棚に納められている本を物色しているうちに、一冊の本を手に取った。絵本の人魚姫――ハルカが眠っている間に読み切れそうだったため、何となく読んでいたのだが、思った以上に考えさせられてしまった。
――でも、王子を殺して生きるならそれくらいに図太い方がいい。
人魚姫の視点からすると王子コノヤロウと思ってしまうが、王子からすれば、助けてくれたのは人魚姫ではない別の女、王子にとって人魚姫は善意で助けた、口のきけない一人の女に過ぎない。
そもそも惚れたのは人魚姫の勝手で王子の責ではない――っていうかなんでよりにもよって声を奪った魔女ォ! そして人の手柄を横取りすんな別の女ぁ! やはり女の敵は女か!
こほん、それはともかく、王子に責任を求めるのはちょっと酷だ。にもかかわらず王子を殺すなら、それからの生涯を、良心の呵責を背負って生きねばならないだろう。
それに耐えられずに死んでしまうなら、やっぱり泡になって消える方が王子も人魚姫も幸せだと思う。
キャスターはぱたん、と絵本を閉じて本棚にもどした。また夜は街に出る予定だが、その前に身支度を済ませたい。
日の長い夏は、まだみっともなくその明るさで昼間を保ち続けているが、太陽の巨体もそろそろ地平線に近付くだろう。
*
黄金が嘲笑っている。黄金が嘲笑っている。黄金が嘲笑っている――。
その姿は、幼き頃より慣れ親しんだ神話の、
お前は一体、何をしようとしているのだ。
この、私の体を以て。
「――ッ!!」
夢から逃れようと跳ね起きる。汗で服が体に張り付き、非常に不快だった。
だがそれでも、おぞましい幻想から逃れた安堵の気持ちが強く、ハルカはそのまま深い息をついた。
近頃、夢見がよくない。キャスターの過去を垣間見てしまうのはまだしも、何か己に関係のあるような――本当に体調まで悪化しそうな悪夢である。
まだ指先が震えている。夢でここまで臨場感があり恐ろしいものなど、生まれてから見たことあるかどうかだ。
大きく深呼吸を繰り返し、呼吸を整える。またしても、夜。
戦いを終えてこの拠点に帰還してからしばらくは起きており、宝石や結界の確認をしていたのだがいつの間にか眠ってしまっていたようだ。きちんとベッドに入っているのは、キャスターが運んだからなのか自力なのか。
――しかし、昨日の夜の戦闘はなかなかの好成績だった。マスターの自分が敵サーヴァントと戦い、キャスターがマスターと戦う。変則的だとわかってはいるが、自分の力を思い出したキャスターと一昨日の戦闘に鑑みれば、そちらの方がまだましとの結論になった。
キャスターは明確なサポート型のサーヴァントだった。
キャスターの魔術は、ハルカの魔術とは、魔力を使って現象を起こすことだけしか共通点がないと言っていいほど異なる(魔術基盤ももちろん、キャスターは高速祝詞で大源に働きかけるため発動工程も違う)ため、ハルカにも全容は把握できていない。もしかしたら生前の英雄としての功績によるスキルもあるのかもしれないが、とにかく彼女の魔術は『他人の力を増幅させる事』に優れていた。
たとえば百メートルを二十秒で走れる人間を、五秒で走れるようにする。腕立て伏せが十回しか出来ない人間を、百回できるようにするように。
ただし、『元々できないことをできるようにする』のではない。一般人が自分の身体だけで空を飛べないなら、彼女の力でも空を飛べるようにはできない。
だがもし魔術で飛行できる魔術師であれば、もっと早く飛べるようにすることができるという具合だ。
彼女の力で昨夜のハルカは身体能力、魔術回路の効率化、回転率の上昇を成し遂げた。それに加え、彼特製の礼装でもある服『
ハルカの意思一つで解けた宝石が噴射され、その爆発を以て強制的に体を加速させる荒技の礼装。これによってハルカはサーヴァントと同等の高速戦闘を可能にし、みごととっておきの宝石魔術でAランク相当の攻撃をぶつけてランサーを圧倒したのだ。
滞空中での挙動も、一定方向へ宝石から魔力を噴出させることによって、無理にだが動かすことができる。
