Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
「おや、早くも件のマスターが釣れたのかもしれんぞ」
「――!!」
一成たちから見て左手、足音もなく現れた二人組。片方は金髪に眉目秀麗な、中肉中背の男性。そしてもう片方は白い膝丈のスカートに黒のストッキング、オフショルダーの水色の半袖を身に着けた髪の長い女性。その魔力から察するに、マスターとサーヴァント。
女性の方はともかく、男性が纏う空気は剣呑だった。いや……喜んでも、いるのだろうか。
「お前たちがセイバーの言っていたマスターとサーヴァントだな」
ランサーが一成と理子の前に立ち、肩に乗せていた槍を構えた。金髪の男は頷いた。
「はい。そちらも聖杯戦争に参加するサーヴァントとお見受けします」
既に戦闘に入る気満々の男に対し、一成はあわてて口を挟んだ。
「ちょっと待ってくれ。もう聖杯戦争は終わったんだ。再開されてはいるようだけど、」
「迷い事を!」
そう言い終わるが早いか否か――金髪の男はサーヴァント顔負けの敏捷でランサーに襲い掛かった。踏込は深く、まっすぐ正面からの突撃だった。ランサーは面食らったものの、愛槍を使い、手袋で覆われた拳を受け止めていた。
衝撃で蜻蛉切がわずかに震えていた。
「……サーヴァントはそこの女子だろうが……珍しくはあるが、自分で戦う型のサーヴァントではないのか」
刹那ランサーの私服がはじけ飛び、鎖帷子に草履、鎧の武装へと切り替わる。左足を引き、力任せに槍を振り下ろすと同時に男が距離を取った。ランサーは歴戦の武将、一度のやり取りで相手の力量はおおよそ把握できる。
そのランサーの見たところ、この金髪の男はかなり手ごわい。戦闘経験ならランサーの方が上だが、どういうからくりか彼は筋力や敏捷をサーヴァントレベルにまで引き上げている。
しかしその拳に濁ったものを感じない――ランサーは思わず笑んだ。
「まさかマスターと戦うことになろうとは。見ての通り儂はサーヴァントだが、お前のようなマスターの元で戦うのも、なかなか楽しそうだな。名は何という」
「ハルカ・エーデルフェルト」
ハルカが再び地を蹴った――ランサーの懐に潜り込もうと、身を低くして駆け抜ける。だが速さは先ほど見ている――逆にランサーは間を詰めて槍を猛烈な速さで突き出す。そして直前で槍自体の長さを伸ばす。生前時に応じて
しかし刹那、ハルカの体と腕が、伸びた。
「!?」
突き出す槍を緩め、早急にランサーは体を右にひねって拳を躱した。鎖帷子をかすった拳は、スピードだけで衝撃波が発生した。ハルカの方も槍の伸縮は想定外だったようで、袖の繊維をほつれさせていた。
そのまますれ違い、位置を変えて対峙する。
もちろんハルカの腕・体が伸びたわけではない。接近し拳が当たる直前に、爆発的に拳の速さが上がったため、あたかも腕が伸びたように感じたのだ。
今の加速ならランサーに対応できないくはないが、問題はどこのくらいまで速度が上がるかだ。今のが全力とは思えない。
伸縮自在の槍。直前で速度の上がる拳。
仕組みは違うが、敵に与える効果は似ている技。
ランサーは槍を右手だけで持ち、疾走してハルカへと接近する――ハルカはいつあの槍が来てどれだけ伸びるかを考えた。されど槍は全く突き出されない――穂先が上に向けられると伸長し、そのまま上から叩き付けられた。
実際に振りまわすのであれば、槍の長さは長くても二メートル以下ではないと取り回しが悪すぎる。しかし伝えられる蜻蛉切の全長はおよそ六メートル――その振り回すとは思えない長さは、一体何のためにあったのか。
――相手から一定の距離をとり、叩き付ける! 槍で刺すのではなく、槍の茎で殴りつける。
ハルカは壮絶な勢いで叩き付けられ地面を割った槍を、一瞬で右横に跳んで回避し右足で飛びすぎないよう踏みとどまると、上半身を低くしてさらにランサーに突っ込んでいく。ランサーはめり込んだ槍を短縮することですぐさま操れる状態にすると、そのまま横に薙ぎ柄の部分でハルカの胴体に直撃させた。
「――!」
まごうことなく胴体横っ腹に直撃した一閃で、ハルカはそのまま川の方へ吹き飛んだ。だが驚いたことに、ハルカは飛ばされている空中で体勢を整え、追撃してくるランサーの突きを躱したのだ。
