4章開幕です。
6月20日──【杜宮記念公園】両の手を伸ばして掴めたものは
……なんかいる。
マンションの出入り口にいる黒い影は……普通の男性か、スーツ姿の。
しきりに時計を気にするような仕草をしている。まるでだれか待っているようだ。
あ、その男性に近づく人がいる。
……あれは、ユウくんの姉の葵さん?
どうやら仲良く話しているらしい。歳は離れていそうだから、恋人というより親子だろうか。上司と部下かもしれないが。
どうしよう、話しかけるべきか。
いや、少なくとも挨拶だけはしておくべきだろう。
そう決めて歩き出そうとした瞬間、隣を面識のある男子生徒が通り過ぎて行った。
「──なんでいんの?」
その男子──ユウ君が思いっきり不快感を滲ませた声を出す。
やはり知り合いか。
「フン、私だって来たくて来たわけではない」
男性も不快そうな表情と顔で応える。
……良くない雰囲気だ。
「で、何の用?」
「お前が何をしてるか興味はないが、出席日数が足りないとはどういうことだ。まさかあれだけ豪語して家を飛び出しておきながら、学校にも満足に通えんのか」
「ハァ? その眼は節穴なワケ? それとも老眼? 学校ならこうして通ってるでしょ」
「お前こそ、栄養が脳に行ってないのか、それとも単純な愚かさか。出席日数のことを言っているに決まっている」
「まあまあ2人ともそのくらいで」
葵さんが間に入る。
入らなかったら殴り合いになりそうな雰囲気だったな。
「これ以上休んだら家に戻すからな」
「勝手に言ってなよ。ボクが稼いだお金で過ごしてるんだ。文句言われる筋合いはないけどね」
「ちょ……ユウ君! お父さんも!」
お父さん、と葵さんは言った。
つまりユウ君と葵さんの親族なのか。
それにしてもいまのユウ君の言い方的に、いろいろあって1人暮らしをしているみたいだ。
異様な仲の悪さといい、気になることも多い。次に下で会った時は聞いてみようか。
──放課後──
本を返却した帰り道──なお今回は一冊だけ借り直し、新たに本を借りることは辞めた──に1階廊下を歩いていると、階段前で亜麻色の髪の同級生とすれ違った。
鞄を持って降りてきた所から察するに、これから帰りなのだろう。
彼女はこちらを一瞥し、あら、と零す。
「こんにちは、岸波君」
「ああ、こんにちは柊、今日も見回りか?」
「……ええ、じゃあこれで」
……止める暇なく行ってしまった。1人で行くつもりだろうか。
いや、そのつもりもなにも、彼女はもともと独力で行動していたのだろう。異界探索のプロ。他人を巻き込まず、誰に気付かせる訳でもなく、異界を沈めて歩く人に付けられた称号らしいから。
だが心配だ。どれだけ強くても、1人で行動する以上、どうしても気にかかる。断られることを承知で強引に着いていけば良かったな。
しかしこの広い街を単独で、か。力になれるかは分からないけれど、自分も注意して見回りとかしてみようか。色々な場所へ赴くのは変わらないのだし。とはいっても柊とは違い、1人では満足にできないだろうから、誰か誘ってでも。
そんなことを考えながら自教室へ向かう。鞄を取ったついでに周囲を見渡すと、璃音の鞄はもう机になかった。彼女ももう帰宅したらしい。
洸はまだ残っているだろうか。
2つ隣の教室へ向けて歩いていると、目的地であるB組教室前に、見知った女子生徒の姿を見つけた。
向こうもこちらに気付いたらしい。ジャージ姿の女子──郁島 空は笑顔で話しかけてくる。
「あれ、岸波先輩、こんにちは!」
「空、こんにちは。洸に用事か?」
「いえ、今日はアスカ先輩をお誘いに。岸波先輩は?」
「自分は洸を探しにな。柊ならさっき帰って行ったぞ」
「ええっ!? そうなんですか……うぅ……残念です」
肩を落とす後輩。しかし柊を誘いにくるなんて、ずいぶん仲が良くなったんだな。
