Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】   作:たたこ

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夜③ 聖杯戦争、終了

 相対する蒼銀のサーヴァントが魔力に不足なく、力に溢れた英霊であることをハルカは一目で看破できた。

 

 彼女が現れてから、周囲の風の流れが微妙に変化している――それは、あの不可視の武器が風にまつわる何かで覆われていることを示している。

 今、激突した相手。敵サーヴァントである少女は、何故か戸惑いを含んだ視線をよこした。

 しかし彼女の視線が意味することに、ハルカは気づかない。

 

「……敵、サーヴァント……ッ!」

 

 先程超速で通り過ぎて行ったサーヴァント(かもしれない何者か)はいいとして、今ここで敵と出会ったのなら。これは聖杯戦争、戦って障害を葬り去るもの。

 ハルカは手元の宝石と礼装を確認し、ちらりとキャスターをみやると――身体強化と共に、一気に襲い掛かった。

 

「――――Acht(八番)……!」

 

 キャスターではなくマスター自身が。通常なら一刀両断に伏されるはずの非力な人間は、金髪の少女へ突撃した。自殺行為か――いや、その速さは人間を超えていた。

 予想だにしない速度に金髪の少女は目を見張り、その突撃を不可視の武器で防ごうとする。だが、男の武器は接近しようとやはり宝石。

 長年時をかけて蓄積した魔力の爆発は、Aランクの魔術にも匹敵する――!!

 

 宝石は強烈な閃光を放ち、爆風の衝撃が夜を揺らした。しかし――煙の中から現れた敵サーヴァントの少女は傷一つなかった。サーヴァントのクラススキル、対魔力。仮にAランクともなればそれ以下の魔術を無効化してしまい、事実上現代の魔術師では傷を負わせられない。

 

 だが無傷の少女は、ハルカが接近したこの状態で反撃に出なかった。ただ風を纏った武器――おそらくは剣か槍――を振るい砂埃を払い、距離を取るのみ。ハルカはその様子を訝ったが、それよりもキャスターの怒声の方が早かった。

 

「マスター! サーヴァント相手にっ……! 何をしてるんですか!!」

 

 しかし、当のマスターは涼しい顔で言った。「いざとなったらあなたが助けてくれるでしょう」

「……! え、ええもちろんっ!! けど、それとこれとは話が別ですっ!」

 

 蒼銀の少女は隙だらけの相手に(強いて言うならキャスターの方が隙だらけ、というのがさらに奇異であるが)、襲いかかろうとしなかった。彼女は構えこそ解かないものの、明確な敵意を見せていないままである。

 

「――貴方たちは……?」

「……私は聖杯戦争のために来たマスター、ハルカ・エーデルフェルト。こちらは私のサーヴァントです。……その対魔力、セイバーかランサーのサーヴァントと見ました……いざ尋常に」

「待ってください。ハルカ・エーデルフェルト……? そんなマスターは春日の聖杯戦争にはいません。それに聖杯戦争は終わっています」

「……は?」

「ファッ!?」

 

 予期しない言葉に、ハルカは自分の耳を疑った。同じ気持ちなのか、キャスターも奇声をあげてへどもどしていた。

 聖杯戦争が終わっている?

 そんなはずはない。現にここにサーヴァントがいて、戦いに臨もうとしているではないか。まさに聖杯戦争の真っただ中ではないか。ハルカは敵意とはまた違った憤怒をにじませ、金髪の少女を睨みつけた。

 

「わけのわからないことを。敵陣営同士が邂逅したのであれば、あとは殺し合うのみ。――あなたはサーヴァント。サーヴァントは敵サーヴァントとマスターを殺すものでしょう。聖杯を求め、己の願いの為に!」

「ええ、そうでしょう。しかし今の私に聖杯にかける願いはなく、マスターにも戦う気はない。見知らぬマスター。あなたが聖杯を欲していても、もうここに聖杯などありません」

 

 信じがたいことを言われ、敵サーヴァントの少女を訝っていたハルカの気持ちが変ったのはこの時だった。

 聖杯がない? そのうえ目の前のサーヴァントとそのマスターは戦う気もない? 

