「タイマンは俺の勝ちだ、アキ」
広範囲に放たれた衝撃波をもろに受けた戌井さんが仰向けに倒れ行く姿を見つつ、志緒さんはそう言った。
「やった……?」
「みたい、だな」
その発言を以て、後方で見守るだけだった自分たちが、事態の収束を把握する。
志緒さんに一声掛けようと歩き出そうとした、そのタイミングで彼がバランスを崩す。
慌てて駆け寄り彼を支えると、ひどい疲労が見て取れた。
それはそうだ。いくら心が折れなかったとはいえ、劣勢に次ぐ劣勢を1人で乗り切り、あまつさえ力に覚醒してしまうのだから。
「志緒さん、お疲れ様。ありがとう」
「……ああ、岸波か。ありがとよ……っと」
未だふらつく身体を立て直し、ソウルデヴァイスを杖のように地面へ立てながら、志緒さんは戌井さんの元へ歩いていく。
「気分は、どうだよ」
『……最悪に決まってんだろ』
「だろうな」
膝を付いていたシャドウへ手を伸ばす。
太く逞しい手を、シャドウは握った。
志緒さんに手を引かれ、彼は立ち上がる。
『まァ、なんだ……後ろのテメエらも、悪かったな』
「……いいえ、気にしていません」
「うちのハクノも色々言ったしお互い様ッス」
「全部自分のせいみたいに言ったな」
まあ事実、ほとんど志緒さんが戦い、話していて、自分たちに出来ることなんて多くはなかった。
それこそ、自分が話していたくらいだろうか。
そう思うと、洸の言い分も間違っていない。
……よくよく考えてみても、大した力になれていないな、自分たち。
だがまあそれでも良いのだろう。こうして、志緒さんも戌井さんのシャドウも笑えているのだ。
会話に入ってこない戌井さんだって──
「ク」
戌井さん、だって。
「ク、カカカ……」
ぎろり、と。
向けられた瞳には、最初にはなかった憎悪が含まれていて。
「っざけんじゃねェッ! ンだよ今の茶番はよォッ!!」
戌井さんは怒りを、その場に叩き付けた。
「結局アレだよなぁ……テメエら、オレを否定してえだけなんだろォ……? オレが手に入れた“チカラ”が怖くて、真っ向からじゃ勝てっこないからこんなクセェ茶番したんだろうがよ」
「おい、アキ」
「なれなれしく呼ぶんじゃねえよ!」
シャドウが受け入れた志緒さんを、こんどは本人が拒絶する。
「オレを否定すんなら、アンタは敵だ! 後ろのガキどもと同じ、殺すべきカスだ!」
本心は負けを認めている。だからこそシャドウの戌井さんは一度降伏し、志緒さんの手を取った。
だがその負けを、理性が拒否している。
本心と理性の乖離。それは歪みに他ならない。
その歪みが呼んだのか。はたまた可視化できるようになったのか、呪詛が吐き出される度に色濃く、戌井さんの身体から、“朱いオーラ”のようなものが見え始めた。
「認めねえ……オレは、認めねえぞッ!」
『ぐ、ぐぁあああアアアッ!?』
……あの色、嫌な予感がする。背中が凍えるような感覚。もはや悪寒と言っても良い。
断言できる。あれは、良くないものだ。
シャドウにも同様のオーラが見え始めてから、彼は酷く苦しみ出した。フラフラと身体を揺らしながら、頭を押さえている。
あまりの迫力に、思わず全員が2・3歩後退った。
『「ぐぉぉおおオオオッ!!」』
やがてオーラを纏った彼らは吸い寄せられるようにお互い身を寄せ始め、やがてオーラの部分が重なる。
その瞬間、朱いオーラは大きく膨れ上がり、戌井さん本人とシャドウを両方ともにすっぽりと包み込んだ。
「な、なんだ、何が起こっていやがる!?」
「分からない。だが、確実に言えるのは……」
「まだ、終わりじゃねえってことだな」
一度は人型に治まったシャドウが、再び怪物としての姿をとった。
それも今度は、戌井さんを巻き込んだ状態で。
……巻き込んだ、という表現は違うのか。
戌井さんがシャドウを取り込んだ状態で、怪物へと成り果てた……とでも言い表すべきなのだろう。
「おい。大丈夫なんだろうな、アキは」
