「さて」
柊が姿勢を正す。つられて全員が背筋を伸ばした。
場所は宴会場。夕食を取った後にそのまま会議へ移行する形で、この場所に集まっている。さきほどまで夕飯は全員で取っていたけれど、関係のない人たちには申し訳ないことに自室へと戻ってもらうことに。
残ったのは、同好会のメンバー。洸、柊、璃音、空、祐樹、志緒さん、美月。
加えて新しく協力員として加わることとなった、九重先生。
あとは、サイフォンを卓上用の脚立に立て掛け、画面上にサクラを表示させる。
これにて全員。
「……何から話しましょうか」
「ええ……?」
肩の力が抜けた。場から緊張感が消えた気がする。
肩が軽くなったことで初めて必要以上に力が籠っていたことに気付く。
恐らくは他の何人かも同じく脱力したことだろう。
もしかしてそれが狙いだったのだろうか。……いや、なさそうだな。柊だし。
「逆に聞きましょうか。皆、何か聞きたいこととかある?」
その問いに、各々顔を見合わせ、考え込む。
やがて洸の手がゆっくりと上がった。
「なら、今の杜宮で何が起きてるのか、柊とミツキ先輩の意見を聞きたい」
「それは、異界発生の頻度について言っているということで良いかしら?」
「ああ。そもそもそんなに頻繁に発生するものじゃないって昔聞いたことがあるしな。加えて、2人がこの街に揃ったのには理由があるんだろ?」
確かに。
聞いた話によれば、柊は所属する組織のエース。美月はグループ総帥の孫娘。
その2人が、偶然この町に配属されるなんてことは考えにくい。
「そう、ですね。杜宮の地に何が起きているか、という問いに答えられるような、明確な解答を、私たちは有していません」
「え……」
「実際の所、その調査に来ているという表現が正しいわね。何が起きているかを知っている訳ではないけれど、何かが起きていることだけは分かっている。だからこそ、私は派遣されているわ」
「ちなみに私も同様ですね」
柊の回答に、美月も便乗した。
異界化が多発した理由を調べている状況。
こぞって調べると言うことは、それだけ危機的状況ということなのだろうか。
前例があることで、今後大きな危機に陥るか。
前例がないことで、未曽有の状況に陥るか。
どちらもそう大差ないように聴こえるけれど、この確認だけはしておこう。
「柊や美月の所属組織は、何を警戒しているんだ?」
「そうですね。まずはそこをっきりとさせなくてはいけません。警戒していることですが、恐らく柊さんの所属と私の所属は、はっきり言って同じことを恐れています」
「同じこと?」
「“東亰震災”の再来です」
一瞬、時が止まったかのような錯覚を得た。
「──え」
続いて誰かの声か、もしくは複数人の重なった声が耳に届き、意識をはっきりとさせる。
今、美月は“東亰震災”と言った。
聞き間違いはないだろう。しっかりと意識を向けていた。
しかし、今出てくる言葉とは思えず、耳を疑わざるを得なかった。
「いや、いやいやいや」
祐騎が焦っているのか、言葉をうまく紡げていない。
尤も、動揺しているのは全員同じだ。ここで自分が口を出すようなことがあれば、一気に色々な質問がみんなから飛び出てくるかもしれない。
1人ずつ、質問をしていく流れの方が良いだろう。
祐騎を見詰める。落ち着け、と。焦るな、と。
その意志が伝わったのか、彼は一度大きく深呼吸して、再度口を開いた。
「ちょっと待ってよ。センパイたちの組織が関わってるって言い方だけど、あの震災は異界関連の出来事だったってこと!?」
祐騎の疑問は尤もだ。
柊の組織も美月の組織も、異界化を警戒していると言っていた。その上で“東亰震災”に対する懸念を持っているということは、“東亰震災”と異界化には繋がりがあるということ。
しかし、そんなことが本当にあり得るのだろうか。
「そのとおりよ、四宮君」
その疑問が肯定された瞬間、一気に緊張感が張り詰めた。
「かの大規模自然災害とされている一件は、完全に“とある超大型シャドウ”の発生によって引き起こされた対シャドウ案件」
「大型シャドウって言うと、この前の学校みたいな?」
「いいえ。それよりも遥かに大きな存在です。何せ、“杜宮市のほぼ全域を異界化させた”のですから」
「「「「「「 !? 」」」」」」
市全体を、異界化。
先日戦った強力な大型シャドウですら、引き起こした異界の規模は学校程度だったのに。
