「先程の郁島さんの質問ですが、一般生徒に小説を読ませようとした理由は、少し見当がつきます」
「それって?」
思考に耽る柊を一旦放置し、美月は彼女の既知であろう内容を自分たちに話はじめた。
「シャドウは恐らく、“同情”や“共感”を誘いたかったのではないでしょうか」
「……えっと、俺らが共感とかをしたところで、何があるんすか?」
「これは仮定の話ではありますが、ある条件が揃っていれば、関与した人たちを異界化の際に招き入れやすくなります。特に同情や共感などをしてしまった人は、その感情を抱いた時点で“共に異界を作り上げる”ことになるでしょう」
「「「「「「!?」」」」」
共に異界を作り上げる? どういうことだ。
「例えば皆さん、異界を攻略している最中、異界の核となった人以外の声を聞いたことはありませんか?」
「……ある」
空の異界や、戌井 彰浩さんの異界などがそうだったような気がする。
けれど、それと何の繋がりがあるのだろうか。
「異界は諦めの心を具現化をした場所。そこに他人の想いや感情がぶつけられれば、異界の主の感情をさらに揺らぎ、一層強力になるでしょう。皆さんが聞いてきた声はいずれも、主にとって心に深く根付いたやりとり。負の感情、諦観を一層深くさせた要因の1つです」
「つまり、何だ? 感情をぶつけることで異界の主の力が強くなるってことか?」
「ええ、皆さんが経験してきたケースでしたら、そうですね。尤も、それだけなら良いのですが……」
何かを言い淀んだ彼女。
何でも良い、今は情報が、判断材料が欲しい。
「何か不安な点でも?」
「さきほど、ある条件下で招き入れやすくなる、と言いましたよね。……その条件を満たせるものの1つが、この小説という媒体にあたります」
「えっ!? このサイト!?」
璃音がサイフォンの画面を美月に見せて、確認を取る。
それに対し、美月はやや溜めを作って頷いた。
「はい。私の想像が仮に正しいとすれば、恐らく黒幕のシャドウの狙いは、自身の感情や境遇を曝し、“大勢の人に『それは仕方ないな』と諦めを抱かせる”ことではないかと」
「諦めを、共有する?」
「すると、どうなるんだ?」
「端的に言い表すならば、異界が攻略しづらくなります。何か例になることと言えば……戌井さんの異界は、異界の主の他に数人が巻き込まれていましたね? それを、“人為的に”引き起こせるようになるんです。そうして巻き込んだ人たちから、“感情を養分として吸い続ける”。供給されるエネルギーが多ければ多いほど、異界の規模が大きくなるのは当然でしょう」
全員が、言葉を失った。
人為的に、多くの人を巻き込んで異界を展開する、だなんて。
そんなことが可能なのか……?
いや、可能なのだろう。美月が言うのだ。そこにおふざけや冗談の要素なんてない。
「……は? いや、ちょっと待ってくれ北都先輩。感情を吸われるってなんすか!?」
洸が無視できない単語を拾い上げた。
全員の視線が、次の美月の説明を求めるように、彼女へ集まる。
「……先程、四宮君がシャドウが掲載した小説のジャンルを、自叙伝やエッセイだと推測しましたね?」
「え? あ、うん。まあね」
突如話題を振られた祐騎は、驚きつつも肯定する。
それを言っていたのは、志緒さんと話してた、自分たちに小説を見られたくない理由の時だったか。
「その推測は正しいと思います。筆者──シャドウは心を……いえ、“異界”を“小説”として書き上げているのでしょう」
「「「「「「!?」」」」」
異界が小説に?
