『清々しい朝だ。僕の新たな逆行チート生活に相応しいよ』『こうなると第一印象が重要だね。ミステリアスな転校生キャラとして、曲がり角でパンでも持って待っていようかな。制服だから同じ学校か分かりやすいし、この作戦は完璧だぜ』『よーしここから僕の逆行ハーレム物が始まるんだね』
初日から球磨川禊は学校に遅刻した。
『まさか学校にはバスで行くなんて思いもしなかったぜ。策士策に溺れるとはこの事だぜ』
歩いて学校に到着した時には四時限目が始まろうとしていた。
鍵の掛かった正門に螺子を螺子込み堂々と入って行った。
その日は四時間目までは、いつもの日だった。
いつも通りのカリキュラム。
昼飯前の最後の授業。
ほほえましい平穏な一場面。
そこにガラリと扉を開けて一人の少年が入って来た。
『こんにちはー。球磨川禊でーす。職員室でこのクラスに行けと言われたんですけど』
突然現れた見知らぬ人物に皆呆気に取られていると、いち早く復帰した教師が声を掛けてくる。
「あぁ今日転校予定だった……。何で遅れたの?」
『バスで登校するなんて知らなかったんですよ。だから僕は悪くない』
あっけらかんと言い放つ。
その言葉に何か言おうとするも、思い直しクラスに説明する。
「今日からこのクラスで学ぶことになった球磨川禊君です。自己紹介お願い」
『こんにちは。球磨川禊です。この学校が廃校になるまで短い間だけどよろしくね』
言葉を失う担任や一部の生徒とは裏腹に、廃校の意味がわからない生徒は首を傾げる。
そこを察した球磨川は言葉を続ける。
『簡単に言うと学校が無くなるまでって事かな』
今度こそ完全に沈黙した。
重苦しい空気を無視して紹介を締めくくる。
『これからよろしくね』
三人。
球磨川禊が転校してからの二ヶ月で代わった担任教師の数である。
そして球磨川は今や二人の生徒を除き、教師でさえ話し掛けない存在となっていた。
「球磨川君、学校にジャンプ持ってきちゃだめなの。足も机に上げないの」
『おいおいおいおいなのはちゃん。ジャンプを読むことは少年の義務だぜ。身体じゃない心、魂が求めてるんだ。それに僕が何を読もうと自由だぜ。なのはちゃんに何の権限があって邪魔するんだい』
「うぅぅぅ…で、でも学校には漫画は持ってきちゃだめだって言われてるの」
『何で?』
「え?」
『何で持ってきちゃだめなんだい』
「そ、それは…決まってるからなの」
『なのはちゃんは何も考えずに決まっているって理由だけで悪いと決め付けるのかい?誰がいつ作ったかもわからないものを盲目的に信じて。一方的に悪いんだと断定するのかい』
「えっと、それは…」
「球磨川君、そんなになのはちゃんで遊んだら可哀相だよ」
『すずかちゃんじゃないか。よっ昨日振り。でもいくら可愛いすずかちゃんでもジャンプの邪魔はさせないぜ』
「まず、机が汚れるから足を下ろした方がいいよ。あと読んでない人もいるから義務ではないかな。最後に授業中でも読んでることが問題だと思うよ」
「そうなの。すずかちゃんの言う通りなの。っていうかもう木曜日なのに何回読むつもりなの」
『やれやれ。すずかちゃんは厳しいぜ。これはあれかな。小学生は好きな子にはイタズラしたくなるってやつかな。あとねなのはちゃん、名作っていうものは何度読んだっていいものさ』
「それはないかな」
「週刊誌を名作って言う人初めて見たの」
そんな会話を遠巻きに眺めるクラスメイト。
怖いのだ。
彼等には理解出来ないから。
正体不明で意味不明で理解不能だ。
人間は自身より劣った存在がいると見下し、優越感を得ることがある。
しかしそれにだって限界はある。
足が無い者に対して早く走れるだとか、紛争地域の少年より頭が良いからといって優越感を得ることはない。
その優越感は哀れみという形を以って表現される。
自分より不幸せで可哀相となるのだ。
振り返って人間の最底辺とまで言われた球磨川禊ではどうか。
多くの人は不快になる。
球磨川はあらゆる欠点を持っている。
そうして見た者は一切の区別なく自分の欠点を、球磨川に見出だす。
見出だしてしまう。
