剣が、煌めく。
その広い空間で相対していたのは、柊と3匹の犬型シャドウ。
柊の身長は、決して低くない。しかしそれでも、シャドウ1匹1匹に図体の大きさではまったくかなっていなかった。ちょうど柊の脳天が、シャドウの鼻の位置にあるだろうか。
その巨大な体格差で振り下ろされる一撃は、決して彼女にとって軽いものではない。だからこそ、彼女は受けるのではなく受け流すことに終始しているのだろう。爪による斬撃に対して彼女は常に半身でいることを心掛け、続けざまに四方から来る攻撃を、ひらりひらりといなしていた。
その動作は、まるで水流に身を任しているかのように滑らかで、美しい。無駄のない、洗練された動き。
加えて絶え間なく動き続ける銀色の光。何かを探るように宙を往復する柊のソウルデヴァイス──エクセリオンハーツは、僅かな攻撃を隙間を縫って攻勢に出た。
シャドウの腹部を一閃。
だが、浅い。
その彼女の太刀筋は鋭かったものの、僅かな隙を縫うかのような攻撃では、後が続かない。1対1なら優に勝てていただろう。それが出来ないのは、1体のシャドウに対して攻撃する間が保てないことのように見えた。
ならば、話は簡単だ。
「璃音! 空! つっこんで!」
「「了解!」」
恐らく自分たちの到着を、気配などから察していたのだろう。
驚く様子はなく、しかし上げた声に反応するようにして、こちらを威嚇するように強く睨んだ。
しかしそんなこと、知ったことではない。
「志緒さん! 続いて!」
「応!」
「祐騎は指揮を! 美月はこちらに残りつつ、状況に応じて祐騎の援護を頼む」
「はいはい!」
「分かりました」
先行してシャドウへ突っ込み、翼で攪乱を図る璃音。大きく助走を付けた一振りを叩き込んだ空。
1人でも敵を翻弄できる機敏さを持つ彼女らに、まずは柊へと向いた意識を惹き付けてもらう。
その上で、火力のある志緒さんが居れば心強い。指揮は美月に任せようと思ったけれど、連携もとったことがない状態で任せるのは難しいだろう。その感覚を掴むまでの間だけでも、ソウルデヴァイスの間合い的にも一番全体を見ることができるであろう祐騎へ頼むことにした。
シャドウ3体を仲間たちが引き付けてくれたのを確認して、自分と洸、美月は柊のもとへと駆け寄った。
「どうして……」
当然と言えば当然。
自分たちを待ち構えていたのは、怒髪冠を衝くといった様子の柊。
「どうしてっ、来て、しまったの」
「来るに決まっているだろう」
「なにがっ……なにをッ」
何を言っているのかと。何を考えているのかと。
しかし彼女はその問いを口に出さなかった。
責め立てる言葉は思い浮かんでいるのだろう。
いや、思い浮かび過ぎて、選べなかったのか。それとも今更何を言っても遅いと思われたのだろうか。
何にせよ、そこは冷静に思考すべき所ではない。
「……北都先輩まで。貴女は……貴女は、分かっているはずなのに!」
肩を震わせ、握り拳を作り、彼女は睨み付ける矛先を美月へ変えた。
「私も止めようとはしたんですけど、無理でした」
「そんなのっ!」
「そんなの、私より付き合いの長い柊さんの方が分かっていたと思いますけれど。だから、誰にも相談せずにここへ来たのではないですか?」
「ッ」
心当たりが、あったのだろう。柊はそれ以上の追及を美月へ行わなかった。
下唇を噛み締めた柊は、次に自分の方を向く。
「岸波君、貴方も、何をしているのか分かっているの!? 貴方はリーダーなのだから、止めないといけなかったでしょう!!」
「その死地に単独で向かった仲間が居て、まだ助けられる可能性があるのなら、見捨てるわけがないだろう」
「私なら大丈夫よ! 貴方たちとは違う!」
「大丈夫だと言うならいきなり行方をくらますようなことをしないでくれ。それに現にさっきまでの様子を見るに、決定打を欠いていたんじゃないか?」
「……だからって、貴方たちが来たところで、何も変わらない。死体が増えるだけだわ」
「おい柊、そんな言い方!」
「黙っていて時坂君! 貴方たちはアレの恐ろしさを知らない。何も分かっていないのよ!」
「分かってないのはテメエの方だろうが!」
間髪入れずに、洸が柊の発言を否定する。
2人とも言葉に乗っている熱は同じ。
柊も洸も、どちらも苦しそうな表情をしている。
「恐ろしさを知ってる柊が、何で1人で挑もうとしてんだよ。ハクノもさっき似たようなこと言ってたが、それで苦戦してたら世話ねえぜ」
リーダーなんだから止めろ、と言われた時の返答についてだろうか。
いやそうでなくても、洸に同意見だ。
本当に恐ろしく、巨大な敵なら、戦力は少しでも必要だったはずなのに、彼女はそれを無視して己だけで突撃した。
恐らく彼女は、自分たちを危険な目に合わせないよう、引き離しておきたかったのだろう。その気遣いを無碍にしたことに、彼女は怒っている。いやそもそも、そのような気遣いは不要だったのだけれど。
両者が互いの言葉を待ち、場が停滞する。
柊も譲ら無さそうだし、切り口を変えてみた方が良いか?