だが、勝利にまでは至らなかった。最後の局面でアーチャーに乱入されてしまったこともあるが、なによりもキャスターはまだ宝具を使えない。
つまり、決め手を欠いた状態のため、止めを刺すことができなかった。
ハルカ手製のとっておきの礼装はあるが、あれは使う相手を選ぶため、出番はないかもしれないと思いつつ持ってきた。そして使うべき相手は今だおらず、無駄になってしまいそうだが、縁起担ぎやお守りの意味でそれでも持ち歩いている。
キャスターが宝具・自らの正体を思いだせればよいのだが、まだそれは期待できなさそうだ。
そのとき、丁度階下から上がってくるキャスターの足音が聞こえた。
「マスター! おはようございます」
もはや見慣れたキャスターの笑顔。恰好は手ぶらであったが、昨日のようなラフな格好ではなく淡いピンクのパーティドレス――ワンピースにストール、ネックレスを身に着け、完全なよそいきの恰好だった。
「……その恰好は?」
「これはハルカ様のポケットマ……ゲフン、それはともかく、今日はお楽しみのあの日ですよ!」
「は?」
「もうトボけなくてもいいんですよッ。私とハルカ様がマスターとサーヴァントの契りをかわして6日目記念の日です!」
「……さて、今日も戦闘に出ますよ」
相変わらずどこから考え着くのか意味不明な戯言を繰り出すキャスターに呆れながら、ハルカはベッドから降りて立ち上がった。
何故かキャスターは自分の腕で自分を抱えて身をくねらせていた。
「ンフフ、私ハルカ様の塩対応がクセになってまいりましたンフフ」
「ところで、また自分のことを思い出したりなどしていますか。宝具のことなど思い出しては?」
「いえ、さっぱり! ハルカ様の方は記憶がお戻りになったりは……してなさそうですね」
最早開き直っているのか妙にテンションの高いキャスターだが、ハルカの様子を見て肩を落とした。ハルカは夢のことをあまり思い出したくはなかったが、あれが記憶の欠損と無関係とは考えにくい。
良くない夢を見るようになったのは、記憶の欠損以降なのだから。
「……もしかしたら、私は記憶を喪う前に何者から攻撃を受けていたのかもしれません。時系列的には、貴女を召喚する前、神父に会う前、日本に到着してから春日教会に到着するまで。金色の、女……!」
昨夜、春日教会を訪れた際にいたシグマ・アスガードという女。
美しい金髪に碧眼の女――あの女に気づいた時、悪寒が止まらなかった。まさか、あの女が何か知っているのか。
しかし、現状記憶の問題はあるものの、ハルカは五体満足で魔術の行使にも問題ない。ならばあの女は何を目的にハルカを襲ったのか。
「キャスター! 今日もまた教会に向かいます。シグマなる女に尋問します」
「はい!?」
「昨日の教会の女です。私はあの女に襲われた可能性があります……いや、あの女を知っているということは神父も……」
「ハ、ハルカ様一度落ち着きましょう。そう、お腹も減っていますでしょう? 私、ホテルのふれんちーを予約したのでそれを一緒に食べてから考えましょう」
「何を悠長な……」
カッとなって言い返そうとしたが、ハルカはすんでのところで深呼吸を繰り返した。感情に任せて行動しても、ロクなことにはなるまい。
ここはキャスターの言うとおりだ。悪夢が強烈、かつ自分が記憶の欠損をかなり気にかけているせいで思考があまりにも安直になっている。それに例によって腹も減っている。
腹が減っては戦はできぬとこの国では言うらしい……しかし、待て。
「ホテルのふれんちーを予約した?」
「はい! 私はあまり現代の食に通じていませんが、いいホテルのごはんはまず外れないと! 雑誌を見て予約してみました!」
ゆえにその余所行きの恰好か。
「あっ、安心してください、ちゃんと戦う気はあります!その証拠にふれんちーは予約しましたが、「部屋はもう取ってあるんだが……」とかそういうことしてませんから!」
誰もその心配はしていない。キャスターの行動には溜息をつくことが多いが、許せない逸脱の範囲ということもない。
