Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】   作:たたこ

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夜③ 碓氷影景と神内御雄

 丘の上に鎮座する土御門神社、その周囲は鬱蒼とした林に囲まれている。普通誰も立ち入らないため、道も整備されていない。だが、よく見れば整備されてはいなくとも、人の通った跡が残っている。

 その道を通り、スーツを汚しつつも石段前に姿を現したのは、四十半ば、黒縁眼鏡をかけた、整った顔立ちをもつ中肉中背の中年男性だった。上下ともにネイビーのスーツで固め、赤色のループタイをつけている。細身ではあるがただ痩せているわけではなく、適度な運動を日課的にこなしているであろう体幹の強さを感じさせる男である。彼は右手の小型の黒い革トランクを乱暴に振り回しつつ、くっついた木の葉を払った。

 

「……ふむ、明の報告に虚偽はなし」

 

 今まで彼の通ってきた道の奥には、側面からこの丘の地下へとつながる出入り口が存在する。そここそが春日聖杯戦争の発端、春日大聖杯が設置されている大空洞への道なのである。

 大聖杯はセイバー・ヤマトタケルの宝具によって破壊された。あわや大空洞崩壊、土御門神社陥没の危機にあったが、幸いにして大空洞は崩壊しなかった。ただ、儀式の残骸が残されているだけ。

 

「しかしおかしいな」

 

 春日での大聖杯の設置を許したのは管理者の碓氷。彼が聖杯に後から付属させた、春日市観測機能――聖杯に貯蔵される魔力を拝借し、春日の人間、動物の誕生と死亡、思想、魔力の流れを記録する計算モデル(オートマトン)。彼は春日の管理を容易かつ、いざと言う時に原因を究明できるように全春日の記録(ビッグデータ)を観測機能に蓄えさせていた。聖杯に付属させる必要はなかったが、早々に聖杯から魔力が漏れていることを察した影景はそれを再利用すべく、この魔導機械を設置した。

 ゆえにこの男が春日の聖杯を知らなかった、というのは有り得ない。

 

 さて、それはともかく。彼はイギリスにて直接明から報告を受けた聖杯戦争の顛末と、この記録を突き合わせ、差異がないか確認していたのである。

 娘の報告内容は問題なかったが、それ以外に気になることを見つけてしまった。

 

春日自動観測装置(カスガ・オートマトン)にノイズが入るなど……)

 コンマ秒以下のわずかなものであるが、記録に傷がついている。それらは複数あり、全て聖杯戦争開催時期に集中していた。

 

 この春日市観測機能の存在を知るのは彼ただ一人。彼が死んだ際に、屋敷の地下室で魔術錠をかけた箱の鍵は、碓氷の家の者が触った場合にだけ解除される設定になっている。その中の手紙にこの観測機能のことも書き記しており、明に譲渡される仕組みである。万が一生前に影景以外の誰かが触った場合、手紙は瞬間に燃え尽きる。

 

「――私がついてくる必要はあったのか? 影景」

 

 ここまでずっと沈黙を守っていた男が、低い声で言った。三十代~五十代ともとれる年齢不詳の、だが精悍な肉体を持つカソックを纏った男性――春日教会の神父、神内御雄だった。

 

「あるともこのクソ神父め。聖杯戦争がらみかもしれない事態なら、お前も連れた方がなにかといい」

「全くお前と言う男は」

 

 御雄は呆れ気味に笑ったが、不快がる様子はない。碓氷影景は先程いきなり春日教会に現れ、美琴に向かって御雄はどこだと道場破りさながらの様子で迫ってきたのだ。

 呼ばれた御雄は久闊を叙する間もなく、ここ土御門神社にまで引っ張られて今に至る。

 

 碓氷影景(うすいえいけい)――現碓氷家当主にして春日の管理者たる男は、口元に笑みを浮かべながら目の前に連なる石階段を見上げた。

 

「さて土御門境内を見てひとまず今日の調査は終わりとしよう。行くぞ御雄」

 

 久々に春日に戻ってきた管理者の影景と、春日教会の御雄。魔術師(魔術協会)聖職者(聖堂教会)、本来は相反する立ち位置でかつては殺し合いをしていた同士であるが、神秘を秘匿する一点においては目的が一致するため、相互連絡・協力をする地域も多い。

 そしてここ春日においては、御雄がもともと主への敬虔な信仰から聖職者になったのではないこともあり、水面下での争いもなく協力関係があった。かつ人間的相性か――影景と御雄は良好な関係を築いていた。

 

「済んだ話ではあるが、お前は本当に私が戦争の首謀者であると七代目に伝えなかったのだな」

「ああ? そういう約束であったろう」

 

 碓氷影景は不思議そうに首を傾げた。もし影景が最初から首謀者が御雄だと明に伝えていれば、明は神父を野放しにしないはずで、そしてライダーを召喚させることもなく、アインツベルンと連絡をとらせることもなかった。つまりその一点を明が知っていれば、春日聖杯戦争は戦争こそ行われるも、あれほどの混迷を極めはしなかったはずだ。魔術的な戦闘能力では影景を上回る明であれば、どんな方法であれ神父を拘束することはできた。

