息を潜めて曲がり角に隠れる。
自分に気付くことなく、異形の怪物が横を飛んでいった。
……あれは、なんだ。
本当に、異形以外の何と呼称することもできない。
空を飛ぶ球体のようなモノ。しかしそれには口があり、球体の直径と同じかそれ以上の長さの舌が、そこから延びている。
胴体はない。目も鼻も無さそうだ。
少なくとも、自分が知っている生物ではないだろう。
そもそも生物かどうかすら怪しい。
なにかよく分からない、門のようなモノを通りすぎた途端、自分の視界は白く染まった。
そして慣れてきたかと思えば、辺りに広がるのは見覚えのない光景。
一瞬、ここが現実であることを疑いさえした。
壁と床の間には隙間があり、そこから雲のようなものが垣間見得ることから、ここが空中であることが分かる。
足場としてはしっかりしているが、油断はできない。何かの拍子に落ちたりしては、助からないだろう。
しかし構造もさることながら、この床も壁も現実のものとは思えない。
どこかの古代遺跡から、新種の石材でも見付かるのであれば、これは現実だろう。
それくらい、今現存する日本式住居では再現されないであろう異質感を感じる。
自分が世間知らずであることは考慮に入れても、だ。
だが正直、そんなことはそこまで気にしていない。
実際のところ、道中で疑問が頭を過ったにすぎなかったりする。
そんなことより、玖我山を探すことが優先だ。当然。
だが、自分が目を覚ました周囲では一切見つからず、意を決して急ぎ足で奥へ向かうも、先程のような怪物が徘徊しているせいで、思うように進めない。
何より幸いだったのは、怪物たちの視界に自分が入らない限り、追われることがないことくらいだ。
「……玖我山」
彼女は無事だろうか。
結構進んできたものの、未だに彼女は見つからない。
「──なのよ、アンタ!」
声が、聞こえた。身体が自然と反応し、の声の方向に走り出す。
怪物を避けつつ、できる限りで急ぐ。今までが嘘のように、スムーズに進んだ。
彼女の背を視界に捉える。
良かった、無事だったよう……だ?
「さっきから……ホントに意味わかんない……」
『この物分かりの悪さ、流石はあたし』
「あたしって言わな──え、今バカにした? したよね?」
……気のせいか、玖我山の奥に、玖我山が見える。
と言うか、声も2つ聞こえるし、何やら玖我山どうしで揉めてるみたいだ。
「玖我山!」
声を掛けてみる。
こちらを見たのは両方。同じ顔だ。なんでここに居るの、といった表情をしている。
「岸波くん、キミもここに来てたの!?」
『スゴいスゴい! ここまで来れたんだ! 地味そうな顔なのにやるじゃん!』
……また、地味と言われた。
「…………け、怪我はないか」
「う、うん。大丈夫、でも……」
『良かったわね、
「……それで、玖我山、この人は?」
先程から外見について酷い言い方をしてくるこの相手。
見た目は玖我山 璃音そっくり。下手な双子より似ている。強いていうなら雰囲気が違った。何というか、気怠げというか。
玖我山のことをあたしと呼ぶ辺り、まさかとは思うが。
「それが、その……よく分かってないんだけど、あたし……らしい」
「らしいって何?」
「……さあ?」
彼女に分からないというのに、自分に分かるだろうか。
『だから言ってるじゃん、あたしはあたし。あたしが抱える本音なんだってば』
「本音?」
『本音って言うか、本心?』
本音、本心。
つまり彼女は、久我山が心の奥底で思ってることを代弁するような装置だと?
「玖我山は、本心から……自分のことを地味だと思っているんだな……」
「……え、あ、ちょっ……ちがっ、わ、ない、ケド……」
違わないのか。
『あははは。結構面白いね、キミ』
こっちは面白くないんだが。
取り敢えず、受け入れるしかない。ただでさえ現実味の薄い場所なのだ。こういうこともある、と割り切るしかないだろう。
「ご、ゴメン」
「……いや、取り敢えずは良いとして。そんなことより……もう1人の玖我山。お前は何がしたいんだ?」
『簡単よ、
「願い?」
もしかして、彼女が先程言っていた、見てくれる皆を笑顔にする、という?
アイドルというきらびやかな夢を追い掛ける、その先に思い描くもの、ということか?
そう尋ねると、彼女の本心は首を振った。
『今の
「違う! あたしはそんなこと願ってない!」
『でも、後悔してるんでしょ、アイドルをやらなければ、得体の知れない力で“誰かを傷つける”こともなかったって』
「……っ」
誰かを、傷つけた?
