閲覧ありがとうございます。
前回で100話に到達していました。自分も頂いた感想で初めて知りましたが、本当に長く続いているものです。お読みになってくださっている皆様、毎度本当にありがとうございます。更新遅れてすみません。
これからもよろしくお願いいたします。
柊の手が振り上げられた。
その事実を認識した次の瞬間には、頬に痛みが走っていて。思わず顔の向きを直し、彼女と再び向き合った時、ようやく彼女にぶたれたのだと認識する。
「……」
ズキンズキンと疼く様に、叩かれた場所が痛みを訴えてきた。
「見損なったわ、岸波君」
反面、彼女は冷めた目をしている。今までの怒りの表情なんて目ではないくらいに、圧倒的な“無”の瞳。
失望。確かに彼女の表情は、それを大きく感じ取らせる。
「何の力も持っていない一般人を連れていく、だなんてよく言えるわね」
「その怒りは尤もだけれど、彼が居ないより居た方が良いのは確かだと思う。それに、安全面なら誰かしらを護衛に回して──」
「なら、その護衛は? 1人だけだと挟撃された時にカバーできないから、必然的に2人以上が付くことになるわ。護衛が抜けた穴はどのようにして埋めるの? そもそも一般人を守る上での危険は護衛に回ってくるけれど、その危険から護衛を守る手筈は?」
「……それは……」
上手い反論が出てこない。
皆がみんなをカバーすれば何とかなる、と自分は考えていた。
……楽観視だったのだろうか。
「誰かを救うことを主に掲げながら、誰かの危険を容認する。その思考が錯綜していることに気付きなさい」
実際に異界へと潜ってみる。そう言って集合した、ダンスクラブ【ジェミニ】前の小路。自分たちの前に異界は顕れているが、その前には柊が立ち塞がっている。
彼女を怒らせた理由は1つ。高幡先輩──正確には、一般人の同行を認めたことだ。
「落ち着けって柊」
「私は落ち着いているわよ、時坂君」
「そういうのはせめてその圧を引っ込めてから言えよ。……まあ柊が怒るのも無理はないと思うぜ。散々そのスタンスについては聞いてきた。耳にタコができるくらいにはな」
曰く、一般人が立ち入るべき領域ではない。
曰く、踏み込み過ぎると戻れなくなる。
彼女が引いていた、“普通との一線”。
「だがよ、それで言うなら、祐騎はどうして見過ごしてたんだ?」
「……」
「同じ一般人で、怪我をすることを看過しちゃいけねえ存在だったろ。その理論で言うなら、気付いた時点でふん縛ってでも異界から出すべきだっただろ」
「……それは」
柊が、目を逸らす。
彼女を取り巻いていた険悪な雰囲気が少しだけ薄れた気がした。
「……そうね、時坂君の言うことにも一理あるでしょう。私が彼を放置した理由は幾つかあったけれども、その中でも大きかったのは、救う対象が彼の“家族”であった、という事実」
「……家族?」
「ええ。目の前で危険にさらされた家族を見て、じっとしていろ、と言うのは簡単だけれど、言われても割り切れないものがあることを私は知っている。だからこそ細心の注意は払うことで、彼のバレバレな追跡を見過ごすことにした」
本当にそれだけだろうか。
実際はどんな感情があって当時の祐騎を見逃していたのかは分からない。
けれど今、自分が何かを知っているとすれば、あの時に祐騎の命を背負っていたのが、柊ということくらいだ。
「大事なことをすべて任せていて、すまなかった」
「? ああ、別に気にしていないわ。プロとして、その辺の苦労は織り込み済みよ」
けれど。と否定の為の接続後を置く柊。
一拍置かれたせいで、自分たちが不意に神経を張り詰めさせた。それを見た彼女は話を再開する。
「今回、高幡先輩が助けたいのは、後輩。もしくは友人でしょう? それって、“命を賭けてまで救おうとする価値があるのかしら”?」
「「「「「「────」」」」」」
……何を、言っているんだ?