いったいどれほど強力であるか、想像すらつかなかった。
沈黙が続く中、九重先生が口を開く。
「当時私はまだ学生だったんだけど……うん、よく覚えてる。空が真っ赤に染まったの。知った今考えてみると、あれが異界化だったんだね」
年長者である九重先生が、いつになく険しい表情で発言した。当時の状況を思い出しているのだろうか。惨憺たる光景が後に残ったという話を聞く。
そう、未だに語り継がれるほどの、未曽有の大震災だ。
特に注目を集めていたのは、首都圏を襲った大規模地震という点と、さきほど九重先生が口に出した、空が真っ赤に染まったという点。
「確か、ニュースでも話題になってました。昼間なのに、空が夕方みたいに赤く染まったっていう異常気象を、テレビで皆が口を揃えて言ってて」
「そういえば、空ちゃんは当時玖州の方に居たのね。ええ、そうよ。ここに居る皆が覚えているかは分からないけれど、実際にそれは起こった」
鋭い目つきで、柊は語る。
どこか力が入り過ぎていることを隠すように、冷静で平坦な口調を取り繕いながら。
「引き起こしたのは超大型シャドウ、名称は“夕闇の使徒”。シャドウは誕生後、市全体を異界化させ、全域に眷属であるシャドウを配置、町全体を破壊していったわ」
「待てよ。ってことは、実際に震災は起こっていないってことか?」
「良い質問ですね、高幡君。その通りです。震災は記憶操作の関係で作られたもの。実際の所、あれらはすべてシャドウによる被害になりますね」
「あんな規模の被害が、すべてシャドウによって……?」
「まあ、厳密には交戦の結果起こった被害もあるので、全部が全部シャドウによるもの、という訳でもないのでしょうが、大まかには」
何のフォローにもなっていないフォローを美月が行う。
いやでも、交戦……それはそうか。
あの震災が過去のこと、もとい超大型シャドウが居ないと言うことはつまり、既に討伐されているということ。それは誰かしらかが戦って勝ち得た安寧、ということだった。
「ちなみに、今震災は起こっていないとミツキ先輩が伝えた通り、実態を知る関係者たちはかの事件を別の呼称で呼んでいるわ」
「その名前は?」
「……“東亰冥災”」
“東亰冥災”。
それが真の呼称、か。
「なるほど、夕闇の使徒に、冥災ね。確かにまあ、ピッタリな名称かな」
「確かに到底理解には程遠いが、納得できないってほどでもねえな。ここまで散々非日常を見せつけられてきたんだ。東亰震災……いや、東亰冥災か。あんなぶっ飛んだ非日常が異界絡みって言われても、頭が拒絶するほどじゃねえ」
祐騎と志緒さんは既にある程度の納得をしているのか、話の続きを待っている状態だ。
自分と空も、まあ正直当時のことを体験している訳ではないからか、気持ちは切り替えられている。
一方で、璃音と洸はといえば、両方が顔を下に向けたまま何か考え事に没頭していた。
「璃音、洸、大丈夫か?」
「「……」」
声を掛けても、反応が返ってこない。
「……ソラさん、リオンさんを揺らしたりして、こちらに意識を向けさせてください」
「岸波君も、時坂君を叩いて良いわよ」
「指示の仕方に育ちの差が現れてるね」
「ユ、ユウ君!」
「いやだって事実じゃ──ナンデモナイデース」
柊の笑顔を見た祐騎が顔を背けた。
そんなやり取りを尻目に、自分は隣に座った洸の背中を叩く。
「んっ……ん? どうした?」
「いや、どうしたって……話聞いていたか?」
「あ……悪い。少し考えごとしてた」
かなりの没頭具合だった気がする。
いったい何を考えていたのだろうか。
今度、覚えていたら聞いてみよう。
視界の隅では、こちらと同様に空が璃音の意識をはっきりとさせていた。
しかし洸とは違い、璃音の顔色は悪い。
「……話を続けます。リオンさんは、以前アドバイスしたことを思い出して、心をしっかりと保って」
「……っ。はいっ」
「時坂君も、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫っす」
「……あと前もって言っておきますと、岸波君」
「? 何だ?」
「心の準備をしておいてください」
……唐突に、そんなことを言われても。
いや、でもそれを前置くほどの情報が出てくると言うことか。
しかし、何故自分を名指しで?
