怒涛の5連勤を終えた、翌日。
眠い目を擦りながら、自分は待ち合わせに遅れないよう、曇り空の下を歩いていた。
時間帯は昼前。朝早く、というわけでは決してない。自分でも何で瞼が重いのか不思議で仕方がないが、昨日までの5日間で身体に刻み込まれた習慣が怠惰を許さなかった、というだけの話だ。
事実、今朝起きたのは4時半。何度か2度寝を試みるも、寝転がっているだけで落ち着かず、結局掃除やら何やらを始めてしまい、気付けば約束の一時間少し前。
すっかり休む時間も無くなってしまったので、少々瞼も足も重いが自業自得と割り切り、集合場所である駅前広場へと足を運んだ。
見慣れたオブジェの前には数人の若者が集っていて、そこから少し離れたところに、見覚えのある友人の横顔を見つける。
大声でなくても声が届くくらいの距離に着いたところで、向こうも自分に気付いたのか、こちらを向いた。
「お、来たなハクノ」
「洸、待たせたか?」
「いや、オレはさっきまでシオリの家の手伝いやってたから……って、なんかお前、やつれてねえか?」
「大丈夫だ」
実を言えば決して大丈夫というわけでもないのだが。まあ我慢できなくもない程度の疲労。正直異界攻略の後よりは身体が軽いので、限界というわけでは決してなかったりする。
まあ仮に限界だとしても、今日は動かなくては行けなかったわけだけど。
心配を止めない洸に、ただ一言、「GWしてきた」と伝えると、遠い目をして納得してくれた。流石、ともにあの地獄を乗り越えた友。
「そっちは夏休みのお手伝い、忙しくなかったのか?」
「まあな。正直いつもと変わらなかった」
「……そうか」
「なんだ今の間」
いや正直、洸はいつも自分より忙しいものだと思っていた。
というか普通に忙しかったのではないか。彼自身がそれを忙しいと認識していなかったというだけで。
……それが一番あり得る気がしてきた。
「……まあ、行くか」
「そうだな」
恐らく、触れない方が良い話題だ。
────>駅前広場【道外れ】。
駅前広場から歩いて、10分ほど進むと、歴史を感じさせてくれる古い建物が幾つか見えてくる。
10年前の、<東亰震災>。それを生き残った兵たちだ。
「よしハクノ、次は何が必要だ?」
「次は……制服の予備を買わないとな」
「予備の制服? ああ、一枚しか持ってないとかか」
「いや、あることにはあるんだけど……」
「だけど?」
「いつか制服のまま異界に巻き込まれたらと思うと」
「……あー。確かに何枚あっても足りなくなることはねえな。オレも申請しておけば良かったぜ」
今回、洸は彼自身の用事である選択教科用の教科書の購入のついでということで、自分の買い物に同行してくれている。
何でも一昨日に小日向や伊吹たちと行く予定だったらしいのだが、急遽蓬莱町でのバイトの要請があり急行。その日はなんとか乗り越えることができたが、洸だけ教科書類を買うことが出来なかったのだそうだ。
教科書の購入には学生証が必要とのことで、誰かに買って来てもらうことも出来なかったため、同じくタイミングを逃していた自分と約束し、今日改めて購入に来ている。
そのついでに自分が備品を買い足したいというと、彼は少々の荷物持ちと案内を買って出てくれたのだ。
「ありがとう、洸」
「どうした急に」
「色々頼んで悪いな、と」
「よせよ。……まあ、いつもの礼ってところだ。受け取っておいてくれ」
「明日もあるのに?」
「明日は明日でまた騒ぐだけだろ」
明日は、志緒さんを交えての、BLAZE救出打ち上げだ。
お昼から、志緒さんのバイト先──蕎麦処【玄】へ集まることになっている。
参加メンバーは、ペルソナ使いたちのみ。流石に記憶処置を施したBLAZEの方々へは声すらかけていない。ある意味当然だ。自身の知りもしないことで、知らない人と打ち上げしていても息が詰まるだろう。
