正直勉強会って、友達とずっと話すか、一言も話さないで集まった意味がなくなるかしか記憶にない……
昼休み。教室で昼食の焼きそばパンを食べていると、急にポケットでサイフォンが振動した。誰かから連絡を受け取ったらしい。
開いて確認してみると、差出人の欄には時坂の名前がある。
『よお。今日の勉強会だが、レンガ小路の珈琲屋でいいか?』
そう、本日は水曜日。ゴールデンウィーク前に約束した勉強会の日だ。
レンガ小路の珈琲屋、確か【壱七珈琲店】。場所は分かりやすい。つい1週間程前に通りかかり、時坂の友人たちに囲まれた場所だった。
『自分は構わない。柊さんと璃音は何て?』
『柊は大丈夫だとよ。久我山は返信してこねえが……』
話の渦中にいる彼女の席を眺める。
……もの凄い人だかりだ。何かあったのだろうか。
『なんか忙しそうだ』
『なら後で良いか。放課後までには返信来んだろ』
『……まあ無理そうなら折を見て自分が話を振ってみる』
『頼むわ』
こちらは勉強会への参加を依頼した側だ。本来であれば場所の指定も出席状況の把握も、自分と璃音がやるべきことだったのに。
せめて自分たちのことは自分たちでどうにかしなければ。
なんて。
色々危惧していたものの特に問題も起きず、授業開始10分前に集団から解放された彼女は、サイフォンを開いて未読の通知を確認、少し考え込んだ後に了解の返事を送った。
それにしても、彼女は何故囲まれていたのだろうか。
少し思考していると、不意に彼女と目があった。少し不満そうな顔をしている。何だろう?
──放課後──
────>レンガ小路【壱七珈琲店】。
奥の席を借りて、制服姿のまま4人で机を囲む。
「それでは、勉強会を始めましょうか……はぁ」
「おー……」
「「……?」」
心なしか、女子2人には疲れが見えた。
璃音はまだしも、柊さんがここまで疲れを見せるのは珍しいな。
なんとなく違和感を受ける光景に内心首を傾げていると、ポケットの中でサイフォンが振動した。
机の下で隠しつつ開くと、時坂からのメッセージが届いている。
『柊のことなんだが、連休明けの初日休んでた。昨日は登校してきたが1日こんな感じだったし、何かあったのかもしれねえ』
『成る程』
とはいえ、それを話してくれる柊さんでもない。これは相沢さんの時に感じたことだが、彼女のスタンスとしては、必要な情報を必要な分だけ与えるといったものなのだろう。
つまり、自分たちに関係あることであれば、彼女は自ら報告してくれるはずだ。
それがないと言うことは、完全に別件なのだろう。多分。
「それで、何か不安な科目とかはあるかしら。できる限りで協力させてもらうけど」
「自分は全体的に危ない」
「ぶっちゃけたな。……オレは社会だ」
「あたしは数学……なんかどうしても頭に入らなくて」
「……なら、岸波君はそのどちらかを一緒に勉強してもらって良いかしら?」
「ああ、寧ろよろしく頼む」
勉強会というのは、教える側が知識の整理をし、教わる側が知識を仕舞い込んでいく作業だ。
「ここは──」
「ああ、成る程」
「ゴメン柊さん、この問題は?」
「ああ、ここは──」
教わってる側の質問が、気付きもしなかった勘違いに気付かせたり、思いもしなかった学習し忘れに気付かせてくれることもあるという。
「……時坂君、そこ、間違ってるわ」
「っと、すまねえ」
「岸波君が今躓いているところは、さっき教えた公式の式変形を使えば解けるはずよ」
「……確かに。これならいける気がする」
──だが、そんなものはないと言わんばかりに、柊さんは優秀だった。
正直、柊さんにとってこの勉強会は得になるか分からない。誘ったときに渋られた理由が今ならわかる。似た体験を今までもしてきたのだろう。
だとすると……というか、あれ。この勉強会を主催した意味って見失われてないか?
