新たな幕開け
大戦における敗北によって消耗しきった連邦共和国にとって、再軍備は急務でありながらも、しかし対外的にはあまり大仰には出来ない問題であった。
そこで、軍の教育カリキュラムの見直しと言う形で一定の規模と練度の維持を目指す事になる。
特に今時大戦において帝国が他国に対して優位に立てた要因の一つである、航空魔導師の運用について更なる力が入れられる事になった。
航空戦力の充実と共に魔導師の運用方法も変わってくるだろうと予見し、魔導師の更なる質の向上を目指したティナ・アルベルト大佐主導で、教導隊の中に航空魔導師の運用研究と教育を兼ねたアグレッサー部隊を設立。
この部隊は他国の航空魔導師の運用方法や戦術などを研究し、また実際に運用する事で訓練における仮想敵としての役割が与えられ、連邦共和国の中でも特に実戦経験の豊富な者で構成された精鋭部隊となった。
部隊長にはアルベルト大佐の帝国時代の古巣でもある第二○三大隊で次席指揮官を務めていたマテウス・ヨハン・ヴァイス少佐が、副隊長にはヴォーレン・グランツ大尉が任命され、他にも構成員は元二○三の隊員がそのほとんどを占める事になる。
アルベルト大佐肝いりであるこの部隊は彼女の意向に強く影響を受け、また部隊員としても元指揮官の指示に従う事には特に異論は無かった。
しかし、この精鋭部隊に士官学校を出たばかりの新人を加えるとは、一体大佐殿は何を考えているのか。
流石のヴァイス少佐も今回ばかりは元上官の考えが理解出来なかった。
大隊時代に何度か新人の教育を行った事もあるが、あれは戦時の緊急事態だからの事であって、平時の今ではわざわざ新人を部隊に加える必要があるとは思えなかった。
まあその時に育てた新人が今では自分の副長なのだから、分からないものでもあるのだが。
しかし当の本人はどこからそれを聞きつけたのか、慌ただしくヴァイスの下へ駆け込んで来た。
「隊長、ここに新人を加えると言うのは本当ですか!?」
「ああ、そうらしいな」
「何でも士官学校を卒業したばかりだとか」
そこまで知っているとは、本当にどこで聞きつけて来たのか。
「全く、耳が早いな」
「では、本当なのですか?いくら何でもそれは……」
「グランツ、お前だって士官学校出たばかりの頃に大隊に加わったじゃないか」
「いや、それはそうですが、あの時と今とでは状況が違いますよ!」
ヴァイスとしてもグランツの言いたい事は分かるが、何でも件の新人は一応士官学校を首席で卒業しているらしい。
その肩書きにどれほどの意味があるのかとも思えなくはないが、少なくとも無能では無い証明にはなる。
そもそも新人を推薦してきたのは大佐殿である以上、ヴァイスらに拒否権などあるはずも無かった。
「とは言え、何でも我らが大佐殿の推薦なのだ。その大佐殿も士官学校を卒業後すぐに教導隊にいたらしいしな」
「いや、それは特別な例ですよ。大佐殿のような人が何人もいるとは思えませんが……」
「まあ、それはそうだが。……いや、一人だけいたな。大佐殿に並ぶ人物が」
「……そう、でしたね」
ふと思い出したようにそう言うヴァイスの言葉に、グランツが気まずそうな顔をする。
しかしそれも無理の無い事だろう。
ヴァイスもグランツも、いや二○三の全員が、自分達の指揮官と同じくらいに敬愛していた人物。
皆の中心でいつも笑っていた、あまりにも軍人らしくない少女。
しかし彼女はもうこの世にいない。
大佐殿を、大隊を、祖国を守る為、その命の全てを費やしてしまった。
彼女の犠牲によって、今も連邦共和国は立っている事が出来るのだから、彼女は救国の英雄と言えよう。
しかしその高潔な意志を、その勇姿を知っているのは連邦共和国の中でも極僅かでしかない。
ヴァイスとしてはやるせない思いも無くは無いが、しかしそれを違えてしまえばそれこそ彼女の意志を汚す事になってしまうだろう。
ならばヴァイスとしては、彼女が守ったこの国をこれからも守り続ける事で、彼女に報いようと考えていた。
「まあ、あまり考えていても仕方ないだろう。我々は我々に出来る事をしていかなければ。彼女の為にもな」