ただ、戌井さんの快気祝い、とはならなかったのだけが唯一の残念だった。
自分がバイトに勤しんでいる最中、戌井さんの意識は回復したとの連絡が入った。今は少しずつ回復に努めているらしい。身体が丈夫ということもあるのだろう。リハビリは早めに進行しそうですと北都家令嬢としての美月は語っている。
しかし、完治とはいかなかったものの、ひとまずの無事は確認できた。夏休み最後だし、打ち上げをしようという話になるのも、まあ当然だろう。戌井さんが無事退院したら、その時は改めて快気祝いをするのも、忘れてはいけない。
「そういえば、柊と話はできたのか?」
「……ああ。昨日、ようやく」
「そうか。良かったな」
拳をこちらへ向けてくる洸。
互いの拳をぶつけ、終わったことを祝う。
「洸も皆も、既に柊と話してたって聞いたけど」
「まあな。とはいえオレも結構後のほうだったみたいだぜ。『ハクノともちゃんと話せよ』って言ったら、困ったように『皆して同じことを言うのね』と返しやがった」
「……皆、気にしてくれていたのか」
「当たり前だろ。仲間なんだから」
「……そうだよな」
昨日、自分が柊に言った通りだ。
誰もが互いをかけがえのない仲間だと思っているし、誰一人としてそこにある絆を、縁を疑っていない。
だから自分たちは、強くなれるのだと。
「それで、根っこの解決はできたのか?」
ここでいう根っこ、というのは、柊の考え方のことを言うのだろう。彼女と自分たちの間にある溝が埋められなかったからこそ、今回のすれ違いは起きてしまった。
その溝をどうにかしなければ、いつか自分たちはまた同じことを繰り返すだろう。
だが、最後に何かを隠す柊を見て、それはもっと時間を掛けて向き合うべきことだと思ったのだ。
「いいや、先は長そうだ」
「……だよな。まあ、オレの方でも何かできないか考えてみる。何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれ」
「ああ、頼む」
きっといつか、また向き合うべき時が来る。その時の為に、しっかり準備しておかなければ。
本当に、洸にはいつも助けられている。ああ、考えてみれば負担をかけてばかりだ。
何かお返しできると良いのだけれど。
というか一度、全員に対して恩返しをした方が良いのかもしれない。指示を聞いて動いてもらっているのに、怪我をさせてしまうことも多いし。
真剣に考えてみよう。
「よし、そろそろ買い物の続き再開するか」
「……ああ、またよろしく頼む」
「おう」
まあ、まだ時間はある。ゆっくりと考えることにしよう。
──夜──
今日は明日に備えて、早めに寝るとしよう。
サクラも預けたままだし、音楽も今日はなしだ。
──8月31日(金) 昼──
────>商店街【蕎麦屋≪玄≫】。
夏休み、最終日。
今日を最終日と呼ぶかは、正直人によると思う。
明日は確かに登校日だけれど、始業式があるわけではないし。あくまで準備登校というだけだから。
とはいえ大半の宿題の期限は明日だし、衛生系の検査等もある。気は抜けない。
そんな区切りを明日に控えた自分たちは、当初の予定通り、【蕎麦屋≪玄≫】へと来ていた。
一応ピークは過ぎた昼頃、店主の気遣いで、半貸し切りのような状態の店内を使用させてもらっている。
その代わり、お金はしっかり取られるし、料理だってしっかり出てくる、とのことだ。
「ホラよ、前菜だ」
エプロン姿の志緒さんが運んできた、小皿に載せられた料理が全員に行き当たる。
それぞれが皿を覗き込んで、思い思いの感想を呟き始めた。
「へえ、旨そうっすね」
「ふーん、確かに見た目はなかなかだね」
「コラ、ユウ君、高幡先輩に失礼だよ」
「あ、これ写真撮って良いかな? アスカ、一緒に撮ろ!」
「いや、あの、久我山さん? そんなに強く抱き引っ張らないでくれるかしら」