 ――ゆえに御雄は、聖杯戦争を楽しむためにも影景にその事実を伝えてほしくはなかった。いや、碓氷の現当主を知悉する神父はそんな依頼をせずとも、彼が娘に何も言わないだろうことは察してはいた。

 

 元々、冬木の大聖杯とは遠坂・マキリ・アインツベルンの御三家が生み出した大儀式である。その模倣聖杯を春日の土地に置くことを許可したのは碓氷の先代、影景の父で明の祖父だ。そのため、影景が管理者になった時には聖杯は既に春日にあるものだったのだ。そして、碓氷の先代と影景の思惑もまた違ったようである。

 碓氷影景とは、他家の尻馬に乗る形で根源へと至ることを良しとする男ではあるのだが、それ以前に冬木の儀式を信用していなかった。既に五回も失敗したものを、何の考証も検証もなくただ春日に移しただけで成功するとは思わなかった。しかし信用せずとも、それを無意味と断じはしていなかった。

 

「命に軽重があるものか。ただある時には重く、ある時には軽く感じられるだけだ。そして(後継)の命は、春日すべてよりも重く魔術師の使命より軽い」

 ――つまりこの碓氷影景は、聖杯戦争を、春日の霊脈を使った大儀式を娘のための薪としたのだ。

 

「……七代目は、聖杯戦争についてお前に聞いただろう。本当にお前が春日聖杯戦争のことを知らないと言ったのを信じたのか?」

「土地にも影響を及ぼす儀式を跡取りにまで黙っているはずがない、いくら酔狂なお父様でも……と、半信半疑ではあったろうよ。いくらお人よしな(あれ)でも、純粋に俺を信じていたのは小学校高学年までだったぞ? それにすでに聖杯戦争が始まっている中、俺を捕まえるには時間が足りなかったに違いない。だったら俺を血眼になって探すより、敵陣営を倒した方が手っ取り早いと思ったのだろうよ」

 

 かつかつと石階段をのぼりながら、春日聖杯戦争の首謀者たちは八か月前を振り返る。温い風が吹き降ろしてきて、彼らの髪をなぶる。互いに目指す場所は全く違ったのだが、普段道楽神父、クソ神父となじってくる影景は、御雄にとっては同質だと感じられていた。ただ影景は彼にあまりに相応しすぎる環境に生まれ落ちたがために、普通に見えているだけである。

 

「七代目は既に管理者の仕事も行っているだろう。にもかかわらず気づかなかったと?」

「大聖杯の設置は俺が管理者になる前、明が生まれるより前だ。明にとっての春日は、聖杯が設置されている状態がデフォルトだ。だから気づきもしなかった」

「ふむ」

「蓋を開ければ、春日聖杯戦争は上々の首尾を得た。お前は無事聖杯戦争の再演を完遂し、明はイマジナリ・ドライブと破滅剣(ティルフィング)を習得したのだから。アインツベルンは知らん……また別で聖杯の成就でも目論むのかもしれんが……さて」

 

 影景と御雄は健脚であっという間に登り切り、目の前に聳える朱塗りの鳥居から神社境内を見渡した。聖杯戦争の終局において神社本殿が破壊されたため、新しく建て直されているものの土御門神社は健在である。

 御雄は鳥居をくぐり、境内を一瞥した。今でこそ聖職者であるが、神内御雄は聖職者の技量よりも呪術師としての技量の方が上である。

 

「……ふむ、特に異常はないと見えるが」

 

 元来日本の神社は、西洋の石・煉瓦造りの教会とは異なり立て直すことが前提の建築物である。この島国が常に地震と火山の危険に晒されている為であり、古来建前でも不滅を目指して作られる建築物は存在しなかった。城でさえ壊れても早く修繕できれば「良し」として築城されるものなのだ。

 現に伊勢神宮や出雲大社など、二十年に一度「式年遷宮」として定期的に立て直しを行っている。

 

 ――不滅ではないが、何度でも蘇る。春が去っても季節が廻れば、再び春が訪れるように。

 

 ゆえに神社が立てなおされたからといって、これまでの歴史が薄れたと言うのはお門違いである。むしろ、歴史という循環の中にあることを再確認している。

 

「――平安貴族の歴史観は前に進もうとするものではない。彼らにとっては年中行事をこなすことこそが政治であり、それらをこなし続ければ今と同じ変わらぬ平穏な明日が来るのだろうと信じていた。平安京という庭の中で、黄昏の貴族たちは変わらぬ明日を望み続けていた。ま、それはここに奉られる晴明より二百年近く先の話ではあるが――千年の昔、その精神性は魔術に通じるが、終わらぬ世界はない。永遠の平穏はない。動かない世界、可能性のない世界はすでに死んでいるにも同じなのだからな――うん、しかし普通だ! わからん」

「お前でもわからないのか」

「ああ。何がわからないのかわからない――ま、何がわからないのかわかれば、七割わかったも同然なんだが」

「お前からそのような言葉を聞くのは珍しい。そういえば、先日キャスターの配下……茨木童子が異変を聞きに来た。なんでも、大西山で死ぬはずのけがを負った者が死なず、翌朝には元通りだったと」

