Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
――今はもう、遥か遠き懐かしき記憶。
島国であるこの葦原中国は、大陸がとうに神の時代を離れた今であっても、奥深き神代の香りを色濃く残していた。大陸の幻想種の多くはとっくに
まだ真エーテルの深き葦原、世界の流れから遅れた田舎ではあったろうが、残された辺境だからこそそれらの幻想が生きるには適していた。
それを厭うた辺境古来の神々、天津神と国津神は一時結託し――我らに恭順するならばよし。だがそうでないのならば――屠りつくすしかないと、神の剣を遣わした。
その神の剣は、神霊でありながら人であり、人でありながら剣であった。
それは、彼らにとっても見たことのない珍しい――面白い、生き物だった。魔性と神性、外宇宙の遺物、神秘の掃き溜めのごとき葦原で何もかもを殺すなら、その剣はどこにも属さない、何処にも肩入れしない、しがらみもない、ただひとりでなければならない。
天津神はそういうものを作ったのだと、彼らは即座に理解した。
ゆえに彼らは人間にも神にも興味はなく、ただ葦原にて群れとして暮らせれば事足りた。
神の剣は、彼らが暮らしていた山の神霊を殺害した。神の剣が山中で迷ったのは、神霊を殺害したことにより空想具現に包まれ異界化していた山が――それが普通だったのだが――崩壊し元の姿に戻って道や形を変えたからであり、時さえ経てば彼等の助けがなくても自力で山から抜け出ただろう。
彼らが山に迷った神の剣を助けたのは、気まぐれでもあり、物珍しさからの興味だった。
神の剣は、父の命で東の悪神、まつろわぬ幻想種、人々を制圧、従えて回っているという。彼は日本武尊と名乗り彼らの名を聞いたが、彼らに名はなかった。今まで名乗る名を必要としなかったからだ。
日本武尊は、何故彼らがここの神霊を放置していたのかと尋ねた。お前たちの力があれば、あれを駆逐することもできただろうと。
彼の言葉はその通りで、彼らの力を持ってすればあの神霊程度なら祓うこともできただろう。だが、そうまでしなくても暮らすことはできるため、放置していた。
すると、日本武尊は何を思ったか妙な事を言いだした。
『俺は父帝の命があるからここにはいられない。しかしまた、ここに悪神が住みつかないとも限らない。だから、お前たちが倒してくれ』
彼らが日本武尊に従う義理も謂れもない。だから彼らは、この頼みを一笑に付すこともできた。
まあしかし、彼らが住まう山を自分で守ること自体は悪い事でもない。
『お前たちはこれから
「――了承した。神の剣・日本武尊」
彼等にとって、名をもらうことも何者かに従うことも、初めてのことだった。
目新しいものへの興味から始まったこの契約だったが、今も彼らの中にある。
たとえ主が死したとしても、約束は消えず今もある。
――彼らの名は、
只存在するだけで神秘を退ける、より古き神秘にして、魔術の大敵。
春日市立春日自然公園――春日駅からバスを利用して四十分南へと向かった先にあるのは、東端は大西山と連なる丘と野原を抱えた広大な公園だった。昼間は遠足の小学生やら近隣住民憩いの場として、にぎわうとまではいかずとも人の姿があるのだが、この深更にあっては無人だ。
電灯もわずかで、星々の明かりのみがたよりなく輝く、森閑の夜が佇んでいた。
その公園にある、森に囲まれた小高い丘の中にあって立っているのは一人の少女。彼女は紅い袴と白衣、白足袋に草履という巫女の恰好をしていた。いや、恰好だけでなく彼女は正真正銘の巫女である。
彼女は怪訝な顔をして、傍らに佇む自分よりも大きく白い狼を見上げた。かそけき星の光すら反射し、純白の毛並みが輝いて、この狼だけ自ら光りを放っているようにさえ見えた。
彼女が狼を召喚したのは、修行の一環だ。今は実家を離れている彼女だが、腕がなまらないように契約している狼をときどき召喚し、彼に神道魔術を見てもらっている。