「……そうですね、分かりました。しかし、一体どんな奴が来るのか」
「それについても考えても仕方ない。いつも通り、なるようにしかならんさ」
「……ですね」
ヴァイスとグランツは顔を見合わせて苦笑する。
全く、大佐殿にはいつも無茶を押し付けられる。
そんな諦めが二人の顔には浮かんでいた。
新人の着任予定の時間、その少し前にあまりにも意外な人物がヴァイスの下を訪れた。
「ヴィーシャ?驚いたな、何故君がここに?」
「お久しぶりです、ヴァイス少佐。新任に際しての手続きとして、わたしがサポートに来ました」
当たり前のようにそう告げるヴィーシャの言葉は、しかしヴァイスにとって不可解なものだった。
新人の着任の手続きなど、別段複雑なものでは無い。
少なくとも大佐殿の副官がわざわざ来るほどの事とは思えなかった。
それに新任の手続きに来たと言う割には、その新人が見当たらない事も気になる。
「わざわざ君が来るとは、一体どういう事だ?それに当の本人はどこにいるんだ?」
「今はアルベルト大佐殿と共に訓練を見学していると思います。わたしは先に準備しておけと言われまして」
「大佐殿まで来ているのか!?」
今度こそヴァイスは驚愕のあまり声を荒げてしまった。
まさか大佐殿がそこまで特別扱いをするなど、一体どんな相手なのだろうか。
「……面倒事な予感しかしないのだが」
「あ、いえ、恐らくヴァイス少佐が思われているような事は無いと思います」
そう、ヴィーシャは言っていたが、ヴァイスにとっては気休めにもなりそうは無かった。
しかしいつまでも考えていても仕方ない。
ヴァイスは早速本題に入る事にした。
「まあ、良い。それで例の新人とはどんな奴なんだ」
「ええと、それは、実際見て頂いた方が良いと思います。もうそろそろ来る頃かと思いますし」
しかし何故かヴィーシャは言葉を濁す。
何なのだろうか。
これで面倒事では無いと言われても信じろと言う方が無理では無いだろうか。
しかし丁度その時扉をノックする音が響いた。
そうして扉の向こうからターニャが姿を現す。
「久し振りだな、ヴァイス少佐。壮健そうで何よりだ」
「お久しぶりです、大佐殿。大佐殿こそお元気そうで」
「ああ、積もる話もあるだろうが、今日は別件だな。おい、お前も入って来い」
大佐殿に促され部屋に入って来たのは軍人と言うには若く、まだ少女と言った所だろう。
しかしその少女はヴァイスの前に立つと、見事な敬礼をしてみせた。
「フィーネ・エーベルト少尉です。只今着任いたしました!」
「!!!?」
肩口に切り揃えられた黒髪。
あどけなさの残る顔。
人目を引く琥珀色の瞳。
もう二度と会うはずの無かった少女が、良く見慣れた微笑を浮かべて立っていた。
「え、あ、いや、…………は?」
「ご指導のほど、よろしくお願いしますね?ヴァイス少佐殿」
後ろでヴィーシャが笑いをこらえているのが視界に映る。
彼女が言葉を濁していた理由がようやく理解出来た。
くそ、覚えておけよ。
ヴァイスはそんな思いを込めてヴィーシャを睨んだが、その視線を遮るように少女がこちらを覗き込む。
「むー、ヴァイス少佐、リアクション薄くないですか?もっと驚いてくれても良いではないですか」
「あ、いや、すみません。充分驚いているのですが。その、余りの事に何と言ったらよいか……」
「あ、そうだ!敬語!今度こそやめて下さいね?もうわたしの方が階級下ですし、これからは上官と部下なのですから」
「え、いや、その……」
そんな風に言いくるめられるのでさえ懐かしく感じる。
そんなやり取りに、ヴァイスは終戦からずっと心に引っ掛かっていたものが消えていくのを感じたのだった。
どうやら訓練中にターニャとティナの姿を見かけたらしく、部隊は結構な大混乱だった。
グランツなどは血相を変えて執務室に駆け込んできたほどだ。
「失礼します!……あ、アルベルト少佐!?」
「何だ?」
「アルベルト大佐ですよ?」
グランツの言葉にターニャとティナの二人はわざとらしく冷静な反応で応えるが、しかし当然グランツは余計に混乱していく事になる。
