私には理解できなかった。
クラウスの記憶を無くしてしまえば欠片ほども理解できなかった。
自分が、自分の過去が全くと言って良いほど理解できなかった。
何故あんなにも強さを望んでいたのか。
決まっている。
クラウスがオリヴィエを救えなかったことを後悔していたからだ。
守りたいものを守れなかった苦しみを知っているからだ。
知っている。
でも理解できなかった。
弱いのが罪?
強くなくちゃ守れない?
だから自分が最強になりたかった?
そんな時代じゃない。
所詮自分ひとりで守れる範囲なんて僅かだ。
もう私は王様ではないし、王様だったのは先祖だ。
最強になんてなれる筈がない。
訳が分からない。
困っているのなら管理局に通報するべきだし、強くなりたいなら何で闇討ちなんてしたのだろうか?
狂ってるとしか思えない。
痛いのは嫌だ。
痛め付けるのも嫌だ。
理解できなかった。
つい先日。
彼に消されるまで当たり前だったことが。
疑問にも思わなかったことが理解できない。
自分の今までの行いが堪らなく怖かった。
わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない――それがどうしようもなく嫌だ。
だからここに来た。
あの怖い程にマイナスな彼が言う誘いに乗った。
客観的に見てしまえば狂っていると思える行為を正当化できるような何かが、全ての価値観の上をいく何かが自分にはあったのだから。
記憶だけじゃない。
そこから生まれた何かが私の全てだったのだ。
それを知らないまま、失ったまま生きるのは嫌だ。
アインハルトが待ち合わせ場所の倉庫区画に着いた時にはもう全員集まっていた。
アインハルトを見つけるとあの日よりもずっとラフな格好をした球磨川が嬉しそうに笑顔を向ける。
『やあ、アインハルトちゃん』
彼の雰囲気に精神がゴリゴリと削られるような感覚に陥る。
何気ない動作全てに目を奪われて離すことができない。
怖い。
彼の気まぐれで全てが意味を失ってしまうかのようで。
また何かを失ってしまうかのようで。
「…………………」
『とりあえず「よくぞ逃げずにここに来た」とでも言っておこうかな?』『いやいや、馬鹿にしてるんじゃないぜ?寧ろ僕は感心してるんだ』『正直今の君には先祖の記憶なんて厄ネタいらないし興味も無いだろうと思っていたからね』
彼の言葉が的確に胸を抉る。
『何か大切らしきモノを知っておきたい』という自分の浅ましい願い事を見透かされているようで気分が悪い。
『だってさぁアインハルトちゃん、君は――』
「――ミソギさん、無駄話はいりません。お願いします」
凛とした声が球磨川の言葉を遮る。
金色の髪に美しい翠と赤の瞳が映える少女。
そんな『向日葵のような』という表現がぴったりの少女は今はその瞳を闘志で輝かさせて、私の不安を断ち切るように声を響かせる。
『――本当にいいのかい?』『これって一種の呪いだぜ?』『アインハルトちゃんが乗り越えられないって可能性を考えてるかい?』
「はい。アインハルトさんは乗り越えられます」
こちらを真っ直ぐに見つめる瞳。
私には眩し過ぎる。
こんな私を信じる、強い目。
盲目的にでも根拠なく言っているのでもない、人を信じ、頼れる目だ。
強いと思う。
身体ではなく心が。
有り様が。
強く、尊いと感じさせる。
だからこそ自分が惨めでしょうがなかった。
先祖の記憶という過去の自分の全てを失ってさえ、それを取り戻すことにしか考えられない自分が。
『オッケー』『じゃ』『
軽やかに紡がれた一言にアインハルトの中に記憶が蘇ってくる。
苦しみにまみれた戦乱の記憶。
祖先であるクラウスの悲劇的な最期が。
悲しみが。
苦しみが。
怨嗟が。
思いが、蘇ってくる。
自分の力を、強さを証明しなければいけないなんて強迫観念が私を責め立てる。
大切なモノを守れる強さを求める気持ちが沸々と湧いてくる。
守るようなものなどこの時代にはないというのに。
それが如何に狂った考えなのか分かっていた筈なのに。
本当に気持ち悪い。
これでは彼が言うように本当に呪いではないか。
「アインハルトさん。一戦お願いします」
「………私は…」
迷っていた。
アインハルトは自分の記憶を取り戻してなお、迷っていた。
力は必要だ。
大切なモノを守れる力。
後悔しないような力が。
それが例えどんなに愚かな考えか分かっていたとしても、今の私は非力なことに耐えられない。
でもそれで彼女を傷つけていい筈がない。
自分が彼女と戦っていい筈がない。