なにより自分が一日の半分以上を眠って過ごしている体たらくにもかかわらず、拠点を守っており、こちらに文句を言わないのは、ありがたくもある(ただその点の文句なら遠慮なくぶつけてくるサーヴァントの方が好ましくはある)。
「……どうせそのレストランも私のマネーで予約しているのでしょう。腹が減っては戦はできませんし……食べながら考えを整理しましょうか」
「流石ハルカ様! ではでは、向かいましょう♪駅直結のホテルらしいので迷いませんよ!」
……聖杯戦争にもかかわらず、いささかならず緊張感がないと思うのは気のせいだろうか。
気のせいではない。
*
キャスターが予約したというホテルは、春日駅直結という交通の意味では利便性に特化したホテルだった。
ランクとしては駅に近い別のホテルの方が上だろうが、こちらもレストランの質やロビーの様子を見るにコストパフォーマンス優先のホテルではない。
レストラン「フォーシーズンズ」の受け付けは大理石のカウンターから始まり、中のテーブル席もひとつひとつがスペースを多くとられていて、ソファも革張りが基本だった。
店内はオレンジ色の照明で照らされ、そこかしこに飾られた生け花が趣を添えている。オーソドックスなフレンチ店の装いではなく、今風のシックなレストラン・バーという方が近い。
そんな店内でキャスターが予約したのは、角の二人席で目の前の壁がすべてガラス張りになっており、春日の夜景が一望できる場所だった。丸いテーブルには既に皿とカテラリー、グラスが整えられていて主賓の到着を待っていた。
ウェイターに案内された二人は、おとなしく席に着いた。先に飲み物のメニューを手渡されたが、よくわからないキャスターはとりあえずオススメのワイン、ハルカはドメーヌ・ディディエ・ムヌヴォー アロクス・コルトン プルミエ・クリュという呪文ワインを頼んでいた。フランボワーズにスミレの香りがして、酸味と冷涼感のある赤系果実の味わいの落ち着くワインらしい。
「ハルカ様、ワイン詳しいのですか?」
「普通です。……いや、これでも実家は金のある方だと思うので、自然とある程度は覚えました。今のは高いワインではありませんよ」
ハルカが扱う宝石魔術は、魔術の中でも費用のかかるものである。
その名の通り宝石を使うからであり、一回使ってしまえば終わりだからだ。その上質のいい宝石でないと魔術に使いにくいこともあり、宝石魔術の家系は大金持ちと相場が決まっている。
そのため――ハルカは周りを見渡して首を傾げた。
「貸切にしなかったのですか? このくらいのホテルのレストランなら、貸切っても大した額にはならないでしょう」
「ハァイ!? 貸切!? なぜに貸切る必要が!?」
「そちらの方が静かに話せると思いませんか?」
「いや、たしかに、それはそうですけど……予約も今日しましたし、当日貸切は難しくて」
キャスターはしどろもどろになって答えた。ハルカは周囲を確認し、周りの客席とは距離があることを確認してまあいいかと息をついた。
ウェイターが運んできたワインを受け取る。なにはともあれ、乾杯をするのがこの国の流儀らしい。ハルカとキャスターは軽くグラスを当てた。
「フフ、私たちって傍から見るとラブラブ新婚ですか!? キャー!」
「精々兄と妹では」
「兄と妹はこんなところに来ませんー! 多分―! というか、ハルカ様はおいくつなんですか!」
「三十二です」
「えっ!?」
「……そういわれる気はしましたが。二十五歳くらいかとよく言われます」
ハルカ自身気にしているのだが、童顔であるせいか必要以上に若く見られる。
あまり若く見られすぎると軽んじられかねない為、ハルカとしてはむしろ老けて見える方が好ましいと思っている。
「へえ! 思ったより年上でした。私死んだのは二十代なので、人生の先輩ですね」
「失礼いたします。こちら、前菜の丹波産いのししのテリーヌでございます」