「何!? そういうことは早く言え! しかし、死んで蘇る……? ますます意味不明だな」

 

 影景は眼鏡を外して土御門神社を眺めたが、霊脈にも魔力の流れにも異変はない。そもそも観測機能のデータを調べれば大概のことは片が付いてしまうのに、それにノイズが走るとは。これは管理を観測機能に頼り過ぎてきたツケかな、と影景は唸った。

 

「ひとまず境内を一周しておくか。……ん?」

 

 その時、影景の左手側、こんもりと林になっているところから何かが飛び出してきた。敵意・殺意の類を感じなかったため、彼らはじっとそれを見つめた。

 

「……ふむ。犬か……?いや……」

 暗闇に同化してわかりにくいが、林の手前には三匹、連れ立った巨大な黒い犬がうろついていた。もしかしたら、林の中にはもっと、群れでいるのかもしれない。しかし犬にしては三匹とも巨大で、眼光も鋭くむしろ狼のようにも見える。影景と神父がその犬らを注視し出すより早く、さらに林の奥から何かが飛び出してきて、彼らの意識はそちらに奪われた。

 

「キャッ!! 何見てんのよアナタ!」

 

 男の低さだが甲高い声を発したのは、人ではない。反りのない直刀がふわりと宙に浮いて喋っていた。口がないから喋っている、という表現が正しいかは微妙だが。

 

「「……何だ布津御霊剣(フツヌシ)か」」

 

 奇しくも管理者と神父の台詞がハモった。常人であれば腰を抜かすような状況だが、二人は眉ひとつ動かさず、というか関心を見せることなくすたすたと境内を進んでいく。その釣れない様子に(勝手に)憤慨したのは剣の方で、ふわふわと背後をついていった。

 

「ちょっとォあなたたちィ!! こんな美刃がいるっていうのに無視とはなにごとなのォ!?」

「俺はイタリアの伊達男じゃない。だが美刃さん、俺の心は会った瞬間から君に釘づけだぞ?」

「キャッ美刃だなんて! もう上手なんだから! ……ってえ……?」

 

 2人のバックには花弁が舞い散り、ついでに昼メロまで流れ出した(気がする)。夜の神社はどこへやら、世界は少女漫画の如きピンク一色である。影景はバックに花をしょって布津御霊の鍔を人さし指で上げた。ちなみに神父は心の底から興味がなさそうで、漫然と神社を眺めていた。

 

「布津御霊剣……この国における第一級の聖遺物。断絶にして開闢の剣を我が物とし解析したがらない魔術師(男)などいない」

「……ッ!! このケダモノッ!! 乙女の身体を暴きたいなんてッ! (わたし)には建御雷っていう(ヒト)がいるんだからッ!」

「そうはいってもまんざらじゃないんだろう?」

 

 フツヌシは直刀にもかかわらずまるでくねっているように恥じらい、裏返った。そして影景は今までのことは何もなかったかのように刀を無視して本殿へと歩いていく。

 ピンク色の背景?そんなものはない。ここは夜の神社である。

 

「お前に興味津々なのは間違いではない。だが断絶剣、意志あるお前をとらえたとて、あっという間に結界でも世界でも切り裂いて逃げてしまうだろう。俺は無謀な勝負はしない。するのは逃げ場を断ってからだ」

「……もォー!! 乙女をもてあそんでッ! ハッ……(わたし)、逃げ場を断たれちゃう……!?」

 

 漫画的表現で頭(柄)から湯気をたてて、それでも布津御霊剣は影景たちの背後についていく。影景はまだ新しい木の匂いもかぐわしい本殿を眺めながら、長く息を吐いた。

 

 何かが可笑しい。影景が真面目に春日を調べるのは数年ぶりであり、その間に聖杯戦争があり、かつ碓氷の結界が背後の剣によりズタズタに引き裂かれたことを差し引いても違和感がぬぐえない。最も可笑しいことは、何が可笑しいのかわからないこと。ただ、春日の魔力の流れは、此処まで効率化されていただろうか?

 

「結界も修復は八割済んでいるのだがな? ……ううむ、これはやりがいがある。おい御雄、あとでさっきの茨木童子の言っていた話について詳しく聞かせてくれ」

 

 ここは碓氷の管理地――とはいえ、以前に存在しなかったものは確かにある。

現界し留まり続けるサーヴァントたち。彼らまですべて把握しているかと言われれば否である。勿論影景自身も調査をするつもりであるが――。

 

「それはそれとして、明にやらせるか」

 




春日自動観測装置は春日で起きた全事象を記録し続けているシロモノですが、
未来演算はしてないです。
あくまで観測しているのは春日市というミクロな範囲にとどまるので、未来を演算するにしても情報源が春日市だけだと足りなさ過ぎて使える精度にまで達していないからです。影景はあくまで過去の事象分析のために使用しています。
(外部から情報を付加する、仮定を与えることでやろうと思えばやれる)

そしてどこにでも現れるフツヌシ

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