しかし、服装を見るにこの後は部活なのでは。
「あ、いえ、少し運動しようと思ったんですけど、空手部の先輩たちはみなさん予定があるみたいで。せっかくですし、お誘いしようかなって」
「なるほど」
ジャージにまで着替えて準備万端、という感じだ。
でも、教室にお目当ての姿はない。宛が外れた形になった、と。
「なら空は暇なのか?」
「暇……そうですね、時間は余ってます。どこか行きますか?」
「ああ、街の見回りに行こうかなって」
「見回り……行く、行きます!」
なんか、とてもやる気だ。どうしたのだろう。
「……いえ、実はその、あれ以来声を掛けて下さらなかったので、頼りにされてないのかな、とか思ってました」
「そんなことはない、頼りにしている」
そう思わせてしまったのは、自分の失態だ。
今までなら戦闘の流儀や立ち回り、属性相性などを確認する為に異界へ赴くのだけれど、色々あって後回しになってしまっていた。
しかし、そういうことなら。
「今から行くか」
「えっ」
「異界」
ペルソナの確認とかもしておかないといけないし。
────>【翠の小迷宮】。
駅前広場に顕現している、脅威度の低い異界へとやって来た。
空は少し緊張した面持ちである。あんなことがあった後の初異界。無理もないが。
「じゃあ早速、ソウルデヴァイスの確認をしよう。出し方は分かる?」
「えっと、大丈夫、だと思います。なんか“ここにある”って感覚が、多分そうなんですよね」
「ああ。じゃあ、好きなタイミングで呼び出してみてくれ」
「はい!」
すぅー、はぁーと大きな深呼吸を一度。
凛々しい瞳で一度まっすぐ前を捉え、静かに双眸を閉ざす。
腕を胸の前で交差させ、もう一度深呼吸。
──すると、合わせた両腕が金色の光を纏い、強く発光し始めた。
「轟け──」
目を開き、腕を胸前から開放する。
輝きを纏ったままの両腕を腰まで引いた後、その光ごと右拳を前方へ振りぬく。
正拳突きを放った衝撃で輝きが離れるのと同時、輝きの中から、金属に覆われた腕が出て来た。
その勢いを活かし、身体を反転。こんどは裏拳で、左手に宿った光を払う。
その左手にも、金属具がついている。
両手についた金属は、手甲のような形をしていた。
「── ”ヴァリアント・アーム” ッ!!」
空手に打ち込んできた、彼女らしいソウルデヴァイス。
腕を覆うことで、攻防の要を腕のみに集約する。
「これが、わたしのソウルデヴァイス……わたしだけの、闘う力」
「ああ、空の力だ」
「……ッ!」
嬉しかったのか、何度も何度も素振りをする彼女を見ながら、考える。
自分のソウルデヴァイス“フォティチュード・ミラー”は防御型。柊の“エクセリオンハーツ”は、万能的な攻撃型で、洸の“レイジング・ギア”は範囲攻撃型。璃音の“セラフィムレイア―”は攻防に振れない特殊型だとすると、速度と攻撃力が高い純粋な攻撃型は初めてとなる。
作戦の幅が広まりそうだ。
「あ、すみません岸波先輩! 夢中になってしまって」
「いいや、時間はあるんだから気にするな。満足したなら、次はペルソナの召喚に移って欲しい。出し方は、サイフォンにソウルデヴァイスを格納させて、システムを起動させるだけだ」
言っていて難しいことのように感じたので、1から説明する。
順序だてて説明したことが功を奏したのか、彼女はたった数分で、召喚をものにした。
「うなれ──“セクメト”!」
左手に持ったサイフォンへ掠らせるように、身体の正面で、手を交差させる。そのまま通り過ぎた右腕を戻し、サイフォンの画面上に指を滑らせた。
彼女を中心に突風が巻き起こる。
空の後ろに現れたのは、獅子の頭に赤い球体を乗せ、それでいて青と玄の縞模様が入ったマントを羽織っている女性。
その名をセクメト、先日呼んだエジプト神話にも出て来た神の一角である。
「はぁ……はぁ……でき、ました……」