「それは……」
「急げばまだ救えるでしょう」
返答に窮した自分に代わって、柊が答えてくれる。
凄い安心感だ。彼女が後ろにいてくれるということの有り難さがよく分かる。かといってその快適さに頼り切りになるのは間違いだということを、今回学んだわけだが。
「ですが、あれは異界ドラッグによって強引に引き上げた異界適正によって成り得ている合体。普通なら肉体は耐えられないでしょう。逆に言えば、あの状態で落ち着いてしまうということは、戌井 彰浩さんは人間としての“普通”が通じない身体に行き付きます」
「ッ」
「岸波君、やるべきことは分かっているわね?」
彼女の視線が、こちらを向く。
ああ、分かっているとも。
「いつも通りだ。弱らせ、話し、納得してもらう」
「その通り。それだけのことよ」
それだけのこと。なんて柊は言うが、これが一番難しいのだろう。
攻撃して弱らせるのも、話を聞いてもらえる状態へ持ち込むのも、相手の納得を引き出すのも、一筋縄ではいかない。
だが、それでもやるのだ。戌井さんを助ける為に。志緒さんの悔いを晴らす為に。
目指すべきは、理性の納得。
理性と本心が歩み寄り、本人の中で合意を生み出すこと。すれ違いをなくすことで歪みの発生源を断ち、異界を生み出した原因自体を晴らすことだ。
『グァアアア……!』
低い、唸るような鳴き声が響く。
シャドウはさきほど同様、4本足の姿。
さきほどまではカメレオンに近かったそれは、腕を新しく増やし、身体を支える足4本と、自由に動かせる腕2本の計6本足となった。
最早どんな既存の動物にも当てはまりそうにない風貌。
巨大な姿で威圧感を放つ彼に、自分たちは勝たないといけない。
ベストメンバーで挑むべきだろう。
惜しいが、先程までタイマンを張っていてくれた志緒さんには当然頼れず、回復したとはいえ攻撃を受けた1年生2人も、まだ休んでいてもらいたい。
ならば、声を掛けるメンバーは。
「……洸」
「おう」
「璃音」
「うん」
「柊」
「ええ」
消耗の少ないメンバー。
一番最初、4月頃に揃った、同い年の4人。彼らの助力が必要な状況に、間違いなかった。
だが、柊は声こそ先程から出してくれるし、受け答えだってしてくれているが、今回の件を認めてもらったわけではない。璃音だって面と向かって言葉を放つのは久しぶりな感じだ。
長らく険悪な雰囲気にあった自分たちだが、今ならば協力してくれるだろうか。
「3人の力が必要だ。協力してくれないか?」
「「「勿論」」」
「……」
即座に、答えが返ってきた。
「オレは別に敵対していたわけじゃねえからな」
洸はそう言いながら、ソウルデヴァイスを構える。
“レイジング・ギア”。蛇腹剣のように伸び縮みが可能な剣で、柔軟性にも富んだ彼特有の武器。
一見すると使い勝手が悪そうなそれを見事に使いこなし、細かな操作まで可能とする彼の技量には、何度も助けられてきたし、何度もフォローしてきた。
攻撃とフォローが得意な前・中距離型。いつだって自分の前に居てくれる存在。
「私は元より、協力しないとは言っていないから。もう黙っていられる状況も終わったことだし」
柊はそんなことを言いながら、ソウルデヴァイスを抜いた。
“エクセリオンハーツ”。細剣、持ち手が覆われた剣であり、斬撃にも刺突にも使える武装。
その使用方法は明快であるがゆえに奥深く、彼女の圧倒的経験によって繰り出される多彩な技は、多くの敵の意表を突いて来たし、多くの窮地を覆してきた。
1人でなんでもこなせるオールラウンダー。いつだって1歩後ろで、全体を見てくれている存在。
「あたしは……ほら。アレだから」
「どれだよ」
「アレなの」
アレらしい。まあ、“言えないのは分かっている”から良いのだが。
そうして緊張を適度にほぐしてくれる彼女は、既にソウルデヴァイスを纏っている。
“セラフィム・レイア―”。翼のソウルデヴァイス。武器というよりは装飾品とでも言うべきだろうか。