わいわいと、決して喧しいわけではない明るさが、室内の空気を温かく包み込んでいく。
気付くとエプロンを取った志緒さんが、一番端の席に座っている。
どうやらメイン料理は流石に店主である男性が作るとのことだ。志緒さんはまだそこに手を出すことを認められていないらしい。いつかは食べられると良いのだけれど。
それはさておき、飲み物と、前菜とはいえ食べ物は来たし、人数も揃った。さっそく始めよう。
「それじゃあみんな、今回も本当にありがとうございました。今日は楽しもう! 乾杯!」
「「「「「「かんぱーい」」」」」」」
グラスをぶつけ合う。
さて、宣言通り、自分も楽しむとしますか。
──数分後──
「そういや結局、異界ドラッグはどうなったんだ?」
ふと思い出したのか、洸が柊に向けて問いかけを放った。
異界ドラッグ“HEAT”。今回の件で発覚した、重要な問題点の1つ。事件後、柊、もとい柊の後ろについている組織へ預けていたが、果たして。
「まだ捜査に進展はないわね。まあ、もし仮に何か分かったとしても、共有はしないと思うわ」
「はあ? なんだよソレ」
「貴方たち、学生の領分を越えている、というだけよ」
「領分ってなんだよ……俺たちの町で怪しいクスリが蔓延しそうだってのに、指をくわえて見てろって言うのか!」
「はぁ……クスリは私の“組織”が解析作業中。出回っているであろう杜宮一帯への対策は、北都がしてくれているわ。正直、わたし達に出る幕は残されていない。大人に任せて、大人しくしておくべきね」
「……そういうことかよ」
ヒートアップしかけた洸が、止まる。
少し焦ったが、無事に収まりそうで何よりだ。
「てか、柊と北都先輩の所属してる組織って、仲悪いんじゃなかったのか? 協力してるみてえな言い方だったが」
「人聞きの悪いことを言わないでくれるかしら。単に杜宮は北都が地盤を築いている土地。人海戦術を行うなら、北都の方が向いているというだけのこと。言ってしまえば、私たちが北都を利用しているだけだわ」
「いや、お前の方が言ってることの方が人聞き悪いぞ」
うへえ、と嫌そうな顔をした洸。自分たちの行動の裏で勢力争いなどが起きているとすると、思う所があるのかもしれない。
気持ちは理解できなくもない。
自分たちの行動が、預かり知らぬ所で他の意味を付与されている。
自分の起こした行動が思いもよらない結果を産んだ、とかならまだ分かる。それは自身のせいだと納得がいくだろう。
……いいや、よく考えて見れば、同じのような気がしてきた。
どちらも自分のせいなのだ。自分の行動で驚天動地な結果を叩きだしたとしても、他人の思惑で自分の行動に批難が殺到したとしても、自分が責任を取るほかないのだから。言ってしまえば、他人に利用されるような行動を取ったことが、自身の責任だろう。
「……ままならないな」
「なにが?」
「なんでもない」
独りごちたつもりはなかったが、声には出てしまっていたらしい。
ばっちり聞いていた隣の璃音が、顔を覗き込むようにして尋ねてきたが、わざわざ話すことでもないので誤魔化すことにした。
「あ、異界ドラッグの詳細が分かったら教えてくれ。特に、作られた場所とか」
「あら、どうして?」
「次も似たようなケースがあるかもしれないからだ」
正直、クスリさえあれば同様の事件が引き起こされる可能性があり、第二、第三の戌井さんはいつ生まれてもおかしくはない状況だ。BLAZEが地域一帯を荒らした結果か、異界ドラッグは既に一部界隈へ名前が浸透してしまった。
いくら目を光らせていても、警備の目を潜り抜ける人間はいる。しらを切り通す人もいる。断固として突っ撥ねた人だっているだろう。
その時の対策の為に、情報は必要なのだ。
「しかし、BLAZEが引き起こした事件の後始末に北都が絡んでるのか」