のみならず、滞空状態にもかかわらずジェット噴射でもついているかのように、体ごと体当たりを仕掛けてきた。
「!」
宙に浮いた状態で、自在に体を動かすという考えすらしなかった行為。ランサーが予想しない至近距離に至り、だがハルカは拳すら構えていない。
ハルカ自体、自らの意志ではなく後ろから何かに思い切り突き飛ばされたような挙動であり、構えるも何もなかったのだが――その手には、月下に輝く大粒の宝石が三つ。
エーデルフェルトの魔術は宝石魔術―― 「
ハルカが長年をかけて溜めてきた魔力の炸裂は、Aランクの破壊力を有する。それを超至近距離で食らったランサーはどうなるか――。
あたかも拳、この体こそが武器と見せてきたが、ハルカ・エーデルフェルトは魔術師である。
篭められた魔力は爆破の方向性を定め、全て破壊力に変換して爆発させ、ランサーの胴体を至近距離から吹き飛ばした。
ランサーと金髪の男が対峙する傍らで、一成と理子、それに女のサーヴァントもまた向き合っていた。
ランサー曰く、戦っているのがマスターで控えている方がサーヴァントだと。
ハルカ・エーデルフェルトなるマスターは好戦的だが、そのサーヴァントはそれほどには思えない。一成と理子も聖杯戦争をしたいのではなく、ただ春日の異変の究明・解決をしたいだけだ。
ランサーとハルカはお互いだけに注意を向けているようで、まったくこちらにかかわってこない。現代服のサーヴァントは、押し黙ったまま一成たちを見つめていた。
一成や理子より少々年上、碓氷明と同じくらいの歳か。しかし顔立ちがやや幼いため、同級生でも違和感がない。女神がおり、女でも英霊となるものが多いことも一成は承知しているが、春日の聖杯戦争において女のサーヴァントは皆無(酒呑童子は女ではない)だっため、少し動揺もしていた。
「……俺たちは戦いたいんじゃない。ちょっと話を聞かせてほしい「……とこよ、あなた……サーヴァントだったの」
理子は震える声で問うた。彼女は一昨日の朝、ショッピングモールで出会った少女そのもの。ただそのときはサーヴァントとしての気配を感じなかったが、今はサーヴァントとしか思えない。
その少女のサーヴァントは、一成たちに聞こえない程度の声で何事かつぶやいていた。マスターとは正反対で、いまや全身から戦いたくないオーラをまき散らしている。
「……ハルカ様が戦うなら、私が戦わないっていうのも具合が悪いし……」
「何か言ったか?」
「でも私戦闘向きじゃないんですけど……」
「……おーい。俺たち、戦いたいわけじゃねえから、話を」
「ハッ、いいえ何も。理子さんとその知り合いの方、私はサーヴァントです。そして御察しのとおり、私は戦闘が得意ではないのでマスターが戦っております。しかし――」
サーヴァントキャスターの纏う衣服がゆったりとした白い着物に変化した。やはり本心は戦いたくはないのであろうが、それでも彼女はやる気になっている――どこからか現れた、朱色で縁取られた大きな鏡が宙に浮遊して月の光を受ける――。
「現代の陰陽師に遅れをとるほど、残念なキャスターのつもりもありませんよ!」
その一言は一成たちに聞き取れなかったが、詠唱は成った。
高速祝詞――神話時代の巫女が用いていた、現代の祝詞とは異なる言葉。通常の呪文・魔術回路の接続なしに魔術を行使するスキルである。
彼女の背後から無数の不可視の弾丸が飛来する。現在は遠当てと呼ばれる魔術で、魔力を凝縮して打ち出すことで対象を吹き飛ばし・粉砕する。
原理自体は簡単で理子にも心得があるが、その弾数が並ではなかった。そのうえ、彼女は現代の魔術師のように体内の小源を使っているのではなく大源から魔力を使っている。残弾はまだまだ、無限にもある。
一成はもともと防御や結界を構築する陰陽術しか使えない。用意していた礼装の呪札の補助で、正面に己と理子を守るための結界を即席で構築する。
「救急如律令!」
「土御門! あんた……そういえば、呪詛とか直接攻撃するみたいなのは使えないって言ってたわね……そのまま防御は任せる!」
「どうすんだお前!」
「私、遠当得意よ……!」
