「おい、ハクノ! 居るのか!?」
美月と息を合わせられるよう場数を踏むこと10分ほど。大まかな戦闘のリズムを掴めてきた頃に、やや遠方から自分の名を呼ぶ声を聞いた。
立ち位置を変え、視界に声の来た方角が含まれるように移動する。
霧でうっすらとしか分からなかったが、影が2つ。さきほどの声からして、洸と璃音がこちらへ走って来るのを察する。
流石に、空と志緒さんとは合流できなかったみたいだ。出来たら都合が良すぎるので、大して期待もしていなかったけれど。
「その声は洸……で合ってるよな? 着いたなら少し休んでいてくれ」
「は!?」
「走って来て疲れただろう!」
「いや、急ぐなって言われたからそこまで走ってない! オレたちも加勢を!」
「良いから良いから!」
ちょうど、もう少しでひと段落着くところなのだ。
別に助力を必要とするほどこちらも消耗している訳ではない。
「って、もしかしてそこに居るのは北都先輩か?」
「嘘、美月先輩!?」
「こんにちは、時坂くん、久我山さんも」
「う、うっす……?」
「どうしてここに?」
「岸波くんに誑かされまして」
「「……」」
霧で見えないが、呆れるような視線を向けられていることは分かる。分かってしまう。長い付き合いがもたらした理解は、少しだけ厄介だった。
いやまあ別に誑かした気はしないのだけれど。欺いた気もしないし。
「冗談はそこら辺にして」
「あれ、冗談を言ったつもりはありませんよ」
「……誑かしてはないはずだ」
「そうですか? 友達という言葉を巧みに使い、あだ名まで使って追い詰めて」
「全部真剣に言ったし、騙しても欺いてもいないだろう」
「そこのところ、当事者の四宮くんはどう思います?」
「誑かしてたね」
「……」
どうやらそういうことらしい。
まあ、受けた側がそう捉えるなら、それが真実なのだろう。
セクハラとか、いじめとかと同じだ。やった方に実感は薄くても、やられた側はひどく印象的に残っている、みたいな。多分。
「と、これで最後か」
最後のシャドウを殲滅する。
視界は狭いが、目に見える範囲内にシャドウはいないはずだ。
「オツカレサマ」
「……どうした」
不思議な表情を浮かべた璃音が、労いの言葉を掛けてくれる。そんな声色ではなかったけれど。
洸と璃音はけっこう近くに居たらしい。表情が視認できることで漸く気付いた。
「さて、後は空と志緒さんを待つだけだな」
「オレたちの方が先だったのか」
「そうだね、そろそろ来ても可笑しくないけど」
祐騎の呟きの通りだ。
洸たちと空たちにこちらへの移動を開始してもらう際、指示出しの速さにに多少の際はあっても、距離的な差はそこまでなかった。
だから、何もなく直進してくれているのならば、そろそろ着いても良い頃。
「そういえば、洸たちはこっちへ移動してくるまでシャドウと戦ったのか?」
「1回だけな。結構この近くだったぞ」
「そうか」
つまり、少なくとも空たちは1回以上の交戦を終えてこちらへ来るのだろう。
怪我とかしていないと良いけれど。
「……取り敢えず、異界の前まで移動しようか」
「見付けたの?」
「方角はなんとなく絞れているから、見付けるのにそう時間は掛からないはず」
そうして辿り着いたのは、やはり公園の敷地内だった。
サーチアプリがここだと結論付けたのは、マンション近くの空き地。公園の中でも立ち入り禁止の看板が掛けられている、自分にとっての未開の空間だ。
異界の
「……空たちが来たらすぐに入るのか?」
「疲労度次第だけれど、見て分からない程度だったら、本人たちの判断に任せるつもりだ。少し休んで、異界へ入った後の先行も自分たちで行う予定だけれど、問題ない?」
「ないない! 一刻も早く入ろう! 早くアスカを助けなきゃ!」
……本当に、その通りだ。
本来であれば、他のみんなを待つことなく入るべきだった。
しかし、いくら美月の協力を漕ぎ付けたからとはいえ、危険度の計り知れない異界。その中に万全の準備をしていない状態では入れなかった。偏に、それに挑めると判断できるほどの力が自分たちになかったから。
力不足を感じているのは、全員同じだろう。誰1人として、そう思わなかった人はいないはずだ。
その後、個々では少しずつ話をしていたが、纏まって話し合うことなどはなんとなくせずに、数分の時を過ごした。
そんな静寂の中、突如祐騎のサイフォンが通知の音を響かせる。
「……郁島からだ」
そう呟いた彼は、自分に目配せした後、通話に出る。