契約上、彼女と狼は使い魔とその主人ではあるが――一般に考えられている関係とは大幅に異なり、彼女に生殺与奪の権がない。
どころか、狼の一存で契約を破棄されることすらありえる。
狼は彼女――否、彼女の実家と代々契約を続けているのは、彼女の一族が長い歴史を持つ神社であり、土地を魔術的に守護する役割であったことが狼の目的とも合致していたからであり、利害の一致を見たからである。
『俺の代わりに――あらゆる魔性を食らい、殺し尽くせ』
たとえその契約を持ちかけた主がいなくなっても、彼らはその約を護り続けてきた。
時がたち、神秘が薄れ、時代は完全に物理法則のものとなり、彼らの多くが世界の裏側へと移っても、その約束を果たし続けるために山奥深くにて潜み続けていた。
もう二千年近く前の話――彼女は何故、そこまでやるのかと不遜にも尋ねたことがある。狼にそう命じた神の剣も、そこまでは求めていなかったのではないかと。
だが彼らの答えはあまりにも
『約束は護るものだ』と。
しかし、今日の狼の様子はどこか変わっている。いつもは泰然自若として落ち着いているのだが、今日は目線に落ち着きがない。何かを探しているようにも思える。
『――榊原の。何か、神の剣の気配を感じる――かつてと比べると、吹けば飛ぶほどに弱いが』
「神の剣……」
真神が「神の剣」と呼ぶのはただ一人――もちろん、通常ならそれが今いるなど有り得ないというのだが、彼女には心当たりがあった。
八か月前、この地で行われた聖杯戦争――それで召喚されたサーヴァントたちが、今もいる。
彼女はそれに参加してない――その時には春日を離れていた為、どんなサーヴァントが召喚に応じたのは知らないのだが、神の剣は確実にいる。
……というより、昼間会った。そのことを伝えようとしたが、それよりも狼の言葉の方が早かった。
『……それから。私を呼ぶなとは言わないが、控えたほうがいいかもしれん』
「え、何故……」
何か気分を害することでもしただろうかと彼女は不安になったが、どうも違うようだ。詳細を話さないのはよくあることで、今も狼は事情を伝える気はなさそうである。
しかし狼は無駄なことは言わない。彼女は神妙に頷いて、春日の街を眺めていた。
――異変の原因を見つけるには、自分の手でやるしかないわね。
*
街灯がぽつり、ぽつりと灯る寂しい路地にカスミハイツはある。昨日実質半休で出てきたことと、今日急な問い合わせがあったこともあり、残業になってしまった。時刻は午後十時を回っており、近くのコンビニで買った弁当を片手に、悟は家路についていた。
帰り道では黒い猫ならぬ黒い犬に一回ならず二回も横切られ、不吉感もすさまじい。見慣れたカスミハイツは古びた姿で、夜だといっそう不気味に見える。
「……ハァ……疲れた。ただいま~」
おかえり、の返事はない。ただ人の気配は濃密にあり、部屋の電気をつけると六畳間にはクーラーがかかっており、寝袋で眠りについているシグマと畳に直に転がっているアサシンがいる。噂に聞く下宿をする大学生というものはこういう感じなのだろうかと想像した。
さて、これから遅い夕食に風呂だ。発泡酒の一本くらい残っていたはず、と冷蔵庫を開けると、中身が焼酎やビールでぎっしり詰まっていた。
多分アサシンの仕業だ。家賃代だと思って有り難く受け取る。
テレビをつけて適当に番組を変えたが、どうも気を引くものはやっていなかった。
適当にニュースで止めて、遅い夕食をとることにした。今日のディナーはメンチカツ弁当だ。
完全に押し切られる形で、昨日からシグマが住みついている。貞操の危機を感じていたが、打って変わって彼女は全くそんなそぶりもなく、昨日は酒を飲んで眠ってしまった。
朝は悟が出勤するころにはまだ眠っていて、今日は一言も交わしていない。それはアサシンに対しても同じだが。
悟が残業していなければ別かもしれないが、これはただ夜家にいるだけで喋ることもない謎の同居人である。
「……この人、いったい昼間は何をしてるんだろう」
