Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
昼も下りつつあるころあい、拠点にてキャスターは鼻歌交じりに包丁を握りしめ、台所に立っていた。まな板の上ににんじんを乗せ、その周りには買い込んだ食材が所狭しと並べられている。明らかに作業場としては最適化されていない。
「ふ~~うふを越えていだぁ!! くない……」
思い切りよく包丁を下して指を切った……と思いきや、そんなことはなかった。生前ならともかくサーヴァントとなった今であれば、神秘のない刃物で傷を負うことはない。白い指は何事もなく健在、不恰好ながらにんじんは切れている。
「ナナさんは切るのすごい早かったなあ~私がやるっていっても媛様にされられません、って言われたけど~」
かつての東征における
戦いがメインとなる東征軍において、彼は己が戦えないことを何ら恥じてはいなかった。何故なら戦闘は彼の役目ではなく、それを他のメンツも承知していたからだ。
キャスターも彼と同じだ。東征軍において戦えなくても、彼女は気おくれしなかった。産むことも育てることも役目ではなかったから(それは大和にいる他の奥方の役目)、一人いた子供は大和においてきた。
彼女の役目は、いわば神の剣の身代わり石。神の剣のために死ぬのではなく、神の剣が成すべき事のために死ぬ。つまりキャスターが元気ということは、神の剣も元気で東征は今日もことはなしなのだ。
生前はそんなふうであった彼女であり、サーヴァント化した今料理は「役目ではない」ことは百も承知なのでこれは心の贅肉というか、遊びである。死んだからこそ、生前を顧みることもできる。
(……っていうか、私もうほとんど自分のこととか思いだしましたけど……)
ハルカはまだ記憶があいまいなままであったが、キャスターは違った。八割の記憶は復元され、残りの二割も推定でおおよその内容は察しがついている。だが、
そして記憶が戻っても、解決されないことはある。何故自分がここまで元気なのか、である。戻った記憶が正しければ、今頃正気を保っているかどうかも怪しいはずだ。
「わっかんないですね……いだぁ!! くない……」
つい数秒前と同じことを繰り返しつつ、キャスターはじゃがいもを手に取った。
*
――お前が不必要なのではないだが、「宝石」の魔眼に比べれば……。
それが実親の本当の思いだったのだろう。
――
魔眼を純粋な研究対象として求める向きも勿論あるが、その列車が特異な点は、魔眼の移植さえやってのけることである。本来魔眼は持ち主に根付いたもので、摘出するだけでも至難の業である。だが魔眼蒐集列車はさらに諸問題を無視して、移植まで行う。
その伝説の列車に、何の因果かハルカの生家は招待状を受けた。生家の家は魔術の家系としては三百年程度、時計塔においては貴族に手が届かない、かといって全く歴史のない家でもない、もどかしい歴史の家だった。
その生家は、意気揚々と魔眼蒐集列車に乗り込んだ。そして結果だけ述べれば、「宝石」ランクの石化の魔眼を落札した。ノウブルカラー、しかも宝石ランクの魔眼とくれば落札価格は億を優に超える。
当時、ハルカの生家にそれだけの貯蓄があったか――なかった。とすればその費用は借用のわけだが、それはどう調達されたか。
――ハルカの両親は、ハルカをエーデルフェルトに近い分家の養子に出してその金を調達した。養子にしたといえば聞こえはいいが、要は跡継ぎのハルカを売って金を作ったのだ。
当時、ハルカは五歳。また跡継ぎを作り直す費用と、今魔眼を落札する費用――今度、いつ招待状が届くかわからない――と引き比べた結果、魔眼を選んだのだ。
エーデルフェルトといえば歴史ある魔導の家にして、宝石魔術の大家。よい魔術師の卵を手に入れられるのであれば、ある程度の貸与なら請け負う(そもそも宝石魔術は宝石を使用するだけあって、数ある魔術の中でも金のかかるものである)。
今でこそ実の両親の意向もよく理解でき、エーデルフェルトは「この子には大金の代になるだけの素質がある」と認められたと言う意味でも、むしろ当然で誇らしいとすら思っているのだが、当時のハルカにとってはただただ衝撃の出来事だった。
これまでお前が跡継ぎだ、出来過ぎた素質だと両親から褒められてきたのに、魔眼に比べれば不要だと切り捨てられた気がしたのだ。
ゆえに日々の暮らしがエーデルフェルトの一屋敷に移ってからも、ハルカは落ち込んでいた。養子の立場で魔術に身が入らないことを幼心によくないだろうと感じてはいたものの、どうしても気もそぞろになっていた。
その時に出会ったのが、エーデルフェルトの現当主の片割れ。
青のよく似合う、天上の美貌と評される麗人にして傲慢して、『地上で最も優美なハイエナ』を絵にかいたような彼女。
当時の当主としては、引き取ったハルカを元気づける意図はなかったと思う。正直、誰かを気遣って励ますという言葉と行為が似合う御仁ではない。