「どうした志緒先輩」
「いや、あいつにまた借りが出来ちまったなって」
「……そういえば志緒さん、美月とはどういう繋がりなんだ? 竜崎さんとも知り合いだったみたいだし」
少し疑問だったのだ。
以前相談に生徒会室へ伺った際、美月には頭を下げられて、BLAZEを頼むとまで言われてしまった。
最初に思っていた通り、浅からぬ縁のようだったが、詳しい内容を知らない。
知って良いことかは分からないけれど、知れるのであれば知っておきたかった。
「あー……そりゃあ、北都からはこの話はしねえか。まあ、ダチとかそういう間柄じゃねえが……以前、BLAZEとして手を借りたことがあるっていうだけのことだ。それ以来借りを返そうとしているが、一向に隙を見せねえからな、アイツ。気付いたら付き合いも長くなっちまった」
「……ああ」
付き合いが長く続く、ということは、決して悪いことではない。それが友人関係ではなく、慣れ合いの関係でもないというのは、恐らく凄いこと。
例えば志緒さんが受けた恩や借りを蔑ろにするような男だったら、今頃その縁は途絶えていたはずだ。
例えば美月が底の抜けた瓶みたいに支え甲斐があれば、もう恩は返され切っていたはず。
律儀な志緒さんと抜かりのない美月、2人であるからこそ、その関係性を保つことができたのだろう。
最も志緒さんからすれば、借りを作ったままの関係を保ちたくはなかっただろうけれど。
「……美月に恩を返すのって、難しいよな」
「ああ。ひょっとして岸波、お前もか?」
「現在進行形でお世話になり続けている。もうすぐ2年目に入りそうだ」
「……達者で生きろ」
未来は捧げた後なので、達者で生きなければ恩は返せない。
今こうして学生生活を過ごしているのも、元はと言えば恩を返すための準備。北都グループが『助けた甲斐があった』と思えるような、価値のある人間になる。という目標の為だ。
……まあでも志緒さんは自分のように、将来を北都グループに捧げる、というのは難しいだろう。今だって住み込みで働いているのも、何か目標があるからに違いない。だとしたらそちらを優先したいはずだ。
志緒さんの恩返し、手伝えることがあったら手伝おう。
「お前らも、借りを作る相手を選べるなら選んどけ。借りを返せそうにない奴には借りるな」
「間違っても北都の人間に借りなんて作りませんので、大丈夫です」
「柊、お前北都会長のこと嫌い過ぎじゃねえか?」
「別にそんなことはありませんよ? 人間としてはそこまで嫌いじゃありませんので」
切って貼ったような笑顔を浮かべる柊。嘘を表情で隠すのも、社交界的な手なのかもしれない。美月もよくやっていそうだ。
美月と柊、同じく異界対策に長く関わっている者同士で、仲良くなれると思うんだけど。
以前話している姿を見た限りでは、美月の方には歩み寄る意志があったようにも見えた。だが柊の方が突っ撥ねている、という感じ。
……あるいは同族嫌悪的な感情が柊の方にはあるのかもしれない。こればかりは、直接聴いてみないと分からないけれど。
どうにかならないものか。
取り敢えず、頭には入れておこう。
「そういえばさ、結局戌井さんのその後って、あたしよく聞いてないんだけど」
思い出したように、璃音が口を開く。
自分も部分的にしか知らない。詳しく知っているのはほとんど付きっ切りで面倒を見ていた志緒さんと、その対処について協議したらしい柊くらいだろう。
「医者の話じゃ、後遺症もなく日常生活へ戻れるそうだ」
「ただ、暫くは表も裏も監視の目が付くでしょうね。裏の方は急上昇した異界適正が何かしらの悪影響を及ぼさないかの経過観察が主になってくるけれど、表は正直、最悪を免れた程度ね」
「ま、クスリで理性が逝っちまってたとしても、一般人への暴行未遂、恐喝、抗争の企て。……サツが気にしねえ方が無理って話だろ」
