「ははっ、流石に眠そうな人が多いな」
授業開始の2分ほど前、教壇に立つ佐伯先生はクラス全員の様子を見渡して苦笑する。
次の授業は英語。彼の担当科目だ。2学期に入ってもいつもと変わらず、授業の3分前にはやってきて、生徒とコミュニケーションを取っている。
ただその生徒たちも、少しばかり疲労が隠せないでいた。
約1.5ヶ月ぶりの授業。それでいて昼食の後なのだ。気を緩めるなと言われても難しいだろう。
尤も、規則正しい生活を送らなかったツケと言われては、何も言い返せないのだけれど。
その後も数人の生徒に話しかけていた佐伯先生は、段々と苦笑の色を濃くしていく。
「これでは授業にならないな……よし」
授業のチャイムが鳴ったが、彼は教科書を開く様にも、何か指示する素振りを見せることもなかった。
「今朝も言ったが、久し振りだな。皆。本来であれば夏休みの思い出を軽く英文にして発表してもらうところだったが……」
『えー』
間髪問わず、クラス中からブーイングが飛ぶ。
「まあ待て待て。してもらうところだった。と言っただろう。だが今回は趣向を変えて、みんなが夏休みで出会った英語、もしくは外来語の語源について、考えていく時間にしようと思うんだ」
「語源、ですか?」
生徒の1人から質問が飛ぶ。
そうだ。と佐伯先生は頷いた。
「例えばそうだな。私の家の近くに、メイド喫茶があるんだが、そのメイドの語源について誰か……岸波、答えられるか?」
「はい?」
「どうしてメイドがメイドと呼ばれるか、だ」
メイド喫茶などのメイド?
はて、どうしてだろうか。
──Select──
用意する、整える(Made)から。
>女性詞(Maiden)から。
日本語の冥途から。
──────
「ああ。正解だ。Maidenは主に未婚の女性に使われる単語。語源として同じなのは、マーメイドなどが該当する。よく分かったな、岸波。流石だ」
「ありがとうございます」
へえ。と知らなかったような反応がちらほらと見える。
半数近くの生徒は予想がついていたのか、あまり反応を見せない。
当たって良かった。
「メイドは住み込みで働くハウスキーパーのような意味合いから……まあ言い方は悪いが、見ず知らずの人に報酬を貰って家事をするのは、未婚の女性くらいしかやらない、という意味合いも多少はあったらしい。それも女性の権利拡大に伴い薄れていって、今はみんなが知っているような日常的な職務にまでなったが」
「どうも」
「ちなみに男性の給仕者は普通にボーイと呼称されている。こちらは通常の少年を表すBoyと同じ表記だ。メイドカフェがあるのにボーイカフェが少ないのは、名前的な印象が原因とも言われている。一般的には執事カフェ……もしくは執事喫茶など、だったか? あまり馴染みのない場所だから、覚えてはいないんだが」
「えー、先生執事の格好とか似合いそー」
「はは、ありがとう。まあやる機会はないと思うが」
「文化祭で着るとか?」
「……いや、文化祭だと先生はコスプレしないからな。やるのは皆だ」
その後も多少わいわいとしながら、本題に戻り、十分ほど時間を与えられ、夏休みに目にしたカタカナ語などを書きだしてみることに。
その後は周囲の生徒とグループを組んで、話し合いながら精査していくという。
話し合いがある以上、寝たりすることはなさそうだな。
よく考えられている。と少し感心した。
なお、本日の宿題として、夏休みの思い出を英文にして今週中に提出を言い渡される。
やはりブーイングが起きた。
──放課後──
視界の隅に、楽しそうにクラスメイトと談笑する璃音の姿が入る。
……予定もないし、暇そうなら、誘ってみようか。
サイフォンにて適当に誘う文章を打ち込み、送信。
数秒後、璃音は自身のバッグへと手を伸ばした。着信音が鳴ったようには聞こえなかったので、バイブレーションの音で気付いたのか。ちょっとゴメンねと周囲に切り出して、サイフォンを確認する。
「あ、ゴメン、用事入っちゃったから、今日は帰るね!」
えー。という声が半数。
またねー。と挨拶する声が半数。
その声に少し応えた後、彼女は歩き出した。