いや、もう強引に全員で戦い始めてしまうという手も……それはないか。それをしてしまったら最後、今までのような連携は望めず、柊との間にある亀裂も決定的なものになってしまうだろう。
まずは彼女との間にある溝を、どうにかして埋めなくては進めない。
とはいえ時間を取って話し合おうにも、格上相手に接敵してしまった以上、無傷での撤退は難しい。
しかし、いつまでも戦闘を続けてくれている4人に負担をかけ続ける訳にも……!
「岸波くん」
美月に呼ばれ、振り返る。
彼女は、前線を必死に支える4人を見ていた。
「お邪魔にならない程度には皆さんのスタイルも把握できたので、私はそろそろ本格的に向こうの援護へと向かいます。皆さんの問題と私と柊さんの問題は少し異なっていますし、付き合いの浅い私が今ここにいても、言えることは多くはありません。そちらの説得が終了した頃を見計らって、また戻りますので」
「……向こうを頼んだ」
「ええ。そちらもご武運を」
薄紫色の髪を靡かせて、走り出した彼女を見送る。
自分たちと柊の溝が埋まらなければ共闘ができない以上、その共闘の先にある柊・美月間の“所属関係のいざこざ”は発生しない。となれば、彼女がここに留まる理由もなかった。
戦力が増えたことで、安定感は増すはずだ。こちらは、自分と洸でどうにかするしかない。
「なあ柊、オレたちはそんなに頼りねえか?」
洸が静かに零した。
「お前1人で頑張らなきゃいけないほど、オレ達は守られるだけの存在かよ」
「……このシャドウのレベルを相手取ることに関してなら、その通りよ」
「その敵と戦う際に、自分たちは足手纏いになると、本当にそう思ったのか?」
「……ええ。ええっ! だからそう言っているでしょ!」
「だとしたら、今、紛いなりにも抗えている現状をどう説明するんだよ」
「……ッ。それは、私が消耗させたから……!」
「それでお前も疲れてたら意味がないだろ。最初から協力していたらもっと効率よく出来たんじゃないか?」
「ッ」
そしてまた、彼女は言葉に詰まる。
そういえば、さっき言葉に詰まった時は、美月が何か言っていたな。
誰にも相談せずに来た。確か美月はそう言った。止めることができないと分かっていたから、止めなかったのだと。
……そう思うと、不思議な話だ。いつもの柊なら、『どうせ止めた所で意味なんてないでしょう』と言いつつ、全員で行動する道を模索する。結局ついて来てしまうのであれば、策を弄するのは時間の無駄、という考え方をしていたはず。
なら、今回はどうして1人先行したというのか。
まるで誰かに、見られる前に終わらせようとしたかのように。
「もしかして、何かあるのか? あのシャドウに」
自分の問いかけに、彼女は黙したまま握り拳に入れる力を強くした。
その反応の意味を言葉で表すのなら、痛いところを突かれた、といったところか。
何にせよ、少なからず彼女の動揺を誘えたらしい。
彼女もその反応を見せた以上、誤魔化すことは無理だと察したのだろうか。ゆっくりと口を開いた。
「貴方たちには、関係のないことよ」
……いや、まだ誤魔化そうとしていたみたいだ。
それで引き下がる自分たちでないことくらい、分かると思ったけれど。
どうやら本当に切羽詰まっているのか。それとも単純に、自分たちのことをまだ甘く見ているのか。
「関係ない、だと?」
「ええ、これは私の問題。分かったならこれ以上は踏み込んでこないで」
「お前の問題なら、それは俺らの問題でもあるだろうがッ!」
洸の怒声が響く。
シャドウが大声を聞きつけ、こちらへ猛進を仕掛けようとしたが、その直進を志緒さんが止めた。
勢いを完全に殺されたシャドウの横面を、助走を付けた空が大きく飛び、殴りつける。
強い衝撃に、シャドウの巨体が転がされた。
「仲間が何か抱えるのが分かってて無視できるほど、こっちは器用でも無関心でもねえんだよ!」
「……けれどもそれは、過干渉というものでしょう。私は放っておいてほしかったのに」
「何が過干渉だ! 何が放っておいて欲しいだ! それならそうと一言言いやがれ、この馬鹿!」
「だ、誰が馬鹿で──」
「仲間のことを放っておけるわけねえだろ! ただでさえ普段から隠し事の多いお前のことだ。一言もなきゃ心配するし、抱えてるものがあるって分かれば、尚更何かしたいと思うに決まってるじゃねえか!」
「……そうだとしても、来るべきではなかった」
「だからお前はッ」
一貫して同じ理論を突き通す柊。
断固として譲る様子はない。
何か。
彼女の鉄壁を崩す何かがないと、堂々巡りだ……!
「時坂クン!」
ふいに、遠くから璃音の声が聴こえた。
視線を向けると、こちらに向けて全速力で跳んでくる彼女の姿が。
何かあったのか? と聞く前に、彼女は洸の隣に降り立った。
「交代」
「……は?」
「いいから、あっちお願い」
「いや、だか──」
「い・い・か・ら!」
璃音の圧に押され、渋々と道を開ける洸。
なんなんだよ、とボヤキながらも、次の瞬間には気合を入れ直し、戦場へ駆けて行った。
交代で入った璃音はといえば、笑顔で柊の前に立った。
なんだその笑顔。
「……」
「何かしら、久我山さん」
「アスカ」
璃音はゆっくりと、微笑みながら手を伸ばし、彼女の頬に両手を添える。
「……え、ちょっ」
……いや、あれは添えるというより……?
「歯」
「は?」
「食いしばって?」
耳を疑う発言が出てきたかと思った、次の瞬間。
柊の額に向けて、璃音の頭が振り下ろされた。