自分の醜さを見せ付けているかのような態度。
明らかに劣り、不幸なのにヘラヘラ笑っている球磨川が不快で仕方が無い。
加えて人を馬鹿にした言動による自己紹介は、球磨川を孤立させるのに十分だった。
何故なのはやすずかのような美少女が話し掛けるのか、普通に接することができるのか分からないのだ。
彼等が恐怖と不快さを込めた視線で眺めていると、なのはとすずかは、会話を終えたのか弁当を持ってアリサと共に屋上に向かって行った。
「なのはもすずかも何であんな奴に話し掛けるの?」
「うーん、私も曖昧なんだけど球磨川君って変な人だけど悪い人ではないと思うの」
「うん。いじめを止められるのは本当に優しいからだと思うんだ」
「うっ、それは本当にごめん」
「もう気にしてないからいいよ。仲直りもできて友達になれたし」
そう言ってくれる親友を大切に思いながらアリサはある事件を思い出した。
忘れたくても忘れられない、まるで現実感のない事件。
球磨川が転校してきてから間もない頃。
すずかのカチューシャを取り上げた時だった。
「やめて。返してぇ」
しかし全く聞き入れないアリサと、傍観を決め込むクラスメイト達。
なのはが止めようと近付く前に球磨川は喧嘩に介入する。
しかも涙を流しながらである。
ボロボロと涙を流している。
喧嘩に怯えている様子ではなく、心底悲しそうな顔だ。
それが嘘臭い。
胡散臭い。
『辞めるんだっ。闘争は何も生まないんだ。争いを辞めて笑顔を浮かべれば万事オッケー。君達は争いを越えて親友になれるさ』
「はぁ?何言ってんのよ。あんたには関係無いでしょ」
しかし球磨川はそんな言葉をどこ吹く風で話続ける。
『なんて酷い事を言うんだ。同じクラスになった時から僕達は同じ授業を受ける運命共同体じゃないか。クラスメイトが喧嘩していたら止めるのが普通じゃないか』
「あんたなんか友達じゃないわよ。意味わかんないし気持ち悪いのよ」
その言葉を受けると、先程泣いていた事が嘘のように笑顔で言う。
『アリサちゃんはキツイね。これまで一緒に学んできたじゃないか。友達だと思ってたのは僕だけなんてひどいや。でも僕は諦めないぞ。これは相互理解が必要だ。可及的速やかに。そうすれば僕と君は友達。いやいや恋人になれるよ。というわけで僕と二人で話そうか。ここは人が多いから屋上にでも行こう。ここにはムードが足りないからね。愛を語り合うには相応しくないし』『まさかとは思うけれど逃げないよね。世界に名立たるバニングスカンパニーの御令嬢のエリート様が、只の平凡な小学生のお誘いから逃げないよね』
「言うわね。あんたと恋人になるくらいなら、舌噛んで死んでやるけど……良いわ連れていきなさい」
『オッケー』『なのはちゃん、すずかちゃんをお願いね。一人だと心配だから』
そう言うと連れだって教室を出て行く。
二人の少女に本当は良い人なんじゃないかと勘違いさせて。
そうしてアリサは、最低の過負荷と二人きりになってしまう。
口火を切ったのはアリサだった。
「何とか言いなさいよ。目的があったから連れてきたんでしょう。まさかさっきの言葉が本当だってことはないでしょ」
すると球磨川はおもむろにこちらを見下し、無駄に偉そうなポーズを決め、おまけにキメ顔でこう言った。
『君も初めは純真な少女だったのに、目立つ容姿をしているせいで人に避けられ、友達がいなかったんだよね。そのせいで人との関わりに慣れていないせいでこんな事をしちゃったんでしょ。本当は友達になりたかったんだよね。そうに決まってる』
図星を突かれアリサは動揺する。
球磨川の言葉は概ね真実だったし、アリサもすずかに意地悪をしたい訳ではなかったのだ。
感情を素直に表現する事が出来ないのはアリサの欠点であったし、球磨川に欠点を隠す事など不可能だった。
だからこれは当たり前の事だったし、この最低の過負荷と少なくない期間を過ごした、めだかや善吉には彼が弱点を突く事くらい予想出来た事だった。
しかしまだ出会って数日のアリサは、おおよそ考え得る限り最悪の選択をしてしまった。
「うるさい!!!」