そういえば、何かしらの事故があったとは聞いたものの、具体的な内容は知らない。
『簡単よ、チカラが暴走して、それに巻き込まれた
「……それは、その……」
「待ってくれ、力って結局何だ?」
玖我山自身が廃工場でも似たようなことを言っていた。
災害を起こした、とか。
『分かんない』
「「……は?」」
『
……それは、そうか。
もう1人の彼女の言を信じるなら、彼女は玖我山 璃音の本音でしかない。
彼女が知らないことを、本心であるもう1人に求めるべきではないだろう。
「それで、平和に過ごしたいという願いを叶える為に、ここに幽閉しようってことか?」
『まあ、そんなとこ。だって、もう夢を追い掛けても無駄だって気付いちゃったし。今さら戻っても出来ることなんてないでしょ? だから、出る必要なんてない、ぜーんぶ諦めちゃえば良い。分かった、
「分かんない。分かるわけないでしょ!」
……どういうことだ。
本心ではそう思っているが、玖我山には本当に分かっていないと?
それとも、分かっていないフリをしているのか。
「諦めるのは、玖我山の望みではない?」
「当前! まだまだSPiKAは走ってる途中だし、これから3周年ライブだってある! それに約束したの!」
「グループの人たちと?」
「うん! 見に来てくれる人全員を笑顔にできるアイドルになろうって! いつかアイドルの頂点に立とうってね! だから……だからこんなことで、諦めてなんかいられないの!」
『本当に?』
元気のある全力の宣言に、
『またあんなことが起きても良いと?』
「それは……心を押さえて歌えばなんとか」
『それで生き残れる程、優しい世界じゃないことは分かってるでしょ。それに、心を込めずに歌って、全員を笑顔に出来るなんて思ってるの?』
「…………」
『気付いているんでしょう? 歌ってしまえば、誰かが不幸になるって。見に来てくれる人を笑顔にするアイドルになんて、どうしたってなれないことくらい。なら、アイドルなんて辞めちゃった方が良い』
玖我山は黙る。黙りこくってしまう。
確かに、彼女の本心が言っていることは間違ってないだろう。
本心の発言に間違っている所はない。
いつ如何なる時でも全力で歌うべきだし、それが出来なければ彼女は彼女らしさを失うだろう。
──だから。
「玖我山、全力で歌えないなら、アイドルは休むべきだ」
「……ッ、キミにッ! あたしの想いを、あたしたちの歌を知らないキミに、何が!!」
「知っているとまでは言えないけれど、聞いたぞ、CD」
今でも、思い返すと気分が高揚してくる。
ハマる。という気分がよく分かった。
「正直、凄かった。聴いていて元気が出たし。はっきり言って、応援したいなって、ファンになりたいと思えた」
廃工場にまで追ってきたのは、それを伝える為でもあったことを思い出す。
ようやく言えた。
ありがとう、歌を聞かせてくれて。
本当に、良い歌だったんだ。
「え……な、なら!」
「でも、それがキミたちの持ち味だろう。自分が応援したいと思ったのは、全力の玖我山たちだ。全力で、ぶつかろうとするSPiKAだから、応援しようと思える」
「……そうじゃないあたしに、応援する価値がない、っていうの?」
「まあ、似たようなもの、かな」
だから。
「だから、言わせて欲しいんだ。……何もかもを諦めるには早いはずだって」
「……ぇ?」
「まだ足掻けるはずだ。今は少しだけ休もう。そうしてよく分からない力と向き合って、解明させて、治してから、万全の状態でアイドルに戻れば良い」
「……ッ」
『…………ハァ?』
きっと彼女にしてみれば、もう耐えがたい絶望を味わった後なのだろう。
こんな摩訶不思議な現象が起きているのだ。想像を絶する葛藤に違いない。
それでも、諦めてほしくなかった。
応援したい、と思えたのだ。本当に、彼女の──彼女たちの歌は素晴らしかった。
『マジで幻滅。少しは説得してくれるんだって期待してたってのに。そもそも心の折れかけた
「諦めても何も変わらない。人は前に進む生き物だ」
『進むのが辛いのに? 現実と夢が離れていって、何故進むかも分かっていないのに、休みもせずに進めと言うの?』
「休んでも良い、寧ろ休むべきだ。けれど完全に足を止めるのだけはダメだと、自分は考える。もう1人の玖我山が言っているのは、いますぐ何もかも捨ててしまえ。ということだろう?」
『そ。だって疲れちゃったし。アイドルにも、生きていることにすらも。だって何も変えられない。何も救えないことが分かっちゃったからさ。ね、もう1人の私』
見透かしたような視線が玖我山を捉える。
顔の色素が抜け落ちたかのように真っ青な表情のリオンは、1歩後ろに退いた。
それが何よりの図星である証明。
彼女の、諦め。
なら、自分は彼女にやる気を取り戻させることから始めよう。
どうせ何の手立てもないんだ、出来ることをしたい。
少なくとも、辛そうな女の子を助けるのは、間違っていないはずだから。
「玖我山」
──Select──
>アイドルは好きか?
アイドルは嫌いか?
本当に辞めたい?