飛翔と突撃を可能にする装着型。縦横無尽に戦場を飛び回り、さっそうと駆けつけることのできるその素早さは、いつだってあと一手を補ってくれた。
指揮下にいるというよりは遊撃型の戦力。いつだって呼べば隣に来てくれる存在。
全員が全員、方向性が違う。役割だって違う。
だが、お互いをよく観察してきた者同士、4人で息を合わせることに関しては、このメンバーがベストだと自分は考えている。
「……ありがとう」
力を貸してくれて。
手伝ってくれて。
ソウルデヴァイスを展開する。
“フォティチュード・ミラー”。鏡のソウルデヴァイス。武器として使うには少々複雑な機構の武具。
どちらかと言えば、フォローと防御を得意としたソウルデヴァイスだ。浮かせ、飛ばし、攻撃を肩代わりしたり、もしくは隙をつくことなどもできるが、自分から離すことは諸刃の剣に他ならないので、あまりしない。
指揮官。指示者。いつだって誰かに支えられ、誰かを支えたいと思っている存在。
自分1人では、きっと上手くできない。
攻撃を担ってくれる友が居て。
補助を担ってくれる友が居て。
遊撃を担ってくれる友が居て。
それで初めて、自分は自分たちとして、何かを為すことができるのだ。
ああ、個としての強さに憧れる気持ちは、自分にも分かる。
もっと力があれば、誰かを救えたと思うことがあった。
もっと早く動ければ、手を届かせられたと悔いることがあった。
だが自分に出来ないことは、仲間が助けてくれる。
時に手伝い、支え合うことで、可能な範囲を広げることができるのだ。
それは1人で何かを為すより嬉しくて、気持ちがいいことだということを、自分は知っている。
だからこそ、突き付けるのだ。
「志緒さん、すみません」
「……あん?」
「やっぱり、違うと思います」
決別なんて、要らないだろう。
だって、切り捨てるこということは、失うということだから。
楽になることはあるかもしれない。救われることはあるかもしれない。
けれども、それは成長の機会を奪うことに他ならないのだと、自分は思う。
誰かの死や別れと向き合うこと。
死者はもう、誰かに何かを告げることはなく、何か新しいことを伝えることもない。
せいぜい出来て、記憶の中の彼らと向き合い、答え合わせのように記憶と自己を照らし合わせることくらいだ。
だが、記憶は劣化する。
戌井さんのように、背中が輝いていたことは覚えていても、輝いていた理由を思い出せなくなることもあるだろう。
いつかはどんな背中であったかも、どんな人だったかも忘れてしまうかもしれない。
でも、それこそが成長なのではないかと、自分は思う。
忘れる、という行為には、2つの理由付けができるのではないか。
1つは、単純に時間切れ。強くなる機会を逃してしまい、道しるべを失ってしまうこと。
もう1つは、“乗り越え”。精神的支柱として寄りかかる必要がなくなったから、重要性が下がり、忘れるということ。
死者は何かを産むことは絶対に出来ないけれど、きっと生者には死を糧にすることができる。
だって、何もないまま消えるのは、きっと嫌だ。誰だって嫌だ。
何も為さないまま死ぬこと以上に怖いことがないことを、自分は知っている。
だからそう、自分が死ぬとすれば。
“せめて誰かの糧となりたい”。
そう思うのは、間違いではないはず、なのだ。
だからこそ、戌井さんには死を切り捨ててほしくない。決別なんかしてほしくないのだ。
ただ忘れられることの方が、きっと何倍も辛い。
“個人的な欲求だが”、自分はこれを“押し付けたい”と願った。
信頼できる仲間3人と、強敵を前に、臨戦態勢。
負ける気はしない。
勝ちたい。
「……行こう」
「「「 応! 」」」
無意味な死の否定。
今まで語ってきた理想や、正論とはまた違う、純粋な強い自我。
本人ですら認識できるほどのエゴ。
次話で戌井シャドウ戦、決着です。