昼間に見る行き交う人々の喧騒は、海外旅行で向こうの市場を覗いた時と少しだけ似ていた。
その人々の姿は現代ではありえないファンタジーな姿をしているとはいえ、こういう風景は時代に左右されないらしい。
ユーチャリスの記憶のお陰で、道には迷わずに済みそうだけど、そんな目の前に広がる人の混雑に軽くうんざりした。
昨日は夕方だったから、人の波も一段落していたのかもしれない。
人と露店の合間を縫って歩き、目的の店にやっと辿り着く。
麗しの我が家亭。
大きな橋二つ渡った向かいにラーダの大神殿が見え、川沿いの道なりに進めば盗賊の神であるガネードの神殿があるという立地で、かろうじて商業区域の端、道を挟んだ反対側は常闇通りにほど近いところにあった。
外から見る店内は明るく、店の前すら掃除は徹底されていて、居心地が良さそう見える。
ウェスタン扉というか羽扉というか。
この扉の正式名称を私は知らないのだけど、少なくともこの蝶番の部分って中世にはないよねえと、あくまでも中世ヨーロッパ"風"であることを実感しつつその扉をくぐり、店の中に足を踏み入れた。
まだ朝方だし、飲んだくれてる客なんてそうそう居ないから、カウンター席に少し人がいるくらいで、テーブル席には人はほとんどいない。これが昼頃になれば、食事を取る客が増えて人が多くなるんだろう。
人が少ない時間で良かったなと思いながら、店主がいるカウンターに向かう。
カウンター席の横にある掲示板の所で数人の新米っぽい冒険者が、依頼票を吟味しているのが見えた。
ちなみに、ここの店主夫婦はドワーフだ。元は冒険者だったらしい。
「マスター、お久しぶりです」
フードをおろして、ネコを十匹くらい被ってそうだなと自分でも思いながら、余所行きの言葉遣いで店主に声をかけた。
「ん? おいおい……久しぶりじゃねえか、妖精魔女。何年ぶりだよ」
カウンター席の酔っぱらいの常連達と話をしていたらしい店主が驚いたようにそう呟くと、その常連達や掲示板を見ていた連中が、妖精魔女に反応して私の方を見てコソコソ話を始めた。
まさかと思うけど、顔まで知られてるってパターンか、これ。
妖精魔女は、自分の異名だ。ついた理由については、割と黒歴史なので今は割愛する。
というか、何年ぶりって年単位? 引退して随分経っているのかな、もしかして。
……ってことは、さっきのエリオルトにも年単位で連絡してなかったのか私。
あちゃあ……そりゃ、機嫌も悪くもなるよ……。
「もう、その呼び名は勘弁して頂きたいんですけど……」
「はは、それは無理ってもんだ。ブレイブハートの武勇伝は、吟遊詩人共が歌にしてあちこちで歌ってるくらいだからな。有名税だと思って諦めとけ」
マジか……思わず、引きつった笑いが出る。
ユーチャリスの記憶によれば、確かに『勇気ある心』は所属者が美男美女揃いであったことから、一部ではとても人気が高かった。
見栄えが良ければ、英雄としても華がある。だから、吟遊詩人達が競うように歌を作った。流行歌になっているものすらあるらしい。
そりゃあ中二病真っ只中な年齢でキャラ作れば、理想を求めて自分達とはかけ離れた美男美女で作るよね。
その結果がこれだ。殴りたい、当時の自分達を。
「それで今日はどうしたんだよ。引退したんじゃなかったのか?」
「あー、えと。私一人でもできそうな仕事何か無いです? どんなものでもかまわないので」
「一人? おいおい、お前一人でやってくつもりなのか?」
店主の言葉に頷くと、彼は腕を組んで悩むように唸った。
「う~ん……お前、魔術師だろ? 一人だとどうしても選択肢が限られる。簡単な依頼なら、お前一人でも行けるだろうけどよ。そういうのはできるだけ駆け出しに回してやりたいんだよなあ」
ああ、うん。私、魔法系以外の技能ほぼ無いに等しいもんね……
「やっぱり、一人じゃだめですか……」
「どうしても、一人がいいなら別の所で探したほうがいいかもしれねえな。こっちだとどうしても選択肢が限られるからな。まあ、新しい仲間を探すのも良いんじゃねえか?」
ちらりと常連達や掲示板を見ていた連中に店主が視線をやれば、彼等が色めきたった。
――――結局、私は他の冒険者達からの勧誘を丁重にお断りして、麗しの我が家亭を後にした。
まさか、あの場にいた連中全員が店主との会話が終わるやいなや、我先にと声かけてくるとは。
あとをつけてくる連中を撒くために、古代語魔法のテレポートまで使う羽目になったくらいだ。
正直自分の知名度を舐めてた。これはヤバイ。
フードで顔を隠していたのは正解だったなと思いながら、人目を避けて路地を歩きながら今後のことを考える。
「手持ちのマジックアイテムで、何かごまかせるものなかったかな」
一応、持ち出してきた旅装の一つである無限袋――"無限"てついてるけど、容量は50キロくらいまでしか入らない。そのかわり、重さを感じなくなる優れもの――の中を探してみる。
ファントム・ケープ――シーフ技能の判定全てに+1。白い大きな薄絹の肩掛け。
あれ、これリュミエラが持ってたもののはずなのに、何で私のところにあるんだ……? まあ、いいか。
シーフ技能がない私にはこれは使いようがない。
フェイスチェンジ・イヤリング――顔を別人に変えられる、ルビーの小さなイヤリング。
フェイスチェンジ……これでいけるじゃん!
