放課後、偶然洸と遭遇し、記念公園に用があるという彼と一緒に帰り道を歩く。
隣を歩く彼は、どうも落ち着かない様子だった。
理由に察しは付いている。無理もないだろう。
「心配か?」
「……別に、そういうんじゃないけどよ」
空を見上げて、息を吐く洸。
数秒置いて前を向き直した彼は、顎に手を当てて考え出した。
「いや、けど結構気になるな。ハクノは気にならないのか?」
「気になる」
「とか言っておきながら、少しも動揺した様子を見せないのは、流石というかなんというか」
今日、自分たちがいない場所で行われているのは、1つの重要な話し合いだ。
柊と美月、それから九重先生の3者による、今までの話と今後の取り決めについての。
気にならない、というか、関わっている誰もが気にしない訳がないだろう。祐樹ですら朝会った時に、会議についての話を振って来たくらいなのだから。
「てか、ハクノは参加すると思ってた」
「話し合いにか? 何の知識も持たない自分が参加しても意味は無いだろう」
「いやでも、同好会のリーダーはハクノだろ」
「え? ……いや……違う、んじゃないか?」
「は?」
洸の目が点になる。その反応をしたいのはこちらだ。
「自分は異界の攻略時のリーダーであって、同好会をし切ったことはない、と思う」
「いや、攻略のリーダーはイコールで同好会のリーダーだろ」
「そうなのか?」
「……分からないが」
でもよくよく思い返してみれば、同好会のリーダーなんて話、出たことあったか?
ないような気がする。
「でも、C案が実際にその予定通り通ったとして、この集まりが部活動になるなら、部長の存在は重要じゃないか?」
洸の発言に、まあそうだな。と思う。
部活動といえば、顧問、部長や副部長が居て、部員という組織図のような気がする。
部長のいない部活動なんて聞いたことがなかった。
「だとしたら、誰かしらが部長になるのか」
「まあ、順当にいけばハクノか柊、それか北都先輩、じゃないか」
「美月は学年的にないかもな。すぐに変わることになるだろうし、生徒会とも兼任させるのは少し気が引ける」
「となると2人のうちのどっちかか」
……個人的には、自分より洸の方が向いていると思うけれど。
自分は、指揮を取ることはあっても、先頭をし切ることはない。間違いなく誰かを導く側の人間でなく、どちらかといえば支えるタイプ。
その点、洸は先陣を切れる人間だと思う。そこは柊も同じだ。
ただまあ、こと部活動のリーダーとした場合、表向きな活動内容的には柊より洸の方が向いているだろう。
……とは、彼には言わないけれど。それとなく根回ししておくか。
「まあ何にせよ、部活が発足してから決めれば良いだろう、そこら辺は」
「……だな。しっかし、ほんとどうなることやら」
「なるようになるだろう。あの2人と九重先生なら」
「寧ろあの2人だけだから心配なんだがな……」
……いやまあそこは分からなくもないけれど。
たまに感情論とかをバッサリと切り捨てる節あるからな。あの2人。いや、己の中の正義だとかを曲げないタイプの人間だし。譲れない一線を持っているタイプだ。
だからこそ、そこに触れるようなことがあれば面倒な方向に話し合いが進みかねないけれど……まあそこは逆に、九重先生だから大丈夫だろうという安心感もある。
九重先生は非常に感情の機微を読むのが上手いというか、他人の気持ちを分かろうとできる人だと思う。それは普段の生徒との接し方でも十分に伝わってきた。だからこそ彼女は、生徒に慕われる先生なのだろう。
「まあ何にせよ、後は結果を待つだけだ」
「……だな。正直トワね──九重先生には関わって欲しくないんだが」
「別に普段通りの呼び方を隠さなくても良いんだぞ」
「マジでやめてくれ」
ひどく顔が真っ赤になった彼を見て、少し嗜虐心が芽生えかけた。
まあ、やめておくけれど。
「そういえば、ハクノに伝えておくことがあったんだ」
「自分に? 何だ?」
「10月の末日、30日と31日空けておいてくれ」
「……特に予定はないけれど、何かあるのか?」
「ああ、“ユキノさんからのご指名”だ」
レンガ小路にあるアンティークショップ【ルクルト】の店主、ユキノさん。
裏ではバイトの斡旋をしていたり、情報屋のようなことをしている謎の女人。
そんな彼女が、自分にわざわざ?