鋭い目で、キャスターを見据える。これは理子の勘だが、キャスターから殺意は感じない。どの英霊かはわからないが、自己申告の通りマスターがああして戦っているのを見る限り、戦闘能力も高くはない。とすれば、ランサーがマスターを倒すまで耐え凌ぐ。
一度、眼を閉じる。頭の中にある
この榊原理子にとって、止まっているなら無駄撃ち、狙いを外すという言葉は存在しない。
かつて狼は言った。「お前のそれは、いつか世界をも写し変えるかもしれぬ」
「……どぅっ!?」
「……何だ、今の!?」
一成は理子の遠当に、アーチャーの弓を幻視した。アーチャーの弓は技量のみではなく、幸運によって命中する。たとえ後ろを向いて放っても、的に当たる。
それに似て、理子の放った遠当はキャスターのそれのように豪速で飛ぶのではなく、瞬間的にキャスターへ到達しているように見えた。
そしてその通り、理子の遠当はキャスターの胴に命中し、彼女は不意を突かれたのか悲鳴を上げた。しかし次の瞬間には顔を上げ、にやりと笑っていた。
「――これは魔術じゃない……全く、厄介な力ですね」
彼女の周囲を周回する紅い縁の鏡が煌めき、キャスターは遠当の連射を続けながらも、その場から打って出た。ランサーには遥かに及ばない速度とはいえサーヴァントだが、一成たちに接近するのではなくまるででたらめに前後左右に移動しているだけである。
しかしそれだけで、理子の遠当の精度はがくんと落ちて、ほとんど当たらなくなった。
「……ッち、一発で見抜いたか……!」
「――天津罪・国津罪・大祓」
もう理子が立て直す間もなく、キャスターの高速祝詞一つで地面から弾き飛ばされた。今更ながら、キャスターはかなり手加減して遠当を放っていたのだと理解する。
キャスターはおそらく、どこからでも遠当を放つことができる。
指からでも上からでも、地面からでも。
一成の結界は地表から上にしか展開していない。地面から掃き出されるように、二人は勢いよく地面に転がった。内蔵がかき回されたような衝撃に、再度立ち上がることも難しかったが、理子の方が先に、腹を抱えながら立ち上がった。
「おいっ、榊原……」
よろりと立ち上がった一成は、気遣いしつつ理子を見た。だが、彼女の足取りはしっかりしており、常に学校で見る鬱陶しくも毅然とした姿だった。
「私がどこの巫女だか、言ってなかったっけ!」
理子も袖に仕込んでいた呪札を両手に一枚ずつ携えると、素早く詠唱をした。いつもは成功しないことの方が多い――否、対象が召喚に応じてくれない。
仮契約だが契約をしているのだが、主導権はあちらにあり、常に答えてくれるとは限らない。その上、今は呼ばない方がいいと言われていたのだが――答えてくれと祈る。
「
白くまばゆい光。真っ白い浄化の光と見紛う魔力光に包まれながら現れたのは、白くて大きな犬だった。しかし大きさは明らかに犬のそれではなく、大の大人ほどの体調があり、毛並みは穢れ一つなく白く、うっすらと輝いているように見えた。鋭い眼は真っ黒であるが、瞳孔の奥が金色に輝いているようにも見える。
――大口真神。犬ではなく、今は絶滅したとされる日本狼。理子が使い魔として使役できる最上級の幻想種である。
幻想種とは幻想・神話の中に存在する生き物のことだ。在り方そのものが「神秘」とみなされそこにあるだけで魔術を凌駕する存在であり、特に千年クラスの幻獣・聖獣の類の神秘性は魔法と同格であり、魔術程度の神秘では太刀打ちできない。
だが長く生きた幻想種であるほど、この世界から遠ざかっていく。
現在、世界に留まっている幻想種はせいぜい百年単位のモノであるとされる。
ゆえに理子が使役する狼は、発見できたことが奇跡といえるかぎりなく神獣に近い幻獣であり――秩父の山奥深くにひっそりと生き残り続けてきた、裏側に向かわなかった最後の一匹。積み重ねた神秘は二千年レベル、理子が使役できる使い魔では最強である。
しかし先日、「あまり呼ばない方がよい」と忠告されたばかりではある。だが、こういう時に頼らずしていつ頼るのか。理子は慣れた様子で、古い神秘に命じた。
「行って真神!」
理子の命を受けて、狼は放たれた弓のように駆ける。飛来し続ける遠当てを躱して――秒を待たずにキャスターに接近した。しかしキャスターは全く恐れる様子なく、悠々と遠当ての掃射を続けている。
