「ーーもう諦めたらどうだ。クロ.....いや、半死人よ」
ジャングル。日も登り、仮想の温度も緩やかな上昇が絶頂を迎えた昼の刻。
脳に響く軽快なサウンドエフェクトが、自分の命の再構成を告げていた。
自分の真横に出現したウィンドウが、自分の命が残り3つであることを示していた。
ここまでやって、俺がヒースクリフに与えられたダメージは、不意打ちに成功したあの攻撃以来、0だ。奴のHPバーが7割を割り込んだところから動いていない。
HPの自動回復が起きていないのがせめてもの救いだが、それでも、圧倒的不利に変わりはない。
俺は、自分の存在意義を確立するためにヒースクリフを襲った。それが死に急ぎ人の、愚かな行為であることを理解したうえで。
俺は実質暴漢だ。そのため、ヒースクリフには、ギルドメンバーを動員し、俺をなぶって始末する権利があるが、奴はその権利を放棄している。もう、とっくに俺がかけた麻痺効果は切れているはずなのに、その辺には未だ、血盟騎士団のメンバーが転がったままだ。
つまるところ、奴は、俺との戦いをあくまでもフェアなものにしたいのだろう。まるで戦いの前に体力を回復してくれる、スタンドアローン・RPGのボスである。
俺は悠々と構えるヒースクリフに、性懲りもなく斬りかかっていった。何の補正もない疾走で間合いを詰め、レイジスパイクをゼロ距離で撃つ。
ただのダッシュはフェイントだ。レイジスパイクを命中させるための布石。
しかし、そのソードスキルが奴に命中する直前。奴はカウンター系統のソードスキルを発動させていたようで。残り3センチのところで、俺の剣は大上段へ弾かれた。
隙ができた。それを知覚する暇もなく、俺はヒースクリフの十字盾に急所を貫かれ、絶命する。
仮想の肉体が無数のポリゴン片となり、体感覚が完全に消滅してから、視界が、またいつものコンテニュー画面へ切り替わる。
ああ、後2回か。後2回死ねば、俺は全てから解放される。
カウントダウンが告げている。後10秒でコンテニューできます、と。視線で直ぐにコンテニューするか、10秒待つか選ぶことができるシステムをロクに説明していない、どこか抜けたメッセージだ。
もう勝てないのではないか。あの化け物を倒す方法なんて、存在するのか。
俺はうっすら考えた。そもそも、ヒースクリフはこのゲームの開発者だ。このゲームのシステムを熟知している筈の存在だ。そんな相手に、どう勝てというのだ?
否。ーー奴は言っていたではないか。どんなスキルかと思ったが、と。つまり、俺のスキルの概要については知らないということだ。
不明な点。愚直な今までの攻撃ーー。只の「点」だった無数の要因達が、発想という「線」で繋がっていく。
ーーもしかしたら。奴に勝てるかもしれない。という、結論を形作っていく。
神から与えられた、後2つの命を使って。俺は奴に打ち勝つ。
10秒が経過し、アバターが再構成されると同時、俺はいつものように、ジャングルの地面を蹴って駆け出した。
この策は。今までの経過なしには成功しない。黒猫団に所属しなければ、こんな考え浮かびもしなかっただろうし、今まで無惨に死ななければ、こんな泥臭い考えに頼ったりはしなかっただろう。
そして何よりも。この戦いで死んだ71人の俺が居なければ、この策は成功しない。
散っていった無数の「俺」が、どこまでも輝けない結果へと変容する。
走り、走り。ヒースクリフの間合いに入った時、俺は上段から、垂直に振り下ろされた奴の剣を、自分の盾で受け止めていた。刹那、盾が無惨な音をたてて崩れるが、防御判定は成立した。仰け反りはない。
ここで、俺は奴の予想を越えた。奴は洗練された戦士だ。2秒もあればどんな
それだけあれば十分だ。
次の瞬間、俺は奴の盾に組みついていた。張り付きやすそうな盾の端へ指を引っかけ、盾をホールドする。
「な......ッ!」
奴は一瞬驚愕し、その勢いのままに俺を振り払おうと盾をぶんぶんと振った。
しかし、俺は剥がれない。しっかりと盾をホールドしているからだ。そう簡単には剥がれない。それに、この行動は、一見すれば、敗北を突きつけられ、トチ狂った戦士の自暴自棄だ。それの対処に本気になる奴はあまり居ない。
それが勝負の明暗を分けた。俺の目にはしっかりと写っている。下がり続ける、奴の膨大なレベルが。
ーーレベルドレイン。プロトマイティアクションXに内蔵された能力。
盾も、「腕」だ。プログラム上、そういうことになっている。だから、「あの」決闘の時、ケイタのレベルは下がったのだ。
これはステータス・ウィンドウのレベル表記が全てを制する世界だ。数字は絶対である。ーーそれは裏を返せば、レベルさえ変動させることができれば優位性は一瞬にして崩れ去るということだ。
奴は今ごろになって漸く気付くだろう。自分の力が弱まっていることに。
俺はお前を倒す。そのために存在しているんだから。
