Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】   作:たたこ

12 / 84
夜③ START:Imaginary Boundary

 ここは、どこだ。

 男が意識を覚醒させた時に、最初に思ったことはそれだった。部屋は暗く、日は疾うに暮れきった時間らしい。見知らぬ家屋の中、大体十五平方メートル程度であろうと思われる、広い板張りの部屋のベッドに横になっていた。

 ベッドは右側を壁に接しており、足の方にベランダが見える。中途半端に開かれたカーテンからは、白光が差し込んでいる。

 

 ―――蒸し暑い。

 

 日本の夏は湿潤で不快であるのは知っていた。十年以上振りの日本の夜は、今も変わらないようだ。夜でさえこうなのだから、昼は考えたくもない。

 そこでふと、男は違和感を抱いた。なんとなく、自分がこの日本にやってきたのは、フィンランドに比べれば笑止とはいえ、寒さが身に沁みる季節だったような気がしたのだ。

 

「何を勘違いしているのか、私は」

 

 今が冬のはずはない。それに季節など些事だ。

 彼はここ、春日で開催されると言う戦争に参加するために来た。

 

 聖杯戦争。聖杯に選ばれた七人の魔術師(マスター)と、召喚に応じた七騎のサーヴァントによって行われる血で血を洗う戦争。

 男は時計塔から「この聖杯戦争に勝つ(何事もなく終わらせ、できればその聖杯を持ち帰る)」という任務を与えられた。戦争の監督役である教会の神父とはすでに時計塔からして連絡済であり、触媒もそちらで用意してくれていると聞いていた。

 

 

「――私は、一体何を」

 

 記憶が定かではない。この春日に到着した時までのことは覚えているが、それ以降自分が何をしていたのか覚えていない。体は見たところ異状なく、痛みなどもない。

 ――丁度その時、階下から何者かが上がってくる足音を聞いた。その音を聞く限り、気配を消す気もなくまた武術を嗜んだものでもないことは明白だった。

 

 それでも彼は張りつめた空気を纏い、懐を確かめた。

 

「、マスター! 気が付いたんですね!」

 

 一かけらの警戒もなく扉を開いたのは、なんと女だった。背は百六十あるかないかで、二十歳に満たぬ、少女と女性の間をさまよう年ごろであった。

 美人というよりは愛嬌のある顔立ちをしており、かわいらしいという言葉が似合う。薄桃色の衣を纏い、白の裳(長いスカート)を身に着けて縞模様の帯を腰のあたりで縛っている。衣よりは濃い桃色の領巾を腕にかけていた。

 

 暗い部屋であったが、差し込む月光を受けて輝く黒髪は薄く緑色を帯びて見えた。

 

「貴方は誰ですか」

 

 幻想的なまでの女の姿であったが、男の体は油断するなと頻りに訴えていた。

 この女、明らかに人間ではなく――おそらくは、サーヴァント。

 しかし女は男の警戒を知ってか知らずか、呆れるほどに能天気に答えた。

 

「何言ってるんですか、貴方が召喚した愛しのサーヴァントですよ。覚えてないんですか?」

「……」

 

 理解しかねる形容が一か所あったが、彼はそれ以外について考える。確かに自分はサーヴァントを召喚するべき魔術師であり、目の前の女から敵意や殺意の類は全くうかがえない。

 

 英霊召喚は生まれて初めての試みの為、召喚後に疲労しそのまま眠ってしまったことはあり得る。

 彼が答えないことを「覚えていない」という返事と解した女は、肩を竦めながらも嫌がることなく説明をした。

 

「私を召喚した後、お疲れになって眠っちゃったんですよ。あとここはマスターが同盟? を結んでいる神父? からあてがわれた拠点だって、ご自分でおっしゃってたところです」

 

 自分の記憶は召喚の余波で記憶が混濁しているのか。女の言っていることは欠落していない記憶とは一致している。男はまじまじと女を見つめた。

 

「……? そんなじっと見ないでください、恥ずかしいです」

 