テリーヌとは型にバターや豚の背脂を敷き、挽肉やすり潰したレバー、魚肉のすり身、切った野菜、香辛料などを混ぜたものを詰めてオーブンで焼いたものだ。前菜として食欲をそそる塩味が効いたものだろう。
「あ、ありがとうございます」
英霊とくればこのキャスターも庶民の出とは思えないが、どうも人に仕えられる、給仕されることに慣れているように見えない。
ハルカは自分の方が様になっているのではないかと思う。カテラリーの使い方が鈍いのは日本の英霊であるし、御愛嬌であろう。
「あ! いまなんでうまくフォークとか使えないのにオフレンチにしたんだとか思ってらっしゃるでしょう! 日本人は海外のモノをやたらとありがたがるクセがあるんです!!」
「そうですか。……ところでキャスター、あなたは生前この国における魔術師の一つ、巫女であったそうですが」
「えっ!? そうですけど、それが何か?」
「あなたが真名を思い出せていないことは承知です。けれどそれでもできる限り、あなたの人生を知りたい。私も日本の神話には疎いのですが、何かひっかかるものがあるかもしれません」
テリーヌを早々に食べ終わっていたキャスターは、フォークを片手に頬を赤らめた。
「……キャッ、私のことが知りたいなんてマスター情熱的」
「マスターがサーヴァントのことを知らないでどうするのです」
「……そういうところ、なんか妙に生前の夫と似てて微妙な気分になりますね~~」
「そういえば生前結婚していたのですね」
丁度運ばれてきたのは新鮮なアジと甘海老の温かいスープ・ド・ポワソン。要するにフランス風の魚介スープで、魚介のアラから旨味をとった濃厚なものだ。温かい湯気とともに、芳醇な香りが漂う。
「してました! というか、この夫の名前を思いだせれば何もかも解決する気すらするんですが……」
食欲旺盛にさっさとスプーンを手に、スープに手を付けながらキャスターは話を続ける。
「……そもそも、私自体、その人がなすべきことのためだけにあったんです。勿論現代じゃないので、結婚は周りに決められたものでしたが……そういう次元ではなく、この身はその人の為ではなく、もっと大いなる目的の為にありました」
湧いたスイーツ脳の発言はあるが、彼女自身は愛や恋に生きていなかったのだろうか。
「私、恋とか愛とか、そういう話大好きです。やっぱエネルギーですよね、そういうの。だけど同じくらいヤバい代物だとも思うんです。きっと最初に抱いていた願いさえ粉々にしてしまうほどの、キョーレツなパワーを持ったものです。取扱い注意、いやむしろこんなにやばいなら、最初からない方がいいんじゃないかってくらい」
物語の世界だけではなく、現実世界でも殺人のトップ原因に踊るのは金銭と男女関係だ。彼女が言うのは、至極当たり前のこの世の話だ。
しかしそんなことを言いだすとは、昼ドラ顔負けの生前だったのかとハルカは思ってしまう。
「あっいや~~、私と夫はなんやかやラブラブでしたし?? ……いや、それは今だから言えることですね……生きている当時は、いや、ラブラブ! ラブラブです!」
スプーンを突き上げて謎のガッツポーズをとるキャスター。あまり深くつっこむとややこしそうなので、ハルカは突っ込むのを辞めた。
人の恋愛話にあまり興味もないが、気になる点はあった。
「……? 夫と仲睦まじかったのに、そんなゴミのような恋愛脳を私にさく裂させているのですか?」
「ぐっはー!! ゴミいただきました……しかしこれも徐々に快感に……!」
キャスターはテーブルに倒れ伏して死にかけの蟲のように蠢いた後、よろよろと顔を上げた。
「……フッ、お忘れではありませんかマスター。私はすでに死人、生前の話はそこで終わっているのです。つまりたまたまサーヴァントとなった今、私は新たな恋とか愛をしたいと思っているのです! まずは手近なところから!」
「さりげなく凄いこと言っていますが、もしかして酔っていますか」
「あっ手近っていうのはですね、手近にいい男いてラッキーくらいのあれなので! アバズレではないので!」