思い当たる節はない。
仕方ない。今まで以上に考えながら会話を聞こう。
「それでは、今回の一連の騒動で、私たちが“東亰冥災”の再来を警戒している点についての説明をしましょうか」
「……東亰冥災は、終わってないのか?」
「いいえ、確実に終息したはずです。これから起こると考えられているのは、紛れもなく別件のはず」
「じゃあ何で再来なんて言い方をするのさ」
「それは、色々な状況が重なった結果ですね」
美月が柊と視線を合わせて、頷き合った。
やがて視線は外され、美月はこちらを。柊は立て掛けたサイフォン……サクラの方を向く。
「サクラ、例の資料の準備を」
『はい、アスカ先輩』
サイフォンが自動的に何かしらのファイルを探し始めたのか、色々なウィンドウが開かれていく。
「これから皆さんにお見せするのは、10年ほど前と今とを比較したデータです」
そこで、各自のサイフォンが鳴動した。
自分のものは立て掛けたままなので確認できないけれど、みんなはサイフォンを起動させ、何を見ているみたいだ。
そう思っていると、柊から自分のサイフォンを返却された。見ろ、ということだろう。
改めて、サイフォンの画面を覗き込む。
『まず、1枚目のファイルがここ3年間での異界の発生件数です』
「……これって、多いんですか? 少ないんですか?」
「そうね、普通であれば、このグラフはほとんど真っ白のはずよ」
であれば、普通ではないな。
1月あたりで見ても……いや、そもそも1月あたりで確認する状況すら可笑しいことになるけれども、とにかく直近のデータでは1月あたり5件前後に及んでいる。春頃では2~3件。去年はおおよそ1~2件で、2年前はたまに0件の月もあるくらい。
「そうやって見ると、多いな」
「それに、だんだん増えて言っているような……」
「ええ、その通り。2年ほどまえから着々と増加傾向にあるわね。今年に入ってはさらに急激に増えているわ。……サクラ」
『はい。皆さん、こちらが2枚目……東亰冥災から前3年分のデータになります』
「……こいつは」
与えられた次のスライド。
そのグラフの形は、1枚目とよく似ていた。
確かに東亰冥災の前兆とも言える異界の多発が今も起きている、と言うことであれば、この状況を危険視することも分かる。
これだけの長期間だ。偶然と言うことも考え難い。
「……ふーん。なるほどね。確かに状況は類似している。これが再来だって言う理由?」
「いいえ、もう1件あります」
「……なに?」
志緒さんが眉を寄せる。祐樹の視線が鋭くなった。
それでもなかなか次の言葉が紡がれない状況に、再度緊張が場に走る。
何か言い辛いことなのだろうか。先の情報だけでも十分に危機的で、驚愕に満ちたものである。
これ以上の何かを示されるのであれば、準備が必要だろう。
「異界化が多発し始めるタイミングの直前、つまりは今から1年半……いえ、2年ほど前のことです。これから“東亰冥災”に関連するであろう事柄が起きる可能性を想起させるようなある出来事を、北都グループは独自に観測しました」
……予感がした。
北都グループが、独自に観測したこと。
……何故美月がわざわざ、自分に心の準備をするように言ったのか。
北都グループと自分の間にある繋がりは、何だったか。
何を起因としていたのか。
結論を待つ全員の視線が、美月へと集まる。
美月の視線は──
「……岸波君」
──やはり、自分の視線と、結びついた。
彼女の口が、答えを紡ごうと開かれる。
彼らが観測したことを予想できないほど、自分は鈍くなかったらしい。
いくつかのパーツが嵌る感覚を得ながら、自分はその答えを聞いた。
「貴方の……“約8年ぶりの起床”です」