 頬を赤らめる女とは反対に、男は内心首を傾げていた。確かに目の前のサーヴァントは敵ではない。殺意があれば自分が呑気に眠っている間に殺してしまえばいい話で、そうしていないことからも明らかだ。

 

 だが、確か自分が召喚するはずだったサーヴァントは、このか弱い乙女ではなかったような気がする。

 

 戦国の世を風靡し、駆け抜けた無数の戦場に置いて傷一つ負うことなかった益荒男と共に戦うはずだった――

 

「……ッ」

 

 月光が眩しい。一度目が眩んだ。

 これはいったい、なんの夢か。

 

「!? マスター、まだ御具合が」

「……いえ、問題ありません。それよりどうやら、召喚の余波で多少記憶が混乱しているようです。状況整理を手伝ってください」

「はい、私にできることでしたら」

 

 男は顔を上げて、女を見た。まだ初見も同然だが、彼女からは邪悪なものを感じない。根が悪い者ではなく、全うで善良な英霊なのだろう。

 警戒はしていたが、悪感情はない。

 

「貴方は何のクラスのサーヴァントなのですか」

「フフフ、当ててみてください」

「言いなさい」

「当ててみてください」

 

 冗談が好きな質なのか、半笑いで素直に答えようとしない。内心面倒くさいと思いながらも、彼はそれに付き合うことにした。見た感じ武勇を誇る英霊とは思えず、そして意思疎通はできている。

 とすればキャスターかアサシンといったところか。

 

「キャスターですか」

「違いまーす」

「アサシンですか」

「違いまーす。もっと素敵でロマンチックでいい感じのクラスです!」

 

 サーヴァントのクラスとして、「素敵」で「いい感じ」とくれば、一つである。

 

「もしかしてセイバーですか」

「ブッブー! 違います!正解は、「LOVER(恋人)」のクラスです!」

 

 キャー言っちゃったー!とほざきながら顔を手で覆いその場でぴょんぴょん跳ねる女を見ながら、男は内心前言に追加した。この英霊、アホだ。

 というかこのように無駄な問答をしなくとも、マスターは自分のサーヴァントのステータスを見られたはずである。

 

「……何だ、キャスターじゃないですか」

「ぐはっ! 何故わかりましたし……くっ、ラバーラバーと呼ばせて刷り込んでいく策略が」

「何を刷り込むんですか、何も刷り込まれません」

 

 ちなみに英語のLOVERは単数形であれば女の恋人ではなく男の恋人を指すことが多いために使い方としては良くないのだが、純日本英霊である彼女はそこまで頓着していないらしい。

 キャスターがぎりぎり呻いているところに、男はさらに質問を重ねた。

 

「もう一つ聞きたいことがあります。召喚に応じたのだから、貴方にも何か願いがあるのでしょう。その願いは何ですか」

 

 かつて英雄となった者が、無償で魔術師の使い魔をやるはずはない。

 彼らは彼等の願いがあり、マスターなしではこの世への依代がなく現界を続けられず、かつ魔力が足りないから仕方なく魔術師と手を組むのだ。ゆえにマスターとのサーヴァントの願いが相反するものだった場合、協力関係に支障が出る。だからこそ、彼はキャスターに願いを問うたのだ。

 

 しかし、聖杯に掛ける願いを聞くことは、人の奥深くに踏み込む行為である。

 それでも問いを後伸ばしにして、決定的な破滅を迎えるよりは今から願いを把握して、相反した場合は打開策を講じるべきである。

 

「……願いですか? ふふふ、聞いて驚くなかれです……! 私は、あなたをお助けしたいのです!! つまり、あなたの願いこそ、私の願いなのです!! あ、ただし世界滅ぼすとかそういうのはナシで!」

「……」

 

 前方に左手と右足を突出し、自慢げな顔で宣言するキャスター。とりあえず混沌・悪属性のサーヴァントではないのだろうなと察する。

 

 しかし「マスターを助けることが願い」と来た。

 

「……それは、また、大層な願いですね」

「え、そうですか? てっきり笑われるかと」

「笑いやしませんよ。それなら精々、私の為に力を尽くしてください」

 