いや、でも、そうか。心を綴った小説、それが仮に諦めの物語だとしたら、異界にも通じるところも確かにあるのかもしれない。
同じ感情を元に構成された、異界と小説。
その関係性が等号で結ばれ、小説=異界が成り立つとするなら、小説に感情移入した人はつまり、異界に感情移入した人となる。
諦めの気持ちで書かれた小説に対し、同情や共感など、理解を示すということはつまり、同類の感情を抱くと言うこと。それが異界に注がれるというなら確かに、それらの感情を抱いた人も、異界を一緒に造り上げてしまうということになるのだろう。
「で、でも、今の話は全部推測だよね?」
祐騎の焦ったような声が、沈黙する場に響いた。
そう。今彼女が話したのは美月が思いついた、仮定の話。現実に起きていることではない。
けれども、この想定は決して遠く外れているわけではないようにも思う。
それを、全員理解しているのだろう。だからこそ、誰もが目に見えて分かるような焦りと怒りを浮かべている。
「はい。あくまで推測の域を越えない話です。が、用心するに越したことはないかと思いまして」
「……待てよ、つまり異界が発生したら、杜宮高校の生徒たちが巻き込まれるってことか?」
「あ! そっか! そのネット小説がウチの高校を起点に流行ってるなら!」
「そう、なりますね。十中八九、異界の起点はここ、杜宮高校になるでしょう」
その言葉に、洸が拳で机を叩いた。
「すぐに避難させねえと!」
「ですが時坂君、何と言って避難を?」
「言ってる場合か! 最悪デマでも放送で流して追い出してでも!」
「仮に生徒は良いとして、教師もその方法で追い出すのですか? それに今は放課後。ほどんどの生徒は部活の活動中です。中止するように言ったところで、素直に聞くとは考えづらいのではないですか? 第一それがシャドウの耳に入ればどうなるか」
「それは……ッ」
「落ち着いてよコウセンパイ。不用意に外へ逃がして、被害が拡大したらどうすんのさ」
「……その通り、だな。悪い。北都先輩も」
歯を食いしばる音が聴こえた。
特に洸は学内の友人が多い方だ。巻き込まれないかどうか、気が気でないだろう。
その苛立ちは正しい。けれど、それをどうか美月には向けないで欲しい。一番歯がゆい思いをしているのは、恐らく生徒会長である彼女だと思うから。
ふと、美月と目が合った。
大丈夫ですよ、と言わんばかりに首を振り、まっすぐこちらを見る彼女。自分が考えていることはお見通しのようだ。
……今は彼女の意志を汲もう。祐騎の言う通り、冷静にならないといけない。
「いいえ、私も言い方を考えるべきでした。ごめんなさい、時坂君」
「北都先輩が謝ることじゃないっす」
一瞬だけ緊迫した空気が緩む。とはいえ緊張は未だに場を支配していた。
当然だ。置かれた状況が予断を許さないものだと、段々実感を持てるようになってきているのだから。
「とにかく、今の話で分かったのは、異界の発現場所の筆頭候補が、ここということね」
ずっと黙っていた柊の声が響く。
それと同時に、彼女は自身の胸の前に、何かを掲げた。
『全員、今から私のやることに、一切反応をしないで』
筆談のように、かつ少し離れた自分にも見えるよう、大きくノートに文字を書く柊。
書いてある文字と彼女の行為を見て最初に思うのは、盗聴されているのか、という疑惑。
そうでなければ、わざわざ文字を書いたりしないし、それに対する反応を禁じはしないだろう。
「不思議なのは、なぜこの学校だったのか、ということですね。偶然と言ってしまえば、それまでかもしれませんが」
柊の言葉の意図を汲み、美月が何事もなかったかのように話を続ける。
「まあ、小説の年齢層によって学生に絞っていたとしても、他に狙うべき場所はあるからね」
「シャドウにはこの場所を狙う理由があったってことか?」
「それは……どうなんだろうな。実際無作為に選ばれた学校の1つだったりするのかもしれないし、何とも言えないんじゃないか」
どの話題も、確証に欠けたものしか出てこない。そもそもこれは仮定の上の仮定。本来であればこの杜宮高校が標的になっていない可能性だってある。
取り敢えず分かっていないことの欄に、杜宮高校が狙われている理由、と書き込む。
それに少し遅れる形で、柊のノートの次のページが捲られた。
「そうね。……リオンはどう思う?」
『岸波君、貴方のサイフォン、今ポケットの中にある?』
自分のサイフォン?