「そうだ、別に勉強だけ教わりたいわけじゃなくて、情報交換をしたかったんだ」
「あ!」
璃音が思い出したように声を上げる。
一方で時坂と柊さんは首を傾げていた。
「情報交換って?」
「ああ」
この勉強会が成立したきっかけを話す。
璃音との相談内容。他のクラスの情報を必要としていること。横の繋がりが広い2人にお願いしたいこと。
一通り話し終えると、2人は数回頷いた。
「確かに、他のクラスの情報があれば、突拍子のない問題にも解答できるわね」
「ああ。けど指導内容か。なんか変わったことあったか? ここテストに出すって話も聞いてねえし」
「他には、こんな予備知識を与えられた、とかでも教えてくれると助かる。ふと零すこととかもあるだろうから」
「予備知識、ねえ……」
考え込む2人。
まず情報として出てくるとしたら、所属するクラスの担任であり、数学の担当教師でもある九重先生についてか。
「そういえばトワ姉も授業中によく雑学っぽい話をしてくれんだよな。最近もなんかあったはずなんだが……」
「最近のと言うと、もしかして虚数の正負についてかしら?」
「……流石だぜ柊、まさかそういうの全部覚えてんのか?」
「いいえ、たまたまね。強いて言うなら単純に九重先生の授業が上手かったというだけ。他にはせいぜい国語と社会について覚えているくらいよ」
それでも十分だと思うけれど。
しかし、数学の知識か。ぜひ聞いておきたい。
「それでその、複素数が何だって?」
「それを話す前に前提知識の確認をさせてもらうわ。虚数は2回掛け合わせることで負の数になる。これは大丈夫かしら」
「ああ、そのくらいなら」
「えっと、2乗したら2乗した数にマイナスを付けるんだよね?」
「その通りよ。なら、質問。“2乗する前の虚数そのものは本来、正の数でしょうか? 負の数でしょうか?”」
「へ?」
──Select──
正の数。
負の数。
>どちらでもない。
どちらでもある
──────
虚数は虚ろな数と書くとおり、本来存在しない曖昧なもの。本来存在しない数に姿・形……この場合は記号を与えて定義することで、それまで説明がつかなかったあらゆる事柄の解明に利用しようと企てられたものの一部。
存在していないものに正や負の区別は付けられない。だとしたら残るはどちらでもないかどちらでもあるか。
まあここから先は勘で、それまで誰も見つけてない数なら符号とかついていないのではないか、という推測なのだが。
「岸波君、正解よ」
「ほっ」
どうやら自分の勘も捨てたものではないらしい。
まあ2択まで絞れているので高が知れている能力だが。どちらかは当たるのだし。
「うわ、あたし負の数だと思った……何でそうなるの?」
「単純に、同じ正の数同士を掛け合わせれば正の数になり、同じ負の数同士でも2回掛ければ正の数になるわ。間違えそうだったら1回計算してみるのも良いわね」
「あ、そっか……確かに正の数とも負の数とも違うね」
「その点を踏まえると、恒等式と呼ばれるものがあって──」
しかし、ないはずのものをあるように語るなんて、恐ろしい話だ。
確かに夢やロマンはあるかもしれない。
けれどもそれは人類が“こういうのがあれば説明できるんだけどな”を勝手に作り出して、解き明かした気分になっているだけとも取れてしまう。
何者かの手で、ある物がなかったことになり、ない物があることにされてしまうことが蔓延する世の中になったら、“本物の価値”はどうなってしまうのだろうか。
「……ちなみに、他の教科で何か思い浮かぶ話はあるか?」
「……そういやあ、社会の先生が休暇中にフランスへ行ったって話があったな」
「フランス?」
それが何か関係あるのだろうか。フランスに関係する問題が出るとか? だとしても、もう少し情報が欲しい。
「具体的にどこを回ったとか、どこを気に入ったとか聞いたか?」
「いや。だが今学期に入ってから、特に芸術に関する話題が多いように感じたぜ」
「あ、上野の美術館に行ったって話はあたしも聞いた!」
「美術……」
「絵か……」
どうやらフランスで絵や絵画に嵌ったらしい。知らなかった。
しかし、だとしたらどういう問題が出るだろう。絵を乗せて、画家を聞く問題とか?
