実況パワフルプロ野球物語   作:ユージンアームストロング

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2010年に新たにパワフル大学付属高校に新設された野球部。
そこへ新任監督として就任した山 達彦監督に直々にスカウトされた三人の野球部特待生を含めた新チームが結成されたところから物語は始まる


第一話 小波 球児

1998年、横浜ベイスターズ対西武ライオンズの日本シリーズ第6戦。

 

アナウンサー「さあ日本シリーズもいよいよ大詰め。ベイスターズ勝って悲願の日本一となるか⁉︎

9回ワンアウト一二塁。ベイスターズが2対1で一点リード。

マウンドに立ちますのは、ベイスターズのエース三浦!

第1戦では見事な二桁奪三振の完封勝利を収めています!

バッターボックスに入っているのは金村。ここまで3打数2安打1打点。

ヒットが出れば同点という場面!ここはきっちり結果を出したいところ。

初球打ちました!強い当たり!ショート正面!山!打球を掴んで643!ダブルプレー!小波との素晴らしいファインプレー!試合終了!三浦!見事な完投勝利!ベイスターズ!見事日本一を成し遂げました‼︎」

 

(テレビの前)

 

歓声「ワーッ!ワーッ!」

 

球児「ママ!見て!パパのチームが日本一になったよ!」

 

あおい「遂にやったのね…おめでとう。球一朗さん!」

 

 

その日、親父が所属していた横浜ベイスターズは見事日本一を成し遂げ、親父は2度目の三冠王を達成し、MVPに選ばれた。

 

その日をきっかけにキャッチボール程度にしかしていなかった野球を本格的に始めることとなった。

小学四年からはリトルリーグに入団し、六年生の時に全国大会制覇を成し遂げている。

尼崎の中学に進学してからは一時期スランプに陥ったこともあったが、当時のチームメイトだった雅や亮、そして元プロ野球選手で千葉ロッテマリーンズのクローザーを務めていた母さんの助けもあり見事スランプを脱出し、三年目の全国大会ではライバルの翔平を破って、優勝を達成することが出来た。

俺が野球する中でモットーにしているのが、

『野球は一人でするスポーツじゃない。九人でやるスポーツであり、仲間を大事にする』ってことだ。

これはリトルリーグの全国大会の決勝戦で戦った守にも教えてやったことだ。

俺自身、スランプに陥った時も、周りの仲間や応援してくれる人達の助けにどれだけ救われたか。

この恩は一生忘れないだろう。

 

話は変わるが俺はこの春からパワフル大学付属高校に進学し、そこに新設された野球部に特待生として入部することになってる。

スカウトとして声をかけてくれたのは親父がベイスターズでプレイしていた時に『黄金の二遊間コンビ』として有名だった達彦のオッチャンだった。

 

 

達彦「俺は実は学生時代に甲子園に出場出来なかったんだ…こうしてプロ野球選手として有終の美を飾れ、ユニフォームを脱いだ今、ここ残りだった甲子園優勝を目指そうと思っている。

お前の力を貸してくれないか?」

 

 

当時進学に悩んでいた俺にとってその一言で十分だった。

新設野球部だから知ってる仲間もいればもっと楽しくやれると思い、幼馴染だった雅や亮にも声を掛けた。

二人は喜んで一緒に入部すると言ってくれ、今に至る。

 

俺は今日、パワフル大学付属高校の校門に立っている。

これから目指す甲子園への道は困難な場面もあるだろうしひと筋縄では決して行かないだろうけど…仲間と一緒にやれば絶対に上手く行くさ!

こうして俺はパワフル大学付属高校の門をくぐった。

 

 




パワフル大学付属高校に入学した球児。
その先に待ち受けるものとは?
次回、第2話 入学式乞うご期待!

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