こちらへのウインクを忘れずに。
……ウインクしてくれた、ということは、OKなのだろうか。
恐らく了承してくれたということで良いのだろうが、そういえば彼女は何も決めていないのに外に出てしまった。どうしたものかと頭を悩ませていると、自分のサイフォンが振動した。
『学校出たところで合流ね! ドコ行こっか?』
出た所で合流、ということは、先に出発した彼女を待たせることになってしまう。
それは良くない。ということで、急ぎ出発することにした。
────>杜宮記念公園【杜のオープンカフェ】。
変装してくるね。
と言い残して一回帰った璃音。
どうせなら自分も着替えるか、と思い、一回家に帰るとサイフォンで伝えたところ、じゃあキミの家の近くにしよう。と返答が来た。
よって、本当に家から近いお店で雑談をする。
今日はそれだけで解散。
……の予定だったが、どこからか視線を感じる。
辿ってみようか。
──Select──
>行く。
行かない。
──────
以前からなんどか、璃音と一緒にいる時に限って感じる視線。
彼女に害のないものであれば、それで良いのだけれど。
その確認だけ、しておきたい。
……しかし、どこから見られているのかが分からないな。気のせい、ということはないのだろうけれど、特定が難しい。
こういう時、ドラマとかではどうするのだろう。
……ああ、鏡とかで確認していたかもしれない。
だとしたら鏡を準備しなくては。
けれど今回は鏡を持っていないから、取り敢えず……適当な方向に向かって走ろう。
しかし、怪しい人や逃げる影はどこにもなかった。
ハズレの方角を引いたらしい。
今日は大人しく帰ろう。
──夜──
今日はゲームをしよう。
『イースvs.閃の軌跡 CU』を引っ張り出す。
前回は、ミッションをこなしつつ操作可能キャラを増やしていったが、今回も恐らくその流れだろう。
操作には慣れてきたが、まだまだ敵キャラの方が強い気がする。何と言うか、今の自分は特定の攻撃で押し込んでいるだけだから、技術とかがあるわけではないのだ。
今後はそれを習得することを目標としてもいいだろう。何はともあれ、まずは全キャラだし終えなければ。
引き続きプレイしていくとしよう。
──9月4日(火) 放課後──
「あの、岸波君、いるかな?」
下校の準備をしていると、不意に自分の名前が聴こえてくる。
誰だろうかと、ドアの方へと顔を向けると、そこには鞄を持った倉敷さんがいた。
目が合ったので、一度準備を中断し、扉の方へと向かう。
「久し振りだね」
「そうだな。どうかした?」
「その、ちょっと話せないかなって。用事がないなら、帰るついででも良いから!」
「別に構わないけれど」
特に予定もなかったし。
下校の準備があるからと、そのまま待っていてもらい、荷物を纏めていく。
彼女が自分を訪ねてくるなんて珍しい。何かあったのだろうか。
────>杜宮高校【校門前】。
何についての話だろうか。
推測を立ててみよう。
──Select──
本屋について。
>洸について。
告白。
──────
「それでね、岸波君。話って言うのは」
「洸について、か?」
「え、どうして分かったの?」
「簡単な推理だったよ」
本当は推理なんてしていないけれど、そういうことにしておく。
「そっかぁ、岸波君は何でも分かっちゃうんだね」
「ああ」
適当な冗談を言ったつもりが、大げさなことになって返ってきた。
何でも分かるとは言っていないけれど……まあ良いか。
「それでね、コウちゃん、最近何かに悩んでいるみたいで。コウタ君もジュン君も知らないって言うし、もしかしたら岸波君ならって。最近仲良さそうだったし」
「ああ、確かに最近結構一緒にいるな」
2人で出かける機会などは早々ないが。
泊まり込みでゲームをしたり、打ち上げをしたりと、交流が深いのは間違いないだろう。
それにしても、悩み、か。心当たりは、あるような、ないような。
「柊には聞いたか?」
「……ううん。やっぱり柊さんなら、知ってるかな?」
少し、落ち込んだように話す倉敷さん。
何て言おうか。
──Select──
やっぱりって?
