Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】   作:たたこ

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昼③ 春日の中から出られない

 朝起床した時は、アーチャーのホテルのベッドで眠っていた。

 となりのベッドには何故か土御門一成とランサーが一緒にスヤスヤと眠っており、更に理子を混乱に陥れた。

 

 昨日は確か、ランサー・一成と共に春日の巡回をしていたところ、謎のサーヴァント・マスターと戦闘になった。

 マスターが異様に強くランサーと戦い、キャスターが理子たちと戦った。かなり圧倒され、一成と理子はキャスターに倒されそうになったのだが、すんでのところでアーチャーに救出されたのだった。

 

 アーチャーはゆっくり朝食でも食べていけと言ってくれたが、理子は丁重に断り自宅へと帰ることにした。

 

 

 

 

 今、理子が使役できる最強の使い魔の狼でさえ通用しなかった――通用しなかった、というよりは使い魔は飛び掛かりさえもしなかった。

 あの狼は使い魔ではあるが、前述したように、理子なしで生きていけない存在ではない(通常、使い魔は逆らうことがないように「自分なしでは生きていけない(魔力など)」ものにする)。

 つまり真神にとって、昨日のキャスターは仮初の主である理子よりも、優先すべき者であったということだ。

 

 閑話休題。とにかく、狼はあのサーヴァント相手に使えない。

 ならば一度実家に戻り、夜の巡回に使える礼装を取って来ようと思ったのだ。

 

 ホテルから出た時刻は朝八時――理子の実家は快速電車に乗って一時間半、そこからバスに乗り三十分ほどで到着する。今日の夜には春日に戻れるだろうが、礼装をきちんと使えるように整備するには時間が足りない。

 ゆえに一成にはラインで今日の夜は巡回できないと伝えた。

 

 

 理子は春日駅から徒歩十分の位置にある、四階建てのマンションの三階に一人暮らしをしている。単身者用のマンションで、間取りはどこも1Kらしい。築二十五年と少し経っているが、四年前にリフォームを行っていてそこそこ綺麗になっている。

 

 マンションに到着してから理子はシャワーを浴びてTシャツとGパンに着替え、リュックサックに財布などの最低限の荷物を入れるとまた外へと飛び出した。

 

 春日駅から電車に乗り実家へ向かう、はずだった。

 

 しかし、春日駅に到着しホームに立った時に、理子は「何故自分はいま、ここに立ち何処へ行こうとしているのか」わからなくなってしまった。

 

 わからなくなったから家に戻り、何をしようとしていたのか思い出せないから何となく部屋の掃除を始めたり、洗濯物を干し始めたりしていたのだが――「春日駅からどこかに行こうとした」ことをすっかり忘れたころに、「礼装を取るために実家に帰ろうとしていた」ことを思い出し、慌ててまた春日駅に向かった。

 

 しかし、また春日駅に到着しホームに立った時に、理子は「何故自分はいま、ここに立ち何処へ行こうとしているのか」わからなくなり、家に帰り、昼ご飯を取りスーパーで買い物も済ませ、家で大学要綱などを読んでいるとまた「礼装を取るために実家に帰ろうとしていた」ことを思い出した。

 そして先ほども同じことをしていたことを思い出した。

 

 また春日駅に向かえば、おそらく「何しに行こうとしたか」を忘れてしまう。

 ならばルートを変えてみようと思い立ち、春日駅に向かい電車ではなく循環バスに乗り、隣の市まで行ってから電車に乗ってみることにした。

 

 バスに乗るまでは全く問題がなかった。移り変わる景色をみつつ、春日市内の病院や博物館などに停車しながら徐々に市外へと向かっていく。

 今の現象の原因はわからないが、とにかく実家に向かえそうではある。

 

 しかし。

 次は市外のバス停か、と思った理子が聞いた車内放送は、耳を疑うものだった。

 

 

「次は春日博物館前、春日博物館前――。お降りの方はお近くの停車ボタンを……」

「!?」

 

 春日博物館前はさきほど過ぎたはずのバス停だ。理子は走行中の車内にもかかわらず手すりを掴みながら前へ進み、運転手に話しかけた。

 

「あのすみません、下田植物園前って次じゃありませんでしたか……?」

「下田植物園前なら、まだ先ですよ」

「……はあ」

 

 釈然としない。確か次だったはずなのだが……理子は首を傾げながら座席につき、とりあえず大人しく乗っていることにした。

 

 しかし、結局下田植物園前には到着することなく――そこだけではなく、隣の市のバス停には全く停まることなく、バスは春日駅前まで戻ってきたのだ。

 

 隣の市に行ってない――流石に理子は運転手に詰め寄ったが、運転手は戸惑うばかり。きちんと隣の市のバス停に停車したし、そこで乗り降りした乗客もいると。

 たまたま春日駅まで乗っていた乗客にも理子の味方は一人もおらず、逆に理子が怪しまれる有様だった。

 