「ああ、見ていた。凄かったよ」
「えへへ、ありがとうございます」
実際に凄い迫力だった。この風格なら即戦力としてより一層の期待が持てそうだ。
詳しく聞いてみると、“セクメト”が使用可能なのは、風属性の技、“マハガル”と“ガル”。物理系の“アサルトダイブ”に“逆境の覚悟”らしい。
うん、ガチガチの攻撃系だ。
怒らせないようにしよう。
そんなことを内心で考えてしまったが、顔に出さずに話を進めた。
後は実戦で試していくだけだ。
────>杜宮記念公園【杜のオープンカフェ】。
探索がある程度終わり、空の戦闘の呼吸などについても大体掴めてきた所で、切り上げることにした。
そのままの足で記念公園へと赴き、空いた小腹に軽食を流し込む。
「岸波先輩って、この辺りに住んでるんですか?」
「ああ、そこだな」
「そこって……あ、あの大きなマンションですかっ!?」
「ああ、そうだけど」
「す、凄いですね!」
「自分が凄いわけではないけどな」
凄いのは、自分に出資してくれた北都の人たちだ。
今、自分はその恩に報いる程の行いができているだろうか。そこへ近付けているのだろうか。
「……空は商店街の脇道にあるアパートだったか?」
「はい、そこで1人暮らししてます」
「前の調査で行った時、色々な話を聞けたよ。近所の人たちに愛されているんだな」
「あはは……本当にありがたいです。商店街の人たちだけでなく、空手部の皆さんも、この同好会の皆さんも、クラスメイトの皆さん、教員の皆さん、みんなみんな、とてもよくしてくれています」
心の底から穏やかな表情で、彼女は笑った。
それは、とても魅力的な微笑みだった。
それを一目見るだけで、今の彼女の幸せが手に取るように見える程。
「それは、良かったな」
「はい!」
こんな素敵な笑顔になれるなら、自分もご近所づきあいに精を出してみたくなる。今では少し気後れしてしまっているところもあるからだ。
気付かされた。この町での生活を楽しいものにしたいなら、自分のすぐ近くから働きかけていくべきだと。
そう思うと、自分のご近所……あ、ご近所といえばユウ君や美月も該当するのか。
でもそうだな、まずは同年代から攻めるべきだろう。
「……さて、良い時間だった。良ければまた一緒に」
「あ、そこまで一緒に行きます!」
「そうか?」
自分も彼女も食べ終わっていたので、特に気を遣うことなく立ち上がって歩き始めた。
いや、年上を送らせている時点で、気を遣わせてしまっている気もするが。
マンションの前まで近づく。
「──、────!」
「────ッ!!」
……? どうしただろう、いつもに比べて少し騒がしい気がする。
「だーかーらー! 必要ないって言ってんだろ!」
「そういうのは1人ですべて出来るようになってから言え。学校にはろくに行けず、家事は葵に手伝ってもらう始末。お前は、家を飛び出した所で何も成長していないし、何も為せていない」
「はっ。今為してるところだっての。家事は姉さんが勝手にやってること。頼んだ覚えはないし、自分だけでもしっかりできるね。学校に行ってない? あんなの、行く必要がないから行ってないに決まってんじゃん。時間の無駄だっての」
「そう言ってまた逃げるのか。本当に成長しないな、愚息」
「っ……言わせておけば!」
朝の親子が言い争っていた。
制服姿と、スーツ姿で。
「岸波先輩、あれは……」
「多分、親子喧嘩だな」
「ですね。それにしてもあの右側の子、どこかで見たような」
「彼はユウ君。空と同学年だ。あまり学校には行っていないらしいから、知らなくても無理ないと思う」
「あっ! 廊下ですれ違ったことあります!」
そんな話をしている最中も、彼らの口論は止まらない。止めるべきだろうか。ほとんど無関係の自分が。
あれ、止めるといえば、今朝仲介役をしていた葵さんは何処に……?