彼女が何を言いたいのか分からないが、入ってはいる。チョークを持つ関係で、サイフォンを持っていたくはなかったし。
肯定するために頷きを返すと、彼女は手を口元に当て、何かを考え込んだ。その後彼女の視線は、再度ノートへと戻る。
「……」
柊に問いを投げられた璃音は、反応を示さない。
彼女は彼女で何かを考え込んでいるようだ。
それを不思議と思ったのか、洸が口を開く。
「おい、久我山?」
「……え? ……あ、ゴメン! 違うこと考えてた! なんだっけ?」
「うちの学校が狙われているってことについて、何か意見あるかって話なんだが」
「何か、他に気になることでもありましたか?」
美月の問いに、えっとと答えようとする璃音。どうやら集中力を失っていたわけではなく、何かに引っ掛かりを覚えたらしい。
「あたしが気になったのは、その異界の主が産み出したっていう、眷属? 使い魔? についてなんだけど」
「使い魔について?」
何かおかしなことでもあっただろうか。
詳しく聞こうとすると、またしても柊のノートが捲られた。
『岸波君はそのままサイフォンを出さずに元の席へ戻って。他のみんなは、サイフォンで例のサイトを覗いたままに。自由に弄っていてくれて良いわ』
自分のサイフォンがなにか関係しているのだろうか。取り敢えず言われるがままに、席へと戻る。
他の皆も、柊の指示通りにサイフォンを操作している。
「ウン。あくまで違和感ってだけだけど、話を聞いてる限りだと、結構悪知恵が働くシャドウなんでしょ? なら、何で2体目を作らないのかなって」
「だからそれは」
「時間稼ぎやほかのところに労力を割いているって話だよね。けどさ、実際もっとシャドウ産んだ方が時間稼ぎになるんじゃない?」
「……!」
言われてみれば、確かに。不確定要素はあるけれど、こちらに考える時間を与えないほど攻め立てた方が、全員の時間は奪えただろう。
それこそ、情報収集なんてしている間もないほど。
「それはさっきも誰かが言ってた、クールタイムってのじゃ、駄目なのか?」
志緒さんの回答に、璃音は納得いっていなさそうに首を傾げた。
その間に、柊が新しく指示を書き上げる。
『岸波君はサイフォンの画面を伏せたまま、こちらに投げて』
「でも、あんな強力な使い魔を作ったせいでクールタイムが発生してるんだよね? そこまで考えられるシャドウが、そんなミスをするようには思えないんだケド……」
「……言われてみれば、確かに」
璃音の言葉に、美月が同意する。
自分も彼女の言葉はなんとなく納得が出来た。異界を隠すなら異界の中、というわけではないけれど、確かに多く異界を出現させた方が、手当たり次第に攻略する必要がある為、精神的な負担を見込めるはずだ。
それをしなかったということは、何かしらの理由があったのかもしれないけれど。
ちなみに、サイフォンを投げろという指示には、少し納得できていない。
とはいえ、指示は指示だ。今は何かが見えている彼女に従おう。
「だからさ、ちょっと気になったんだよね。異界があそこに発生したり、シャドウを産んで──ぇ?」
サイフォンを、指示通りに投げる。
サイフォンが手元を離れる直前、璃音が何かに気付いたのか、言葉を止めた。
「──まさか!?」
続けて美月も、サイフォンを目で追いながら、声を上げ、椅子を倒すほど強く立ち上がる。
その間、サイフォンはそのまま一直線に、柊のもとへ。
画面を伏せたままとのことだったが、流石に無理だった。
投げ終わった後のサイフォンは、運動の関係で、少し向きを回転させてしまう。
その画面は、若干璃音の方へと向いた。
「アスカさんッ!」
「アスカ、ダメッ!!」
美月が駆け寄る。しかし間に空を挟んだ席順。少し遠い。
璃音が手を伸ばした。定位置のように柊の隣に陣取っていたことが功を奏したのか、彼女の手は自分のサイフォンと柊の手の間に入り、強くサイフォンを叩き落とすことに成功。
──次の瞬間、柊と璃音の周辺が歪み、彼女たちの姿は、跡形もなく消え去った。
「……──ぁ」
自分のサイフォンが机に叩き付けられる音が響き、美月の悲痛を堪えたような吐息が耳に入った。
何が起こったのか、どういうことなのか。それを聞こうとしたその時。
先の異変からひと呼吸置いて、状況が急変する。
「ぅ、ぁ──」
強烈な地鳴りがおこり、校舎全体が大きく揺れた。
次の瞬間、校舎の窓ガラスからは“見慣れた赤いひび割れ”見え、パリン、パリンと現実の割れる音が聴こえだす。
しかし、問題はその規模。ひび割れ自体は見覚えがあっても、そのひび割れの大きさは見たことがない。
“校舎全体を呑み込むほど大きな皹”。
窓から見えた景色はそれが最後。
「みんな、できるだけ近くに!」
自分に出来たのはそれを言い、近くに居た洸の傍へ行くことくらい。
また次の瞬間には現実が歪み始めていて。
──次に気が付いた時には、自分たちの居る場所は、世界は、一変していた。