いや、励まそうという心持はあってもそれが肉体言語的に現れ、スパルタ様式と取ることが多いのであるが。
そういえば、最後まで聖杯戦争に関わるのはやめろと言っていたのも御当主だったか……。
「……スピー」
ハルカはゆっくりと目を覚ますと、目の前にあったのはキャスターの顔だった。彼女はベッドの傍らに腰を落ろし、両腕と頭をベッドの上にのせて眠りこけていた。眠るならもっと寝やすいところでねればいいものをと思いつつ、ハルカは彼女をゆすって起こした。
「ハッ! ハルカ様も寝顔を堪能していたら……おはようございます!」
ハルカはセリフにツッコミを入れず、ベッド近くのベランダへつながる窓から外を見やれば、外は夕暮れに染まっていた。頭を振って意識をはっきりさせるが、やはり記憶が戻った様子はない。正直に落胆し、溜息をついたところ、キャスターが慌てていた。
「あっ、どこか具合でも!?」
「いえ、体調に問題はありません。しかし全く記憶は回復した様子がなく……あなたはどうですか」
「えっ、私も記憶はあんまり、」
恐縮して小さくなるキャスターに対し、ハルカは肩に手を置いた。「あなたが謝る事ではありません。しかし、安静にしていても回復が見られない。ならば行動していたほうがマシですね。ひとまず、この屋敷の工房化は行いますか……」
起きる前と起きた後で、周囲に気配の変化はない。魔術師・サーヴァントの気配もない。しかしベッドから立ち上がった時、ハルカは腹に違和感を覚えた――とてつもなく、腹が減っている、と。
「……キャスター、すみませんが食事にしましょう。あなたは待っていてくれればいいので「待ってました!」
「は?」
「私はデキるサーヴァントです。既にカレーライスを作ってありますとも」
腰に手を当て鼻を鳴らして得意げなキャスターだが、ハルカはその内容を手放しに喜べない。拠点として与えられた場所に最初から食材が用意されていたのか。いや、御雄神父はまさか自分、ハルカ・エーデルフェルトが自炊をすると思っていたのだろうか。
「……食材があるのですか。調理器具も」
「フフン、ハルカ様より先に起きたので作っちゃいました。冷めてしまっているので温め直しましょう……ささ下へ参りましょう」
マイペースでハルカの手を引こうとするキャスターをとどめ、彼はその場で立ち止まったまま鋭い眼で彼女を見据えた。
「キャスター、買ったのですね。それらの食事を買うお金はどこから」
麻痺にでもかかったように一時停止するキャスターは、油の切れた機械のような動きでハルカに振り向くも、完全に目を泳がせていた。「……お、夫の財布は妻が握るものですよ」
「前提として、私たちは夫婦ではありません。そして正当な出費であれば、きちんと日本円を渡しますので勝手にとっていくのはやめなさい。ひとつ訊ねておきますが、私のお金で買ったものはそれらの食事のみですか」
これまた盛大にキャスターの眼はバタフライで泳いでいた。ハルカは無言で拳骨を彼女の頭に落した。
「た、体罰反対! これはDVですっ」
「あとで何に使ったのか詳しく報告を。しかし食事を用意してくれたことには感謝しますが……正直、作るなんて手間をかけず出来あいのものでよかったのですが」
「で、出来あいのものの方がおいしいかもしれませんけど、愛情はたっぷりいれました」
「……」
「ス、スルー!?」
一人その場でよよよと崩れ落ちるキャスターだが、それさえあえなく無視された。溜息をつきながら階段を降りるハルカは、正直先行きの怪しさに不吉なものを感じていた。記憶が欠けていることに加え、昨夜目覚めてからほぼ丸一日眠りこけていたという事実。
自分としてはそこまでの不調を感じていないだけに、なおさら奇異である。だがその思考は、背後から復活して追いかけてきたキャスターによって止められた。
「あの、私、見ちゃいました!」
「何を?」
「多分、ハルカ様の過去を……いや私としてはマスターのことを知れてラッキー☆くらいなんですけど、そのぷらいばしーの侵害的な? 不可抗力なので許してほしいな、みたいな」
自分で自分の頭をこつん、と拳骨で軽くたたいて見せるキャスター。かわいいと思ってやっているか……はともかく、サーヴァントと契約したマスターは、
しかし眠るときに意識をカットすれば起こらなくなるのだが、あえてハルカはこのままでいいと思った。
「何を見たのか知りませんが、私は気にしませんよ」
「え? ほんとにほんとですか? お嫌でしたら何か手を打って」
しかしハルカは、顔色一つ変えずに首を振った。「敵陣営に見られては何かこちらの弱点を探られる可能性があるので問題ですが、自分のサーヴァントでは構わないでしょう。むしろ今現在、二人とも己の記憶がおぼつかない状態であることを思えば、互いに何を思い出したのか共有できたほうが便利でしょう」
するとなぜか、キャスターが唇を尖らせて文句を言い始めた。「むう、ハルカ様のそのあけすけ感は嫌いではありませんが、相手も自分と同様に過去を見られてもいいと思っているあたり、無神経です! オトメには秘密が多いものなのです!」