 まるで、足元を、土台を突き崩されているような感覚。

 

 なんだそれは。自分は戦うために、時計塔からここに来た。

 たとえ死闘の末に敗れ命を落とすことがあるのは仕方がないとしても――戦いすらしないことはありえない。

 何故なら、彼は戦うためにこの地を踏んだのだから。

 

 ハルカは一度構えを解いて、静かな眼差しで目の前の少女騎士を睨みつけた。

 

「……あなたは戦う気がないと言った。ですが今、武装しているのはなぜですか」

「これはあなた方と戦う為の武装ではありません。私が追っていた者の為の武装です」

 

 先程通り過ぎたサーヴァントらしき人物のことだろうか。少女のサーヴァントは一瞬視線をハルカの左に寄せ、そして恐ろしく素早い足でハルカの右を駆け抜けようとした――が、驚いたことに、ハルカの眼はそれを見逃さなかった。

 

 自らの身体を武器のように見做し、少女騎士の視線のブラフさえ見越して、彼女が脇を通り抜ける刹那に体をずらして、振りかぶり――彼女の顔に右ストレートを叩きこもうとしたのだ。

 

「――!」

 

 少女のサーヴァントは驚いたものの、ハルカの身体能力は先ほど垣間見ており――さらに左に体を捻って回避した。

 彼女とハルカの距離は、およそ十メートル。彼女には戦う気はない、だが目の前の自称マスターがこのまま逃がす気はないことも理解していた。

 そして、控えるキャスターからも強い戦意を感じないことも。

 

 少女のサーヴァントは不可視の武器を構えなおす。ハルカとの距離は、サーヴァントの身体能力をもってすればなきが如し。ハルカも宝石を指と指の間に挟んだ。

 

 Aランクの魔術でさえ通らない対魔力のサーヴァントに一番初めに出会ってしまうことこそ運がない。または逆に、運が良いのか。

 じりじりと湧き上がる焦燥。引き続き強化されたままのハルカの足が地面を蹴る!

 

「――Sechs(六番)!!」

 

 詠唱が早いか否か。ハルカは装填された弾丸のように飛び出した。彼の服――見た目は神父のカソックにも似ているが――には特殊な加工が施されている。

 袖、背中、ズボン、すべての部位に加工の施された細いチューブが編み込まれており、魔力の籠った宝石が詰まっている。そしてハルカの詠唱に応じて液状化し、噴射される。その噴射された魔力はサーヴァントのスキルで言う「魔力放出」であり、術者の身体を魔力で強制的に強化し、動かすのだ。通常の身体強化に加え宝石魔力放出により、人間を超える速さで迫るハルカだが、そこまで行ってセイバーと対等の速さ。

 そこからいかに殺るかが本番である――!

 

「ハァッ!」

 

 接近したことでハルカは不可視の剣が、空気密度によるカラクリであることを理解する。剣の周囲に圧縮した空気を纏わせることで光の屈折率を変え、見えなくしているのだ。

 まだハルカはその剣の長さ・間合いを完全に把握できていない。これまでのわずかな遣り取りからの予想で、自身の髪が数本断ち切られるギリギリで躱す。

 さらに一歩踏み込み、宝石を煌めかす――!

 しかしその威力が自身を傷つけるものではないと承知しているセイバーは、避けようとはしなかった。

 

「――――Sieben(七番)……!!」

 

 されどそれは威力と破壊力を主とした宝石ではなかった。空をも焦がす閃光を上げて輝く宝石――閃光弾(フラッシュバン)の役割を果たした宝石がセイバーの眼をくらませたときに、とっておきの――!

 

「えーい!」

 

 ハルカのとっておきの宝石が炸裂する直前、蒼銀の少女の武器がハルカの胴に当たる前――大きな鏡が割り込んだ。

 それは不可視の武器を弾き、二人の間を引き離した。今まで動かなかったキャスターが、突如――覚悟を決めたように――二人の間に割り込んだのだ。

 

「さ、さっきから黙って見てれば! 無茶をしないでくださいっ、マスター!」

 

 キャスターの周囲を浮遊する紅い縁のある鏡は、鏡というより鈍器として扱うものらしい。腹の据わったらしいキャスターは、そのまま鏡を振り回して蒼銀の少女の前に立ちはだかった。そのマスターを守る、という意思を見た少女のサーヴァントは一拍、後ろに左足を引いたと思うと、一息に飛び出した。

