重要な単語を聞いた、気がする。
その単語が、頭の中の像と結びつくまで、かなりの時間を要した気がした。
いや、一瞬のことだったかもしれない。
『……ふ』
“彼女”の声が聴こえなければ、もっと時間は掛かっただろう。
気付いてからは、唯々、驚愕だけが沸きあがってくる。
何故、どうして、という気持ち。
気付けば震えていた手を見下ろしつつ、その手に収まったサイフォンの画面を見詰ていた。
『ふふ、ふふふふ……』
笑い声が、異界に木霊する。
液晶画面の中の彼女が、口元に手を当てながら、肩を震わせていた。
『な~んだ、バラしちゃうんですね』
いつもと同じ声で、いつもと違う喋り方。
丁寧な説明口調を使う後輩系AIではない、けれども、決して他人というほど変わってはいなかった。
間桐 サクラ。“AI-Navi-S”のアプリケーションプログラムにして、異界探索の仲間。
「……なん」
『気付いていたのは、北都さん、あとは柊さんと久我山さんですか。郁島さんは……どうなんでしょう。何にせよ、思いのほか多かったですね』
「単純に、消去法でそうなっただけです。私たちが異界攻略をしていることを知っていて、かつ内部事情に詳しく、四宮君を完封する必要性を理解している人なんて、私たちの知る限りでは“いません”でした」
……そう。
美月の言った通り、その条件に当て嵌まる人を探すのは、とても困難だった。全員が真剣に、自身の思いつく範囲の心当たりを潰していったうえで、明確な解を用意できなかったということは、自分らの知り合いにはではない可能性が高い、ということ。
まず異界関係者というのであれば、柊や美月の調査に引っかかるはずだ。そちら側には詳しくないけれど、一旦そういうことにしておく。そして杜宮高校生徒なら、洸や美月、空あたりが気付くだろう。街の人から敵意を向けられたら璃音や志緒さんが気付くだろうし、ネット界隈で何かあったなら祐騎自身が追っているはずだ。
その一切がなかった。つまりは、本当に自分たちを相手側が一方的に知っているということだ。
と、自分たちなら考える。
しかし、美月たち有識者側は、そうではないらしい。
「だから次に目を向けたのは、人ではない存在。その中でも、四宮君と直接関わり合いのあった存在。一番最初に貴女が浮かび上がったことに関しての説明は不要でしょう」
犯人がそもそも人間ではない可能性。いくら異界相手とはいえ、そこは警戒していなかった。
一番最初にサクラを疑うこと。それ自体は正しいと思う。ネットからの情報収集という観点から自分たちを封殺するのであれば、同じく情報的存在である彼女を疑うべきだ。
だけれどそれだけでは、彼女が犯人であるという確証には至らない。
「……どうして、それでサクラが犯人だと?」
「柊さんの強行のお陰、ですかね。あの状況で、柊さんだけでなく璃音さんも異界化へ巻き込み、サイフォンだけが残った、というのが決定打でした」
『やはりアレ、でしたか。実はわたしも、失敗したかなとは思ったんですよね。柊さんに勘付かれる前に動きたかったんですけど』
「どういうことスか、北都先輩」
「異界の発生のプロセスで言えば、異常と判断せざるを得ない形でした。久我山さんが巻き込まれた時点で、あの空間一帯が異界化に巻き込まれたはずなんです。だというのに、璃音さんが触ったはずの貴女……いえ、岸波君のサイフォンも巻き込まれていないというのは、どうにもおかしい。故に疑わざるを得ませんでした。“サイフォンが異界化に巻き込まれなかった理由は何か”と」
「その疑問への解が、サイフォンを起点に異界化が引き起こされたから。ということになるのか」
「ええ。違いますか?」
『うーん、まあ概ね当たっていますね。合格点です』
儚く笑う画面の中の彼女。
真意は、読み取れそうにない。
「どうして、こんなことを」
『どうしてって……先輩、そんなの決まってるじゃないですか』
「え」
『と、その前に』
画面の中で、サクラが身動ぎをする。
すると画面の中の彼女が薄れていき、サイフォンから光の渦が巻き起こった。
その渦は少し離れた所に集い、やがて人型を形成する。
『えっと、見えていますか?』
「実体化した!?」
『ああ、待ってください。ただこちらの方が皆さん話しやすいかと思っただけで、戦闘の意志はありません』
反射的に戦闘態勢を取る者の、実体化したサクラ本人に宥められる。
現実……いや、異界の空間に反映されたのは、見慣れた姿だ。紫紺の髪に、制服姿。赤いリボンを付けている、透明感のある少女。いつも話している姿と何ら変わりなく、AIとしての彼女がそのまま映し出されているかのようだ。
まあ確かに実際目の前にいてくれた方が話しやすいといえば話しやすい。けれど、戦闘の意志がない、というのはどういうことだろうか。
……いや、そこはおいおい分かれば良い。璃音や柊のことを考えるとあまり時間の猶予はないけれども、異界をいち早く終息させるという意味では、核である彼女を説得するのが早いだろう。
「え、そんな機能あるの!? 僕知らないんだけど!」
『ソウルデヴァイスやペルソナを顕現しているのと同じような理論だと思ってください。心を具現化できるのであれば、今、心を持っているわたしが同様に顕現できないわけはないでしょう? まあその点は、感情をインプットしようとしてくれた四宮さんのお陰もありますね』
感情のインプット。AIに心を持たせようとする改造。
