拝啓、好きになってください。   作:いろはにほへと✍︎

2 / 12
恋心というやつ
いくら罵りわめいたところで
おいそれと胸のとりでを
出ていくものでありますまい

―夏目漱石―



殊の外、一色いろはは打たれ弱い。

 はあ……、と大仰にため息を吐きながら、今日も今日とて仕事に向かう。学生は仕事が本業らしいから放課後に副業をしに行くと言っても語弊はないと言えよう。したがって、必然的に更に報酬がアップするはずなのである。それなのに、アップどころかそもそも報酬がない。報酬という概念が存在しないのだ。さしあたり、俺の行動に名をつけるなら、時間外労働、タダ働き……。

 疲れたよぅ……なんて思いながら俯いて歩いていると、更に憂鬱そうに歩く姿があった。いつも勝気に誇る様子とは対照的で、彼女――一色いろははため息を吐き出す。俺は早足で追いついて、ちらっと横顔を見てから声をかける。

 

 「疲れてるな」

 

 「当たり前じゃないですか……」

 

 

 突然俺が来たことに驚いた素振りも見せず、まったく普段通りに会話をする。

 しばらく他愛の無い会話を続けていると、不意に見知っているような顔が見えた。彼女はコミュニティセンターの前に立ったまま、ちらちら辺りをうかがっている。時々スマホに視線を落としては、まるで誰かと待ち合わせをしているかのように何かを確認する。しかし誰かが来る気配は毛頭ない。

 

 「何やってんだあいつ」

 

 「も、もしかして、お知り合いですか?」

 

 「知り合いくらい存在するから……」

 

 「折本先輩、とか?」

 

 うっと言葉に詰まる。実際本当のことを伝えても、今更黒歴史が一つ増えるくらいで、過去の話が伝わることは何とも思わない。然れども、以前折本かおりは自ら口にすることを控えたのだ。今更俺が伝える理由もあるまい。

 苦笑いを浮かべてそれきり閉口した。一色も連日の疲れが溜まっているのか、必要以上に口を開くことは無い。業務連絡くらい最低限のことを口にしながら、やがてコミュニティセンターの正面に着いた。眼前になった彼女は、果たして魅力的な笑顔で俺に声をかけてくる。

 

 「遅いよ、比企谷くん」

 

 「あーはいはい。で、何でいるの……えっと」

 

 「晩翠! 晩翠柚奈!」

 

 「あー、はい、覚えた。晩翠な」

 

 俺は彼女の名をやっと覚えたところで、隣の訝しむような視線に気がついた。誤解のないようジェスチャーを使いながら、明々白々に説明する。

 

 「クラスメイト」

 

 「いやいや……じゃあ何でここにいるんです」

 

 一色は先の訝しむような視線を、今度は晩翠に送る。晩翠は特に気にすることなく、視線を払い除けて、ずかずかと距離感無視で詰める。

 

 「君がいろはちゃん?」

 

 「あ、え、はい……」

 

 殊の外、一色いろはは打たれ弱い。最近、一色と行動することが増えて知ったことの一つだ。一色は「なんで名前を知ってるの」とばかりに視線を逡巡させてから、愛想笑いを浮かべる。

 

 「どこかで会ったことありましたっけ……」

 

 「まあ生徒会長だしねえ……」

 

 「あ、なるほどです」

 

 一色は即答してから、きゃぴるんとピースサインを目に当てる。いやさすがにそれはあざとすぎるだろ……。

 

 「実は結衣に教えてもらったんだけどね」

 

 「結衣……。あ、結衣先輩ですか?」

 

 「そうだよ。それで話を聞いてるうちに、私も手伝いたいと思って、来ちゃった」

 

 意図せず、漸く話は原点に戻った。

 俺は晩翠を瞥見してから、まるですることない笑みを必死に浮かべる。

 

 「来ちゃったじゃないよな?」

 

 「来ちゃった、です」

 

 晩翠は可愛らしく、小首を傾げる。そも俺たち――俺と晩翠は知り合ってから数日しか経過していない。廊下で会えば片手を上げたり、教室で挨拶するとかその程度の仲だ。晩翠がどんなメンタルをしているのか知ったことではないが、対応をしているほどの余裕はないのだ。

 

 「マジで手伝いにきたの?」

 

 「うん!」

 

 晩翠はまるで幼子みたいに元気よく返事する。

 その心意気はありがたかった。しかし実際、手伝うと言ったって作業の流れや雰囲気を覚えるのに時間がかかってしまう。あまつさえ足でまといになるかもしれないのだ。尤も、停滞した会議のおかげで流れなどありはしないが。

 

 「まあ、いいや。人手が多いに越したことはないしな」

 

 晩翠柚奈の考えるところを知りたかったが、会議が始まるまで時間が幾許もない。冷えきった手を擦りながら、提案する。

 