近くのコンビニは工場で作った弁当を置いているのではなく、おかずをコンビニ店内で作っているので、なんとなくメンチカツもおいしい気がする。
「普通の生活、一般人を謳歌する、みたいなことを言ってたっけか……?」
一般人の暮らしをする、と言う言葉がどんな意味を持つのか悟にはわからない。一般人の暮らしなんて、ここにいなくてもいくらでもできると思う。
「ン~~あの子のことを今までの感性で理解しようとしない方がいいワヨ、貴方とは全く違う人種だし」
「そんな気はするんだよなあ……。でもならなんでここに転がり込んできたのかってのが気になって……」
「それは合縁奇縁ってヤツね。貴方が聖杯戦争に参加してしまったのが運のツキなの。ゴリゴリの魔術師だったシグマちゃんにとって、一般人が聖杯戦争にいるってことは興味深かったのヨ」
「はあ~~そんな理由……ってえっ!? 誰!?」
あまりにもナチュラルに受け答えをされていたため、当然のように答えてしまっていたが、シグマもアサシンも爆睡中で受け答えするはずの人間はいない。悟は慌てて辺りを見渡すと、人影はない――が、奇妙な物体が空中に浮いていた。
白銀に輝く刀身は、反りがなく真っ直ぐ。どのような材質から成っているのか、光を反射する不思議な白。柄頭が丸い、頭椎の太刀。武骨なほどに
「ウフッ、あなたのフツヌシヨ!」
「……! ライダーの剣!」
「コラッ、誤解しないで!
悟は何故か刀身でばしんばしんと背中を叩かれる。剣が宙に浮いて喋るという不思議現象に対して動じなくなってしまったあたり、聖杯戦争で鍛えられた感はある。
「というか、どこから……戸締りはしているはず、」
「フフンッ、霊脈・因果線・因果律・並行世界への道も何でもブッた切る断絶剣フツヌシちゃんを舐めちゃメッ! 戸締り? 何それ? おいしいの?」
それなりに魔術を心得ている者であれば、正真正銘の神霊がサーヴァントの宝具として神格をギリギリまで落として顕現しているという、とてつもなく希少な現象であると了解できるのだが、生憎悟は一般人である。彼には半分以上フツヌシが何を言っているのかわからないのだが、問うだけ無駄なことは了解していた。
魔術師シグマに引き続き喋る剣までくるとは、カスミハイツはいつからトンデモ引き寄せアパートになったのか。正直、悟としてはシグマだけで手いっぱいなので帰ってほしい気持ちだった。
「あの~フツヌシさん、できれば早く帰ってくれませんか?」
「まぁっ!! シグマちゃんは家に置いてあげるのに剣はダメっていうの!? やっぱり肉体のある女が好きなの!? このエロガッパ!」
悟は明日も会社に行く。早く寝ることが最善と、彼は勢いよく白飯をかきこんで、すっくと立ち上がった。宙に浮く剣という時点で意味が解らないし、それと話している時点で自分はかなりまずい。他人に見られたら精神科待ったなしだ。
「あの~これからお風呂に入るので、帰ってもらえませんか」
「キャッ! ……もうっ、私はタケミカちゃんやイワレヒコのを見慣れてるからアンタのハダカなんてどうも思わないわヨ! でも、剣は慎みある
そしてフツヌシは、幻のようにその場から消失した。悟は大きなため息をついて、その場に坐った。
結局あの剣は何をしに来たのか。
そういえば、聖杯戦争が終わった後に碓氷明から何かを言われたような気がする。
確か、貴方は魔術師じゃない一般人だから、もう魔術のことは忘れろとか。
だが元気にサーヴァントたちが現界を続け、平和を謳歌している中で「忘れろ」は土台無理である。現に目の前にサーヴァントアサシンと、魔術師の女が転がっているのである。
「……なんで碓氷さん、あんなこといったんだろうな……? 忘れろも何も、もう日常の一部になってるのに」
悟は首を傾げつつ、足を延ばしてテレビに眼をやった。
殺人事件も外国でのテロもなく、放送することがないのか、ニュースは呑気に芸能人の不倫騒動を放送していた。
*
日はとっぷりと暮れ切り、アルトリアが作り置きのカレーを食べていたところに、来客を知らせるベルが屋敷に鳴り響いた。