「はいもしもし。…………うん、うん。……ああ、ゴメン移動してる。そんな大した距離じゃないし、そっちまで戻るよ。誰かが」
自分で戻るんじゃないんだ。と璃音が小声で突っ込んだ。
「は? 僕は行かないけど? 誰か1人が行けば良いんだし」
不満げな表情を浮かべているけれど、璃音に向けてではない。どうやら電話越しでも同じ言及をされたらしかった。
そのやり取りを聞いて溜息を吐いた洸が歩き出す。どうやら彼がその役を買ってくれるらしい。
自分が行っても良かったのだけれど。
……というか、自分も行こうか。様子は確かめておきたいし。
「あ、行くの? 心配だしあたしも行こうかな」
「なら私も。高幡くんに挨拶しておきたいですし」
動き出そうとした自分を追うように、璃音と美月が付いて来る。
……そうすると、この場には祐騎1人が残ってしまうことになるのだけれど。
「……はああああ。……いや、なんでもない。それより僕もそっちへ行くから。じゃ」
一方的に伝えて、彼は通話を切るのだった。
────>異界【鳥篭の回廊】。
前もってみんなに伝えていた通り、空と志緒さんの体力が回復したと判断できるまでは、自分と洸、璃音、祐騎、美月の5人で先導して進むこととなった。
あくまでも最初のうちだけ。そういう約束で彼らにも引き下がってもらったのだけれど、その交渉はすぐさま無意味なものだったと把握することになる。
居ないのだ。シャドウが、極端に。
いや、居ることには、居る。ただし、ある道筋を辿ろうとすると、まったくと言って良いほどシャドウに遭遇しないのだ。
つまり、意図してその道をこじ開けた者がいるということ。
「あっちの道、シャドウが少なそうだけど」
曲がり角に際し、足を止めた。
どちらに進むかを考えるより先に、祐騎が口を開く。
彼の指差した先を見ると、確かにシャドウの気配が薄かった。
「ということは、あっちが」
「アスカが通った道ってことだね」
璃音が引き継いでくれた言葉に頷く。
「これを柊は1人でやったってのか」
「なんつうか、凄まじいな」
「……いつも、どれだけ柊先輩がわたし達に合わせてくれていたかが分かりますね」
こうしてみると、柊の凄さというのはやはり際立つ。
自分たちと一緒に探索している時では、見ることの出来なかった力。
でも、それを見ることがなかったということは、つまり。
「逆に言えば、柊が全力を出さなくても良い環境を作れていた、ということにはならないか?」
「それはポジティブすぎると思うぞ」
即座に、洸が否定の言葉を入れる。
その一方で、首を縦に振った人が居た。
祐騎だ。
「いや、僕はアリだと思う。そもそも僕らが足を引っ張り過ぎてるなら、柊センパイ1人でなんとか出来てたってことでしょ。そうさせなかったってだけでも、後ろめたく思う必要はなくなると思うけど」
決してお荷物として認識されていたわけではない。
もしそうであれば、彼女はどんな理由であれ、自分たちの同行は認めなかっただろう。
「まあ、俺が言うのもなんだが、自分が全部やらなくちゃいけないって背負うのは、疲れるだろ。少しは柊の負担を軽減できてたんじゃねえか?」
「そうですね、柊さんは色々と抱えていたと思いますし。皆さんの存在は、決して彼女に不要だったわけではないと思いますよ」
3年生の2人は、それぞれ抱える者の立場として、柊と自分たちの関係に負い目だけでないと言ってくれた。
ついでに美月も、私が言えたことではありませんが、と言って欲しかったところだけれど。
何にせよ、彼らの言う通りであって欲しい。
いや、それを今から確かめに行くのであり、証明しに行くのだが。
「まあ何にせよ、置いていったことは許せないんだけどね!」
「それな」
璃音が胸の前で握り拳を作り、洸が左掌に右拳を叩き付けた。
「僕は面倒だから、郁島、一発イイカンジの入れておいて」
「うん! ……ってええ!? 殴るの!?」
「実力を伝えるのに手っ取り早いでしょ。郁島らしいし。……あとついでに、僕らを役立たず扱いしたことに対して、反省してもらわないといけないし」
「絶対に最後のが理由だ」
絶対に最後のが理由だ。
自分もそう思う。
何だかんだ、自分の力不足を認めながらも、下に見られることを嫌う傾向にあるし。
「ま、ここで少しでも借りを返しておくか」
「及ばずながら力になりますよ」
終点が見えてくる。
それと同時に、剣戟の音が聴こえてきた。
さあ。
「行こう。いつも助けてくれた彼女を助ける番が来た」
「「「「「「応!」」」」」」