 

 それは愚直な突撃ではあった。だが、単純にあまりにも速過ぎた。

 ハルカの知らぬことだが、彼女の宝具『風王結界』による風のジェット噴射とスキル『魔力放出』の魔力ジェット噴射併用による豪速の突撃。

 間合いの意味さえなくすほどの速さで、キャスターの認識よりも早く、キャスターを斬り伏せる。

 

「……ぐぅっ!」

 

 鏡によるガードが間に合うはずもなく、キャスターは剣の一撃を胴体に受けて、纏う風と少女騎士の膂力のままに吹き飛ばされた。彼女の身体は道路の真ん中にまでごろごろと転がった。

 

「キャ、キャスター!」

 

 ハルカが彼女に気を取られた隙に、少女のサーヴァントは魔力放出まで使用して一瞬にしてハルカをすり抜けてその場を去った。

 ハルカが急いで倒れたキャスターに駆け寄って見たところ、彼女は腹をかかえてうずくまってはいたものの、斬られてはいなかった。ただ激しい衝撃のために身動きがとれず、息をするのも精いっぱいで言葉を発することもできなかった。

 彼女は数分うずくまったあと、やっとしゃべれるまでに回復した。

 

「……手加減、されたみたいです。ほんとに戦う気は、ないみたい、ですね……」

 

 仮に最後のような突撃がなくても、直にキャスターは力負けして膝を折っていただろう。それでも少女騎士が突撃を選んだのは、一刻も早く向かいたい場所があったからに他ならない。

 

 消滅に至る傷ではないことを確認し安心したものの、ハルカは大きなため息をついた。真名を思い出せないサーヴァント、記憶の欠落が快復しない自分――思った以上に問題がある、と。

 

 その上――

 

「聖杯戦争が、終わっている……?」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 夜の春日教会の礼拝堂は、穏やかな明かりがともされていた。

 今日の夜は特に催し物もなく、教会は終えてよい時間ではあったのだが、今も神父と修道女が二人、長椅子に座り黙々と紙切れを折り続ける作業をしていた。

 

「……あの、これはほんとに教会の仕事なのでしょうか?お父様」

「? そんなわけないだろう」

「――ッ!! そういうことはさっさと言ってくださいよ! 騙されました!」

「私は何も言っていないが」

 

 ばしーん、と景気よく美琴は折っていたチラシを机にたたきつけた。御雄神父が黙々とチラシを折り続けているのを見て、彼女は大仰にため息をついた。

 

「もう、お父様ったら! 最近ライダーの(プロデューサー)活動にうつつを抜かし過ぎでは? そりゃあお父様がミサなどに手を抜いているとは思えませんけど!」

 

 現在進行形で御雄がせっせと折っているのは、A4判のチラシだった。だがその内容はミサのお知らせなどではなく、「KAMI NO TSURUGI」のチャリティーライブのチラシだった。

 聖杯戦争終了後、あの度し難いライダーが謎の芸能活動をブチ上げた。美琴としては勝手にやってくれと思うのだが、何を思ったか養父の御雄がノリノリで神父業の傍らプロデューサー業を請け負ったのだから大変である。

 

 

 一般向けには信徒の葬儀・結婚式、日曜には礼拝、平日には聖書の勉強会・墓地の清掃。第八秘跡会としての活動は不定期(何か事件などがあったときのみ)――要するに今はそう忙しくはないのだが、あまり教会を留守にし続けられるのはよろしくない。

 

 美琴としてはライダーを無下にするつもりはないが(というか、無下にしたらどうなるかわからない)、ここは教会であり、ライダーはこの国の神でもある。

 あまり神父が別の神をプロデュースするのはどうかと思うのだ。まあ、教義には解釈はあれど主は神の子であり神ではないのだが。

 御雄は複雑な顔色の美琴を見て、チラシを折る手を止めないまま笑った。

 

「……初めて会った時から真面目な娘と思っていたが、今も変わらない。これでも私なりにお前に遊びを持たせようとしてきたのだが、どうやら遅かったらしいな」

「……お父様の娘となったのはもう十五歳の時でしたから」

 

