杜宮の町外れ。
随分と人気の少ない場所に出た。都内とはいえ、こういう場所があるのか。
そんなことに少しだけ驚きつつ、彼女を追い続ける。
多くの建物が錆びたり落書きされたりとしている中、玖我山が駆け込んだのは、廃れた倉庫のような建物。
アイドルということもあり、体力的にも相当鍛えられているのだろう。結構な距離を走ったが、彼女の走行ペースは落ちることなくずっと一定だった。
驚くほど早い、ということはなかったにせよ、着いて行くのがやっと。追い付くことなど出来ない。
だが何にせよ、建物内へ入れば、これ以上移動することもないだろう。
乱れた息を整えたら、彼女の潜む建物内に入ろう。
────
──〉杜宮郊外【廃工場】
内部に人影はない。
廃れた工場、という表現で正しかったのだろう。見渡したところ倉庫のようだが、中にある荷物も少ない。あってコンテナが少しだけ。使われなくなって久しそうだ。
だが、玖我山の姿がないのはおかしい。確かに駆け込む姿を見届けたはずだが……呼び掛けてみようか。
「玖我山ー!」
自分の声が響く。思ったより低くて少しだけ驚いた。
「玖我山、どこだ?」
反応がないので再度呼び掛け続ける。
──返事がない。
見たところ逆側にも出入り口はあるが、シャッターが降りている。そこから出たということはないだろう。
なら何故出てこないのか。と考えて、気付いた。もしかしたら警戒されているのでは?
「……」
少し黙ってみること、恐らく2、3分。
体感的には結構待ったものの、漸く彼女がコンテナの裏から顔を出した。
威嚇のつもりか、睨むような視線と噛み合う。
しかしやがて、自分の姿をはっきりと認識したらしい。
彼女はぽかんと脱力した。
「へ……岸波くん?」
「岸波くんです」
「……はあああああ…………緊張したあああ」
大きく、大きく息を吐きつつ、身体の力を抜く。
へなへなと膝を付いた彼女のもとへと寄り、先日のように手を差し伸べた。
「あ、ありがと……じゃなくて!」
かと思えば、再度視線に力を込めた彼女は、手を激しく上下に振りつつ叫ぶ。
こんなやり取り、前もしなかっただろうか。
「ストーカーかと思ったじゃない! ずっと一定のペースで着いてくるから足音変わらないし!」
「そんなこと言われてもな」
「仕方ないでしょ! ホントに怖かったんだから! ……っていうか、あれ? 何でこんな所に岸波くんが?」
今更か、と思うが、恐怖で気が動転していたのかもしれない。
自分にも責任の一端があるみたいだ、恐らく。
仕方ないので、経緯を話す。
カフェを出たとき、様子がおかしい玖我山を見つけ、気になったから追いかけてきた。と。
「……やっぱりストーカー?」
「なんでそうなる」
「いやー、あの足音とか、着いてきかた的にそうじゃないかと思ったのよねぇ、ファンでもないクラスメイトにそこまでさせちゃうなんて、あたしが怖いわー」
「あの、だから──」
「いくら心配だからってここまで着いてくることなんてないのに。でもアリガト、心配してくれたことは、嬉しかったよ」
「いや、玖我山──」
「だからね、安心して──」
2度も強引に遮られれば、さすがにその意図を察する。
先程から目が合わないのは自分をストーカーだと思い込んで避けているのではない。核心が突かれることを危惧しているのだと。
故に彼女は露骨なほど話を逸らそうとしている。せめて主導権を握ろうと言葉巧みに──巧みではないが──誘導し、できることならば追及なく終わらせようとしていた。
違和感を抱かせてでも封殺しなければならない。彼女にそうまでさせているものは、何なのだろう。
「玖我山」
「ん、なに? 服くらいにならサインしてあげないこともないけど」
「何があった?」
一瞬、彼女の表情が凍った。
しかしすぐに笑顔を取り戻す。
「アイドルのプライベートを知ろうなんて、また熱狂的なファンを産んでしまった……」
「誤魔化さなくていい。さっき……いいや、
そもそも彼女の行動が一貫性のあるものだったとして。
だとしたら始まりは何処か。そんなもの、ファンに疑念を抱かせるような言動をした、一昨日あたりなのだろう。
多分。
「玖我山の活動や評判は今日一日でも多く耳に入ってきた。実際多くのファンが玖我山を囲んでいただろうし、見守られてきたんだろう。だからこそ、彼らの多くは玖我山の異変に気付いていたみたいだ。一昨日から何かおかしいって」
そもそも、アイドルとして多くの人に認められ、愛されている彼女が、あんなに多くの人に心配をかけているのだ。大なり小なり、何かあったには違いなかった。
自分の目は誤魔化せても、ファンの目は誤魔化せない。
「……そっか、バレてたんだ」
あーあ、アイドル失格だなぁ。
彼女はそう言って、身体を伸ばした。
上半身を反らしながら、彼女は言う。
「先に断っておくけど、キミがどうって話じゃないから」
そう確かに前置いて、彼女はぽつりぽつりと語りだした。
「始まりは、ほんの些細な違和感だったの」
「違和感?」
「キミに会ったときに感じたやつ。違和感、不快感? そこはどっちでも良いんだけどね」