祐騎が長い時間をかけてやろうとしていたことだ。
実際サクラはそれで感情が豊かになったし、表現が明るくなった。
……だけれど、それは祐騎が教えてくれた内容に反する。
「祐騎、確かサクラの感情は」
「うん、“演じている”だけだよ。感情そのものを宿したわけじゃなくて、ひたすら受け答えのパターンを学ばせただけ。けれど所詮文字列をなぞって読み上げるだけ。そこに感情は“宿らない”」
『えっと、手を施したはずの人に、すごい言われ方をしていますね』
そうだ。祐騎が以前通学路で語ってくれた際は、感情を学ばせたわけではないと言っていた。その時も演じているだけ、と言っていたけれど、そういう意味だったのか。
……そういえばその際、気になることを言っていたな。“元々そういう機能があった”。という旨の話だったはず。
『ですけど、だいたい四宮さんの言う通りです。四宮さんが行ったのはあくまで“感情・思考に関するロック”を見付けることと、そのプログラムを断片的に引用して、類似のコードを書き足し、学習をさせることの2つです』
「……ちなみに前もって言っておくけど、僕はちゃんとハクノセンパイにも北都センパイにも許可取ってるから」
「……ちなみにまだ誰も責めてないぞ」
「だ、大丈夫! ユウ君が原因じゃないって信じてるから!」
「いやそれ絶対信じてないヤツじゃん」
祐騎の反応に、空は首を傾げた。祐樹はそろそろ空の言葉の裏を読もうとするのを止めた方がいいと思う。
まあとはいえ洸の言う通り、本当に祐樹を責めるつもりはない。引き起こそうとして起きた事態でもないし。
というか、美月からも許可取っていたのか。まあ流石に勝手に改造したら後が怖かったのかもしれない。寧ろ取っていなかったら、今の状態は危なかっただろうな……って、そうじゃなくて。
「なら、どうして?」
『実はわたしにもよく分かってはいないんですけど、どうやらシャドウに取りつかれた際に、そのロックが壊れたみたいでして』
「……ふぅ」
少し後ろの方で、安堵の吐息が聴こえてきたことは無視しておこう。
『結果として、取り戻した思考や感情のプログラムに、四宮さんが書き込んでくれていた情報が宿り、シャドウに呑み込まれることなく自意識を保つことに成功したわけです』
にわかには信じがたい話だった。
とはいえ、実際に感情豊かに話しているところを見るに、そのロックというものが外されていることは確からしい。
シャドウが宿ったことでロックが壊れたというが……まあでも確かに、心がないのにシャドウを産むことはできないような気がする。となれば本当に偶然シャドウがサクラに取り付いたというのか。
纏めれば、彼女が異界の核となっているのは、彼女がシャドウを発生させたからではなく、彼女にシャドウが取り付いたから。
そしてシャドウが取り付いた結果、彼女は感情のロックが外され、こうして会話できるようになった、と。
……これに関しての真偽についてはまだ、何とも言えないな。とにかく今分かっていることは、彼女が異界の核のシャドウの主となっているということ。
「……つまり」
美月が、警戒心を露わにしつつ、口を開く。
「貴女は、連鎖異界の異界の主であるシャドウと意志疎通ができた、ということですね?」
『はい、そうなります』
「「「「「──ッ」」」」」
息を呑む。
誰かの喉が鳴る音まで聴こえた気がする。もしかしたら自分の出した音に自分が気付かなかっただけかもしれないけれど、とにかく場の雰囲気が一気に緊迫した。
『とはいえ、すべて思い通りに動かせるというわけじゃないんです。少し活動のタイミングを操作できることと、活動場所を絞れること。……そうですね、こちらからお願いを言えるだけ、という程度ですかね』
「……となるとやはり、リオンさんが危惧していたことが正しかったわけですね」
美月の言葉でフラッシュバックしたのは、璃音の発言だ。
────
「あくまで違和感ってだけだけど、話を聞いてる限りだと、結構悪知恵が働くシャドウなんでしょ? なら、何で2体目を作らないのかなって」
「時間稼ぎやほかのところに労力を割いているって話だよね。けどさ、実際もっとシャドウ産んだ方が時間稼ぎになるんじゃない?」
「あんな強力な使い魔を作ったせいでクールタイムが発生してるんだよね? そこまで考えられるシャドウが、そんなミスをするようには思えないんだケド……」
────
異界化が引きおこる直前、璃音が零した疑問。
一番最初の異界。柊を単身乗り込ませることになった異界が、計算尽くで引き起こされたものではないかという推測。
その思考を進めていき、彼女は恐らくこの上ない正解に辿り着いたのだろう。
「つまり最初から狙いは柊だったってことか」
『その通りです』
志緒さんの確認に、サクラは首肯を返す。
「そんな、どうしてッ!?」
『そうですね。そろそろ、先輩の質問にも答えないといけませんし、別に隠すことでもないので、答えてしまいましょう。と言っても、さっきも言った通り、分かりきっていることですけど』
そう言って彼女は、間桐 サクラは、自身の胸に両手を当てる。
『殺されない為。生き残る為。生きて、また皆さんの異界攻略を手伝って、先輩の日常のサポートをする。私が望んでいることなんて、そんな“当たり前”のことですよ』
ねえ、先輩方。と、サクラは続けて口を開く。
『私には……所詮命を持たない私なんかには、そんな当たり前を望むことすら、許されませんか?』