「バイトか?」
「いや、残念ながら“タダ働き”だ」
「……は?」
「ユキノさんが言ってたことをそのまま伝えるなら、要求に対する対価を支払ってもらう、だってさ」
要求に対する対価?
意味が分からなかった。自分が彼女に何かを要求したか?
夏前にバイトの紹介などをしてもらった縁ではあるけれど、最近は名前すら聞いていな──
────
「つまり、柊は普段学校へ行く時間と同じくらいの時間に出た後、そのまま【ルクルト】に寄ったってことか」
『素直に教えてくれなかったがな。ニュアンスとしてはそんな感じだった』
どうやら、アンティークショップ【ルクルト】の店主──ユキノさんは、洸達に対してだいぶぼんやりとした言い方をしたらしい。
彼女にとっては情報すらも商売道具。無料で教えてくれただけ有り難く思わないと。
「とにかく助かった。引き続き頼む」
『おう。…………すまねえな、ハクノ』
「何が?」
『いやその……オレが言うことじゃないけど、なんて言うか、達者で生きろよ?』
「ちょっと待って何があった!?」
────
不意に。
霧が立ち込めていたあの日のやり取りを思い出す。
そういえば、洸を通じて間接的にではあるけれど、ユキノさんと関わる機会があった。
その時は正直急いでいたし、何も疑わなかったが、あのユキノさんが無料で情報を差し出すなんて、そんなことあるのか?
それに洸は何と言ったか。
『オレが言うことじゃないけど、なんて言うか、達者で生きろよ?』
その発言から察するに、彼は自分に何らかの災厄が訪れることを知っていた。わざわざ謝ったり、オレの言うことではないと前置いている辺り、彼自身に責任があることを匂わせている。
つまり、だ。
「洸、まさか、自分を売ったのか?」
「そんなことはないぞ。安心しろ」
「……そう、だよな。すまない、疑って」
「いや、良いさ。……まあ、死ぬ時は一緒だからな」
「なんて言った?」
「まさか、ダチだけを売るわけがないだろ」
「……なにも救われてない」
どうやら、情報の対価として、2人の男子高校生の無償労働を要求されたらしい。
いや、対価である以上有償ではあるのだけれど。
2人して、空を仰ぎ見ることになった。
憎たらしいほどの晴天だった。
──夜──
────>商店街【蕎麦屋≪玄≫】。
「こんばんは」
暖簾をくぐる。
夕飯時から少し過ぎた時間であっても、人は多かった。
「らっしゃい」
カウンターに立った老人が、自分に声を掛ける。
再度彼に対して挨拶をすると、老人はバックヤードへと消えて行った。
「あれ、貴方は確か……」
入れ替わりで声を掛けてきたのは、女性の従業員。
確か、先程の老人、このお店の店主である方の、奥様。
「こんばんは」
「やっぱり。シオの高校の後輩の子よね」
「ええ、いつも志緒さんにはお世話になってます」
「ご丁寧にどうも。今日は志緒に会いに?」
「いえ、忙しいでしょうし大丈夫です。単純にご飯を食べようかなって」
なんとなく、夕ご飯を作る気が起きず、外食に足を伸ばした。
多少値は張るけれど、美味しいものが食べたい。
そう思った自分の足は、自然と商店街へ向き、このお店へと狙いを絞っていたようだ。
だから別に、志緒さんに用があって来たわけではない。
なのだが。
「……岸波か。どうした」
案内された席に座り、メニューを眺めていると、気付けば隣に志緒さんが立っていた。
「志緒さん、こんばんは。特に何かがあったわけじゃないけれど、ご飯を食べに」
「そうか。いらっしゃい。てっきり今日の話し合いの件かと」
「ああ……いや、そっちはほら、さっきまでサイフォンで話していたのがすべてだから」
九重先生と柊と美月で行われた会談は、無事終わったらしい。
詳しい話はまた今度に当人を含めてとのことだが、大方の内容としては最初の流れ通り、先生には同好会の顧問をやってもらうことで話が付いたとのこと。
だから、この場で改めて語ることはない。正直自分も話の内容は聞く側だから、話せることなどほとんどないし。
「というわけで、今日は本当にただの客だ。お勧めはありますか?」
「……お勧めか。何系を食べるかは決まっているのか?」
──Select──
>勿論、蕎麦を。
今日はうどんで。
がっつりと定食。
──────
「分かってるじゃねえか。まあ蕎麦屋に来たら蕎麦だよな」
そう言う彼は、少し嬉しそうだった。
「なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
「じゃあ聞くが、そばを食べたくなって他所に行かれた話をされた時、どんな気持ちになると思うんだ?」
「ああ、なるほど」
つまり、蕎麦を食べに蕎麦屋である自分の店に来た、ということが嬉しいのだろう。
蕎麦を主力としてで勝負している以上、蕎麦では負けられない。その誇りが、彼にもあるらしい。
確かに志緒さんが出した例え話は、実際にされたら悔しい気持ちでいっぱいになるだろう。
とはいえ店を選ぶのはその人の好み。無理強いはできない。
だからこそ、純粋に蕎麦を食べに来る客、というのが、彼ら蕎麦屋にとっては嬉しいものらしかった。まあどんなお客でも嬉しいは嬉しいのだろうが。
「蕎麦系で勧めるとしたら、まずは天ぷら蕎麦だな。あとはシンプルな十割。もしくは山菜系なんかも良いぞ」
「そうだな……なら、天ぷら蕎麦でお願いします」
「おう。って言っても、俺が作るわけじゃねえが」
その言葉に、以前言っていたことを思い出した。
「まだ許可は下りてないのか」
「そんな一朝一夕に認められるものでもねえ。じっくり向き合っていくしかねえな」
一人前になるまで、蕎麦は打たせない。
それがこのお店の店主であり、志緒さんの育ての親であるさきほどの男性の方針。
その言いつけに従い、志緒さんは最初、店の雑用から始め、次にデザートや前菜などを。そして最近では、丼ものなどを手に掛けるようになった。
段々近づいていっている。彼自身、努力は怠っていないし、彼の打つそばを食べる機会は、そう遠くはないのではないかとも思うけれど。
「あと、ミニ丼みたいなものってあるのか?」
「別に気を使わなくてもいいんだぞ」
「いや、自分が食べたいだけだ」
「……そうか。有り難うな。……セットメニューにすれば、蕎麦と丼を両方とも丁度いいくらいの量は食えるはずだ」
「なるほど、そんな方法が」
メニュー表のページをめくると、確かにセットメニューの項目があった。
そして自分がメニューを眺め直している間に、志緒さんは厨房に入り直したらしい。女将さんに注文をとるのを任せて。
照れ隠しの仕草が主人に似ている、というのが、彼女の談。
────
「お待ち。サービスだ」
食事を終え、一服しているところに、志緒さんがやってくる。
手に盆を乗せる彼は、その上に載せていた皿を置いた。餡蜜だ。
「ありがとう。良いのか?」
「試作品だ。率直な意見が聞きたくてな」
そう言って、お店の前掛けを外し、対面の席に座る志緒さん。
仕事は良いのかと聞くと、店主より休憩を言い渡されたらしい。
良い人だ。
「試作品ということは、いつもと違うのか?」
「うちは白玉あんみつでな。実際あんみつって言うと、結構フルーツが入っているものとか多いだろ? それに、ジェラートやクリームが乗せられているモノも流行っている。ってわけで、似たようなものを厨房にある素材で作れないかと思ったんだが」
「なるほど」
と言われても、見た目は普通のあんみつだった。
何かオリジナルで手が加えられているのだとしても、見た目からでは分からない。
とりあえず、スプーンで蜜の配分がちょうどよくなる部分を掬い取り、口へ運ぶ。そのまま咀嚼し、呑み込んだ。
「……」
「どうだ?」
「いや……なんというか、普通だ」
本当に、普通。
ただ普通に美味しい、という形。
特に何かしらの違和感はなく、何かしらの感動もない。
それが悪いかと言われればそんなことはないけれど、リニューアルとして考えるのであれば、コストが掛かるだけなのでは? という感じ。
その考えを、率直に伝えることにした。
「なるほどな。確かにそれなら、わざわざ変える必要もねえか」
「それこそ蜜ごと変えるか、より合うものを探すかをした方が良いんじゃないか? 値段が上がっても美味しい方が個人的には好きだが」
「そうだな……いや、とりあえずはこれで良い。蜜を探すのにも時間が掛かり過ぎるし、元々在りもので工夫できないかと考えたものだ。新しく作るなら最初からその方向性に変えるからな」
「なるほど」
確かにコスト的には、新しい食材を仕入れるより、余りがちな素材を流用できた方がいいだろう。あとはそこに満足いく完成度が得られるかどうかだった。ということか。
しかし、このメニューを作った人も、相当な試行錯誤をしたはず。在りものを使って向上させるというのは、難しいのでは?
