Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
太陽は昇り、今日も晴れ晴れと春日を照らしていた。既に気温は上がり始めているため、室内はクーラーをかけていた。ただ、年単位で使用されていなかったため、最初は埃が吐き出されてたまらなかった。今は苦労してフィルター掃除をして、人にも耐えられるレベルになっている。
草がボウボウに生えた西洋屋敷の二階。傍らに眠り続ける金髪の優男を尻目に、女は顔を伏せ、己が主の持ち物であるトランクに手を這わせた。
「申し訳ありません、ハルカ様……!」
その手は金具を探り、ぱちんと外す。持ち主手製の魔術錠がかかっているのだが、彼女は何事もなかったようにトランクを開いた。そして着替えや書物を放り投げると、丸い金属の質感と紙の束が入った封筒を探り当ててわしづかみにした。
「現金、ちょうだいたすのです!!」
*
およそ人一人が立つのが精々の小部屋は、一方をカーテン、のこる三方を壁に囲まれている。カーテンに対する壁には、姿見が張り付けられている。その箱の外からかけられた女性の声にこたえ、部屋の中に立つ女はやや上ずった声でよい、と答えた。
そして、シャッ、とカーテンが開かれた。
「良くお似合いですよお客様。……あ、リボンが」
「す、すみません!」
「いえいえ、結ばせていただきますね。苦しかったらおっしゃってください」
ショッピングセンター「ウェルフェア」は、再開発中の春日駅から少々離れた位置にある。だがスーパーやカジュアルファッション、ファミリー向けレストランが一同に揃うこの二階建てのショッピングセンターは、今も春日住民には根強い支持を得ている。
そのウェルフェアの二階、女性向けファッションエリアにて試着をしていたのは、他でもないキャスターだった。
今の彼女は昨夜の桃色を基調とした着物ではなく、薄めのネイビーデニム生地のノースリーブワンピースだ。スカートのすそ部分はレース状になっていて女の子らしさがあり、また胸元はレースアップで白いリボンが結わえつけられている。
ノースリーブのため、彼女はこのワンピースの下に淡い桃色の半袖ブラウスを着用している。また足元は三つ折りの白ソックスに茶色のリボンがついたパンプスだ。
全体的にかわいらしい――ガーリィにまとめられたコーディネートといえよう。
「に、似合います? 変じゃありません? 危険人物に見えません??」
「とてもかわいらしいですよ! でももう少し大人っぽい雰囲気の方がお好みでしたら……」
「ど、どんなのですか!」
時刻は午前十時を回ったばかりで、このショッピングセンターも開店したてだ。店員も忙しくないためか、あれやこれやと世話を焼いている――いや、今ファッションショー状態にあるキャスターが「金ならあるので素敵な服を!! いや、常人に見える服を!」と、封筒に札束を握りしめてきた上客だからかもしれない。
「この服を着ていきます! 試着したのも買います!」
「ありがとうございます~!」
キャスターは結局最初に試着をした薄桃色のブラウスとデニム生地のワンピースを纏い、他の服も手提げに詰めてもらって洋服屋を後にした。何を隠そう、ショッピングセンターに辿り着くまで現代からすれば時代錯誤で暑苦しいな着物と羽織で歩き回っていたのだ。
霊体化すればいいのではと気づいたものの、その時には既にここに辿り着いていた塩梅である。
「よし、これで一般人として振舞えますね!」
ショッピングセンターの往来で腰に手を当てふんすと意気込むキャスター。他の客も十代半ば、高校生くらいの歳の少女の大荷物に少々面喰う。
彼女が何故ショッピングセンターにやってきたかといえば、現代衣装を欲したのもひとつだがそれは要ではない。昨夜顔を合わせてから眠り続けているマスター・ハルカのための食糧調達である。
拠点の屋敷は本当にやっと人が住めるように整えたという様子で、食料が全くなかったのだ。おそらく目を覚ましたハルカは腹を減らしていることになるだろうし、また腹が減っては戦はできぬ。
明け方、ハルカよりも早く目覚めたキャスターは彼の胃袋を満たすべく、食べ物屋を捜していたのだが――春日市についてとんと知らない彼女は、道行く人に食べ物を売っている場所を聞いて「スーパーならウェルフェアかな」との助言をもらい、ここに至っている。
