……今日は異界攻略再開の日だ。
筋肉痛は無くなっている。ベストとはいかなくても、コンディションは良い方だろう。
本番は放課後から。まずはしっかりと学生としての仕事を果たさなければ。
──放課後──
────>ソラの異界【有閑の回廊】。
『現在の攻略状況は、凡そ50パーセント。皆さん、頑張ってください!』
桜の声がサイフォンから響いて来る。
半分は超えたものの、周囲の状況で目に見える変化はない。
どこまでも同じような回廊と景色。もしかして自分たちは騙し絵を見ているだけで、今目に映っているのは風景でもなんでもないのではないか、などと疑問を抱くほどに変わっていなかった。
しかしながら、目に見えない変化は確かに存在する。
「っ……ふう、何とか倒せたか」
召喚したペルソナ“ラー”を戻しつつ、時坂は溜め息を吐く。
以前に比べて少しではあるが、ペルソナ能力発動による消耗は減っている。微々たる変化でも、連戦はかなりやり易くなった。
しかしだからといって疲労がたまらない訳ではない。まさに今、強敵との連戦が続いたような状況では特に。
「辛勝といった感じかしら。もう少し余裕を持ちたいところね」
「てか、急に敵強くなったよね」
「異界の奥に進めば進むほど、シャドウは凶暴性を増し、強くなっていく。心の防衛機能よ、割り切るしかないわ」
「それは分かってるんだけどさ。ちょっと愚痴りたかっただけ」
こうも厳しい戦いが続けば、不満の1つも言いたくなるだろう。指揮官である自分の失態だ。
だが、実力不足は格上と戦って補っていくしかない。経験は自分を強くし、戦闘を楽にする。あと少し同じ敵と戦えれば、何かしらの攻略法が見えてきそうなんだが。
「てか、よくいる小鬼っぽいのとか球体モドキのとかのシャドウならまだいいんだけど、大きいシャドウと戦うのは少しキビシーかなあ」
「厳しい? 戦いづらいってことか?」
「うんまあそういうカンジ。なんて言うか、あんま仰け反らないから反撃がさ、こう……ね」
「あー、そういうの分かる気がするぜ」
何かを濁すような璃音の発言に、時坂が理解を示す。
「久我山のソウルデヴァイスは身体に密接してるし、攻撃するときに身体を半回転くらいするから、なんかあった時怖えんだろ」
「あ、うん、多分それ」
多分……?
まあ時坂の発言が正しいとすればつまり、ソウルデヴァイスにおける相性の話だったのだろう。
「オレのソウルデヴァイスも、小さい敵に当たり辛え。そういう意味では久我山と同じく、厳しいってか、苦手ってヤツなんだろ」
「……そういえばよく外してる」
「それはマジで悪い。でもまあそういうことだ。そこら辺も慣れてかねえと」
「でも慣れすぎるのも怖いよね。注意してない時こそミスをするって言うかさ」
「まあな……」
少し空気が重くなった。
危険を減らすには慣れが大事だけど、慣れてしまうと危険を忘れる。忘れてしまうと、いざと言う時に対応ができない。
特に自分たちは、命を掛けて戦っているのだ。それだけは、心に刻んでおかなければ。
「その点、岸波のソウルデヴァイスは自在に動くし、最近は小回りが効くようになって、扱いやすそうだな」
「最近はね。けど、上達しても回避の上手い敵とは戦いづらい」
ソウルデヴァイス、“フォティチュード・ミラー”で攻撃は、鏡部分を大きく動かしたり、腕を大きく振りかぶって行っている。しかし、基本が操作による遠距離攻撃武器である以上、躱されて内に入られたり、受け流された隙を突かれたりすると、致命的に防御が間に合わない。待っているのは手痛い反撃だ。
……もっとうまく扱えれば。
また
「アスカはさ、苦手なシャドウとかいないの?」
少し後ろを歩いていた柊の横まで璃音が下がり、会話に交ぜる。
尋ねられた柊は少し困ったような笑みを浮かべて答えた。
「そうね、苦手という括りは特にないかしら」
「さっすがアスカ。カッコイイ!」
目を輝かせて褒める璃音。
だがその一方で、柊の表情はあまり晴れていない。