「失礼いたします。こちら黒毛和牛のステーキとフォアグラのソテーと、バゲットでございます。バゲットはお代わり自由ですので、御所望の際はお声掛けください」
丁度運ばれてきたメインに遮られ、キャスターは奇声を上げるのを辞めた。
ステーキはステーキ、こんがりと焼かれているが中はミディアムレアで、ナイフがスッと通り柔らかさ抜群の肉である。それに添えられたフォアグラも焼き目がてらてらと光り、濃厚な滋味を予想させた。
第三者の介入により落ち着きを取り戻したのか、キャスターはこほんと咳払いをしてハルカに水を向けた。
「わ、私のことはこんなとこです。正直、あと一息で思い出せる感じはあるんです。で、今度はハルカ様の番です!」
「? 私に何か聞きたいことでも?」
「ご職業は? ご趣味は? 休日は何をして過ごしますか? 恋人に望むことは?」
「魔術師です。趣味はレスリング。休日はレスリングと魔術の鍛錬で過ごします。恋人はできれば美しい方がいいですが、それよりも丈夫な子を産める母体として優れた方を望みます」
「ンアー!! なにそれー!! 魔術しかないんですかー!! つまんないですー!」
最早駄々っ子のごとく、キャスターは足をばたつかせて文句を言った。ついでに面倒くさくなったのか、ステーキは真っ二つにナイフできっただけの大きな塊をフォークで突き刺して食べていた。
「趣味=仕事と考えていただいて差し支えないかと。つまらないはたまに言われます」
「あっ、そうですか……面白くなる気は?」
「ないです。そもそも何をすれば面白い、ということになるのですか」
「はぁ……こういう変に糞真面目なところは似てるんですよね~」
「何か言いましたか」
「いえ何も!」
キャスターは生前の夫とハルカが似ているだけで、別人だとよくわかっている。
ハルカは戦闘が好きと口でも言っていたが、これまでの戦闘を見て本当だとキャスターも理解していた。
危機に瀕しながらも抑えきれない興奮と衝動、尽きせぬ相手への興味。自分がどこまで辿りつけるか試したい想い。どちらかの死という結果になっても、それはきっと――少年同士が河原で殴り合いの喧嘩をすることの延長線上にある。
見た目は落ち着きのある文学青年といった風なのに、中身は全然違う。
社会での立ち振る舞いを憶えても、きっとハルカの中身は少年のままだ。試したくて知りたくて、どこまでやれるかわかりたくて、現界を超えたくて――楽しいから戦う。
それが魔術師として良いかはともかくとして、ハルカは根本として「戦うのが楽しいから戦っている」。
却ってキャスターの夫は違った。彼は戦うことが得意だったが、好きではなかった。ただ役目として戦闘があったから戦っていただけだ。
ゆえに生前の夫と同じことにはならないと思っているが、一応――彼がそこまで聖杯戦争で戦うことに執着する意味を知りたかった。
戦うだけなら、無理に聖杯戦争にこだわる必要はないと思うのだ。
「マスター。マスターは時計塔とかの命で聖杯戦争に来たとおっしゃりました。だけどエーデルフェルト家は、マスターを出すことを渋ったとも。そこまでしてあなたがこの戦争にこだわったのは何故ですか」
「……そうですね」
ハルカは暫し考えてから、口を開いた。「かつてエーデルフェルトは冬木の聖杯戦争で一度惨敗を喫しています。その雪辱を果たすには聖杯戦争しかないとは前に言ったと思います」
「はい」
「私はエーデルフェルトですが、あくまで分家です。それに……私はこう、魔術師として生きることに不満はありませんが、根源を求めたり研究を進めたりするには、才能が足りないようです」
「才能が足りない」
「……魔術師全体から見れば、私はそう程度の低いわけでも才能が足りていないこともないです。しかし我がエーデルフェルトにおいては、私の力など取るに足らないのです」
それでも、ハルカ自身は卑屈になったことはない。ないならないで、それでもいい。
ただこの高貴な家の末席に連なるのであれば、それにふさわしいだけの働きをしたい。
畢竟ハルカは、その倫理感が一般世俗から逸脱したものであっても、魔術と神秘を追う世界を愛していたのだ。