──────
「……え、う、うん。そりゃあまあ、好き、だけど」
「どこが好き?」
「……みんなに希望を配れる所、とかかな」
「うんうん、他には?」
「……キラキラ輝いている所。色んな人を応援できて、色んな人が応援してくれて、自分も仲間も含めて、たくさんの人を笑顔にできる所」
それが彼女の原点。
自分に元気をくれた存在に、今度は自分が成りたいという、大きくて暖かい夢。
彼女がアイドルを、続けたい理由。
『でも、あたしにそれはできない。歌っても傷つけるだけ。なら、何もしない方が良いに決まってるでしょ』
「それは……」
反論がなかった。
これが、彼女がそれを諦めようとする理由の1つ。
アイドルをしても、何も変えられない。ということか。
──Select──
アイドルは好き?
>アイドルは嫌い?
本当に辞めたい?
──────
「嫌いじゃない、嫌なこともあったケド、何より楽しかったから。前に進めてるっていう実感もあったし」
『結局無駄だったんだけどね』
「……」
黙った。
ということは、今までの努力が無駄だったと思っているからこその、絶望が?
ここまで諦めたい2つの理由を知れた。
目指したものを、正体不明の力が邪魔していること。
努力が無駄ったと思い込み、次の行動をとれないこと。
それでも彼女は、夢を抱いている。
諦めるには惜しい夢を。輝かしく、暖かい願いを。
それを強くするには、マイナスな聞き方をするべきではない。
発破をかけるように、彼女の強い意思を、輝かせるように。
──Select──
>玖我山の願いは、その程度の壁に躓いて良いものなのか?
──────
『もう良いの、その方が楽』
だが、玖我山は答えない。
悩んでいるのだろう。
本心からの言葉が、正解とは限らない。だって本当に、その力をどうにか出来る当てがあるかもしれないじゃないか。
「やりたいならやれば良い」
言ってから思う。なんて無責任な言葉だろう、と。
しかし、彼女の問題は認識できた。
それが何によって引き起こされる現象なのか、どうしたら防げるのか分からない以上、アイドルはできないと思い込んでいるらしい。
──だが。
「何で辛いことを辞める理由に直結させる? 玖我山はまだ努力できるだろう。玖我山は1人じゃないだろう。誰かに相談はしたか。何処かに研究でも依頼したか。取れる手は、本当にもう残っていない?」
「あた、しは……」
彼女は俯く。自分の言葉は無責任で、残酷なものだろう。希望を与えるだけ与えても、解決することはできないのだから。
それでも彼女に刺さった。ならばそれは、玖我山にとっても考えるべき可能性の1つのはずだ。
どうすれば良いのか、なんて己自身にしか決められない。
だからこそ、安易に結論を急ぐなんて、間違っている。
「SPiKA。良いグループ名だと自分も思う。自ら輝く乙女、乙女座の恒星の名が由来。誰が何処に居てどんな状況でも見つけられるくらい輝いて、それが誰かの希望になれば良い。そんな意味合いもあるんだってね」
「え、何でそれを──」
「調べたんだ。さっきも言った、ファンになろうかと思ったし。思わず歌声に惚れそうだったくらいだ」
「な──ッ」
顔を赤く染める玖我山。
ふ、ふーん。そっか。と顔を反らしながら呟いている。
『で、ファンになるから、なに?』
「ああ、すまない。自分が言いたいのはそうじゃないんだ」
まっすぐに彼女を見詰めて、問う。
「SPiKAの中で、光っているのは玖我山だけ? 他のみんなは自分の輝きを反射してるだけの存在?」
「そ、そんなこと──」
「4人も居るのに、玖我山1人を照らせない程頼りない光なのか?」
「頼りなくなんてない! ハルナは演技力スゴいし、レイカは1番ストイックに努力してるし、ワカバはいつも一生懸命だし、アキラはダンスがスゴいし。みんなあたしと違う長所がある、みんな輝いている!」
本当に、お互いがお互いを尊敬しあって出来ているグループだ、と昼頃誰かが高説していた。
玖我山本人も圧倒的な歌唱力を持っていて、他のどのメンバーにも負けていない。欠けて良い存在では決してない。
先輩も後輩も関係なく、同じところを夢見て、競いあって、叶えあう。
久我山だけではなく、今のSPiKAから1人も欠けるべきではないのは、自明のことだ。
「だとしたら、なんで諦める、なんで希望を捨てる。玖我山がダメなときは他の誰かが支えてくれるんじゃないのか?」
「みんなが……」
「せめて、相談してからにしよう。もちろん自分も力を貸すし、学校の皆も、きっと協力してくれる」
なんたって、今日1日囲まれてた程だし。
彼ら彼女らの情熱は、身を以て知っている。
「……そっか、そうだよね」
彼女の纏う雰囲気が、何処か変わり始めた。
恐らく、良い方向へ。
「もう1度聞く。玖我山 璃音の、アイドルへの想いはそんなものか? そんな簡単に諦められるのか?」
「ううん……できない。あたしはアイドルが好きだから。あたしは憧れたアイドルになるって決めたから。あたしのアイドルへの想い、嘗めないでよね!」
涙を堪えながらも、明るく、見る者を元気にする笑みを浮かべた玖我山を見て、ひとまず安堵する。
黙ったままの、もう1人を忘れたまま。
『つまーんなーい』
一言だけ言わせて欲しい。
ルビ多い!