「今奴らを逃せば、戦争を終わらせる事が出来なくなる!ここで滅ぼさねばならない!」
「落ち着いて下さい、ターニャ。何故そこまでする必要があるのですか?ちゃんと話を聞かせて下さい!」
帝国の勝利を誰もが確信していたその時、ターニャだけが一人異を唱えていました。
帝国はライン戦線において共和国軍主力を殲滅、その後も僅かな抵抗はありましたが、大した損害も無く共和国の首都を制圧しました。
帝国の勝利は揺るぎ無いものであると思われましたし、ターニャもつい先日までは同じような感じでした。
しかし、ブレスト軍港にて共和国軍艦隊が集結していると知った途端に、それを襲撃せねばならないと言い出したのです。
司令部に進言するも一蹴されてしまったターニャは、独断での襲撃を決定。
わたしはその真意を知る為に、ターニャに話を聞きました。
ターニャ曰く、共和国は反抗の主力を逃がそうとしており、それはいずれ帝国にとって禍根となり得る。
帝国の勝利を揺るがすものであるとの事です。
ここで止めねば戦争は終わらないとして攻撃を敢行しようとしているターニャの行動は、しかしこれ以上の戦闘は必要無いとする帝国の思惑とは反するものです。
わたしもそこまでせずとも良いと思いますが、ターニャは違うようです。
「でも、間もなく停戦命令も出るでしょう。これ以上は命令違反になってしまいます」
「だからこそ、今なのだ。今ならば、まだ独自行動権の範囲内だ。ティナはわたしの味方をしてくれるのでは無かったのか?」
ぐっ、痛い所を突かれました。
わたしだって本当はこんな事したくありませんが、それでもターニャの為を思って止めているんですけどね?
上に睨まれれば、これまで積み上げた物が無に帰すどころか、反逆者として一気に地に落ちる事になりかねません。
せっかくここまでやってきて、ターニャの目標が目の前まで迫っているのに、全てを棒に振るつもりなのでしょうか。
しかしターニャならばその程度の事、充分に理解しているでしょう。
ならばそのリスクすら度外視してまで行う必要があるという事。
ターニャは無駄な事はしませんからね。
ターニャに止まるつもりが無いのなら、これ以上わたしが何を言っても無駄でしょう。
長い付き合いです、それくらいは分かります。
ならばわたしの取るべき道は一つ。
「ターニャの考えは、変わらないのですね?」
「ああ」
「……分かりました。わたしもターニャに協力します。どんな命令でも従います」
ターニャは少し安堵した表情で力強く頷きます。
そこまで信頼されているのだとしたら、嬉しいですね。
しかし、結局ターニャの口から命令を聞く事はありませんでした。
直後に下された参謀本部からの特命。
全軍に対する停戦命令であるそれを受け、ターニャは絶望したように崩れ落ちました。
ターニャには何が見えていたのか分かりませんし、何がターニャをそこまでさせたのかは知りません。
しかしターニャの思い描く未来は、そこで途絶えてしまったのでしょう。
それともわたしが邪魔をしなければ、何か変わっていたのでしょうか。
わたしがターニャの道を阻んでしまったのでしょうか。
その事実はわたしの胸を締め付けます。
「ごめ、ごめんなさい!ごめんなさい、ターニャ!わたしが、わたしのせいで……!」
「……いやティナのせいでは無い。気にするな」
「でも……!」
「本当に気にするな。……済まんが少し一人にしてくれ」
「分かり、ました……」
そう言う彼女の様子に、結局わたしは何も掛ける言葉が見つかりませんでした。
あの日からターニャは苛立ったような、それでいて何か諦めたような表情をしていましたが、わたしの顔を見る度に気にするなとは言ってくれます。
そんなに罰の悪い顔をしているのでしょうか。
……しているのでしょうね。
それならばこれ以上ターニャに気を使わせるのも悪いですし、わたしとしてもそれを表に出さない事にします。
しかしターニャはやはりあの一連の出来事については納得出来なかったのでしょう。
突然参謀本部に話を伺いに行くと言い出しました。
「えぇ~!わたし一人お留守番ですかぁ!?」
「済まん、だが主要士官全員が留守にする訳にもいかん」
ターニャはヴィーシャと二人で参謀本部へ行くつもりのようです。
ちなみに他の大隊員は皆、共和国の保養地で休暇を楽しんでいるはずです。
ターニャとヴィーシャはバカンスには行かないそうでしたので、わたしも残っていたのですが……。
「あの、わたしが中尉殿と交代しましょうか?」
「……いえ、わたしではヴィーシャの代わりにはならないですし」