生まれた時から神秘と共にあった彼に、世間並みの感覚を求めるのは難しいが。
「神秘の最奥を求める事。時計塔にて海千山千の老獪な
生まれた家を誇り、戦いに喜びを見出す。勝つことは重要でも、もっと大事なことは戦うことそのもの。すでにハルカは戦うことが目的化している。
聖杯戦争では陣地を超えた英雄たち、魔術師と命を懸けて戦える。その上勝利すれば、誇る我が家の恥をも雪ぐことになる。だから彼はこの戦争にこだわった。
「……これはこれで
キャスターは呆れたように息をついてから、もぐもぐとフォアグラを口に運んだ。貧乏性か、ソースの一滴まで逃すまいと肉にたっぷりとつけている。
ワインを一口、ナプキンで軽く口を拭ってから彼女は顔を上げた。
「ハルカ様。貴方は自分が戦えなくなることを考えたことはありますか」
「? あります。魔術師ですから……戦闘でない魔術行使にあっても、うっかり失敗したで死にかねないので」
「では、たとえば戦場にて――戦わずして敗れ去ることは?」
「……」
そこでハルカはむっつりと腕をくんで考え込んでしまった。戦って死ぬこと、魔術の暴発で死ぬことは考えたことがあっても、そちらは考えたことがないようだ。
自分を暗殺することの意味はないと思っていそうだ。
「……じゃあ、時々でいいので、考えてみてください」
キャスターの意図が読めないハルカは、首を傾げていた。何故このサーヴァントはそんなことを言うのか。
もう自分たちは聖杯戦争で戦っていると言うのに。
その後、ハルカとキャスターは運ばれてきたイベリコ豚のハムとデザートのガトーショコラ・クラシックと紅茶を堪能した。
高級店に慣れているハルカとしてはまあまあの感想だったが、現代文化を楽しむキャスターは終始楽しそうだった。
流石にハルカとて理解はしている。このサーヴァントは聖杯戦争には実に不釣り合いな英雄だと。言ってしまえばただの殺し合いには、彼女は不釣り合いだ。
それに本人も出会った時にも願いはない、マスターの願いが叶えばそれでいいと言った。
――英霊は無理やり座から呼び出されるのではない。呼びかけがあった時に応じるかどうかは英霊に選択権がある。
殺生に向かない彼女が何故召喚に応じたのか、ハルカにはわからない。
「あなたは何故召喚に応じたのですか。キャスター」
「え? そんなの、助けを求められたからです。言いませんでしたっけ。私が助けたいと思ったからだって」
「……そんな必死な召喚をしたのですか、私は」
ハルカは記憶の欠落部分に関わることは、色々な意味で思い出したくないと改めて思った。
デザートと紅茶を完食し、最後にビルの光と月光降り注ぐ景色を名残惜しくも置いて、二人はレストランを後にした。エレベーターで一階まで降り、ガラス越しの景色ではなく彼ら自身が夜景の一部になった。
レストランを出てからキャスターは終始ご機嫌でハルカの左腕にくっついてくるが、彼としては少し鬱陶しい。
「離れてください。歩きにくいです」
「え~~いいじゃないですか。ラブラブごっこしましょうよ~寒いですし~~」
「サーヴァントは寒さを人間ほど感じないはずです。それにラブラブなら生前たっぷりしたと言っていたではありませんか」
ハルカの言葉を聞き咎め、キャスターはむっとした顔つきになった。
「ハルカ様それは拡大解釈というものです。今思えばラブラブだったかな? と思えなくもないってレベルです。それに私夫に殺されてるんで、今こそは正真正銘のラブラブを」
「……」
キャスターはさらりと重いことを言った。しかし、過去神話において連れ合いを殺すことなど掃いて捨てるほどあるために、驚くほどのことではない。ハルカは大きなため息をついて、左腕の力を緩めた。
「当然今日も索敵します。敵に遭遇したらすぐさま離れ、戦闘に移れるようにしてください」
「はい! マスター何だかんだでお優しいから好きです! ぐふふ同情を買う作戦成功」
「……」
この女はわざと余計なひと言を付け加えているのだろうか。