 みずからの意思で魔道の家系を抜けた、十五の少女。御雄が彼女を養女としたのには、明確な理由があった。

 十五年前にはすでに彼は聖杯戦争を蘇らせるべく奮闘しており、春日教会に着任していた。彼は表向き聖職者であっても、その中身は信仰よりも優先すべき渇望があった。

 だからその渇望のために、聖杯戦争がらみでしばらく教会を留守にすることもある。だが聖職者の立場は必要であり、自分がいなくても円滑に教会の行事をこなせる都合のいい存在が欲しかったのだ。

 

 その点、美琴は都合がよかった。魔道の家を出奔したということで、実家からは勘当状態。どうしようと彼女を探そうとする人間はいない。また御雄も元魔術師(正確には呪術師)である経歴から、彼女とは円滑にコミュニケーションしやすいだろうと思ったのだ。

 実際彼女は物覚えもよく、てきぱきと物事をこなし、本当に信仰心のある修道女であった。

 

 御雄は妻を取ろうと考えたことはない。家族よりも優先すべき衝動があり、そのためには家族は不要だったからだ。養子縁組をしているが、美琴にも自分を父と呼べと強制した記憶はない。

 十五の少女にも、新しい父は遅すぎるだろうと思っていたが、美琴は案外すんなりとお父様と呼んだ。

 

 親子の情はあるのかないのか、御雄自身にもわからない。ただ、親しみはある。

 だが彼女を●すことになっても、致し方ないと思う。

 この人を殺されたくない、大事にしたい――物語でうたわれる人らしい感情を、御雄は感じたことがない。

 実の娘ならまた違ったのか。だが、血のつながる実の親に対してもそのような感情を抱いたことがない。

 

 別段、それで不自由したこともない。

 死ぬときは、死ぬ。死ななければ、まだ生きる。ただ、死なない限り生きるだろう。

 

 特定の誰かに対する激しい情動がわからない、だからといってその情動を持つ人間を馬鹿にはしない。

 むしろ自分が抱かないからこそ、知りたく、もっと近くで見たいのだ。

 

 ――それゆえの、戦争。砂被り席を私は望んでいた。

 

 私の分まで、激しい情動を感じてくれ、と。

 もしかしたら、これは根の深い不感症のようなものかもしれない。極端な刺激でないと感じられない、人を通してでしか楽しめない。

 神父の内心を全く知らず、美琴は腰に手を当てて大きなため息をついた。

 

「もう、私はこんなですからね。もう二十七ですし。普通のシスターとして、時には第八秘跡会の一員として粉骨砕身尽くすだけですよ」

 

 

 ――正味な話、美琴の力量は専門的に鍛えれば聖堂教会の代行者になりうるレベルだと、御雄は思っている。だが、彼女は代行者になろうとはしないし、向いてもいない。

 

 そもそも「聖堂教会」とは、世界一大宗教の裏組織、教義に反したモノを熱狂的に排斥する者たちによって設立された、「異端狩り」に特化した巨大な部門のことである。

 裏組織であるため神父修道女の中にはこれを知らない者も多い。だが美琴や御雄はその始まりからして魔術の徒であったため、自然と聖堂教会のことを知ることになり、移った今も一般人の神父修道女ではなく「そちら側」の神父と修道女にならざるを得なかった。

 

 御雄が魔術を辞めた理由は魔術も異端も関係ない理由だったが、美琴は違う。

 魔術の家の営みに嫌気がさして、人を人とも思わない行いを厭うて家を出た。聖堂教会が敵とするものは吸血種や人の範疇を外れた者のため、一般人を害するものではない。だが本来魔術師も神秘を秘匿し、一般人を傷つけるものではない。

 魔術の徒も教会の徒も一般人を守っているのではなく、単に対象の範疇外であるだけ。

 

 ――戦闘力があっても、美琴に向いているのは「そちら」ではない。

 仮に「そちら」の仕事に回したとて、長持ちはすまいと御雄は見ている。ある程度「そちら」の仕事をしているが、あまり深くに入り込ませるべきではない。

 彼女に比べれば、タイプこそ違えど未熟な陰陽師や碓氷の七代目の方がはるかに頑丈にできている。

 彼女が心より願い尊ぶのは、敬虔なシスターとして、普通の人々の信仰を守ること。

 

