時坂と1階の廊下で合流した後、学校の外へと向かった。
なんでも、話を聞きやすい剣道部の友人が居るらしい。
「それで、その友人はどこに居るんだ?」
「今日は商店街に居るはずだぜ。上手く連行されていれば、だが」
連行。穏やかでない表現だ。
果たして日常生活で連行なんて言葉を使う機会はあるのだろうか。
「時坂はその友人と仲が良いのか?」
「まあ付き合い自体が長えしな」
「そうなのか。何年くらい?」
「確か中学の時くらいだったと思うが……何でそんな事を聞くんだ?」
「自分は幼馴染とか昔馴染みとかと無縁だから、聞いてみたかったんだ。気を悪くしたならすまない」
「……こっちこそ、なんか悪い」
「いやいや、そんな重く捉えないでくれ」
実際、そこまで重要視している訳でもない。
思い出したいと願いはすれど、思い出さなくちゃいけないという脅迫感はないし。別に、自分が焦ったところでどうにかなる問題でも無さそうだから。
「そうは言ってもな。イマイチ実感湧かねえが、記憶って大事だろ」
「それはまあ。けれど、確かに記憶がないとはいえ、昔の自分を感じられることとかはある」
「そうなのか?」
「例を挙げるなら、走っている時とかだな」
これはリハビリの時に知ったことだが、何も意識せずに走ろうとした際、変に型の崩れていない走り方をしている、と言われたことがある。
自分にとって楽な走り方というのが、筋力の付き方や身体のバランスによって変わるように、昔走っていたフォームに似た体勢は自然と取れるようになるらしい。
どうやら自分には、運動の才に特出したものはなかったみたいだね、と言われたのも記憶に残っている。大事だが余計な一言だった。
「まあ筋力の付き方的に、運動部には所属していなかったらしい」
「あー、確かにサッカーとかやってれば、足腰の筋肉が発達してたりすんのか」
「ちなみに関係があるかは分からないが、勉強の際、歴史系や情報系に対する意欲が高いのも興味深い、と医者に言われた」
「へえ。岸波は勉強得意なのか?」
「編入してから数日授業を受けていたが、全く分からないという訳じゃない」
「全くとまでは言わないが、若干は分からないってことで良いのか?」
「……」
「沈黙は是、らしいぜ」
できないと思いたくはないが、ここまで急ピッチで勉強を押し進めたこともあり、正直、整理が付かず混乱している。
あと、集団授業を受けるのが初めてなので、ペースや雰囲気の把握がしづらいというのもあった。
……やはり暫くの間、夜は自習に費やした方が良さそうだ。
誰か勉強に付き合ってくれる人が居ると良いんだが、お願いできるような人が居ないしな。
璃音ならお願い自体はできるだろうが、元々学校に来れる日も少なかったこともあり、分からない範囲が多そう。逆に自分が教える側になりそうだ。……それもそれで、知識の整理になって有りか?
でも、教えてくれる人は居てほしい。
「5月の半ばには中間考査だし、困ったことがあれば言えよ?」
「時坂……!」
「柊を呼ぶから」
「時坂……!!」
嬉しいがそれ、時坂に言う意味ないよな。
────
──杜宮商店街【伊吹青果店】
商店街に到着した時坂が向かったのは、『大売り出し』という赤い暖簾がぶら下がる、緑の屋根の八百屋。
そこには店主と見られる前掛けを腰に巻いた男性と、それに似た風貌の若い男性が店前に立っていた。
「お。コウちゃんじゃねえか。よく来たな」
「ん? おお、コウ! なんだ、遊びに来たのか?」
「いや、ちょっと聞きてえことがあってな」
驚いた。
若い男性だけでなく、店主風の男性にも親しげに話しかけられている。
そういえば中学の頃からの付き合いと言っていたか。
それほど長い付き合いともなれば、自然とご両親にも馴染みができてくるのだろう。
「お、後ろのは見ねえ顔だが、コウちゃんの友達かい?」
「……あああ! お、お前は!!」
若い方の男性が、自分を指差して叫び出す。
その指を、店主風の男性が捻り上げた。
「店前で大声を出す所か、人様を指差してお前呼ばわりとらどういう要件だ、リョウタ」
「イテテッ! 悪かった、悪かったって親父!」
「謝るのは相手が違えだろ!」
「わ、悪かった岸波!」
父親に指を捻り上げられつつ、頭を下げてくるリョウタという青年。
自分のことを知っているらしい。同じ学校の生徒か?