 仕方なく春日駅内のマクドナルドで、憤懣やるかたなくダブルチーズバーガーのバリューセットを食べながらこの異変に首を傾げていた。

 春日市から出ようと思って忘れて掃除洗濯・また出ようと思って忘れて読書とスーパーの買い物をし、バスに乗り込み一巡(?)しているため既に夕方になっていたのである。

 

「……もしかして、春日市から外に出られないの?」

 

 しかし春日は地方都市だ。ここから都内へ通勤・通学している人も多い筈なのに、まったく騒ぎになっていない。

 可能性としては①一般人は春日から出られるが、魔術師にはできなくなっている。

 ②全員春日から出られないが、一般人は暗示や洗脳で出られないことに違和感がなくなっている(出た気になっている)。

 

 どちらにしろ、春日の外がどうなっているのか。この異変は春日だけのものなのか。

 

 ――ただ、これはかなり大事なのではないか。

 

 碓氷は「大したことない」と言っていたが、本当に?

 

 

「……美玖川が一番近い市の境よね」

 

 ほんのわずかな違和感――美玖川を隔てた向こうの市が、やたらと暗く見えた。

 そう簡単に何かが見つかると思ってはいないが、春日を隔てる境界を再度調べてみるのも悪くはないだろう。幸いにして夏の夜は遅く、まだ日は落ちていない。

 

 リュックサックにGパンの軽装のまま、再び理子は美玖川河川敷へと足を運んだ。橙色の夕日を反射する水面はどこか幻想的で美しい。

 ただ、いつもはサッカーやら野球やらをする少年たちがおりにぎやかなのに、今日は通りかかる人さえいなかった。

 

「……ここから見ると、普通に隣の市が見えるのに」

 

 川を挟んだ向こう側には、見慣れた隣市の街並みがある。ただ、そちらもこちら側と同様に人気はない。

 

「……! 水着持ってくればよかったかな? 泳いでいけるかチャレンジする価値は」

「やめておけ。この川はあまり綺麗ではない上に、中ほどで急に水深が増す」

「! ……日本武尊!?」

 

 いつの間にか少し離れた背後に、ヤマトタケルが立っていた。私服の「最強」Tシャツにジャージのズボン、スニーカーのラフな格好だった。手にはリールが握られており、その先には真っ白い中型犬が大人しくお座りしていた。

 理子は慌てて本気ではない、と付け足した。

 

「そもそも私、あまり泳ぐのは得意な方じゃないので……」

「そうか」

 

 ヤマトタケルの方は話すつもりはないのか、それきり黙ってしまった。だが、理子にとってここで彼に会えたのは僥倖だった。

 

「あの、日本武尊。あなたは、碓氷の命令で調査をしているのですか」

「それは頼まれているが、今は違う。今は犬の散歩をしている」

「……調査で、何か気づいたことなどは……?」

「……ない」

 

 理子は少々落胆した。実家で奉る神の一柱に日本武尊がおり、かつ実家が狼を使役しているのも彼繋がりであるためになじみ深い英雄であるため、無暗に期待してしまう。

 しかし彼はセイバークラスで、元々索敵や調査に長じたサーヴァントではないのだ。

 それでも何か知っていることを聞きたいと、理子は話を続けた。

 

「私、昨日ここで謎のサーヴァントとマスターに会い、戦いました」

「……ほう」

「私の使い魔は狼です。三峰の狼、大口真神の末裔です。それを女のサーヴァントにけしかけても、攻撃さえしませんでした。そしてその女のサーヴァントは、巫女のようでもありました」

 

 大口真神は、かつて日本武尊を助け、彼の命を受けた神代の獣。

 理子が真神を日本武尊にけしかけたとしても、真神は十中十言う事を聞かない。

 そして彼にまつわる女性であれば、たとえば主人と仰ぐ者の妻などであれば、同じく真神は襲い掛からない。

 

「お前はその女のサーヴァントが弟橘媛と言いたいのだな。かつ、春日の異変に何か関係があるのかと。そして、俺に何か心当たりはないかと」

 

 もちろん、推測とサーヴァントの背格好から考えた結果で、絶対に弟橘媛とは言い切れない。ヤマトタケルにまつわる女性ならほかにも何人も候補がおり、また全く関係のない縁により、真神はあの女サーヴァントに襲いかからないのかもしれない。

 

 ヤマトタケルは暫く沈黙した後、口を開いた。

 

 

「――前に明にも同じことを聞かれたな。だが、弟橘がサーヴァントとして呼ばれることはない。あれは死んでいない。英霊の座にさえ記録されていない。だからサーヴァントとして召喚されることはない」

 

 まさか、と理子は驚愕の表情を浮かべたものの、ヤマトタケルの言わんとすることを理解した。

 

「……もしかして、弟橘媛の最期は……」

「話が早いな、狼の巫女」

 