なんてことなく言うが、厳しい処置だった。
いや、残念ながら当然と言っても良い結果にはなっているのだが、それは起こった結果のみを見た場合。
彼がどういう想いでクスリに頼り、どういう考えで力を誇示するに至ったかを考えると、責める気にはなれなかった。
洸も璃音も空も、やるせない表情をしている。
「けど、アンタそれで良いのかよ、シオさん」
「それはアイツらの責任だからな。オレがどうこう言う資格はねえ」
「……まだ資格とか何だとか言ってんのかよ」
洸が落胆の意を滲ませた目を向けて、責めるように問いかける。
だが一方で、志緒さんは憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情だった。
「なに。何も言うことはねえが、疲れたらうちに来て、飯でも食っていけとは言ってある。その時に愚痴でも何でも聞いてやるさ」
「……そう、か。そうだよな。それが一番良さそうだ」
「だろ?」
「はぁ……だろ? じゃないでしょ。どうしてそう紛らわしい言い方するかなぁ」
「あはは。でも良いじゃないですかリオン先輩。何て言うか、わたし達らしいやり取りな気がします」
「郁島の思う僕たちらしさって何なんだ……?」
何だろうな。問い質すほどでは決してないけれども、気にはなる。
「まあとにかく、戌井さんは大丈夫、と。BLAZEはどうですか?」
「そっちはまあ、今度こそ休止状態だな。とはいえ前回と違って燻ってるだけって訳じゃあねえ。今は再起の為にも、新人にBLAZE魂を教え込んでる所だとよ」
「新人って……ああ、荒れてる時期に入った人達か」
異界ドラッグに頼り、力で支配するBLAZEに憧れて入った世代、という訳だろう。そういった人たちが、同じ過ちを繰り返さないように指導している、ということで良いらしい。
ともかく彼らも、未来へ向かって歩き始めているわけだ。
過去ばかり見て燻っていた自身とは、もう決別できたのだろう。
「それで、志緒さんは」
「あん?」
「今後、どうするつもりだ?」
「……今後、ねえ」
腕を組み、背もたれに寄りかかる志緒さん。目を閉じ、考えること数10秒。彼はゆっくりと口を開いた。
「『世の中の不条理や理不尽な暴力1人1人がそれらに屈しない“焔”』。それを掲げておきながら、今の杜宮の異変を見過ごすなんてこと、できるわけがねえ」
「それじゃあ……!」
空が歓喜に満ちた声を上げる。
祐騎も、璃音も、洸も、互いに目を合わせ、微笑んだ。
柊は……正直まだ何を考えているのか分からないほどの無表情だった。無表情だけれども、少なくとも拒絶の意志はなさそう。
なら、良いだろう。
「高幡 志緒さん。これからも、自分たちに力を貸していただけますか?」
「おう。こちらこそ、よろしく頼む──!」
──夜──
打ち上げも、仲間が正式に1人増えたことに対しての歓迎会も終了。
気付けば夜も良い時間になっていて、全員が帰ることになった。
その帰り道に着く直前。そういえばまだ言っていないことがあったことを思い出し、一緒に帰るはずだった祐騎を先に送り出す。
「璃音、少し待ってくれ」
「んー?」
目立ちやすい菫色の髪を帽子で隠した彼女がこちらへ振り返った。
「どしたの?」
「いやちょっと……」
ここは、まだ皆いるし、何より柊が居るから……
「家まで送ろう」
「…………え゛?」
何だろうか。今、アイドルがしてはいけない声が聴こえた気がする。
顔を覗こうとすると、背中から反って顔を逸らされた。
「ん……んんっ! まあ、イイ、ケド……言っておくけど、家の近くまでで良いからね! 絶対!」
「あ、ああ」
何か反応が大げさなような気がするけれども、まあ行けるのなら良いか。
深く突っ込まないことにして、自分たちは並んで歩き始めた。
他愛もない話を少しだけして、曲がり角に差し掛かった時、彼女がいったん雑談を止める。