バチンと思いの外大きな音が響く。
頬を叩く。
逆ギレ。
そんな言葉で表される行為だった。
普段なら絶対にしない行動。
仲裁に来たのが球磨川禊でなければここまでの間違いはしなかった。
只の気持ち悪く不気味なクラスメイトだと思っていた奴に、偉そうに自分の事を語られて、完全に冷静さを失ってしまっていた。
直ぐに後悔するが遅すぎる。
『やれやれ』『本当にアリサちゃんはお怒りの様だ』『どうすればいいかなぁ~』『どうしようかなぁ~』
彼にとって暴力は決定打にはなりえない。
今までだって自分より力の強い相手と戦ってきた。
自分よりはるかに優れた異常とも呼べる天才を相手にしてきたのだ。
スペックで負けているなんていつものことだ。
だから例え、若返り、身体能力が小学生のアリサ以下になったからといって悲観しない。
いつものことだ。
強いやつを卑劣で汚い不意打ちで弱いまま勝つ。
これは一度勝利したくらいでは揺らがない球磨川のポリシーのひとつだ。
『そうだ。良いことを思いついたよ』『僕をいじめればいい』『いらいらしているのなら僕を殴ってでもストレス発散すればいいよ』
「あんた…何言ってんのよ…。意味わかってんの?」
『勿論』
「あんた異常だわ。イカレてる」
『そうだよ。僕は弱くって壊れてて汚くてズルい頭のおかしい人間だ』『さあ』『さあ』『さあ』『やれよ、アリサちゃん。すずかちゃんにできて僕にはできないのかい。それとも僕には触れたくもないのかい。それならそう言ってくれよ』
そういってどこからともなく取り出した巨大な螺子で自分の小指を潰した。
グシャリと肉がつぶれる音と共に螺子が赤く染まる。
呆気にとられてアリサは反応できない。
球磨川はそんなアリサを一瞥もせず、そのまま薬指を潰す。
グシャ。
中指。
グシャ。
人差し指。
グシャ。
親指。
現実感のない音が連続で五回響く。
そうして笑顔で螺子をアリサの手に押し付ける。
ヌルリとした鮮血が手と制服を汚す。
『ほら。右手は全滅だ。これで一生野球ができなくなったよ』『さあ次は何処を刺す?』『左手?』『内臓?』『それとも顔面かな?』『螺子も触りたくないんだったら僕に言いな』『しっかり刺してあげるから』
限界だった。
元より球磨川の過負荷は常人が耐えられるものではない。
いくら大人びていようが只の小学三年生なんかに耐えられるわけがない。
「あ、あ、あぁあぁぁあああぁぁああああああああああああああああぁぁあ」
悲鳴を上げて逃げ出すアリサを無感動に見つめた後呟く。
『あらら。おかしいなぁ』『被害者は僕なんだけど。それにめだかちゃんがやってたって言う、上から目線性善説ってのをやってみたんだけどなぁ』『全然効果ないや。おかしいなぁ。これで今日からアリサちゃんとは友達になれるって思ったんだけど……』『これは戻ったらめだかちゃんにクレームを入れなきゃ』
そんなとぼけたことを言いながら大嘘憑きで右手の惨状をなかったことにしてクラスに戻った。
結論としてアリサとすずかとなのは親友になった。
帰ってきたアリサは泣きながらすずかに謝り、それを許すことでこの事件は終わった。
アリサは球磨川の手が何ともないのを疑問に思ったが、聞くことはしなかった。
仮に不思議な能力があったとしても、そんなことを知るより球磨川にかかわらない事の方が賢明な事のように思えていた。
敵対するという形でも関わりたくない。
それが今の球磨川に対する感情の全てだった。
教室から出た時と、帰ってきた時の態度のあまりの変貌ぶりに、球磨川に何か嫌な事をされたのかと聞かれたこともあったが、アリサは何もなかったと語り、球磨川も特にその話はしなかった。
そうして今では、球磨川をアリサが一方的に避けている。
親友にもあの奇妙な話はしなかった。
信じられるとかの話ではなく、なのはもすずかも球磨川には、友好的な態度で接していたからだ。
「アリサちゃん大丈夫」
アリサが昔の事を思い出していると、なのはとすずかが心配そうにこちらを見ていた。
本当に優しい友人だ。
これだけは球磨川に感謝してもいいかもしれない。