救出から、1日が経った。
葵さんは病院へと緊急搬送。かなりの衰弱度合いで、未だ目を覚ましていないらしい。今は祐騎が付きっ切りで看病しているようだ。
……父親の方は、見舞いに来ていないとのこと。しかし祐騎自身、一度しっかり話し合う必要性を感じているようなので、彼に任せておけば大丈夫だろう。
ということで、日常へ帰着した自分らは、これから平和な日々を送ろうとした──
「勉強しよう」
──はずだった。
──朝──
通学路、話し声が聴こえてくる。
前を歩く杜宮高校の制服を着た男女からだ。
「もうすぐ夏休みだぜ、どこ行くよ」
「えー、でもあまり遠くへは行けないし……近くの海とかかなあ」
「海! 良いねえ!」
海、海水浴か。やったことないが、楽しそうだな。
まずは泳げるようにならないことには無理だが。
……少し本腰を入れて水泳部に行ってみるか。夏前だし。
「でもその前に、テストあるじゃん。そこを乗り越えてからだよねえ」
……?
「ああ、テストな! 俺、テストの結果良かったら小遣い貰う約束してんだよなあ。もうちっと頑張らねえと」
「あ、私もママにそれお願いしてみようかな」
「良いんじゃね。そんで一緒に勉強して、高得点取って、一緒に遊び行こうぜ!」
「うん、絶対だよ」
……テスト? いつからだった?
あ、確か……11日だった気がする。
素で忘れていた……どうしよう。
根詰めて勉強して、あとはまた勉強会の要請をして、他にも色々やって……間に合うか、これ?
──放課後──
ともあれまずは勉強会の約束を漕ぎ付けることが大切だろう。
今日が7月4日の水曜日。試験が同じく水曜日の11日からだから……金曜日か月曜日辺りがちょうどいいか。
サイフォンを操作し、誘いの文面を作る。適当なものができたので、それを送信。
取り敢えずは返信待ちだ。
今日はどうしようか。
図書室や喫茶店で勉強するのもアリだとは思う。
勉強を夜に回して、日中別の用事を済ませてしまうのもアリだろう。
……でも取り敢えず、ふと思い出した返却期限の本を返す所から始めようか。
思い出して良かった。
────>クラブハウス【プール更衣室】。
本を返却した自分が向かったのは、水泳部の活動場所。せっかく朝思いついたことだし、かつテスト前では部活が停止。そうなると暫く練習できない。最優先で取り組む内容だろう。
なお、本は借りなかった。期末考査が終わってからじっくり読みたいし、どうせ暫く夜は勉強、読書の暇も取れないから。
水着に着替えてプールへ出る。
活動開始時間まではまだ少しあるみたいだが、数人がもう泳ぎ始めていた。
……そういえばまだ水泳の本を買っていなかったな。まあそれも試験が終わった後だ。
「お、岸波、お疲れ」
「ハヤトか」
おそらく水泳部で一番仲良い彼が話しかけてくれた。
泳いで向こう側まで渡った帰りらしい。引き締まった体から大量の水が垂れている。
「今日は自主練か?」
「え、自主練……? 教えてもらえない日なのか?」
いつもは指導係の先輩が付きっ切りで教えてくれるが……今日は何かの日だったのだろうか。
「あ、連絡いってなかったか、悪いな。今日は選考会……大会メンバー選出のためのタイム測定会で、上級生たちはみんなそっちに掛かりっきりなんだ」
「なるほど」
そういえば以前、年に3回の大会の為に選考会を行うといった話を聞いたな。
それが今日だったのか。
「……それって見学とかできるのか?」
「ん? ああ、顧問にお願いすればできると思うぞ」
「そうか」
上手な人たちを直接観察する良い機会かもしれない。勉強させてもらえるよう頼みに行こう。
──Select──
自分も出れるか?
>ハヤトは出るのか?
注目選手はいるか?