「……それで?」
一度振り返って、再度こちらを向き、彼女は確認するように口を開いた。
「わざわざこっちへ来たってことは、何か話があるんだよね、キミ」
「よく分かったな」
「分かるでしょ、それくらいなら。家まで送ろうって言ったのは、あの場所で話すことができない話題だったから。違う?」
「できないというか、話しづらい内容だった。理解してくれて助かる」
「ウンウン。……やっぱりそうだよねー……で、話って?」
ちょうど目の前にあった自動販売機で、2人分の飲み物を買う璃音。
御代を払おうとしたら、ボディーガード代と相殺で、と言われて押し切られてしまった。
無理に付き合わせているのだから、自分が2人分払うべき所なのに。仕方ない。次の機会に払うとしよう。
もらったお茶を開け、一口分だけ飲む。
さて、そんなに時間もないし、手短に言ってしまわないと。
「璃音、異界攻略の時はありがとう」
「何が?」
「わざわざ演技までして後衛に回ってくれたのは、柊の為だったんだろう?」
「ッ!?」
驚いたのか、飲みかけた水を戻しかける璃音。
ペットボトル口から慌てて口を離し、数度咳込んで、えっなんで……と掠れた声を出した。
「柊が1人にならないよう気を使ってくれたんだろう? 穴に嵌ったのは……まあわざとではなかったと思うけれど」
「いや、それはわざとということにしておいてダイジョブなので」
ということは、わざとではないらしい。事故だ。
ただ、穴に落ちたことを好機と見た。ということだろう。
「ま、まさか気付かれるとは」
「分かるだろう、それくらいなら。自分の失態で他人に怒るなんてこと、璃音はしない。違うか?」
「ぐっ……はぁ、仕方ない」
璃音は改めて、水を飲み直す。
今度は、途中うでむせ返すことなく喉を通った。
「だからアスカが居ない所で話そうとしたんだね」
頷きを返すと、そっかそっかと彼女はなんども頷く。
「正直、誰にもバレずにやりきったと思ってた」
「ああ、いい仕事ぶりだった。本当に助かったし」
「なら良かった」
穴に落ちたことをきっかけに、大げさに怒ってみせた璃音。
そのまま自分たちと話すことを避けるように後衛へと合流し、柊と同様一言も喋らずに、終点まで駆け抜けた。
その間、自分たちと本当に一言も話さずに。
「璃音が下がってくれたから、柊は孤独にならなかったし、黙っていたことが浮き過ぎなかった、と思う」
「……ま、引け目とか負い目とか、少しは感じてるみたいだったけどね。それはキミや他の皆でもフォローしてくれてたみたいだし、タイジョブでしょ」
「だと良いな」
「ウン。そうなってくれれば、あたしも一安心って感じかな」
などと話している間に、レンガ小路の近くへ出た。
彼女の家までは、もうすぐだ。
「それじゃ、ココまでで良いよ」
「そうか、分かった」
それ、捨てといてあげる。と自分から空きペットボトルを奪った彼女は、自分の進路から数歩分横に離れて、こちらを振り返る。
「ねえ」
「ん?」
「気付いてくれて、アリガト」
「ああ」
「気付かれないで1人満足するだけより、すっごい嬉しかったよ」
「……ああ、自分も言えて良かった」
「それじゃあ、またね!」
「ああ、また明日。学校で」
璃音の背を見送る。
また明日、制服姿で会うであろう彼女を。
……そうだ。明日には制服を着なければならない。自分も早めに帰って新学期の準備をしなければ。
まだまだ残暑は続くが、夏休みは終わり。
切り替えていこう。
コミュ・愚者“諦めを跳ね退けし者たち”のレベルが6に上がった。
────
文の量的には2回に分けるべきでしたが、あまりにも区切りが悪くてできませんでした。読みづらければすみません。
これにてこの章は宣言通り終了。
次回からインターバル5。
舞台は2学期へ突入です。