「男だろうが女だろうがサーヴァントはサーヴァントでしょう。使い魔とはいえ人格がある以上、その人格は尊重したいと思いますが機微を求めないでいただきたい」
「ムキー!! ハルカ様、モテると見せかけてモテないでしょう!」
「? モテなくても困ったことはありませんが……。あなたも大概わけのわからないことを言いますね。それに生きた時代も違い、地域も違う者同士、それ以前に他人同士で何も言わずとも理解しろと思う方が愚かです」
テンポよく交わされていた会話が、一瞬止まった。それはなんでもないと言われればなんでもない間であり、ハルカも気に留めなかった。なぜか肩を落としたキャスターは、カエルがつぶれたような声を出した。
「ブピー……。正しくてグウの音も出ません。以心伝心なんて幻想で……ハァ、早くごはんにしましょう! ちゃんとレシピ通りにつくったんです! 愛の味をご堪能あれ」
「食事をしたらこの屋敷の工房化を行い、軽く周囲の偵察を行いましょう」
「ねえハルカ様ァー! あんまり無視するといじけますよぅ! あっでもそのうち無視されるのも快感に……」
最早キャスターの妄言をスルーし始めたハルカは、さっさと階段から一階へ降りて行った。
元々外国人の老夫婦の生活用だったとされるこの屋敷は、碓氷邸と比べるとコンパクトでシンプルな造りである。客間・リビング・ダイニングキッチン、書斎に風呂と洗面所――日本の一軒家よりも敷地が広いものの、部屋数は大差ない。ハルカは対面式ダイニングキッチンの食卓で食事を終えていた。
食卓には新しい白のテーブルクロスが敷かれていたが、多分勝手にキャスターが買ったのだろう。クーラーがきいた静かな古屋敷で、ハルカは改めて拠点を見回してから顔をキャスターに向けた。
「ごちそうさまでした。普通ですね」
「普通ですね、といいつつ完食してくださるということはアレですね! ジャパニーズシャイ、口ではそういいつつめちゃくちゃおいしかったという!」
「いえ普通ですね。ただものすごくお腹が空いていたので。あと私は日本人ではありません」
「ま、まじれす……しかし初めて現代食を作って普通ならむしろ上出来ではなかろうか!」
台所でからっぽになった鍋を抱えて叫ぶキャスターをスルーしつつ、カレーライスで腹を満たしたハルカは休憩もそこそこに立ち上がる。まだ少々埃臭い室内を見回しつつ、白っぽい壁に触れた。管理が行き届いていない箇所はあるものの、基本は西洋の屋敷として作られているため密閉性もまずまず及第点である。
「さて、ここの工房化をしようと思いますが……そもそも私ではなくあなたに任せた方がいいですね。私はあまり結界を得手としませんし、宝具が使えないとはいえ、あなたはキャスターですし」
キャスターにはクラススキル「陣地作成」がある。魔術師の工房のグレードが上がったようなもので、自身に有利な陣地を敷くことができる。その陣地内であれば、白兵戦に劣るキャスターだろうとセイバーやランサーなどと渡り合える可能性も高い。
ただそれもあって、おめおめキャスターの陣地に無策で攻め込む陣営もなかなかいない。しかし敵を防げる安全地帯をつくる意味では、当然陣地は作成するべきである。
「……もしや、宝具だけでなくスキルや魔術も使えないなんてことは……」
「い、いえっ! 大丈夫です! 敵を迎撃する機能ってのは得意じゃないんですが、入らせないようにするっていうのは得意です。ここを認識できないようにする、みたいな? それならチョチョッとやればできるはずです」
「……ほう。ではお願いします」
キャスターは軽く言ったが、認識をそらす形の結界は結界の中でも高度なものに分類される。彼女がどの程度のものを作るかは後で確かめさせてもらうとしても、まかり間違っても自分より下手糞ではあるまい。
キャスターはきれいに食べ終えられたカレー皿を回収し、台所で鍋とともにざぶざぶと洗い始めた。カレーの汚れは落ちにくく、大量の洗剤を使って格闘しながら、事のついでに彼女は尋ねた。
「結界が苦手とおっしゃいましたが、ハルカ様が得意とする魔術は何ですか?」
「エーデルフェルトは宝石魔術の大家です。しかし私は生まれがエーデルフェルトではないので」
キャスターが既に過去を見ているため、ハルカは細かい説明を省いた。エーデルフェルトも、ハルカが生家から学んだ術と体質のことは知られているから隠すことでもない。今思えば、生家の魔術もなかなか役に立ってはいるのだ。魔術に必要な触媒や素材集めの方面で、特に。
「……生家の魔術である幻獣狩りですかね。ただ、聖杯戦争は魔術師対魔術師、サーヴァント対サーヴァントなので使うことはなさそうですが」
キャスター「東征軍の今日のごはん!(刃物を振り回しながら)」
七掬脛「やめましょう媛様、殿下も血の味がする刺身とか食べたくないですよ……ハッ、部屋の奥から殿下が飯はまだかムーヴを……!」