……って、これ変えられる顔は登録してある人物の顔に限るっていうアイテムだった。
そして登録してある顔は、確かセアとリュミエラの顔。うん、仲間の顔じゃ意味が全くない。
遠見の眼鏡――遠くまで見通せるようになる銀縁の眼鏡。
眼鏡……これでいいか。かけるだけで印象変わるし。
ところで、眼鏡って本当の中世の頃にはなかったはずなんだけど、気にしたら負けだろうか。まあ、設定作ってマジックアイテムとして出したのはマスターだし……
倍率は最大3倍。割と初期の頃に手に入れたもので、視線が通ればかけられる魔法を遠距離にかけるときに重宝したものだ。
そして、それを取り出してかけた。普段眼鏡なんてかけないので、ちょっと見づらいけれど仕方ない。
路地を出て大通りを歩きながら、古代王国の扉亭にも行ってみるかな、なんて考えていると……突然詠唱の声が聞こえた。
「万物の根源たるマナよ……」
え? こんな喧騒の中で聞こえるほど大きな声で詠唱?
思わず声の方に向くと、痩せていて背の高い男が手で魔法陣を描くようにして古代語魔法の詠唱をしている。
その対角線上に学者っぽい男がいて、彼は青ざめた顔で後ずさりながらなにか言っていた。
なぜそんなことになっているのか、そしてどちらが悪いかは分からないが、少なくとも街中であんな大きな声で魔法を使うなんてありえない。
「ちょっ……何やってるの!?」
慌てて私はそちらに向かって走るが、詠唱阻止には間に合わない。
完成した呪文が青白い魔力の矢をつくり、学者っぽい男を貫いた。その勢いで、彼は思い切り弾かれて石畳に叩きつけられるように倒れる。
白昼の出来事に昨日の私が起こしたスリ捕獲の騒ぎよりも遠巻きに人垣が幾重にもできていた。
しかも、魔法を使用した背の高い男がきびすを返すと、まるでモーゼが海を割ったかのように人が間を空け、その間を悠々と歩いて男は人混みの中に消えていく。
倒れた学者っぽい彼は少し呻きながら膝をついて、胸を抑えて何とか立ち上がろうとしているから、命に別状はなさそうだ。
少しホッとした。目の前で死人が出るのはさすがに寝覚めが悪い。
「大丈夫ですか?」
立ち上がるのに手を貸そうと近寄って声をかけると、別の方向から同時に彼に声をかけて手を差し出した人がいた。
手の持ち主に視線を向けると、ラーダの聖印を首にかけ修道服を着た少し小太りの男が胡散臭い微笑みを浮かべている。
思わずぎょっとして、私は出した手を引っ込めてしまう。
その間に右手の人垣をかきわけてやってきた黒髪のショートカットの少女というには肉感的な娘が、倒れていた学者っぽい人を助け起こした。
少し落ち着いて見ると、学者っぽい人に私は見覚えがあった。
確か、彼は賢者の学院で監査委員をしているクナントンだ。
ユーチャリスとも多少面識があるはずだけど、彼は気がついては居ないようだ。
ん、監査委員……?
カンサイン、カンサイイイン……街中の魔法……?
ちょっと待て、これバブリーズの最初の冒険の導入!
この胡散臭いメタボ神官はグイズノーだし、助け起こしてるこの娘はレジィナだ。
昨日フィリスと会っているのに、なんで私気が付かなかった。
イラストイメージとは変わるせいだろうか。
「はあ……ありがとう。すまんね」
「いえいえ。それで、どうしたわけで街中で魔法で殴られるような羽目に? よろしければお話をお聞かせ願えませんか?」
「そうだな、……うーむ、なんと説明したらいいものか」
私がショックで固まっているうちに、いつの間にかグイズノーがクナントンにキュアー・ウーンズを使ったらしい。
彼は回復した様子で、グイズノーからの質問に困惑した表情を浮かべていた。
「おや、クナントン氏ではありませんか。いったいどうされたのですか?」
そのグイズノーを押しのけるように、腰に剣をはいた男があらわれた。
ああ、ケイネス先生……じゃなくてアーチボルトことアーチーか。
「ん? 見ない顔だが、私の名前を知ってる君は学院の人間かね」
「はい。私はアーチボルトと申します。学院の監査委員のクナントン氏のことはかねがね。まあ、そちらはご存じないとは思いますが……」
「ふむ、そうか。……ならば話しても良いな。実は少し困ったことになったんだ。そうだな、ここで話す内容でもないし、そのへんの酒場まで行こうか」
クナントンは、あまり事を荒立てたくないらしく、場所を移して話を続けるらしい。
というか、リプレイのアーチーってクナントンのこと知っていたっけ?