 巫女の役目とは、神域に近付き、天津神々の言葉を聞き、人々に伝えること。神代の意思を伝えること。

 その方法は多くが一時的に神霊を降ろすことであるが、方法はそれだけではない。

 人代とはいえ、神代から離れて間もない時分であったヤマトタケルの生きた時代では、神霊降ろしは現代より遥かに容易いものであった。しかし神霊降霊は一時的なものであり、あくまで言葉を聞くだけである。優れた巫女であればその力の一端を借り受けることもできるが、「一端」でしかない。

 

 ――神霊を降ろすのではなく、自らが神霊になってしまえばいい。

 

 巫女とは神の器であり、自分に神を降ろすか、自分が神の一部になるかは僅かな差である。

 しかしそこにははっきりと境界が横たわっている。

 自分が神霊の一部になる――そんなことをすれば、人間としての記憶や意識は消滅を免れない。

 

 

 しかしその記憶や意識が消える刹那の間は、神霊そのものとして権能さえも行使しうる。

 

 ――弟橘媛の入水は後者をなすために行われた。

 

 

 ゆえに彼女の身体は死んでいない。魂さえも海の神霊と一体化して世界の裏側(星の内海)で生きている。ただ人として生きた時の記録と記憶が、もうサルベージ不可能なほど大いなるものに取り込まれて還ってこない。

 

「そういうわけだ。人理に異変が起きれば話も変わろうが、まずアレが呼ばれることはない。しかし、美夜受(みやず)のことは考えなかったのか」

 

 日本武尊のもう一人の有名な妻、美夜受媛(みやずひめ)

 もちろん理子は考えていたが、あのキャスターは偽名で「橘とこよ」と名乗っていた。東西を問わず、魔術世界で重要な意味を持つ「名前」を、簡単に偽ることはしない――との読みから、美夜受媛を外していた。

 

「橘」は、別名を「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」――永久に馨しい芳香がなくならない果実と言われ、永遠性と神秘性の果物である。垂仁天皇は田道間守(たじまもり)に命じ「常世国に向かい、この非時香菓を取ってまいれ」と命じたという。

 

 常世の国――日本神話の世界において、海の遥か彼方にあるとされる理想郷。

 その理想郷に生える木になる、不老不死の果実が橘なのである。

 

 理子はそのことを簡単に説明してから、日本武尊に礼を言った。

 

「気にするな、お前には真神が世話になっている。……しかし本当に律儀な狼だ。全ての魔物や魔性が消えるまで護れと言ったが、それは世界が滅びるまで護れと同義だろうに」

「……伝説的に、日本武尊、あなたも律儀な方だとは思います。主と認めた人には」

「む……」

 

 主人以外には律儀も何もあったものではない英雄だが、彼は死ぬまで父を裏切らなかった。まさか本人には自覚がなかったのかと、理子は少し面白い気持ちになった。少し気持ちがほどけ、つい彼女は追加の質問を口にした。

 

「セイバー日本武尊。一つ、聞いても」

「何だ」

「あなたにとって、碓氷はよい主人(マスター)だったのですか」

 

 榊原理子が碓氷明に抱く感情は、やや嫌悪寄りの複雑なものである。この地を奪った外様の魔術師であること、それに聖杯戦争において、よりにもよって榊原の御祭神の一柱である日本武尊を召喚できていること。

 

 その二つは、碓氷明個人によって作り出された感情ではないが、どうしても距離を置く要素にはなる。

 

 そして今は、土御門一成についても、少し。

 

「……悪いマスターではない。しかし、たとえば、生前の父帝のように思っているかと聞かれれば、違う。俺のマスターではあるが、主人ではない……というのが、一番近いか……危なっかしくて心配になる。だが、……もう俺がいなくとも、」

 

 危なっかしくて心配という意見は、明もヤマトタケルに対して抱いているものであるが、彼自身もそう思われていることは知っている。最後の方は小声で、理子には聞き取れなかったため、彼女は聞き返した。

 

「何ですか?」

「いや、何でもない」

「……そうですか。貴方が良い関係を築けているなら、それでよいのでしょう」

 

 御祭神の一柱が今、楽しく生活できているならよしとしよう。

 あまりつついても、自分がみっともないだけに思える。話が途切れ、このままお互いに分かれる流れになりかけたとき、ヤマトタケルは思い出したように口を開いた。

 

「お前はまだここを調べるのか」

「はい。身一つで泳ぐのは危なそうなので、浮き輪やロープを買ってからやろうと思います」

 

 春日は海岸に面しているため、ショッピングモールに行けば浮き輪や水着用品が豊富にそろえられるはずだ。理子は泳ぐことは断念しているが、調査は諦めていない。

 

「そうか、気をつけろ」

「……ワン!」

 

 真神三号も、気をつけろ、と言いたいのか威勢よく理子に対して吼えた。ヤマトタケルは散歩の続きを、理子は調査の為にとそれぞれ別れた。

 


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