「あら、岸波君?」
声を掛けられ、後ろを振り向くと、ユウ君のお姉さんである葵さんが、葱のはみ出たエコバッグを片手に立っていた。
「こんにちは、葵さん」
「もしかして、ユウ君と遊びに来てくれたの!?」
「いえ、自分の家もここなので」
「あ、そういえばそうだったね。せっかくだし、一緒に鍋でもどうかとおもったんだけど」
「あはは、すみません。今日は遠慮しておきます」
この時期に鍋……暑くないか?
でも、家族で摘まむのなら良いのかもしれない。
「……あら、そちらの子は?」
「ああ、学校の後輩です」
「こ、こんにちは! 郁島 空です!」
「こんにちは、四宮 葵です」
空が深々と頭を下げると、それに合わせて葵さんも深く頭を下げる。
できた大人だ。
「学校の後輩ってことはもしかして、ユウ君と?」
「そうですね、同じ学校の、同学年にいる生徒ということになります。クラスは違うみたいですが、面識もあるみたいです」
「! 郁島さん! ユウ君をぜひお願いね!」
「え、は、はい!」
なんのことかは分かっていないのだろうが、勢いよく葵さんが空の手を取って頼み込んだ結果、了承のような返事が漏れてきた。
……まあでも、悪いことではないし、いいか。
「あ、そうだ。そのユウ君なんですけど」
放っておいて良いんですか。と尋ねる。
入口では、まさに絶頂ともいえるほど議論をヒートアップさせた両者が、それでもまだ口喧嘩を続けていた。
それを見た葵さんも、大変急がなきゃ、と自分たちに別れの挨拶をして走り出す。
──だが、ここでヒートアップした所に葵さんを向かわせたのは、間違いだったのかもしれない。
「ユウ君、お父さんも、それくらいで」
「葵、帰ってたのか……だいたい、葵が甘やかし過ぎたのも原因だ!」
「えっ」
「ね、姉さんは関係ないだろ!」
ユウ君の声色がいっそう荒立った。
「関係ないものか。昔からお前の足りないところを勝手に補っていたのは葵だ。その過剰な構い方のせいで、自分がなんでも1人で出来ると思い込ませてしまった」
「だってほら、家族だし、ユウ君可愛いもん。お父さんもそうでしょ?」
「フン、こんな生意気に育った愚息が可愛いものか」
「──」
少し、少しだけ言葉をなくしたように、ユウ君が怯む。
だが、次の瞬間にはまた立て直し、煽る言葉を継ぎ足した。
「家族? ふざけないでくれる? こんな話の通じない男の息子なんて、真っ平御免だね」
「え……ユウ、君……?」
「そもそも、上から物言うしかできない雑魚は引っ込んでてよ。お呼びじゃないんだ。アンタの力なんてなくても、こっちは生きていける」
「フン、私もお前のような男が息子だとは思いたくないな。勝手にするといい。ただし、籍は抜けてもらうぞ」
「お、お父さんまで、何言ってるの?」
「だいたいお前が甘やかし過ぎたから、愚息がここまで付け上がったんだ。今日だって朝も夕方もこうして時間を取る羽目になった……どう責任を取るんだ」
「ははっ、そうやって責任を押し付けるとか。いい気味!」
「……私の」
「ん?」
「私の、せい……?」
「や、姉さんのせいって訳じゃ……」
「そうだ、お前の所為だ。お前たち2人の所為だ! こうして貴重な時間を割くのも、無駄な心労も! すべてすべてすべてお前たちの!」
自分は、その瞬間を見た。
“赤い亀裂”が、葵さんとユウ君の後ろに浮かび上がった瞬間を。
地面を強く蹴る。
間に合え。
亀裂が広がる。
周りの空気を呑み込もうとして、近くにいる2人も、引き寄せられる感覚に気が付いた。
届け。
手を伸ばす。
以前空ぶった手を、今度こそ掴んでみせると。
届──
「岸波君!」
寸前で、葵さんが、こちらへユウ君を突き飛ばし。
「────」
受け止める形で、ユウ君と自分は、そのまま地面に。
それを見届けた葵さんは、“笑顔のまま”異界の奥へと消えていった。
ユウ君もとい祐騎編。いや、四宮家編かな。スタートです。
それにしても展開早え……2日に分けたかった。
違和感あったら御指摘くださると助かります。