 彼にはキャスターが嘘をついている、という考えが脳裏をよぎったが、正直今は判断できない。

 只嘘をつくにしても、良い嘘ではないと思う。あまりに自らの欲がなさすぎる願いであり、逆に疑念を抱かれてしまうこともあるだろう――と、キャスターが自分の顔を覗き込んでいることに気づいた。

 

「私も聞いていいですか? マスターの願い」

 

 自分が相手に問うたのだから、聞き返されることももちろん想定内である。区分としては使い魔であるが、サーヴァントはマスターが百パーセントの生殺与奪の権利を持てる相手ではない。となれば、できる限りは友好的な関係を築くために、自分の目的も明かすべきであると男は思う。

 

「ああ……私の役目はこの戦争に勝ち、聖杯を手に入れることです。私はそれを目的として時計塔から派遣されてきたのです」

 

 何故か、キャスターからの返事がない。

 彼女は何とも言えない表情で男を見てから、ゆっくり口を開いた。

 

「……マスターは、その時計塔とかに命じられたからここにいるんですか? 聖杯なんて興味ないし戦いたいわけでもないけど、命じられたことだから聖杯が欲するんですか」

「それは違います。この戦争に派遣してくれと願ったのは私自身です。魔術師同士の戦いをしたくてここに来たのです。――願いは戦うこと、役目は聖杯を得ることと言えばいいですかね」

 

 抑々、時計塔にとってこの聖杯戦争は厄介事でしかない。

 春日聖杯は既に贋作であると認定されているが、神秘を漏らさぬ為、万一「渦」へ至ることができた場合の為人を派遣することが決定した。

 負けることは許されず、栄誉もない。だから厄介者が任命される役目だが、彼の家はれっきとした貴族であり時計塔でも無下に扱われる家柄ではない。

 むしろ一族は男の参加を引き留めたのだが、彼の強い意志で派遣が決まったのだ。

 

 彼は、自ら望んで戦いに身を投じようとしているのだ。

 ゆえに彼女の言葉は盛大に的を外している。しかし、キャスターは彼の言葉を聞いて安心したように胸を撫で下ろした。

 

「……そうですか! ならば問題なし――いや、私は戦いが得意ではありませんが……(かしこ)(かしこ)み申す。高天(たかま)祀り磐座(いわくら)祀り、八雲(やくも)祀りて幾星霜。(われ)は神の妻非時香実(ときじくのかぐのこのみ)の巫女、今一時貴方様のお力となりましょう」

 

 温い空気の中、キャスターの裳の裾がふわりと宙に浮く。月光を透かして、細い足が布越しに影として映る。

 

「マスター、お名前を教えてください!」

 

 ――ああ、そういえばまだ答えていなかった。彼は口を開いた。

 

 

「ハルカ。ハルカ・エーデルフェルト」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 月は中天にかかり、夜は深く。寝苦しい真夏の夜の夢――キャスターのサーヴァントとそのマスターは、小さな木製のテーブルを挟んで向かい合っていた。自己紹介をした彼だが、ハルカはいきなり夜の街に打って出るよりも状況を整理すべきとの判断である。

 なにしろ、己の記憶の一部が欠損しているようなのだ。

 

「えーっと、先ほども申しあげましたがハルカ様。あなたは私を教会で召喚したあと、倒れてしまいました。そのあと、私がここまで運んで今に至ります」

「ふむ……正直、そこまで細かな記憶は今の私にはありません。しかしおぼろげになる前の記憶と照らし合わせると、そこまで予想とかけ離れた状態にはなっていないようです」

 

 英霊召喚の副作用か、余波か。やはり記憶が欠けているのはどうしても気になってしまうが、しばらく時間をおいてみることとして、ハルカは目の前の女へと向き直った。

 

「ところで聖杯戦争を戦うにあたり、あなたの真名を確認したいのですが」

「えっ……私の、真名、ですか」

「ええ。マスターとして自分のサーヴァントの正体や戦闘力は把握しておかなければなりません」

 