「お前も教会の雑務ばかりでは疲れるだろう。リフレッシュにライブチラシでも折るとよい」

「お父様がライブにかまけているから私の雑務が増えているんですよ!」

「はぁーい」

「……」

 

 美琴はわかりやすく嫌な顔をして、入り口の闖入者へと目をやった。流れる金髪、碧眼に夏にも関わらず紺色のロングスカートに白い長そでのブラウス。

 封印指定魔術師、シグマ・アスガードがまるで気安いお隣さんを訪問したような顔つきで、軽く長椅子に腰かけた。

 御雄が対応する気ゼロであるのを看取り、美琴は溜息をつきながら立ち上がった。美琴が歩く音と、チラシを折る音以外は静まり返った静寂な教会の中でシグマの美貌は、その場にそぐわず魔的であった。

 

「……何の用かしら、シグマ・アスガード。ここは魔術師の訪れるところではないけど?」

「あらつれない。明ちゃんはよく来てるのに私はダメ?」

「あの子は管理者だから。最近は一般人の家に転がり込んで大人しくしているって聞いたけど、何の用?」

 

 シグマが悟の家に転がり込んでいるのを美琴が知っているのは、あのおしゃべりな断絶剣(フツヌシ)のせいである。ただ、美琴たちもシグマが何を思い立ってそのような事をしているのかは知らない。

 

「明ちゃんが帰ってきたって聞いたから、どこにいるのかしらと思って。さっき行ってみたけど屋敷にはいないみたいだったの」

「……あなた、明に何の用?」

 

 相変わらず剣呑な気配を消さない美琴を見て、シグマは口元に手を当てて笑った。春日で縁深い相手とはいえ、同じ魔術師に対する態度の差に笑ったのである。

 そして黙々とチラシを折っている御雄が思い出したように口を挿んだ。

 

「昨日の夕方、碓氷たちが帰ってきた。となれば、今日しているのだろうな……シグマ、七代目を尋ねたいなら明日以降にするがいい」

「しているって、何を?」

「何、影景と七代目が手合わせをしていると言う話だ。時計塔では誰が何時どこで見ているかわかったものではないからな」

 

 魔術師は互いの研究成果を発表しない。受け継ぐのは自分の跡継ぎのみ。そして明は虚数属性というその属性だけでホルマリン漬けにされかねない希少な体質の持ち主であり、影景としてもその魔術を時計塔のど真ん中で披露させるのは避けたかったのだろう。

 シグマは納得したが拍子抜けしたようで、興味は失せたとばかりに裾を払って立ち上がった。

 

「わかったわ。急いではいないから適当な時に会いに行くことにするわ」

「それが良かろう」

「ちょ、結局明に何の用なの?」

「あなたの許可を取る必要があるのかしら? そんなに心配しなくても――」

 

 踊るような足取りで、シグマは美琴との距離を詰める。同じ女性の美琴からみても、シグマのプロポーションと相貌の造形は完璧だ。もし神話の中の女神が形をとるなら、きっとこんな女性なのだろうと――その碧眼が、至近距離で美琴を覗いていた。

 

「明ちゃんには何もしないわ。むしろ私は命乞いをする立場だもの。それよりも」

 

 ガラス細工の指が美琴の顎に触れ、軽く支えている。吐息が、近い。

 

「あなたはあなたの今を楽しんだ方がいいわよ?」

「――ッ!」

 

 美琴は勢いよくシグマの手を払いのけた。触れてはいけない。

 彼女の封印指定の訳を知っており、かつこの状態で疑似神霊降霊を成し得るはずがないと承知していても、魅了にかかってしまいそうな恐れを抱いた。

 

「ふふっ、それじゃあお邪魔したわ。何だかんだ今回も楽しいじゃない、エセ神父」

「お父様のどこがエセなのよ! 帰ったら聖水振りまくから!」

 

 忙しいこともあってか、頭に血が上りがちな美琴は最後には完全に怒った様子でシグマを追い払った。

 


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