それどころか、少し冷たさを増していた。
「……ただまあ、出来れば狼型のシャドウとは戦いたくないわね」
「戦いたくないって、それ、苦手と何が違うんだ?」
「違うのよ」
「何処がだよ……」
「まあまあ」
放っておくと厄介そうだったので、早めに介入。
本当にこの2人は仲が良いな。気が付くといつでも己の意見を隠さずに言い合っている。
「しかし確かに、柊にもそういう存在がいるのは意外だな」
「まあ、ソイツらが出て来た時はオレらに任せな」
「いいえ、それには及ばないわ。苦手ではないと言っているでしょう」
「「「……?」」」
苦手じゃないけれど、戦いたくない。でも、他の人に戦いを譲ることもない。
謎かけのような話だ。つまり、どういうことなんだろう。
「攻撃の衝動が抑えきれないだけだから。下手に前に出られると、その人諸共凍らせてしまうかも、ふふっ」
前に出るまでもなく、既に凍り付きそうな勢いだった。
少なくとも口を動かせるほどの体温は自分たちに残っていない。
……まあ彼女の様子がおかしくなることがあれば気を配っておこう。
──声が、聴こえる。
『聞いたよ郁島さん! 空手やってるんだって? 凄いね!』
『玖州に居たんだっけ? 武者修行ってやつだ!』
『まだこっちに来て少しなんでしょ? 良ければ案内してあげよっか?』
『あ……ごめん、今日はこの後道場にいかないといけないの』
『そっかあ、じゃあまた今度ね』
誰かと誰かの話し声が聴こえてきた。
『疑問に思ったことはなかった。わたしは、なりたいものの為に頑張っているのだから』
声──郁島さんの心は、深くしまった彼女の想いを零す。
『“つよい人”になりたかった。アノ人みたいな、誰かの為になれる人に』
「今のを聞くに彼女は、その努力の在り方を後悔しているのかしら」
そう……なのかもしれない。
彼女の理想は、過去のものであると表現されていた。
当時はこう思っていた。今は違う。
当時はそう信じていた。今は違う。
その原因、何かしらの転換点を探すのが、今回の鍵となりそうだ。
「久我山さん、何か感じたことは?」
「ん、あ、あたし?」
「ええ。久我山さん、1人だけ耳を傾けている時の表情が違ったから」
表情?
郁島さんの心の声を捉えることに必死で、周囲に気を配れていなかった。
璃音はどんな気持ちで、彼女の秘めたものに触れたというのだろう。
「……まあ、少し考えただけ。疑問に思ったことはなかったって、郁島さん言ってたでしょ。つまり、それを支えていた精神的支柱──憧れていた目標が揺れたんだと思う」
「……そういうこと、なんだろうな。それが何かは──」
「遠ざかったのか、遠ざけたのか、詳しい理由までは流石に分からないケド……さ」
璃音はそこで口を閉ざす。
まだ考えがまとまっていないのだろうか。
それとも、言いたくないのだろうか。
……誰かの為になれる人。憧れ。つよい人。
これらの言葉が、誰を指しているのか。
自分の思い違いでないとしたら、その人物は──いや、だとしても、起こったはずの決定的なナニかについて、情報がまったくない。彼女の想いと在り方を歪めてしまうほどの強烈な出来事が、どこかであったはずなのに。
しかしもし、当人同士が気付いていなく、郁島さんの本心だけがそれを感じ取っているのだとしたら、両者にとって少し酷な話になりそうだ。
────
『異界最深部へ到達。高エネルギー反応探知。突入の際は、入念な準備をお勧めします』
大きな扉があった。
まるで、最後の防壁のような。
見ているだけで、入るべきではないと直感が訴えてくる。ここは、そういう為の場所ではない、と。
だが、進まなければならない。
目の前で起こる悲劇から目を逸らさない為に。
「みんな、最深部突入は明後日、日曜日に行いたい。無理な人はいるか?」
全員が首を振る。
力強い瞳で、やろう、と訴えかけていた。
「じゃあ一日の休養を挟んでから、最後の攻略を始める。よろしく頼む」
「「「応!」」」