弱いことに耐えられない自分が、彼女のような存在を弱いと断じることなどあり得ない。
あってはいけない。
それでも彼女は言葉を紡ぐ。
「アインハルトさん。私は勝ちます。貴方の弱さを全て打ち砕き、その上で貴方に勝ちます」
「…ヴィヴィオさん………」
「それにあんなこと言ったんですから勝ち逃げなんて許しませんよ」
そう笑顔さえ浮かべて言い切る。
「セイクリッドハート、セット・アップ」
ヴィヴィオの身体を虹色の魔力光が包み込み、魔法が肉体を補強する。
あどけない少女から天真爛漫な美女へと姿を変えたヴィヴィオはしっかりとこちらを見詰め笑顔を浮かべる。
変身したヴィヴィオがオリヴィエと重なって見える。
それが嫌で、そんな感情を振り切るように私も魔力を巡らせる。
「武装形態」
魔力が身体の隅々まで染み渡り、自らの肉体を変えていく。
戦闘に有利な年齢に。
覇王流を十全に生かせる肉体へと。
「射砲撃とバインドなしの格闘オンリー。真剣勝負です!」
ヴィヴィオが左拳を下げて右腕を肩の高さに構える。
綺麗な構えだ。
油断も甘さもない。
良い師匠や仲間に囲まれて『格闘技を心から楽しんでいる』といった様子だ。
私とはきっと何もかもが違う。
それでも私は構える。
彼女が余りにも楽しそうに笑うから。
勝ち逃げなど許さないと。
捻り潰してやると。
私を元気付けようとしてくれるから。
腰を落とし、拳を腰の横に構る。
「ストライクアーツ、高町ヴィヴィオ」
「カイザーアーツ正統、アインハルト・ストラトス」
「いきます」
言葉と同時に間合いを計りながら、突撃を敢行してくる。
踏み込むと同時に、視界を遮るようにジャブを繰り出す。
前回一撃で叩き伏せたことを考えると無謀とも言える攻撃。
それを肘で払い、防ぐ。
軽い。
これならノーガードで受けた方が良かったかと思考を巡らせながらお返しにもう片方の腕で殴り付ける。
ヴィヴィオは上半身を反らして避けるが更に踏み込んで拳を握る。
「アクセルスマッシュ」
瞬間頭に鈍い痛みと衝撃が走る。
ヴィヴィオのフックがこめかみに突き刺さり、一瞬思考が真っ白になるがそれでもガードを固める。
直後ジャブのラッシュがガードの上から脳を揺らす。
視界が滲み、頭がグラグラする。
思考が纏まらないし、ガードを緩められない。
「そこっ」
反射的に後ろに下がるが更に追撃で放たれたハイキックがアインハルトを打ち据える。
防御した腕が軋む。
思わず膝を着きそうになるのを堪えて力任せに押し返す。
強引にバランスを崩し、たたらを踏むヴィヴィオを視界に捉えながら、拳を握る。
先程の迷いは完全に振り切れていた。
勝ちたいと思った。
彼女に負けたくないと思った。
私にはこれしかないから。
戦うことしかできないから。
自分が積み重ねた努力が、彼女のもののように綺麗なものではないことは理解している。
それを誤魔化せないくらい、私は自分の醜さも愚かさも直視してしまっていた。
それでも、負けたくないと思った。
彼女がここまで私に勝ちたいと思ってくれているのに、私が全力を出さなくてどうするのだ。
今ここで私全力を出せなかったら永遠に何にもできなくなってしまう。
そんな感覚も自覚するまでもなく、私の内にあったのだ。
だからだろうか。
考えるよりも先に突き出した私の拳は血の滲む思いで習得したクラウスの拳と同じ軌跡を辿り、咄嗟に腕を交差させてガードを固めるヴィヴィオに真正面からぶつかる。
ヴィヴィオはその威力に逆らわず後ろに下がろうとしたようだが、衝撃を殺しきれず、倉庫区画の壁に思い切り身体を打ち付ける。
「や、やっぱり強いね」
ヴィヴィオは痛みを堪えるように顔を顰めると、重心を前方に傾ける。
ガードを下げてこそいるが、私の一挙一動に気を配っている。
迂闊に追撃すればこちらも大きなダメージを受けるだろうと簡単に予測がつく。
「えぇ、貴方も数日前とは比べ物になりません」
自分が思っていたよりも、しっかりとした声が出たことに驚く。
一、二度拳を握って調子を確認する。
頬も紅潮し、血が煮えたぎるような熱ささえ感じる。
事実、私は楽しいのかもしれない。
彼女がこんな私と戦いたいと言ってくれることが。
私に期待してくれることが。
「ふぅ」
「どうしました?疲れましたか?」
「『冗談』と言いたいところですが正直結構限界です」
「降参しますか?」
「いえいえ、それだけはありません。ん~じゃあちょっとやりますか」
「えっ?」
「こっからは全力全壊です』
格好つけて言いながらへらりと口元を歪める。