「……! そういやジュンが何か言ってたな」
「小日向君が?」
「ああ、他のクラスでの授業で、画家の出身地についての話があったらしい。確か……この中で“ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌのなかで、生まれがフランスではない画家は誰か”ってやつだ」
挙げられたのは、3人の画家の名。
この中に1人だけ、フランス人ではない人間が居るのか。
だとしたら、それは──
──Select──
>ゴッホ。
ゴーギャン。
セザンヌ。
──────
ゴッホだろう。
よく勘違いされがちだが、彼は日本で言う上京。芸術の最先端たるパリに移住したオランダ人だ。
「よく知っているわね。確かにゴッホ──ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが正解よ」
「え、ゴッホってフランスの画家じゃないの? アルトだっけソプラノだっけ、とにかく何かフランスの絵を書いてなかった?」
「アルルね。アルルにある跳ね橋を描いた絵等は確かに存在するけれど、それは出生と関係ないわ」
「てか、何で久我山はそれが何の絵か分かるのに地名が分からねえんだよ」
「い、良いでしょ別に! 紛らわしかったのよ!」
よほど恥ずかしかったのか、顔を赤くして手を上下に振る璃音。
まあ、勘違いしても仕方のないことだろう。現にゴッホの活動の主体はフランス、部屋の絵も跳ね橋の絵もカフェテラスの絵もフランスで書かれたものだ。認識としては間違っていない。
自分も、入院していた時に集めてもらった資料を読んでいなければ、間違えていた自信がある。
「ちなみにこの問題の3人は“後期印象派”に分類される画家だな。印象派──フランスの画家であるマネが描いた“印象・日の出”から名付けられた、当時は異端とされた手法で絵を描いていた人たちの中でも、主に19世紀末に活躍した人たちだ」
「……詳しいのね、岸波君」
「本に書いてあっただけの知識でしかない。実物を見たこともないし実際にあったこともないからな」
「「「あるわけない」」」
それはそうだった。
ペルソナにゴッホとか居ないだろうか。居ないか。
でも、有名人がペルソナになったらやりづらいと思う。知っている偉人と共に戦うなんて想像できない。それが例え被創作物だとしても、だ。
そういえば自分も時坂も璃音も、それぞれ異なるペルソナを持っている。しかし何故そのペルソナが目覚めたのかは分かっていない。せっかくだし、今度逸話について調べてみよう。丁度自分のペルソナについて載ってそうな本が借りられたことだし。
その後は、自分の歴史知識を使って社会の勉強を進めたり、予想問題を柊さんが出してくれたり、時坂と璃音が他のクラスに質問を回してくれたりと、1日で結構捗らせることができた。
定期試験前は、例え何人かでもこうして集まる機会があると良いかもしれない。自分や時坂、璃音はともかく、柊さんも得るものがあったようで、今後の試験でも時間があった時に声を掛けてくれるらしい。
試験まであと5日。このまま頑張っていこう。
──夜──
勉強の合間、暇つぶしに本を読むことにした。
“季刊・ミリタリーマニア”、昨日の続きである。
「……」
軍事運用されている≪機動殻≫に関する詳細ページに目を通す。
それを構成する金属材料、接続等の技術、設計に関心を抱いた。
漢の趣味を理解した気がする。
……さて、もう少し勉強しようか。
知識 +4。
魅力 +2。
──────
正直そんな本格的な授業内容はしたくないが、今後使う知識でなくても、岸波白野として虚数だけには絡んで欲しかった。なんとなく。
選択肢回収
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40-1-1(兼40-1-2)。
──Select──
>正の数。
負の数。
どちらでもない。
どちらでもある
──────
虚数か。2乗するとマイナスになるとはいえ、そもそもマイナスは付いてないから、正の数になるのではないだろうか。
「違うわ。正の数でも負の数でもないのが正解よ。具体的に何か正の数か負の数を思い浮かべてみて? それを二回かけてマイナスになるかしら?」
→なりません。おわり。
────────────
40-1-4。
──Select──
正の数。
負の数。
どちらでもない。
>どちらでもある
──────
どちらかは分からない。しかし少なくとも、どちらでもないということはないだろう。
仮にも数学的表現なのだ。符号くらいは付いているはず。
「その、どちらでもある、という意味が分からないのだけれど」
「……すみません」
やはり違うらしい。
言ってて自分でも何言ってるんだろうと思った。
→この選択肢いらない疑惑。
────────────
40-2-2。
──Select──
ゴッホ。
>ゴーギャン。
セザンヌ。
──────
ゴーギャンだ。この中で一番、名前がロボっぽい。恐らく画家ではなくAIというひっかけ問題だろう。
「……何を言ってるの?」
「本当にすまない」
圧を感じた。真面目にやれということらしい。
真面目なんだけどなあ。
→嘘つけ。
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40-2-3。
──Select──
ゴッホ。
ゴーギャン。
>セザンヌ。
──────
何か聞いたことない名前だし、この人にしようか。
ゴッホ、ゴーギャンときているのだから、せめて権田原くらいの語感は欲しいな。
「そういう問題じゃない」
→そういう問題じゃない。
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