一応聖杯戦争の意識を持つ彼女は、自分の魔力を周囲の空気に溶かし込みつつサーヴァントとしての気配を薄めている。合気に近い方法だが、魔術回路や呪文も使わず魔術を発動させる高速祝詞の応用である。
流石に気配遮断には及ばぬものの、並みのサーヴァントなら今の彼女をサーヴァントとは思うまい。
「さて、スーパーとやらは一階にあるみたいですね。行きますか!」
*
リュックサックの中には財布、スマホ、カメラ、タオル、塩飴、日傘、救急セット。水分と食料はこれから買うことを考えれば、用意は万全だろう。
榊原理子は一人暮らしのマンション、十階建ての五〇五号室から飛び出した。
向かうは碓氷邸――それまでに物を調達するなら、通り道でもあるウェルフェアだ。買うのは昼ごはん(とお菓子)と水分だが、コンビニで買うよりも安い上に種類もある。友達から一人暮らしとかお金持ちと揶揄されるが、無駄遣いはできない生活費であり、日用品にはスーパーを愛用している。
午後十時半、まだ一階のスーパーが混雑する時間ではない。そもそも、午前中からがんばる必要なんてあったかとも思ってしまうものの、じっとしているのも性に合わず出てきてしまった。
式神を飛ばし自分は後から悠々と行く――普通の監視であればそれでよかろうが、碓氷邸は結界に守られた土地であり式神の視界では覗けない上、無理に突入しようとすればこちらがばれる。
やはり、自分で出向きある程度距離を取って監視するしかない。
自炊のための食糧調達で慣れたスーパーである。おにぎりとスポーツドリンク、数個のお菓子を選んで早く行こう――とした理子の眼は、つい奇妙な人物を捉えてしまった。
歳は理子と同じくらいで、背中の中ごろまである長い髪の毛。デニム地のふわっとしたワンピースを見に纏った女性。それだけなら普通だが、両腕に服屋のロゴの入った大きな紙袋抱えた上、両腕にスーパーの籠を持っていることが奇異だった。普通ならショッピングカートを使えばいいのだが、何のポリシーかそうしていない。
それですいすい買い物をしているならいいのだが、どう見てもここのスーパーに不慣れ……そもそもスーパーに不慣れも何もあるのか謎だが、動きがおかしい。一人で「おいしそ~~」「醤油……って何……」「まよねぇず……とは……」と呟きながら、フラフラと歩いている。
「あのー、大丈夫ですか?」
「はい?」
――元来、困っている人を見過ごせないタチの理子である。気付いた時には、少々不審者染みた少女に声をかけていた。
「いや~~助かりました! 私、かれーらいす、作れそうな気がしてきました!」
洋服屋の大荷物に加え、カレーライスの材料や米でさらに目も当てられない大荷物になりながらも、少女はキャラメルフラペチーノをおいしそうに啜っていた。
「ど、どういたしまして」
理子は少々どもりながら、ほうじ茶ラテを飲んでいた。人のいい彼女は大荷物の同い年近くと見える少女に声をかけ、あれよあれよとカレーライスの材料をそろえ、作り方をルーの裏側を見つつ指南し、さらに家に鍋や包丁もないらしいと聞き、料理道具と皿、スプーン、マグカップまで買い物に付き合った。
恐ろしい大荷物になり、流石に持ちづらそうにしていたもののやたらと筋力がある彼女は、大して苦しそうな顔を見せなかった。また何故か
それらの買い物を終えて理子は去ろうとしたのだが、その不審な少女は付き合わせたことに礼を言うだけでは飽きたらず、せめてごちそうさせてくれと申し出てきた。理子も一応用事がある身であり丁重に断ろうとも思ったのだが強く頼まれたことと、これからしばらく暑い中待ち続けることにもなることを思い、今は涼んでいこうと思い直した。
ショッピングモールの一階、外に面して駐車場や客を一望できるガラス壁をもつチェーンのコーヒーショップ。季節ごとに新発売される甘いフラペチーノにはファンも多く、特に女性陣にはダイエットの大敵とされている。理子は少量なら甘いものも好きだが、カップ一杯の生クリームとチョコレートは多すぎる。
店の奥まった位置にあるソファの二人席を取り、向かい合って方やほうじ茶ラテ、方やフラペチーノを堪能して寛いでいる。理子は目の前の少女に押し切られて寛ぐ形で、もっぱら少女が春日や理子について質問をしていた。
春日駅はどっちだとか、公園はあるのかとか、または理子は普段何をしているのかなど話はあちらこちらに飛んでいく。学校の話、だれそれがどんな問題を起こしたとか、今文化祭の準備で忙しいとか、受験も迫っているとか、クラスで誰が付き合っているとか。