それは一成が断続的に結界を張り続けているために彼らに直撃こそしていないが、もうあちこちの綻びが出始めていた。
「噛み砕けッ!」
流石に距離が近くなると弾丸の回避も難しい。それにサーヴァントの弾丸であっても、大口真神はものともしない。
その牙は彼女の間近にまで迫り、華奢な女の首をへし折って――。
「……おすわりッ!」
獣の息さえ感じられる至近距離にて叫ばれた、サーヴァントのただの一言。だがそれだけで――大口真神は止まってしまった。確かに並はずれた神秘であるだけあり、契約上使い魔の範疇にあるとはいえ、大口真神は彼の一存で一方的に契約を破棄することもできる。ゆえに理子の命令をいつ何時でも必ず聞くわけはでないのだが、理子とて法外な命令を下したことはない。今回だって、普通の命令のはず。
「さて、もう決めてしまいましょう!」
まるで自分が狼の主であるかのように大口真神をそばに控えさせながら、キャスターは遠当ての掃射を加速させた。一成は必至で結界の強化を続けていたが、この雨あられの散弾銃の中ではもう限界だった。
「――ッ!!」
「土御門っ!!」
ガラスが割れるような、鋭い音を最後に真っ白い魔力がさく裂した。一成の結界が持たず、破壊された音だった。
しかしそれと同時に降り注いだのは、見覚えのある弓矢の雨。
「――この矢、
朗々と響く、低い声と共にキャスターへ向かって矢が射かけられる。
一成が知っている通り、本当に狙っているのか疑わしい射にもかかわらず、確実に
「―――ッ!!」
キャスターは即座に遠当を辞め結界を構築し、矢から身を守った。
ふわりと、彼女と一成たちの間に舞い降りた平安貴族によって、双方は一度動きを止めた。
そよ風にたなびく衣冠束帯。
――アーチャー・藤原道長が弓を片手に、月下に佇んでいる。
「――アーチャー!!」
一応、一成は戦闘前からアーチャーに念話で呼びかけて出動を要請していたのだ。彼としては遅い、と文句を言いたかったが、助けられてしまったので今はそれを呑み込んだ。
「アーチャー……!」
唇をかみしめるのは、今度はキャスターとハルカだった。サーヴァント一人ならともかく、もう一人三騎士とは。しかし、ランサーはハルカがAランクの破壊力を誇る宝石をさく裂させたおかげで、倒れてこそいないもののダメージを負っていた。それでも彼のスキル「無傷の誉れ」「心眼」によって、致命傷を与えることはできなかった。
もしランサーが宝具の鎧をつけていれば、ダメージをほぼゼロにしてその槍の切れ味鋭く戦っていたろうが……。
アーチャーは弓の弦から指を放さず、ハルカとキャスターを見据えた。
「ランサー、無事か?」
「……応、まさか魔術師の宝石がそこまでとは……良いぞ!」
腹部からしとどに血を流しながらも、ランサーの意気は今も軒昂。アーチャーは半ばあきれながら彼を見たが、すぐに前を向きなおした。
「キャスターとそのマスターや、今は引くがよい――さもなくば、我が宝具を展開するにもやぶさかではない」
「いや、よせアーチャー。お前にばかりに任せてはおれん。今からでも我が槍の本当の切れ味を「そなたはしばし静かにしておれ。全く、普段は物わかりが良い御仁じゃというに、これだから侍とやらは」
ハルカはキャスターを一瞥して、心の中で歯噛みした。このアーチャー、三騎士クラスとはいえランサーほど白兵戦向きではないと見える。戦闘でランサーを圧倒出来たことから、目の前のサーヴァントもう一人くらい、という気持ちがあるが、しかし。
――キャスターは宝具を使えない。
そのハンデは余りにも大きい。
英霊が持つ、彼らが生前に築き上げた伝説の象徴。逸話や伝説、あるいは真に存在した武器道具そのものを基盤として誕生したもの。伝説を形にした「物質化した奇跡」が宝具だ。
それを行使されては――しかも二騎のサーヴァントに――ハルカはただでは済まないだろう。元々サーヴァントと戦う時には、相手が様子見をしている間に致命傷を与え、宝具を使わせないつもりだったのだ。
ハルカはキャスターに目配せして、一歩退く。
それから静かにさらに距離を取り、じりじりと離れ――ハルカたちの姿は、アーチャーたちから見えなくなった。
理子のアレは超能力です。予測さえできれば百発百中になるけど、予測は超能力の範疇外なのでやりたいなら他でどうにかしないとならない。