──────
「俺か。出るぞ。これでも一応去年の秋大からレギュラーなんだぜ」
「へえ、凄いな。応援している」
「ありがとよ」
ハヤトは少し自慢気だ。嬉しそうにしているのが分かる。
さて、顧問に許可を貰いに行こう。
────>クラブハウス【プール】。
見学の旨を申し出たところ、せっかくだからと測定手も任されることとなった。単純にタイムストップのボタンを押す掛かりだが、大事な役目だろう。気を抜かないようにしよう。
……みなさん、早いな。
フォームが綺麗だと分かる。身体が沈まず、重心はぶれ過ぎず、前へ前へと漕ぎ続けるその姿に、強い魅力を感じた。
……数グループを見送ると、ハヤトの番がやってくる。
ステップを昇り、スタート台へ。台の端に足指をひっかけ、いつでも跳べるようにセットした。
ホイッスルの音と同時に、複数人が水へと跳躍。低く刺さるように跳ぶ人、高くねじ込むように跳ぶ人、各々が色々な入水の仕方を持っているが、一番力強く着水したのは、間違いなくハヤトだった。
浮かんできた時、ハヤトは2位。しかしそこからキック力と漕ぐ力で前の人物を抜かし、堂々の一位でフィニッシュ。
周囲からどよめく声が聴こえてくる。やはり凄いタイムだったのだろうか。力の強い遊泳だった。
「おお、タイムを上げたな、ハヤト!」
顧問がハヤトを呼び止める。
ハヤトも休憩を中断し、顧問の前に立った。
「ありがとうございます!」
「来年も安泰だ。お前と“ユウジ”が残ってくれるならな! これからもライバル同士、しっかりと励み合えよ!」
「……はい」
……話が終わるころにはハヤトの意気は消沈してしまっている。
何の話をしたのだろう。よく聴こえなかったが……それとなく聞いてみるか。
────>クラブハウス【プール更衣室】。
「ハヤト、お疲れ」
「おう岸波。お疲れ、どうだ、勉強になったか?」
「ああ、参考になった。少しは変わる気がする」
「それは良かったな」
……こうして話している分には、普通だな。
さて、どう切り出したものか。
──Select──
>選考は通りそうか?
顧問と何話してたんだ?
浮かない顔だな。
──────
「どうだろうな。通ると良いんだが……」
「何か不安要素でも?」
「ああ、少しな」
少し言葉を探すように、眼球を左右に揺れさせたハヤト。
言いにくいことのようだ。しっかり聞こう。
「実はな、俺の他にもう1人、2年で早いやつが居るんだ」
「……? 今日そんな人いたか? 一通りの記録は覗いたけど、同学年帯ならハヤトが一番だったぞ」
「ああ、“今日は”、な。アイツ、今日休んだんだよ」
「選考会の日なのに?」
「選考会の日でもいつでも、サボってばっかりのヤツだ」
少し険しい表情で、握り拳を作りながらも言葉を絞り出すハヤト。
……休んでばかりいる人物が、自分と同等のタイムを出すのか。それが辛いことなのは、自分にも分かる。相沢さんの異界がそうだったように、追われる者の苦悩はやはり大きいみたいだ。
努力が、否定される感覚だったか。才能あるものが平然と自分を追い越していくのが怖い。しかし突き放せるほど生易しいものではなく、常に一歩後ろを付き纏われているような不気味さを感じ取っている。
恐らく、そんな想いをハヤトも抱いているのだろう。
それに対して掛ける言葉は、ない。彼が脅威を感じる相手のことを知らないからだ。滅多なことをいう訳にはいかないし。
「……悪いな、愚痴を言ってしまって」
「いいや、気にしないでくれ」
「……悪い」
悪いのはこちらだ。何の力にもなれない。
出来ることと言えば、話を聞くくらいのことなのだから。
────>杜宮高校【校門前】。
「良ければ、飯でも一緒に食って行くか?」
「ぜひとも」
「よっしゃ。じゃあ駅前広場でも行くか。部活の後なら肉が食いたいし」
自分は泳いでいないが、まあ彼が行きたいと言うなら付き合おう。それがきっと彼のストレス発散にもなるだろうから。
校門を出て、駅前広場へ向かおうとした際、唐突にハヤトが足を止めた。
彼の顔は、進もうとした方向とは逆方向に向いている。何があるんだろうか、と視線を辿っていくと、3人の男子生徒がフェンス沿いに座って話し込んでいる姿だった。
「ユウジ……」
ぼそり、とハヤトが呟く。聞き間違いでなければ名前だろう。あの3人のうちの誰かを知っているらしい。
──Select──
>知り合いか?
少し寄っていくか?
話しかけよう。
──────
「知り合い、というか……さっき話した、“もう1人の早いヤツ”だよ、アイツが」
3人の中でも、洸と似た髪形の少年を指しているらしい。
あれが水泳部の2年生最速の片割れ。名前はユウジか。
「……あー……なんか飯って気分でもなくなってきたわ。誘っといて悪いけど、今日は解散にしようぜ」
「……ああ、分かった」
「ほんと悪いな。いつか埋め合わせするから。じゃっ」
見たくないものから目を逸らすように、早足でその場を立ち去るハヤト。
そんな彼の背中を、一瞬だけユウジが見た気がした。
「……」
そしてすぐに会話へ戻る。
ほんの一瞬だったから分からないが、多分見ていた。視界に捉えていたはず。意識はしているらしい。
……少し、彼のことも知っていきたいな。
話は多分、そこからなのだろう。
自分も、今日は帰るとするか。
──夜──
さて、今日は勉強するとしよう。
……そこそこ集中できた気がする。
コミュ・剛毅“水泳部”のレベルが4に上がった。
────
知識 +2。