俺はその態勢から、一瞬だけ盾から手を放し、初歩的な、上段から下段へと抜ける軌道のソードスキルを放った。
「あああああああああああッッ!」
気合いとともに打ち込まれた剣の、角度は完璧だった。完全に頭部を捉えた攻撃ーー。
しかし、ヒースクリフは攻撃を受ける刹那、頭部を動かしていた。そもそも、俺がこの命ででやったのは、盾に張り付いたことだけ。奴はフリーだ。回避する隙など大量にあるーー筈だった。
でも違う。奴は今、超人的なステータス・アシストがあった頃の自分と、生身と変わらない今の自分との、体感覚の差異で、まともに動けない。
奴は体を反らし、ダメージを抑えようとした。しかし、俺の剣は、絶対無敵の魔王、ヒースクリフの肩口に吸い込まれ、そこから胎動して確実にHPを奪っていく。
HPが減少していく。6割、5割、3割、2割ーーーー。
最後に。奴のHPバーが1割地点まで到達したところで、減少は遂に止まってしまった。その時には既に、奴は冷静さを取り戻しており、その長剣による刺突が俺を殺していたのだ。
後少し。後一撃でも奴に攻撃することができれば、全て終わる。
だが、それは俺とて同じだ。今死んだことで、レベルドレインの効果は切れた。つまり、奴にはあの超人的なステータスが戻っているということであり、俺の貧相な防御力では、ヒースクリフの剣を一度でも食らえば消滅してしまうのだった。
これは最後の戦い。剣士としての戦い。
最後の瞬間。最後の命で、俺は、あの完全無欠な剣士を、剣の腕で負かさなければいけないのだ。
それがどれだけの無理難題かはよく理解している。俺は今までの72の命で、一度だって奴に打ち勝っていない。
だが最後の瞬間は。それを、そんな奇跡を起こさなければいけないのだ。
コンテニュー画面を抜け。俺の命が再構成される。
泣いても笑っても、これが最後のコンテニューだろう。
「やってくれたなッ! この半死人がッ!」
そんな俺を前にして、奴は怒りを露にした。それは、不正な手段で一本取られたことに対する、剣士としての純粋な怒りであったかもしれなかった。
「コンテニューしてでもクリアするッ!」
ゲンムの決め台詞を吐いてやってから、俺は地面を蹴って駆け出した。俊敏性だけはある。速度なら負けない。
「らあッ!」
盾に一撃攻撃を入れてやると、バックステップで直ぐ様後退する。
俺は視界の端に表示されたメーターに一瞬目をやってから、直ぐに奴へ向き直った。そこから、角度と速度、タイミングを変えて、もう一度盾へと攻撃を加える。
「壊れろォッ!」
今度は、その攻撃のタイミングでソードスキルを打ち込まれた。盾が刹那的に発光したかと思うと、こちらが驚異的な力で背後へ吹っ飛ばされてしまうのだった。
「まだ、まだァ!」
地面を転がってその場から離脱し、もう一度今のような攻撃を盾へ叩き込む。退くことに重点をおいた攻撃だ。今までのように迎撃こそされなくなったものの、奴にダメージを与えることはできない。
しかし、俺は「もう十分だ」と思っていた。それは諦観の延長の感情ではない。むしろその逆。それは「攻撃」だ。
次の瞬間。俺は、ちらりと視界端のメーターを見やり、大きくバックステップしたところで立ち止まった。さっきまで、速度まかせの攻撃をしていた奴とは思えない行動であった。
それを見かね、奴はこちらへと肉薄する。きちんと盾を構え、剣を振りかざして攻撃をしかけてきた。
「地獄へ還れ、半死人ーーーッ!」
上段から下段へと、ライトエフェクトを伴った剣が振り下ろされるーー。
俺はそいつを、自分の剣で受けた。どこか心地よい金属音が響き渡り、迸った火花が地面へと散る。
それから1拍おいて。威力対抗で打ち負けた俺の剣は、半ばからぽっきりと折れてしまった。
そこから、ガラ空きになった体へと剣が叩き込まれる。左腕が切り落とされ、鎖骨を裂きながら、体内へと侵入した剣は下半身へと向かっていく。
HPバーは減少を続けているが、やがて死ぬのはもう確定事項だ。俺はもう助からない。
だが。だからと言って、ヒースクリフを倒せなくなったワケじゃない。
次の瞬間、俺は、右手を使って、切り落とされた剣の鋒を掴みとった。その鋒は既に、ポリゴン片となって崩壊しかけていた。
間に合え。そう思考しつつ、俺は、その「武器」を、力の限り、ヒースクリフのこめかみ目掛けて投てきした。
投擲スキル初歩技、シングルシュート。ライトエフェクトを纏ったそれは、まるで糸を引くように、吸い込まれるように、ヒースクリフのこめかみに命中しーー。
そのHPバーを消滅させた。
しかし。その時には、既に俺のHPバーも消滅していた。視界が黒で染まっていく。とっくに死んでいたということだ、この俺は。
『ゲームはクリアされましたーーゲームはクリアされましたーーーー』
最後に聞いたその言葉は、幻聴か、それともーー。