「ソラーッ!」
時坂が少女の名を叫ぶ。
彼女は、いや、彼女たちは立っていた。
それでも、向けてくる表情には差がある。
片や、バカにしたような笑顔、片や、泣きそうなほど悲痛な顔。
目尻に涙を溜めた辛そうな面持ちの少女は、ゆっくりと口を開く。
「コウ、センパイ……なんで」
「決まってんだろ!」
彼は彼女を庇うように前に立ち、もう1人と敵対するように向き合った。
「助けに来た!」
溜まっていた涙がこぼれる。
彼女は、何をそこまで追い詰められていたのだろう。
それを知る為にも、もう1人に話しかけなければ。
「初めまして。相沢さん……で良いんだよな?」
『ああ、転校生……何しに来たの、邪魔しないでくんない? 時坂も、玖我山も、帰国子女も』
「邪魔するも何も……何をしてるんだ?」
『別に。ただ教育してるだけ』
「教育……ねえ」
先輩の背中を見て、安心感から涙を流す少女を見た後に、その言葉が信じられるわけがない。
「相沢の言う教育ってのは、後輩を泣かせるもんなのかよ」
それを、時坂が指摘する。
自分は先輩というものに縁の少ない人間。自分が何を言ってもそれは、一般論にしかならないだろう。
だから、彼に任せる。
『泣いてるのはその子の勝手。私の指導は間違ってない』
「勝手だろうが何だろうが、相手を泣かせるのが正しいのかって聞いてんだ!」
『勿論。言ったことは間違ってないから』
「……そうかよ」
これはきっと、一縷の望みをかけた彼の問い。
相沢さんがそう思い込んでいることは、前もって推測できていた。
……多分、違ってほしかったのだろう。違うならきっと、説得しやすかっただろうから。
「まあ、気持ちは分からなくもねえよ。オレだって昔同じこと思ったからな」
『はっ。同じこと?』
「“コイツには勝てねえ”って。“コイツの眩しさは、自分にないものだ”って」
『……っ!』
かつて同じ感情を抱き、未だに解決しきれてない彼は、自分が得たもの以上のことは言えない。
“距離を置き、時間の経過で受け止めきれた”彼と同じ対策は取れない。
『思ってない……アタシはそんなこと、思ってない!』
「そうだな。正確には、感じ取ったんだろ。で、思わないようにしてた。認めないようにしてた。眩しい光から、目を逸らしてたんだ」
『ち、ちが──』
「言えるのかよ、オマエは。武道家の相沢千秋は、それを否定できるのかよ!」
だけど、時坂自身の後悔を伝えることはできる。
問題自体に気付かせることが出来るのは、後々になって気付けた、彼だけだから。
諦めなかった自分が、諦めてしまった璃音にきっかけを与えられたように。
向き合うことができた彼が、彼女にできることがあると、信じている。
「なあ相沢、お前にとって武道ってなんだ? 今のお前、武道が好きか?」
『──』
「言えねえだろ。だって、ソラから目を逸らすってことは、武道から目を逸らすってことだもんな」
郁島さんの輝きは、才能の一言に収まらないと、彼は言っていた。
武術しか見てない目、その真っ直ぐさ、心から楽しむ姿勢こそが、眩しいのだと。
取り組む姿、意欲、武に挑もうという姿の理想。なるほど確かに、そこから目を背けるということは、武術自体を見ないことに他ならない。
……時坂。相沢さん。
「でもよ、目を逸らしながらも関わってられたのは、きっと武道が好きだったからだろ。……オレには、出来なかった」
『武術が、好き……』
「コウ、センパイ……」
「なあ、岸波、玖我山、こういうの何て言うんだろうな」
何て言うのか、って?
……ああ、そうか。時坂は引き出したんだ。彼女の自覚を。
認めたくないと言っていた彼女に、認めさせることができた。
なら後は、自分たち全員が力を合わせて話していこう。
時坂が、相沢さんが出会うべきだった答えを。
「負けず嫌い、なんじゃない? 先輩として上に立ちたいのに、武道家として誰より高い所に居たいのに、立てていない。その現実から、逃げようとしてる」
玖我山が答える。
負けず嫌い。先輩風。ナチュラルな上から目線。
迷わず断じた璃音に、相沢さんの影が噛み付く。
『──武を噛ってない、部活にも入ってない玖我山に、何が!』
「芸能界だって日々競争の世界なの、あたしだってそこで生き抜いてきた。帰宅部だからって嘗めないでよねっ! ……まあでも、あたしはそんなに悪いことじゃないと思うよ、その感情自体。上下関係を意識するのは競争社会における1つの礼儀だし、負けず嫌いなことも勝ち抜くのに必要な要素だし」
『何が言いたいのよ!』
「……何が言いたいんだと思う?」
分からないで話してたのか、と内心でツッコミを入れる。時坂もなにか言いたげだ。
大丈夫だろうか、このまま話させておいて。
……まあ、大丈夫だろう。多分。
『なに、私の考えを認めてくれるとか?』
「ゴメン、それはないかも。後輩を泣かせてる時点で、その感情は行き過ぎかな。……上手くいかずにイライラするのは、痛いほど、分かる。けど、それを慕ってくれる後輩にぶつけるのは、違うんじゃない?」
『……言わせて、おけば……ッ!』
絞り出すように、璃音は言う。
上手くいかずにイライラ、か。璃音自身、あの時のストレスは多大なものだったろう。それでも彼女は、周囲に当たり散らさず、自分の中で処理しようとしていた。
……ああ、そうだ。彼女はそこで一度、折れてかけている。引退という熟語が執拗に追ってくる中で、誰にも明かせないまま、一人夢を終わらせようと。
その点は同意できるのだろう。尤も、他人に重荷を押し付けることを嫌う璃音から見れば、彼女の心情には同調できても、彼女の選択に理解は示せない。
『だから何!? 間違ってたとして、何なのよ! こうするしかないじゃない!!』
「こうするしかない、か。……ウン」
璃音は何かに納得した後、自分に顔を向けた。
「ここから先は、キミの番。諦め、間違えたアタシにも、過去に悔いた時坂クンにも言えないことを、言ってあげて」
喉元に、剣を突き立てる権利があると、彼女は言う。
相沢さんの影は言った、『こうするしかない』と。
──ああ、その言葉は、違う。
だって、それしか見てないから、そう思うんだ。
それ以外を見落としてしまっているから、そう思ってしまうんだ。
それが可能性を縛る言葉だということを、諦めから生ずる言葉だということを、自分は知っている。
時坂は暴いた。
武術が好きな心──“好きなもので負けたくないという欲”。
武術から目を逸らす自分──“関わりを避けるべきと断じた理性”。
本能と理性が解離した状態、その根幹を。
璃音は暴いた。
過剰な上から目線──同じ土俵に立てば優劣がはっきりしてしまうから上に立つ。
負けず嫌い──戦う以前の問題だと濁して、本能が悟った負けを誤魔化す。
頓珍漢な行動の理由、攻め立てるべき彼女の間違いを。
さあ、息を吸え。
彼女の喉に突き立てるのだ、その諦念を斬る剣を。
そう、一言で言えば。
彼女が諦めたものとは。
諦めるべきでないものとは。
──Select──
>お前は、競い合うことを、諦めただけだ。
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