戦闘ならともかく、事務面での補佐は副官であるヴィーシャの仕事です。
有能な彼女の代わりをわたしが務める事は不可能だと、わたし自身が誰より理解しています。
わたしは渋々納得する事にしました。
「……分かりました。ヴァイス中尉にもそう伝えておきます」
「頼む。訓練は練度を維持出来る程度で、残りは好きにして構わん。後は副長と調整してくれ。では、行ってくる」
「はーい、行ってらっしゃい。ヴィーシャも行ってらっしゃい。ターニャの事、お願いしますね」
「はい、行ってきます」
ターニャ達をお見送りした後、わたしは一応ヴァイス中尉にも伝えておこうと連絡を取りました。
電話先にヴァイス中尉を呼び出して貰います。
「はい、こちらヴァイス中尉」
「お休みの所お呼びして申し訳ありません、中尉」
「おや、途中参加ですかな。こちらは楽しくやっていますよ。しかし今からとなると、急がねば楽しみが無くなってしまいますな」
あ、今のはイラっとしました。
浮かれているようですが、喧嘩を売る相手は選んだ方が良いですよ、ヴァイス中尉。
あなたの迂闊な発言で、皆が連帯責任を取らされる羽目になっても知りませんからね。
「……そうでは無く、連絡事項です。少佐殿が参謀本部に向かわれた為、数日不在となります。その間わたしが留守を預かりましたので、よろしくお願いします」
「少佐殿が?では、引き継ぎですか。私も急いで戻った方が良いですか?」
「いえ、少佐殿も既に発たれた後ですし、連絡のみで良いとの事です。中尉達も休暇が終わり次第お戻り下さい」
「了解しました」
「ちなみに、少佐が不在の間の訓練についてはわたしに一任されていますので、その点もご了承下さい」
「……了解しました」
皆わたしをほったらかしにして好き勝手にやるんですから、こちらもそれなりの対応をしなければ。
最近、近接戦闘をあまりやってませんでしたし、これ以上サボっては“練度が落ちて”しまいますね。
せっかくの機会ですから、皆に協力して貰いましょう。
帝国軍第二○三航空魔導大隊。
帝国軍内でも、彼らの存在を知らない者はいないとまで言われるほどの精鋭。
航空魔導師の常識を意図も容易く逸脱し、敵からは悪魔と恐れられる戦闘集団。
それが、かつて無いほどの苦境に立たされていた。
必死で指揮を執る次席指揮官のヴァイス中尉は暗鬱たる思いで、現状の分析に努める。
常に困難な作戦に従事してきた。
かのライン戦線では、半数を脱落させられた事もある。
それでも幾度と無くその困難を乗り越えて来たはずだ。
しかしそれらは全て大隊長である、ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐がいたから出来た事なのだろうか。
少佐の不在、それだけでここまで何も出来ないのだろうか。
しかし今それを嘆いても、何も変わりはしない。
一人、また一人と仲間が落とされていく中、それでも最善を尽くすべく指示を出し続ける。
だがこれ以上は限界だった。
まさかたった一人を相手にここまで追い詰められる事になるとは。
「ほらほら、遅いですよ。どこを見ているのですか?」
「何ですか、その機動は。死にたいのですか?それならお望み通りにして上げますよ」
「その程度でわたしを振り払えるとでも?甘く見られたものです。さっさと落ちて下さい」
「迂闊な軌道を取るなと言われていたのを忘れたのですか?よろしい、その身を以って悔い改めなさい」
屈強な男達が、揃いも揃ってたった一人の少女に弄ばれる。
ヴァイス中尉はその光景をどこかで見たような気がして、やがて大隊の編成時に行われた少佐殿の訓練を思い出した。
いやそれでもあの時とは違う。
多くの戦場を経験し、自分たちも精鋭と呼ばれるまでになったはずだ。
それがまるで手も足も出ないとは、なんの冗談か。
油断など無かったはずだ。
自分たちの実力にも自負がある。
それでも、帝国の勝利と少佐殿の不在に気を抜いていたのかも知れない。
いや、忘れていたのだ。
今、目の前にいるのは、あの我らが大隊長殿と唯一肩を並べる存在だと。
休暇から戻った自分たちを迎えた彼女が、酷く無表情であった時に気付くべきだった。
初めは一人で残された事に対する不満かと思った。
もしくは、少佐殿の不在に不貞腐れているのかと。
その時は年相応の可愛らしさだと、そう思っただけだった。
次の瞬間、自分は余程気が抜けていたらしい事を知る。
帰るべきだったのだ、連絡を貰ったあの時すぐに。
確かに酒に酔っていた事もあるだろうし、久々のバカンスに浮かれていたのも事実だ。