それは以前会った時にも聞いた。直接言われたし。
「正直に言えば不思議だった。キミってほら、全然個性的な方じゃないし、どちらかというと、特徴がない。地味系だからさ」
「なんで唐突にディスられているんだろう」
「だからこそ、なんであたしがキミをそう思ったのか、全然検討が付かなかった。本当に、言動が勘に障ったわけでも、態度が鼻についた訳でもない。あ、ファンじゃない云々は置いておいてね」
そこは別なんだ。
「で、段々と違和感だけが増していって、全然晴れなかったの。こうして話していても、まだモヤモヤが残ってる。何て言うのかな、自分のなかで処理できない感情が暴れまわってるって言うの? そんな感じ。まるで、
「……」
自分が自分でない感覚。
まだ、確固とした己が定まらない自分には、いまいち理解できないものだった。
……これでは没個性と言われても反応できない。
「でも、仕事中はそうも言ってられない。気持ちは晴れないけれど、せめて歌ってる時くらいは真剣になろうって、そう思って……
「思ってしまった?」
そう思うことが、なにか悪いのだろうか。
仕事である以上、切り替えなければならない場面は存在するはず。
もっと言えば、生きている時点でその思い直しは大事だ。
自分だって、記憶を無くしたことから、せめて今を大事に生きようと思い直したように。
「……でも、そうすることで、実際に起きてしまった。起こしちゃったの」
「……何を?」
一拍、息を飲んで。
「“災害”を」
無人の空間は嫌にそれを響かせた。
災害。言葉としては単純だ。
人を、何かを害する災い。
だが、それを玖我山が起こしたというのは?
「あたしもそこまでよく把握してるわけじゃない。でも、覚えてる。昔も、似たようなことがあったしね」
「……聞かせてくれるか?」
「ここまで話しちゃったしね」
力のない笑いだ。
そちら方面の知識に明るくない自分だが、それでもその顔はアイドルがするべきものではない、と断言して良いほどに、酷かった。
まるで何かに絶望しているように。
まるで何かを諦めているように。
まるで何かを、取りこぼしてしまったように。
「歌に心を込める。音に意思を乗せる。いつからかあたしは、これらが苦手になった。心が昂れば昂るほど、“それ”は起きやすい」
その、虚ろな瞳は過去を映す。
「最初は、病院のベッドを切り刻むような鎌鼬が起きた。次に、機械が異常をきたすようになった。変な音が聞こえるようになった。変な声がするようになった」
「……」
「それでも最近までは収まってたの。確か……あたしが、アイドルになるって決めてから。歌ってる時も、踊ってるときも、今まではなんとも無かった……なかったのに……!」
「玖我山……」
「どうして今なの!? 全部上手くいってて、三周年ライブも目前で、みんなでもっと上に行きたいって話してて……なのに、どうして今さら、こんなことが起こるの!」
それは彼女の、心からの叫びだった。
瞳の端から涙が溢れる。
それを拭うことなく、彼女は自身の膝を殴った。
「昔のだって、てっきり思い過ごしだったか、勝手に治ったかって思ったのに……そんなわけない。ないのに、あたし、必死に目を逸らしてた」
「……」
「ホント、バカみたい」
掛ける言葉が見つからない。
もとより、そんな気はしていた。
自分より努力していて、自分より輝いていて、自分より周囲に求められている。そんな人に、自分程度が助言できることなんてない、と。
だが、こうも思う。
自分にしか、言えないことがある、と。
自分だから、出来ることがある、と。
だから、口を開け。
思っていること、考えていること、何でもいい。感じたことをすべて彼女に伝えるんだ。
「こんな甘い覚悟で、何がみんなを笑顔にする、よ。何が、見てくれる人みんなに元気を届けるアイドルになる、よ」
「玖我山、自分は──」
言いかけて、気分が最悪に堕ちた。
胃の中身がかき集められているようで、気持ち悪い。
なんだ、これは──
「やっぱりあたしが、あたしなんかが、夢や、希望なんて持つべきじゃなかったんだ」
それでも、自分は、彼女に声を掛けたい、掛けなければならない。
──“それ以上
「──アイドルなんて、やるべきじゃかったんだ!」
夢への
「──っ」
「え、きゃあああ!」
彼女の後ろに、なにかが揺らめいて見える。
扉のような、門のような。
だが、何でもいい。
何であれ、あれは、“よくないもの”だ。
──だから踏み留まるな、手を伸ばせ。
「玖我山ァ!!」
至近距離に居たはずなのに、手が遠い。
まるで空間が、世界が捻曲がっているかの様に。
彼女は腕で身体を抱き、身を守るようにしてその向こうへ落ちていく。
……届かないか!
伸ばした手が触れることはなく。
自分も後を追うように、そこへ呑み込まれていく。
そうして、“そこ”を認識する。
そこには一切の現実がなく。
そこには一切の常識もなく。
そこには一切の情緒もなく。
ただただ、立ち尽くす自分の視界には、見覚えのない世界が広がっていた。