「……さすがに覚えてねえか」
「時坂?」
「紹介するぜ、岸波。コイツはオレのダチで、
「初日って……ああ、璃音の」
玖我山 璃音ファン。もしくはSPiKAファンということか。
面識がない、という訳ではない。が、あの日は疲れていたし、正直一人一人の顔を覚える余裕はなかった。
短く跳ねるような茶髪。
体格は良く、いかにも運動部といった風貌。
……そんな彼は、忌々しいものを見るかのように自分を睨んでいた。
「くぅ、慣れ慣れしくファーストネームで呼びやがって……!」
「いや、リョウタも普段、リオンって呼んでるだろ」
「お、オレはファンだし、知り合いだから良いんだよ」
「岸波も変わらねえじゃねえか、オレは良いけどオマエはダメって、心の小せえファンだな」
「ぐっ、言い返せねえ。……ハァ、まあリオンに関しての事情はあの時聞いたし、納得もしてるから良いんだけどよ。それで、今日はどうしたんだ? ってか、何で2人が一緒に?」
伊吹は笑って、そう尋ねてくる。
……もういいのだろうか? もっと何か色々言われると思ったんだが。
時坂は心が小さいファンだと言ったが、彼の器は大きいのかもしれない。少なくとも、気の良さそうな人だとは思う。
「あー……実は少し聞きてえことがあってな。リョウタ、最後に剣道部の練習に参加したのはいつだ?」
「確か先週の金曜だったぜ。それがどうかしたのか?」
剣道部の友人。
聞き方からして、伊吹は積極的に部活へ関与している訳ではないようだ。
しかし、先週の金曜日ならば、何処かおかしな雰囲気を感じ取った可能性もある。
後は隣で練習していたのが、女子空手部であれば……!
「その時逆側で練習してたのは?」
「確か、女子空手部だな」
時坂がこちらを見る。
頷きを返した。
ビンゴ、だな。
「何でも良い、女子空手部について、なんか変わったことはなかったか?」
「変わったこと……? あー、そうだな。少しピリピリしてたっつうか、雰囲気は悪かったぜ」
「他に、なにか覚えていることは?」
「うーん……あ、なんつったっけ、コウの後輩! えっと……」
その言葉を聞いた瞬間、時坂が詰め寄る。
「ソラだ! 郁島 空! なにかあったのか!」
「うおっ!」
「時坂、落ち着いて」
時坂を引き離す。
伊吹も彼の様子に少し訝しげだ。
「ど、どうしたんだよコウ……」
「……悪い」
「時坂は少し、その後輩について心配事があるらしい。それで、色々聞いて回っている所なんだ」
その説明で納得してくれたのかは分からないが、伊吹はぽつりぽつりと、その日の様子を語りだした。
「何かあったってほどでもねえけど、あの子が相沢に叱られた途端、武道場の空気が変わった気がすんだよな」
「叱ったって、どんな風に?」
「『あんた一人のための部活じゃない』とか『真似して怪我したらどうするの』とか……? 流石によく覚えてねえけど」
『あんた一人のための部活じゃない』に、『真似して怪我したらどうするの』か。
やはり、高い実力を疎まれていた。と考えるのが妥当かもしれない。
後者はともかく、前者は一人抜け出ている者を治める物言いだ。
……他に考えられるとしたら、先輩としての立場から部のバランスを考えての発言、とか?