聞き間違いであって欲しい。きっと自分たちは皆、何かとてつもない空言をたまたま共有してしまったに過ぎないのである、と感じ取りたい。
それほどまでに意外で、悲しい発言だった。
「なあ、柊って言ったよな、お前」
これまで聞く側に回っていた高幡先輩が、重い空気の中、口を開く。
「アキたちとは同じ孤児院の出なんだ。弟みたいなものなんだよ。家族みたいなものなんだ」
「みたいなもの、ですよね。本当の家族ではない」
「ああ、だが偽物ってワケでもねえよ。オレが家族だと思ってるなら、オレの家族だ」
「向こうがそう思っていなくても?」
「ああ」
間髪いれずに、断言する。
今度は柊の方が、何を言っているんだという怪訝そうな表情を浮かべた。
「頼む、助けに行かせちゃくれねえか」
深く、頭を下げる。
される側から解放されると、とても綺麗なお辞儀だということが分かった。この誠心誠意の礼を、自分も受けていたのか。これを見せられてしまったら、無理なお願いだと思っていていても、邪険に扱いたくなくなるだろう。
だがそれは、柊の心に届かない。
「誰に頭を下げられようと、結論は変わりません。力は貸します。ただしその条件は、貴方がここで大人しくしていることです。高幡 志緒先輩」
「そこを何とか、頼むッ。これでも喧嘩には自信があってな。足手まといにはならねえようにするから──」
不意に、言葉が途切れる。
いや、ぶち切られたのだ。柊によって。
正確には、高幡先輩の喉元に突き付けられた、柊の細剣型ソウルデヴァイスによって。
「この程度にも反応できないのに、足手纏いにならないとは、大きく出た物ね」
「……っ」
自分にも、ほとんど見抜けなかった。
一瞬とはいえ見えたのは、何かしらの模様のようなもの。柊の身体に走った、金色の線たちくらいだろうか。
だがそれももう消えている。見間違え……だったのかもしれない。
これが柊の全力の一端か。
なんて速度だ、と内心で感動する。
確かにこれだけ出来るのであれば、一般人や自分たちを素人以下としか思えないのも事実だろう。
……ああでも、だから何だ。と思うのは自分だけだろうか。
「……それでも、連れていくことは、間違っていないと思う」
「まだ──」
「だって声を届けたいと思うのは、相手を想っていれば当然のことじゃないか? 友達だろうと親子だろうと、そこには違いがない。あるのはただ、“大切な人を救いたい”という気持ちだけだ」
「……まったく意味が分からないのだけれど」
伝わらないらしい。
何をどうしたら、この思いが伝わるのだろうか。
「簡単だよ、アスカ。結果を見ればいいと思う」
「久我山さん?」
「みんな、覚悟は決まっているみたいだから。試させてみて、失敗したらアスカが正しい。成功したら彼らが正しい。それだけのことだと思うよ」
ね? と璃音が笑う。
まあ確かに、と頷いた。
いや頷きはしたが、内心ではその強引さを少し疑問にも思っているが。
「……そんなわけ、ないでしょう。だって、命の掛かった戦いで失敗したら」
「いいえアスカ先輩。岸波先輩も高幡先輩も、昨日2人で話していた時には既に、その覚悟を決めていました。だから後は、やってみるだけだと思います」
「ま、やる前から否定するなんてナンセンスだと僕は思うけどね。そこの不良先輩が本当に熱い思いを持っていて、鋼の覚悟を持っているなら、僕みたいに覚醒する可能性だってあるんだしさ」
「……」
柊は、黙り込む。
黙り込んで、考え込んで、やがて1つ、溜息を吐いた。
「はぁ……ええ、そうね。もし本当に私が間違っていると言うのなら、証明してくれるかしら。岸波君」
「ああ」
「高幡先輩に何かあったら、貴方の責任よ。分かっている?」
「ああ」
「そう。……ならこれ以上、話を長引かせるつもりはないわ。決まった以上指示には従うけれど、私は一切今回の異界攻略について口出ししない。自分の決断には、徹頭徹尾責任を持ってもらうわ」
「ああ、臨むところだ」
祐騎が小声で、うわー大人気なーい。と呟いた。
柊の耳がピクリと動く。
……何も見なかったことにしておこう。
立ち塞がっていた柊が半身をずらし、道を開ける。
自分たちの前には、赤い門が立っていた。
「よし。……高幡先輩、準備は良いですか?」
「上等だ!」
「じゃあ……行こうか、皆!」
「「「「応!」」」」
「あとアスカ、1つだけ言っておくけど、わたしは助けるよ。命を賭けてでもね」
「なにを──」
「アスカがピンチだったらだけど。だってほら、あたしたち、友達で、仲間でしょ?」
まあ、アスカがピンチに陥っている姿なんて信じられないけどね。と、すり抜けると同時に肩へと手を置いた璃音。彼女はそのまま、異界へと入っていった。
「……意味が、分からないわ」
1人、残された少女は、呟く。
迷いを誰も見ていない表情に表しながら。
だが、数秒とただずに、彼女の顔は引き締まる。さながら、私情の一切を捨てた仕事の顔、とでも言うかのごとく、彼女は迷いを切り捨てた。
────
コミュ・女教皇“柊 明日香”のレベルが4に上がった。