──Select──
率直に今考えたことを伝える。
冒険は必要だと進言してみる。
>新メニューの開発を勧める。
──────
「改良じゃなくて、新メニューの開発とかはしないのか?」
「開発か」
「いまあるものを変えるんじゃなくて、新しく評判になるものを作った方が、目に見えて成否が出ると思うけれど」
味の変化にこだわろうとする彼を説得する為に、咄嗟に出てきた言葉だけれど、放ってみてから割としっくりきた。
まあ正直に言ってしまえば、造るのは蕎麦屋にとってのサブメニュー。決して馬鹿にはできないけれど、かといってメインを堂々と張るようなものでもない。
大事なのは、それを食べる為だけに足を運ぶかどうか。
例えば以前の生姜焼き定食の味変えが成功したとして、生姜焼きを食べに来る層は恐らくそこまで大差ない。無論より美味しいとなれば評判にもなるだろうが、あくまで元々生姜焼きも美味しいと思っていた人たちが大半。加えて、以前の味の方が好きだったと言われるリスクもある。と素人ながらに考えてみたけれど、難しそうだった。
逆に、新メニューとなれば、蕎麦のついでにそれまで食べられるのかという新規層の獲得にも繋がるかもしれない。美味しくなければそこまでだけれど、そこは逆に新規の人に蕎麦の美味しさだけでも覚えてもらえる可能性があると、次に繋がるだろう。
失敗する前提で話したくはないけれど、機会の多さを考えるのであれば、新規メニューの方が展開しやすそうだった。
「手を加えるんじゃなくて、生み出す、か」
「気は進まないか?」
「いや、いつかは、って気持ちはあるんだがな」
志緒さんは顔を顰めている。
「正直メニューの改良は、自分が素材を使うということを覚えるためにやっていることで、かつ、今ある料理の完成度を身に沁みさせるためのものだ」
「どういうことだ?」
「素材を使うって言うのは、どいつとどいつを合わせたらどういう美味しさになるか。どうして美味しく感じないのかを、体当たりで学習するためだな。で、完成度を感じるってのは、そのまま。現行のものを超えるのがどれだけ難しいかを学んで、製品を出すにはこのレベルまで仕上げなくちゃいけねえってのを体に覚え込ませる」
「……それは」
「いつか俺が新しいものを作る時、妥協しない為の努力ってヤツだな」
……どうやら、自分の言葉は不要だったらしい。
当に彼は、先を見据えて努力していたようだ。
「今はまだ経験を積んでいる状態か」
「ああ。店の雑用だって効率化を図るためのもの。接客だってお客の雰囲気や、求めているものを知る為。無駄なことなんてねえ。攻めてねえように見えるとすれば、今は積み上げていくターンってだけだ」
それが彼の、恩返しに対する取り組み方。
自分のように返し方を模索している段階から、1つ先に進む姿だ。
疑っていたわけではないけれど、本当に真摯に向き合っているんだなと痛感する。自分ももっと、努力しなければ。
「……すまない。失礼なことを言ったか」
「いや、知らなきゃ当然のことを岸波は言っているだけだろ。それにしっかりと考えての発言だ。気を悪くしたりすることはしねえ」
そう言って口角を上げつつも、彼は自身の作った餡蜜に箸を伸ばす。
口に含んだ途端、浮かべていた微笑が消えた。
「確かに普通だな。それでも敢えて言うべきって言葉すら見つからねえ、コメントに困る味ってこういうことを言うのか。……また1つ、勉強になった」
「……楽しみにしてる。志緒さんの作る、美味しいものを」
「おう。末永く期待しておいてくれや」
じゃあ俺は仕事に戻る。という彼を見送り、自分は出された餡蜜を休み休み食べきる。
満腹感を覚えながらも会計を終え、外に出た。
……帰るとしよう。
コミュ・皇帝“高幡 志緒”のレベルが3に上がった。