「え?ああいや、アルベルト大佐殿では無く、アルベルト少佐殿が……」
「何が言いたいのだ、グランツ大尉」
「大丈夫ですか?」
「い、いや、その。俺より少佐の方こそ……」
「少尉です」
現状が理解出来ないながらもなんとかグランツが絞り出した言葉は、しかしすぐさま本人に否定される事になる。
「え、あ、……えぇ?」
「だから、わたしはフィーネ・エーベルト少尉です」
「ああ……うん?」
「もう、本当に大丈夫ですか?グランツ大尉。これからはわたしの上官なのですから、しっかりして下さい!」
「ええと、どう言う事でしょうか?」
「えー、そっからですか……?」
「おい、ヴァイス。グランツにちゃんと説明したのか?」
混乱極まったグランツの態度に苛立ったターニャがヴァイスを睨むように見る。
とんだとばっちりだ。
それにターニャの言動もこの惨状に荷担したのだろうから、自分が責められる謂われは無いのではないだろうか。
しかしターニャにそんな理屈が通用するはずも無く、このままでは恐るべき大佐殿の逆鱗に触れてしまうだろう。
ヴァイスは瞬間的に意識を切り替え、興奮冷めやらぬグランツをなだめて説明する。
いや実際はヴァイスとしても未だに全く整理仕切れていないのだが。
どうやらティナは帝国が敗れたあの日、死んではいなかったらしい。
その後ターニャの下を訪れたティナだが、既に死んだとされた身。
元々のティナ・アルベルトと言う位置にも今はターニャが収まってしまっているし、今更戻す事も出来ないとの事でティナにも新たな経歴が与えられたらしい。
そうしてフィーネ・エーベルトとなったティナだが、では何故この部隊に来たかと言うと前述の通りターニャの取り計らいだった。
もちろん再び軍属となろうとしたティナに対して初めターニャは余り良い顔をしなかった。
まあ全てを一人で背負い込んで死にかけたのだから当然と言えよう。
ヴァイス自身もティナの自己犠牲精神はかなり危ういものであると感じられていたし、ターニャと同じ立場だったならやはりティナを止めただろう。
だが結局みんなと共にいたいと言うティナの熱意に負けたらしい。
しかしその素性が複雑な為ターニャのいる中央に置いておく訳にもいかず、事情が分かっている身内であり、かつターニャとしても信頼出来るヴァイスの下に置く事になったと言う事だった。
ティナとしてもターニャと離れるのは不本意だったが、ヴァイスら元大隊の皆と一緒だと言う事、休日は都合がつけばターニャが共に過ごすと約束した事で納得したらしい。
それでもヴァイスは、いくら何でも無茶なのでは、正体を隠すにしても魔導反応などはどうするのかと疑問を抱いたのだが、どうやらそれすら問題ないらしい。
何でも、最後の任務で無茶をしたせいで魔導反応が変質しているらしい。
更にどうやら魔導反応を特定され辛くする為のジャマーを搭載した新型の宝珠を開発中らしく、ティナにはその試作型が与えられるとの事だった。
そこまで言われては、ヴァイスとしては頷くしかない。
いやそもそも大佐殿の命令を拒否すると言う選択肢は無いのだが。
それにヴァイスとしても、再び彼女と戦える事は歓迎すべき事には違いないのだから。
とは言えかつては上官だった者が部下になるヴァイスとしてはなかなか複雑な思いでもあった。
しかもそれが実力を認めた相手なのだから、やりにくい事この上無い。
「あー、エーベルト、少尉?」
「はい、何でしょうか?」
「隊長、代わって頂けませんか?」
「何でですか!?いや無理ですよ!わたしは少尉ですし、隊長はヴァイス少佐です。それに敬語もやめて下さいって言ってるじゃないですか!」
「ですよね、はぁ……」
「ちょ、わたしが悪いみたいじゃないですか。しっかりして下さいよ……」
などと、思わず弱音を吐いたヴァイスだがティナには叱られてしまった。
全くこれではどちらが上官だか部下だか分からない。
とは言えティナにその気が無い以上、これからはヴァイスが上官として振る舞っていかなければならないのだろう。
いつか慣れる時が来るのだろうか。
しかしすぐに、それは無理だろうなとも思うヴァイスなのだった。