 「とりあえず中入ろうぜ。風邪ひいてこれ以上会議を停滞させたくない」

 

 「ん、そうですね」

 

 「ふー、寒いし、早く入ろっか」

 

 ガラス戸を開くとすぐに、館内の温風が全身に吹き付けた。外に暖気が逃げないように素早く戸を閉める。靴を脱ぎながら、自分の言ったことを反芻する。

 

 これ以上、停滞させたくない――。

 

 実際きっと、全部に向けられた言葉だ。

 

 × × ×

 

 「それで、前回のブレインストーミングの続きだけど、今日は具体的なスケジュールを決めていこう」

 

 開会劈頭。何一つ決まっていないのに、玉縄はスケジュールを組み始めた。海浜は皆それぞれ、手を上げて、相も変わらずカタカナだとかビジネス用語で名のごとく、嵐を起こす。

 今日も今日とて連れてこられた小学生たちは指示された通りクリスマスツリーの飾りを作ったり俺たちのやっている『何か』を興味深そうに見ている子もいれば、退屈そうに欠伸をしている子もいた。その中でもどうしても視線が行ってしまう少女――鶴見留美は一人だった。談笑している子たちの輪には入らず、されど会議を見るわけでもない。ただ、黙々と作業を続けていた。俺は離れてしまった視線と脳を『お話』に戻す。

 

 つつがなく会議は踊り、されど進まず。

 

 三十分を過ぎた頃には、総武側は皆、辟易した表情を浮かべていた。一色なんかはそれが顕著で時々舌打ちが聞こえる。副会長や書紀ちゃんも徐々に頭が下がり、このままでは相手に対しての不満が内部で爆発しそうだった。

 対照的に海浜側は、恍惚とした表情を浮かべ、しかし、それあるマシンに成り下がった折本には疲れの色が見えた。確かに時間は経過しているようだ。話が進まないから気づかなかった……。

 ふと、俺もその存在を忘れかけていた頃、総武サイドから自分の存在をアピールするように大きな声が上がった。離れかけてた意識を必死に戻して、声の主である晩翠に視線を送る。

 

 「はい、質問があります!」

 

 「いいよ、何でも言ってほしい」

 

 取りまとめ役である玉縄が晩翠に発言の許可をする。晩翠は人一倍元気に立ち上がった。

 

 「なんで会議を進めないんですか?」

 

 「はい?」

 

 ふっと吹き出してしまう。うとうとしていた一色も目をぱっちりあけて、それからこぼれ落ちそうになる笑みを必死に耐えているのが見えた。

 うっわあ……、天然怖っ……。

 

 「何か、不満な点があるかな?」

 

 それでも玉縄は笑顔を崩さず、まるでこびり付いたみたいに柔和な笑みを浮かべる。

 しかし、晩翠の言葉は確かに響いたようで、総武側とは対比的に海浜サイドは凍りついていたのがその証拠だ。

 

 「だって全然進めないで言葉遊びばっかりしてるから……」

 

 晩翠が申し訳なさそうに言うのが、彼女の人間性を表しているようであって、しかしその悪びれる雰囲気がいっそう真実味を増す。

 ちなみに俺たちはもう耐えられそうにない。

 大声で、ともすれば演技とも取れるくらいの声で俺と一色は笑い始める。

 

 「あはははは……!」

 

 時には腹を抱え、時には俯いて。そうして俺たちはしばらく笑い続けた。

 張りつめた空気の中で突然二人だけが笑い出したのはさぞかし不気味だっただろう。玉縄は俺たちの真意を図りかねてか、ポーカーフェイスを崩す。まあ、真意も何も面白いからですけどね!

 

 とにかくどうやら、玉縄たちは笑いの対象が自分たちだと気づいたらしい。海浜側のどこからともなく、今日は一旦会議を終わらせようと提案された。ひとまずお互い冷静になるためにらしい。

 

 「では、続きはまた明日にしようか」

 

 図らずも、玉縄の全員の話を聞こうとする性質から今日の会議には終止符が打たれた。すると、こちら側の副会長が、耐えかねたのか、「今日も進歩なし」と呟きながら議事録を締めくくる。意図して言ったのかは分からないが、存外その声は小さく、俺たちにしか聞こえなかった。

 しかし違うぞ副会長。確かに進歩はあった。

 ――晩翠の有能さにおいて右に出る者はない。

 出会って数日にして、俺の晩翠柚奈に対する評価は随分変わった。

 

 おのずから、晩翠柚奈は一歩踏み出す。

 

 これも彼女の性質なのだとまた一つ笑ってから俺たちと一色は一足先に会議室をあとにした。

 




早くセンター試験と英検の勉強しろよ!俺!

評価、感想等お待ちしております!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。