知ってると思う。
>知らないかもしれない。
──────
「いや、言っておいてなんだけど、知らないかもしれない」
「そう、かな」
「ああ」
一応、フォローするように言ったけれど、彼女の暗い表情が晴れることはなかった。
……柊が知っていて、自身が知らないことに対して何か思っているのではないかと勘繰ってしまったが、どうやら違うらしい。
さて、洸の悩みか。
思い出すのは、夏休みに入る前後の頃に話したこと。
『何かをしなくちゃいけねえって気がするんだ。何もしてないと、心の奥底から出てくる何かに、押しつぶされそうで……ああくそ、なんて言えば良いのか、マジで分からねえ!』
彼の“焦り”を追及した際の答え。
もしかすると、まだ答えが見えていないのかもしれない。
だが、それを自分が倉敷さんに伝えて良いものだろうか。
人の悩みを、勝手に打ち明けて、良いのだろうか。
──Select──
話す。
>話さない。
──────
駄目だ。
彼は考えてみる、と言ったのだ。1人にしてくれとも言っていた。
なら、彼が助けを求めるまでは、待ってあげるのが友人としての答えだと、自分は思う。
「洸が悩んでいることは、間違いない」
「……」
「けれど、もう少しだけ、待ってあげてくれないか?」
「……でもコウちゃん、すごい辛そう。言葉には出さないけれど」
「それでも、洸は今、成長しようとしているから」
前を向いて、目を逸らすことをやめて、考えているのだから。
だからもう少し、向き合う時間をあげてほしい。
「そっか。コウちゃんは、前に進もうとしてるんだね」
「……」
そう言った彼女は、少しだけ寂しそうな、儚い表情を浮かべた。
「なら、応援してあげないとだね」
だけど、一瞬で笑顔に戻る。
そこに、無理をしているような強引さ、力の入りは見られない。
先程のは、勘違いだったのだろうか。
「ああ、美味しいものでも作ってあげてくれ」
「そうだね。少しだけ豪華な差し入れでも、してみようかな」
「ちなみに、洸の好きなものって何だ?」
「うーん。フレンチトースト、かな?」
「……豪華にしようがないメニューだな」
「最高級パンと、最高級たまごを使うといいかも」
「それで美味しくなるなら、それでも良いけど」
いまいち、美味しいフレンチトーストのイメージができない。
パンの美味しさって、パン単体で食べた時が一番はっきり出るのではないだろうか。
「あ。じゃあ、岸波君」
「うん?」
「試食、付き合ってくれる?」
「……そうだな」
それが分かりやすくて、良いか。
自分だけ美味しい思いをしているようで、少し気が引けるけれど。
美味しいフレンチトーストが、どうしても気になるので。
「じゃあ今度、何パターンか、お店に持っていくから。量は少なくなっちゃうだろうけど」
「ああ、楽しみにしている」
まあ試食だし、量が少ないのは当然だろう。
寧ろ自分に割く量は、洸に回してほしい。
試食はしたいけれど。すまない洸。
「じゃあ、今日はありがとうね」
「いいや、こちらこそ。よろしく頼む」
「うん。コウちゃんの為に腕に撚りをかけて作るから」
「ああ、それでこそ」
じゃあね。と言って別れた。
──夜──
今日はゲームセンターでバイトをしにきた。
少しずつだけれど、活気が戻っている。
BLAZEの皆さんが居なかったときは、凄く寂しい気がしたから、良い傾向だ。
そういえば、よくしてくれる2人の姿がない。
また今度バイトに来る頃には居るだろうか。
コミュ・審判“倉敷 栞”のレベルが3に上がった。
────
知識 +1。
>知識が“秀才級”から“歩く百科事典”にランクアップした。
度胸 +2。
>度胸が“怖い者なし”から“戦士級”にランクアップした。
優しさ +3。
────
おまけ。
──Select──
本屋について。
洸について。
>告白。
──────
「それでね、岸波君。話って言うのは」
「告白か」
「……?」
……心底不思議そうな顔。ってこういう顔のことを言うんだな。
「あ、ち、違うよ! コウちゃんに告白なんてしないからね!」
「まさかそっちで来たか……」
てっきり、勘違いさせちゃってごめんね。と言われるかと思ったが。
加えて洸の話題なんてまったくだしていない。
どうして洸への告白だと思ったのだろうか。
口を開こうとしたが、倉敷さんの顔が真っ赤だし、目がぐるんぐるんしているので、ちょっと思いとどまる。
……追及しない方が良さそうだな。何かが壊れそうだ。
願わくば、今叩いた軽口が洸の耳に入りませんように。
心の底からそれを望むしか、できることがなかった。
→その後、彼の行方を知る人はいなかった。