それでは、最終話をお楽しみくださいませ。
その日。昼頃になり、アインクラッドの時計が12時10分を示した時のことだった。
「それ」は、何の前触れもなく、唐突に発生した。
先ず、アインクラッドのあらゆる場所からNPCが消滅した。それに次いで、全プレイヤーのHPが最大値で固定される。
そこまで来ると、薄々、この後の展開を予想できる者も現れるだろう。しかし、その予想を手放しで肯定することは誰にもできようがなかった。ーー早すぎるからだ。このゲームがクリアされるには、あまりにも展開が早すぎる。
だが、ゲームはクリアされた。クリアメッセージを無感情に読み上げるシステムにより、その事実は周知の事実となった。
それは、虜囚生活の終焉にしては、あまりにも呆気なさ過ぎるものだった。本来なら、手放しで幸福を喜ぶべきなのだろうが、不思議と、どのプレイヤーもそんな気分にはなれなかった。
ーー誰もが、このゲームは劇的なエンディングを迎えると、心の底で思っていたのだ。現実世界への帰還へと躍起になっているということは、裏を返せば、ここでの日々に全力を費やせているということである。
そんな日々が、唐突に絶ちきられる。システムはあるべき世界へ帰れと叫んでいる。その事実がとても信じられないのだった。
プレイヤーはそのうち、第一層の、全てが始まった広場へと転送された。
そこには、黒猫団のギルドマスターも居るだろう。本来の運命から爪弾きにされた、黒の剣士も存在しているだろう。同じように運命から見捨てられた、可憐な歌姫も居る筈だ。
彼ら、彼女らが困惑の声をあげるよりも早く。一層の青い空に大きなウィンドウが出現した。そこには、何やら映像が写し出されている。良く見るとそれは、ヒースクリフと、黒髪のプレイヤー、クロの戦闘を映したものだった。
『聡明なプレイヤーなら察しがついているだろうが、このゲームの創設者にして、悪の魔王は私、ヒースククリフだ』
ふと。そんなプレイヤーの頭上から、ヒースクリフーー否、茅場の声が降り注いだ。
『このメッセージがどのような状況で流れているかは分からないが、恐らく、不慮の事故により、私が勇者以外の要因に倒された状況なのではないか、と思う』
どうやら、それは事前に用意されたメッセージのようだった。今の状況を明確に指した言葉ではない。
『君たちは戸惑っているだろうか。突然、この世界での安寧たる日々が終焉を告げ、元の世界への扉が開いたことに対して、懐疑の念を、猜疑心を抱いているだろうか』
そんなことを言っている間にも、上空のウィンドウの中の戦闘は進んでいく。あまりにも長いため、システム的に映像が圧縮され、早送りになっている。
たった今、65番目のクロが死んだところだ。ここから彼が逆転したなど、誰も信じようがない事実だろう。
『だが。現実とはそういうものだ。悪辣な阻害も、劇的な展開もない。ただ、ゆるやかな日々の中で、他人の成した「特別」を眺めていることしかできないーーそれが現実』
『正に終わりなきGAME。果てに待ち受けるエンディングの前に、傍観者でいる我々は立ち上がらなければならない』
ウィンドウの中で、ヒースクリフのこめかみに剣の鋒が突き刺された。それと同時、クロのアバターが爆発四散し、次いで、ヒースクリフのアバターも無数のポリゴン片となって大気へ溶けていく。
それが、このゲームの結末であった。後には何も残らない。半死人は地獄へと還り、その骸に手を引かれるように、悪の魔王も世を去ってしまった。
まだ生きている。俺は最初に、それを知覚した。
死んだ筈だった。全ての命を斬り伏せられ、悪の魔王と相討ちに、アインクラッドの大気に溶けていった筈だった。
だが。俺は、神白 玄は生きている。その理由を、俺はうっすらと理解していた。
ーーアバター、「クロ」に搭載されたスキルには、蘇生猶予時間が搭載されている。これは、HPバーの消滅と同時に発生する時間であり、本来の死亡フェーズとは別に設定されているものだ。
つまり俺は。通常10秒の猶予を、20秒に引き伸ばしてもらっていたということだ。
それにより、ヒースクリフが完全消滅し、ゲームがクリアされた後も、俺はポリゴンの状態でソードアート・オンラインの中を漂うことができたのである。
なんとか生き残った。俺はそれを理解した後、掠れた声で呟いた。
「デスゲームの半死人、か」
それは最後の戦いでヒースクリフが口にしていた言葉だった。
俺は死人ではない。半死人だった。だから完全には死にきらず、今もこの世に留まっている。
もう俺の手に、あの超人的なスキルはない。原作知識で切り抜けられる運命もない。ここからは、自分の才能で進んでいかなければならないのだ。
俺は弱々しく息を吐き、瞑目した。今は休みたかった。あれだけの激戦の後だ。
ーーいずれまた。才能の旅に出よう。