すでに顔見知りって、リプレイと違う気がする。
私は、その光景を少し離れたところで見ていた。
とりあえず私は無関係ってことで、そっとその場を去ろうと踵を返す。
しかし、前方不注意だったせいか、横合いの路地から走って出てきたグラスランナーと金髪のエルフにぶつかりそうになってあえなく失敗する。
「にゅ!? あっぶな! おねーさん、前ちゃんと見てなくちゃだめだよ」
とっさに避けたらしいグラスランナーは、私を見上げてそう言う。
「おい、彼女は悪くないだろう。謝るならこちらの方だ。……すまない、急いでいたもので」
エルフの方は、私の方を見て少し驚いた表情を浮かべながら、謝罪の言葉を口にした。
「……いえ、こちらこそ。前方不注意でした。申し訳ありません」
丁寧に謝りながら、そっと彼等を見る。
これって、スイフリーとパラサか……やっぱり、遠い親戚漫才していたのかなあ?
見たかったな。
こっちにいないで、あの男を追いかけておけば良かったかもしれない。
「お急ぎでしょうし、私のことは気にせずに」
そう伝えれば、彼等は私に軽く頭を下げると、真っ直ぐにクナントンへ近づき、先ほどの男の行方と捕縛について話を始めた。
アーチーやレジィナ、グイズノーも私の方をちらちらと見つつ、話を聞いている。
あれ? なんか、本格的にフラグが立っているような……背筋がゾワゾワする感覚に襲われていると、肩をポンと叩かれた。
振り向けば、リンゴをかじりながらニコニコと笑みを浮かべたフィリスがいた。
「はぁい、ユーチャ。今日は眼鏡かけてるのね。ところで、アレってなにか面白そうじゃない?」
何故私だとわかったんだろう。
フードもかぶっていたのに……って、フード外れてたし!
ああ、さっき走ったから……そうか、それでエルフがいたからスイフリーも驚いたのか。
あれ? でも眼鏡も掛けてるんだけど、意味なかったというパターン?
「えーと、フィリスさんでしたっけ?」
困ったように微笑んでから、フードをそれとなく戻す。
「そうよー、覚えててくれたのね。っていうか、昨日も思ったけど、ユーチャって美人なのに何で顔隠すのよ、勿体無い。貴女の故郷には顔を隠さなくちゃいけないみたいな決まりでもあるわけ?」
フィリスが、私のクロークをジロジロと見回しながら呟く。
ああ、眼鏡っていうよりも外見でわかったのか……クローク昨日のと同じだもんね。
私は返答に詰まり、困ったように笑うしかない。
「まあ、良いんだけどさ。さっきの一件は触らぬ神に祟りなしと思って、傍観してたんだけど……」
フィリスの視線の先では、クナントンがアーチーと話をしている。
「お金の気配もするし、貴女も関わるなら一緒に行こうかと思って」
「え? 私はそんなつもりは……」
「あら、行かないの?」
困った。もしかして、私行かないとフィリスも行かないのか。
そんなことになるのは、それはそれで困る。
「ねえ、そこのエルフのおねーさん。おじさんたち、古代王国の扉亭に行くって! 話し聞かなくていいの?」
レジィナが親切心なのか、私に知らせてきた。
あれ、やっぱり私いつのまにか頭数に入ってたよ。あの背筋のゾワゾワはこれか。
「ほら、あの娘もああ言ってるわよ」
クスクスと面白そうにフィリスは笑う。
確かに乗りかかった船だし、このまま依頼を受けるのも悪くはない。
何よりも傍観者としてリプレイとも小説とも少し違うらしい、現地の彼らを見ていくのも話の種と、経験値のためにはちょうどいいかもしれない。
私の冒険もこれから……か。
少しの不安と期待を抱えながら、私は歩きながら考える。
ここはアレクラスト大陸のオラン王国。つまりは、フォーセリア世界。
TRPGの剣と魔法の世界か。
……そして私の思考は冒頭のようにあちこちへと飛ぶことになる。
第一章 干物魔術師の事情 完
次回、第二章 賢者の事情につづく