 聖杯戦争において英霊が真名ではなくクラス名で呼ばれる理由。

 それは多くの英霊にとって真名が明らかになり正体を暴かれることは、弱点をもさらすことに等しいからである。ゆえに戦うマスターとサーヴァントは、できる限り真名を隠すものだが……しかし自分たちの力を把握するために、味方内では共有すべき事項である。

 にもかかわらず、キャスターは困った顔をして黙り込んでしまった。しばらく間をおいてから、やがて観念したらしく口を開いた。

 

「……あの、大変申し訳ないのですが……私、自分の真名がわからないんです」

「はい?」

「だから、自分の真名がわからないんです」

「何故ですか」

「……たぶん、召喚のせいだと……」

「……そんなにひどい召喚をしたのですか、私は」

「……ちょっと、筆舌に尽くしがたい……」

 

 恐縮しているキャスターを見て、ハルカは頭を抱えた。一切合財思い出せないが、これでも一流の魔術の家系の末席を汚す者、そんな情けない召喚をしたとは考えたくない。

 それはともかく、真名がわからないとは一大事である。つまりそれは切り札たる宝具も使えないと同義ではないのか。

 

「何か思い出せることはありませんか? どんな些細な事でも」

「あっ、巫女やってたことはきっと確かです! あのさっきの口上はスラスラ出てきましたし……あと人妻でした……きゃっ、ドキドキしません?」

「巫女……キャスターであれば妥当ですが、それだけでは……」

「こ、後半スルゥー!!」

 

 キャスターはその場に崩れ落ち、四つんばいになってよよと泣くふりをしていたが、彼は無視した。

 

「……仕方がありません。今日のところはお互いに休息をし、明日また記憶を確認しましょう。パラメータの高いセイバーであれば宝具がなくとも勝ち目があるかもしれませんが、キャスターでは……」

「ううっ……セイバーの適正は小指の爪垢ほどもなさそうです……」

「あなたが謝ることではありません。ええ、セイバーやランサーなど三騎士を召喚したかったのは本音ではあります。しかしキャスター? いいではないですか。この聖杯戦争たる儀式を生み出したのは魔術師ですよ。ならば真の支配者はキャスターのサーヴァントでしかるべき。私はハルカ・エーデルフェルト。地上で最も優美なハイエナたるエーデルフェルトの末席を汚す者。今こそ聖杯戦争におけるわれらの雪辱を果たすのです!」

 

 俄かに立ち上がり、こぶしを握り締めて熱く語るハルカ・エーデルフェルト。だが次の瞬間、彼は貧血で眩暈を起こしたように、その場でたたらを踏んで踏みとどまった。

 

「ハルカ様、おっしゃってることがわかるよーなわからないよーな感じなのですが、今日はお休みになった方がよいのではないでしょうか?」

 

 彼のやる気のほどはキャスターにもよく伝わってきた。とりあえずやる気は。しかしまだ休んで体を癒した方がいいことも伝わってきた。

 

「……確かに。記憶があやふやな状態で飛び出していくのはよくありません。今日は休むことにして、明日活動を始めましょう。記憶も回復するかもしれません」

「はい、マスター。お大事に」

 

 やはり疲労が回復し切っていないようで、おとなしく背後のベッドに入るハルカ・エーデルフェルト。それを見届けて、キャスターは深く息をついた。

 月光差し込む窓から、聖杯戦争の幕を開けた都市を眺めた。遠くに光る春日駅周辺の明かりは、まだその気配を知らない。

 

 彼女はハルカが眠りについたことを確認してから、まじまじと自分の身体を眺めた。顔を触り、首、胸、腹、腰、尻、脚、膝、ふくらはぎ、足首、足の甲と検査のように触って確かめる。

 異状なし、既に死んでいるのに表現としては変だが、実に健康体である。

 だが五体満足、何の異状もないことに違和感がある。

 

「……いや、元気でいいはずですね、うん」

 

 あるのは違和感だけ、違和感の原因に心当たりがない。

 彼女は一抹の不安を抱きながらも、元気ならばそれでいいと、無理やり自分を納得させた。




前作「fate/beyond」に当回のプロトタイプもあるので、見比べるのも一興です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。