同じ学校にいないと面白くないだろうウチワネタも、彼女はとても楽しそうに聞いていた。
話している理子の方が嬉しく、また同時に同級生ではないという気楽さからついつい口が軽くなった。歳が近そうなこともあり、理子はいつの間にかタメ口で話していた。
「あははは、その土御門って人、面白い人ですね!」
「……面白いのは認めるけど、目が離せないの! まったくあなたは他人事だから呑気に……あ」
「? どうしました?」
「……そういえば聞き忘れてたけど、名前。なんて呼べばいい?」
「え」
何故か彼女は、全く意図していなかった質問を受けたように一瞬固まった。だがすぐに直前の笑顔に戻った。
「た、橘とこよです。とこよ」
「ふうん……とこよ、って呼んでもいい?私のことも、理子でいいよ」
「わかりました! 榊原……いや、理子さん!」
「さんをつけなくてもいいんだけど……まあいっか」
「で、で、話を戻しますけど、……理子さん、その土御門くんって人、気になってますね?」
「……ッ!?」
がたん、と椅子が大きくずれて理子はその場に尻もちをつきそうになった。確かに学校の話を多くしており、自然と土御門一成に触れることも多かったが、そんなことを言われるほど語っていたことはない。断じてない。
「人生の先輩とすいーつ恋愛脳を舐めないでください。あと私、人のコイバナ、大好きです」
「す、すいーつ恋愛脳はどうなの!? っていうか、先輩って……とこよ、何歳!?」
「え? えっとひーふーみ……二十八? 二十九?」
「に、二十九!?」
理子はこんどこそ腰を抜かすかと思った。どう見ても同年代としか思えない相手が、十も年上だったのだから。しかし何度見ても、やはり同い年くらいに見える。精々、大学生レベルだ。
しかし童顔の大人などいくらでもいる上、テレビなどでも美魔女といって四十大五十代ももっと若く見える時代だ。見た目の年齢はあまりあてにならないのかもしれない。
「す、すみません、年上とは気づかずタメ口で」
「いや、気にしないでください。私は逆にタメ口?だとなんか違和感あるので、このままですが理子さんはどうぞタメ口?で」
「は、はあ……」
「で、話を戻しますけど。理子さん、その土御門くんのこと、気になってますね? そして気になっていると同時に、何でしょうね、引け目というか、気にしない方がいいって思っているっていうか」
自分で「恋愛スイーツ脳」と言うが、その洞察は恐ろしく的を射ていた。理子が土御門一成を気にしているかどうかはともかく、これまでの高校二年半で彼女が恋の一つや二つをしてこなかったのには、理由がある。
幸い、相手は学校の同級生ではない――色々知られても、困ることがない。その気楽さから理子は学友に話したことのないことを、初対面の女に漏らした。
「……私、婚約者がいるんです」
「へ~」
「お、驚かないのね」
地元では、理子に婚約者がいることは周知の事実であり最初から「隠す」という選択肢自体がなかった。だが地元から離れた春日においては違う。
彼女は学友たちにこのことを隠していた。婚約者がいるなんて人間は少数派だと知っている――高校の友達に言えば驚かれるに違いない。だが、目の前の橘とこよはあたりまえの顔をしていた。
「……はは~~ん。土御門君が気になるけど、付き合えても婚約者がいるし、そして理子さんは婚約者を押しのけてでも土御門君とよろしく続けるほどの気合があるかも微妙と。大体婚約者は御家の都合で決められますもんね、きっと理子さんはお家のことも大事に思っているんでしょう。神社の跡継ぎって言ってましたもんね」
「べ、別に私は、土御門と付き合いたいとか思ってない」
理子は表向きには大学で神道を先行し公的な神職の資格を取得した後、地元に戻り神社を継ぐ。裏向きには、家の魔道を継ぐ。
自由に学生として遊べるのは高校で終わり――ゆえに彼女は地元を離れた場所で高校生活を送ることを選んだ。だが地元を離れ、婚約者の存在を隠しても、それは彼女の心からは消えない。
誰を好きになっても最後には――今だけ楽しむという刹那的な発想ができなかった彼女は、結局高校生活を浮いた話なしで過ごしてしまった。告白されるイベントが、なかったわけではないのだが。