それでも自分の迂闊な発言を取り消したいと、これほど願った事はヴァイス中尉にとって初めての事だった。
「皆さん、お休みを満喫されたみたいで結構な事です。しかし、あまり気を抜きすぎても、よろしくありません。デグレチャフ少佐からは練度を落とすなとご命令頂いていますので、皆さんにはこれからわたしの訓練に少々付き合って頂きたく思います」
そうして始まった訓練と言う名の蹂躙。
グランツ少尉らの途中参加組は早々に脱落。
その後も次々と数を減らし、今では中隊長クラスの数名のみ。
帝国最精鋭の大隊は、一人を相手にほぼ壊滅と言って良い結果だった。
いやこのままでは文字通り全滅するだろうし、それを覆す事は今の自分たちには無理だろう。
今度からは休暇中とは言え、連絡を受ける時にアルコールを入れておくまいと、ヴァイス中尉は固く誓う。
「考え事とは余裕ですね、ヴァイス中尉」
「っ!?」
「ああ、ご安心を。中尉は最後まで取っといてあげます。その間にご自分の迂闊さを後悔していて下さい」
何も感じていないかのような顔で、そう告げる少女。
あの目に見られると、背筋が凍る思いがするとグランツ少尉が言っていた意味がようやく理解できた。
なるほど、少佐殿とは違うようで似た感覚。
自身の全てが制圧されるような、刃向かう気力すら無くなりかねない威圧感。
今までこれを味わってきたとは、協商連合や共和国の奴らには同情しよう。
まさか自分も味わう羽目になるとは、夢にも思わなかったが。
「ふふ、お待たせしました。次はヴァイス中尉の番ですよ」
どうやら、今の僅かな間に自分以外は全員落とされたようだ。
そこで初めて、今まで無表情だった彼女に変化が起こった。
楽しげに笑みを浮かべる少女。
しかしそこに浮かんでいるのは、普段の穏やかで可愛らしいものとは似ても似つかないものだった。
まるで獲物を前に歓喜するような、狂気の笑みだ。
副長である自分は、幾度と無く間近で見た覚えがある。
なるほどこれは。
もう一人の少佐殿がそこにおられる。
その光景を目にした大隊の全ての者が、そう確信した。
休暇空けの訓練翌日、これ以上は無理ですと言うヴァイス中尉の嘆願により、本日の訓練はお休みとなりました。
まあ一旦暴れてわたしも気持ちが落ち着いたと言うか、少しやり過ぎてしまったと反省したと言うか。
とにかく迷惑を掛けてしまった事は謝らなければ。
一人一人には後で謝るとして、取り敢えず副長であるヴァイス中尉の下へ向かいます。
「ヴァイス中尉、すみませんでした。八つ当たりする形になってしまいましたし、何よりやり過ぎてしまいました」
「いえ、気の抜けていた我々にしても良い刺激になりましたし、お気になさらず」
「そう言って頂けると、助かります。それにしても、皆には悪い事をしました。……嫌われてしまったでしょうか」
「それについてもご安心を」
何でもヴァイス中尉が、ターニャ不在に気負い過ぎたわたしがターニャの代わりを務めようとして、やり過ぎてしまった事にしてくれたようです。
本当に気の利く方ですね。
ヴァイス中尉には頭が上がりませんし、何より感情的になっていた自分がすっごい恥ずかしいです。
いやまあ、元を正せばヴァイス中尉の発言に原因の一つがあったような気もしますが。
「いやそれにしても、これからは少佐殿がおられなくても気が抜けませんな」
「それはもう、忘れて下さい。本当にすみませんでした。……では、わたしはこれで。今から皆にも謝ってきます」
「本当に気にせずとも良いと思いますが、まあそこが中尉の良い所でもありますな」
なんて、ヴァイス中尉は笑っていました。
ああもう本当、穴があったら入りたいとはこの事です。
人の事を言う前に、自分の迂闊さを戒めなければ。
その後皆に謝って回りましたが、皆笑って許してくれました。
表面上は。
いや何か絶対引いてますってこれ。
ほらグランツ少尉なんて、目を合わせてくれませんもん。
うー、ちょっとギクシャクしてたかなとは思いましたが、今回の件で完全に嫌われてしまったようです。
せっかくここまで一緒にやって来たと言うのに、こんな事になってしまうなんて。
ああ、自分のせいとは言え悲しくなってきました。
うぅターニャ、早く帰って来て下さい。
ヴィーシャ、わたしを慰めて下さい。
しかもわたしが落ち込んでしまった事で、皆に再び気を使わせてしまったので、それについても本当に申し訳ないです。
もう、何だか散々です。
その後帝都から戻ったヴィーシャが、わたしが皆に泣かされたと勘違いをして一騒動あったのですが、それを詳しく記すのはご勘弁お願いします。