ヤマトタケルはカフェでバイト、明は勿論まだ帰国していないためにアルトリアと真神三号の二人のみの屋敷であり、大抵新聞勧誘やセールスの類に違いないと思ったが、違った。
アルトリアが玄関から顔を出すと、離れた門前から手を振っているのはランサーだった。彼女の見知った顔の訪問であった。
「よう、騎士王!」
短く刈った髪ににこやかな笑みを浮かべる、三十代半ばとおぼしき益荒男。彼はボーダーのTシャツに半袖の薄いジャケット、Gパンにサンダルの恰好の上、右手には瓶の入ったビニール袋、左手にはネットに入ったスイカを手にしていた。アルトリアは玄関からサンダルを履いて、門まで小走りで向かった。
「ランサー、何か用でも?」
「祝いの品とでもいうのか? 差し入れを持ってきた。こっちは咲からでこっちはアサシンだ」
曰く、「鬼ころし」の銘の一升瓶が咲からで、スイカ一玉がアサシンからとのこと。
「咲に『碓氷は明日帰ってくるから、一応挨拶がてら持って行って』と頼まれたからな」
何故酒なのかというと、碓氷明もその父も成人しているはずで、それで祝いの品ならお酒でしょという咲の意見があったからだった。ランサーとしてはそこまで酒にこだわる必要もないとは思ったのだが、咲が両親の居ない間背伸びして考えた案であることもあり、言う通りに酒を買ったのである。
「で、途中にアサシンと行きあって、スイカを任された。『騎士王の姉ちゃんと碓氷の姉ちゃんによろしく』だと」
門を開いてから、アルトリアはスイカと酒を受け取った。スイカは冷やして、明日美味しい食べ方を一成に聞こうと心に決めた。
「ほう……ありがとうございます。しかしアサシンは何故あなたに任せて帰ってしまったのでしょう。本当に渡すだけだからでしょうか」
「あ~~……気を悪くせんでほしいんだが、アサシンは王様が好きではないからな」
アルトリアとアサシンの間に確執は何もない。だがそれ以前にアサシン――英霊・石川五右衛門の成り立ちゆえに彼の霊基がそういうふうに刻まれてしまっているのだ。「弱気を助け、強きを挫き、民衆の味方にして権力に対し抗う者」として座に刻まれてしまったアサシンは、人格以前に権力者の類に脊髄反射で反抗心を抱いてしまう。
つまりどんな清廉な人物であっても、好感度マイナスのスタートになるのだ。
これはアルトリアのみでなく、ヤマトタケル・アーチャー・ライダーにも当てはまる。
アサシン自身が人格も嫌っているのはアーチャーくらいだろうが、彼は無暗にケンカを売るまいと積極的な接触を避けている節がある。特に一対一の二人になるパターンを。
「いえ、アサシンは気をつかってくれたのでしょう。感謝します」
「儂も明日の帰還祝いには行けないが、よろしく伝えてくれ。しかし騎士王、儂の勘違いならいいのだが……どうも、春日の気配が聖杯戦争の時のようになってきている気がする」
ランサーの勘違いは、アルトリアにも無視できるものではなかった。いや、言うほどのことでもないとは思っていたことと、気のせいと片付けられても納得してしまうレベルの違和感ゆえに、彼女は違和感を放っていたのだ。
聖杯戦争に参加するサーヴァントには、強制ではないものの戦闘衝動が付与される。つまり、敵サーヴァントを探し戦いたいという衝動だ。すでに聖杯戦争が終わった今その衝動はないはずだが、うっすらと
アルトリアは既に王の選定のやり直しという望みを捨てた身ゆえ、たとえ聖杯が再び顕現しても争うつもりはないが――ランサーも同様の衝動を抱いているのであれば、それは異変ではないか?
「儂の気のせいかもしれんから、そう大げさにとるな。何、元々「戦い」を求めて現界した身だからな、こう平和な日々を過ごしていて体がムズムズしているのやもしれん」
ランサーはからからと笑っていたが、アルトリアは明に相談しておくべきかと思っていた。
彼女は休暇として帰ってくる予定なのだが、もしかしたら落ち着けない休暇になってしまうかもしれない。