その婚約者が嫌いなのでもなく、一度もあったことがないわけでもない。ただ幼馴染のような存在ではなく、家の行事で一年に二回会う間柄である。それに今時連絡手段は文通と言うアナログさだ(おそらく互いの親類が内容を確認するためだと理子は思っている)。
嫌いな相手ではないが、恋のトキメキと呼ばれるものは、多分ないと思う。
ゆえに理子は、土御門一成のことはさておき、橘とこよの言うことが的外れだと一笑に付すことはできなかった。今日初めて出会い、三十分超話をしていただけなのに恐ろしいほど思いを見透かしている。
まるで自分も、そうであったかのように。
「とこよ、あなた……も、もしかして婚約者が」
「婚約者はいませんでしたけど、周囲の勧めで好きではない人と結婚したことは確かです。ううん、私としては好きな人と結婚するっていうこと自体があまりなじまないというか……結婚って好きだからするものじゃなくて、した方が都合いいからすると言うか……そう、恋愛と結婚は別! ってやつです!」
いきなり同い年(に見える)外見からは想像できないほど現実主義な言葉が出てきて、理子は面食らった。やはりアラサーという言葉は本当なのだろうか。
「いやでも、僭越ながら理子さんにアドバイスさせてもらうとしたら……あっ、もしかしてこれ求められてません? 老害って感じのことしてます? バ、BBAムーヴってやつです!?」
「い、いやそんなことないけど。むしろちょっと聞きたいけど」
それでは、ととこよはフラペチーノを啜ってから顔を上げた。その黒い瞳は澄んでいて、本来の彼女……愉快ながらも真面目な一面が顔を覗かせていた。
「もし、どうせ別れなきゃいけないからやめようと思うなら、それこそやめたほうがいいです。結婚相手でも友達でも親でも、絶対に別れる時がくるのですから。別れるのがいやだからやめようは、どうせ死ぬからなにもしなくていいと同じです」
「……」
「あ……でも別れる前提での付き合いをよしとする男からはそこはかとないクソオーラを感じるというか、都合のいい女だと思われかねないような気も……いやこっちから期間限定を切りだしてるとすると……」
前半、真面目に聞き入ってしまった理子だが後半の、どこか恨み節的なものを感じさせるとこよの黒い思念に少々引いていた。しかしとこよは理子の微妙な顔つきにすぐ気付き、はっと笑顔に戻り手を振った。
「い、いやともかく、もし理子さんに今好きな方がいるなら、その気持ちを押し潰したままにしてしまうのはとてもつまらないというか、もったいないとは思うですよ、はい」
「……はい」
結局、とこよが言いたかったのは最後の部分なのだろう。自分の心を押し潰してしまうの辛く、また自分にとってもきっと負担になりあとから祟る。今のうちに気持ちを整理し、悔いがないように過ごせと言う事だろう――理子はそう受け取った。
「ありがとう、ございます」
「はい! あと、楽しくて私も思った以上に引き留めてしまったんですが、時間は大丈夫ですか?」
最初から絶対死守の時間があったわけでもない。理子は大分前から時間のことを気にしてはいなかったが、そろそろ十一時半近くになる。いい加減碓氷邸周辺に向かうべきだろう。
二人で飲み終わったカップを返却台に片付けると、ここに来た時より大分気温の上がった昼の春日へと足を踏み出した。
理子はここからすぐ、南の碓氷邸へ。とこよは少々散歩してから家へと戻るそうだ。洋服と食料の大荷物が全く苦になっていないのは本当に不思議である。一応、理子は「ナマモノがあるから早めに帰って冷蔵庫に入れた方がいい」とは伝えた。
別れた後、理子が何気なくショッピングモールの出口へ振り返ると、とこよがまだ手を振っていた。
「命短しー! 恋せよ乙女ェー!」
結構な大声で、他の客もちらちらと彼女を振り返っている。年上なのか、それとも年下なのか同い年なのか、結局よくわからない人だなと思いつつ理子はまた手を振りかえした。
――さて、これからはそれなりに真面目な案件である。と、碓氷邸に向かおうとした時、彼女はまさに目的とする人物を発見した。
自分が向かおうとする方向――正面の横断歩道で信号待ちをしている男子高校生の姿を見つけてしまったのだ。
彼は仲良く並んだ金髪碧眼の外国人美少女と楽しげに話していて理子には気づいていないが、このまま横断歩道を渡られたらすぐに見つかってしまう。理子はあわててショッピングモールに引きかえした。