それにしても、言い過ぎだと思うが。
一方の時坂は隣で、腑に落ちたような表情を浮かべていた。何か、確信でも得たのだろうか。
「成る程な。……助かったぜ、リョウタ」
「自分からも礼を言わせてくれ。ありがとう」
「いや、別に良いんだが……結局何だったんだ?」
「まあ気にすんな。じゃあオレらは神社寄ってくから、また明日な」
誤魔化すようにして立ち去る時坂を追う。
一応、再度ありがとうと手を振っておいた。
おう、また明日なー! という挨拶が聞こえた後、その声は商売のものへと変わる。
売り物の宣伝を始めた同級生の声を背に、自分と時坂は商店街の奥へと歩く。
「同好会のこととか、説明しても良かったんじゃないか?」
「……別に良いだろ。変に興味持たせても悪いしな」
「……そういうものか」
長い付き合いの友人関係は、互いを知っているからこその難しさがありそうだ。
歩いていた地面が傾き始める。
先程時坂は神社へ向かうと言っていたが、その為の道だろうか。
いや、それを尋ねるより先に、確かめるべきことがある。
「所で、伊吹の話を聞いて、時坂はどう思った? いやそもそも、“最初からどうだと推測しているんだ”?」
「……はあ、顔に似合わず結構鋭いんだな、岸波」
「顔に似合った余計な一言だぞ、時坂」
「どういう意味だ」
「そっちこそ」
虚しかったので辞めた。
争いはなにも生まない。
「小さい頃、ソラがウチの道場に来ててな」
「ウチの道場って?」
「奥の階段を登った先にある、【九重流道場】って所だ。オレの祖父が師範代を勤めてんだよ」
知らなかった。
時坂自身の戦闘を見るに、身のこなしは悪くない。
それでも武術家、という感じではなかったように思うが。
「まあ中学に上がる頃に色々あって辞めたんだが、その理由の一端に、多分ソラも関わってたんだよ」
『多分、関わっている』。つまり、明確な認識はなかったということだろうか。
郁島さんの何かを見て、または何かを感じて、辞めたんだとしたら。
「……察するに、小さい頃から見えない壁のような、才能の差を感じた、とか?」
「当たらずとも遠からずだな。才能云々だけじゃねえ。武術しか見ていない目とか、まっすぐさ、心から楽しむその姿勢に、冷や水を浴びせられたような感じだった」
人は理解の及ばない者と出会ったときに、非難という拒絶を取る。と何処かで読んだ。
恐らく当時の時坂は絶望的な差までは感じなかったんだろう。
だからこそ、自分の打ち込み具合と、郁島さんの努力を比べて、熱から冷めてしまった。
……なら、相沢さんはどうか。
「きっと相沢も、そうなんじゃねえかって」
「……時坂」
「オレはまだ小さかったし、他にも色々理由があって、辞めるだけで済んだが、相沢はそう上手く割りきれるほど、軽い想いじゃなかったって話だと思ったんだよ」
抱いてきた想いが重いほど、諦めるのが辛くなる。
それは、璃音の本音と向き合った時にも痛感したことだった。
辞めたくて、辞められなくて、原因に当たるしかない。
成る程、それが厳しめな指導にも繋がってくるのか。
「厳しく当たる気持ちも分かる。けどな、上京して一人不安なソラを責めることは、して欲しくねえ。そこら辺の気持ちは、岸波の方が分かるんじゃねえか」
「……自分も、編入する時は人間関係に緊張したさ」
だからこそ、あの自己紹介があったわけだし。
結局、璃音の反応で色々な事に巻き込まれてしまったが。
「高校で初めてオレをセンパイって呼んだのは、ソラだ。見た目が変わって気付きもしなかったオレに、自分から声を掛けてきた。……だから、一人の“先輩”として、出来ることをしてやらねえとな。って思ってたんだ」
「時坂……」
「この前組手した時、技のキレがあんまし良くなかったことから悩みでもあんのかと思った矢先にコレ……センパイ失格だぜ」
「……なら、さっさと解決して失態を取り返すしかないな」
「応、そのつもりだ……っと、この階段を登った先だぜ」
目の前に、結構急な階段がある。
これを、登るのか。
「そういえば、何しに行くんだ?」
「事件の日の朝、道場で稽古してたからな、その時の印象をジッちゃんに聞きに行く」