礎は昼食を早めに切り上げ、再び工房へと赴く為に廊下を歩いていた。
すると──…
「礎さん」
「…!……塩崎さん…こんにちは」
B組の女子生徒、塩崎茨が後ろから声を掛けてきた。彼女は体育祭にて礎と対戦した相手だ。
「怪我の具合はいかがでしょうか?」
「もう治ったよリカバリーガールに治してもらって2日休みあったし…」
「そうではなくて手の…」
「手?……他と変わらないよ、傷跡も判らないぐらいには治ってる。ほら」
そう言って掌を塩崎に見せた。
「そうですか…よかった…礎さんはこれから昼食に向われるのですか?」
「いや俺は工房に行くんだ。ちょっと用事がある」
「わかりました。ではまた」
「あぁ、じゃあまた」
彼女は礎に軽く会釈をすると踵を返して歩いて行った。
「……まさかな…」
塩崎の後ろ姿が見えなくなると礎はポツリと言葉をこぼした。
………
……
…
箱からコードのついてないイヤホンと鉄球を手に取り、イヤホンを耳につけAIに話し掛ける。
「アイリス、居るか?」
『何時でもいます」
礎は昨日の下校時間間際まで解放された機能を聞き、3Dグラフィックの操作方法を学んでいた。
このワイヤレスイヤホンはその一つだ。これはマイク付きでホログラムの投影機と同じ箱に入っていた。
これでマスクやコスチュームを着なくてもアイリスとの対話が可能になった。
加えてそのマスクは必要無い時は自動で変形し首元に収まるようになったらしく、わざわざ手に持って持ち歩く必要が無くなった。
「昨日頼んだファイルを」
三つの鉄球を地面に転がしホログラムを立ち上げると顔写真が付き、折り重なった画面が礎の前に現れた。
「地図を。あー…日本地図だ」
礎の足元、一帖程の精巧な日本地図が現れた。それには地形や高低差が付けられ都市部には簡素な建物が再現されていた。
「それを元にオファーを貰ったヒーローの活動地域を反映してくれ」
ファイルを地図に向かって放り投げると瞬く間にそれぞれ拠点とする地域に分けられる。
「わかっちゃいたが都市部からのオファーが多いな…。後は山間部からとか観光地がある所か。……地図は閉じてくれていい」
伸ばした手を下げると地図は消え、広がったファイルだけが残った。
「よし…回避能力に優れた人を」
『了解』
返事と同時に夥しい画面が次々と閉じて行き、その数を減らしていった。
「アイリス、なんで回避能力だと思う?」
『体育祭にて爆豪氏との試合で22発の攻撃を受けたからだと推測します』
「…まぁ……そうだな」
『貴方は防御されていましたが敗北の要因となったのは主に…_「…あぁ言わなくていいから」
『…精査完了。結果をグラフィックに反映しますか?』
「いいね。頼む」
減った画面を補うように残ったヒーロー達の活躍が書かれた記事や写真が拡がった。
「どれどれ……"6人を抱えて救出…"、"間一髪の所をヒーローが…"hurm…この人たちの動画は出せるか?出来れば戦闘中の」
そう言うと画面が切り替わり動画投稿サイトの小さなアイコンの下にヴィランと戦う様子が映し出された。
「Uurm……」
一列に収まりきらなかった映像は、上に下に段を変えて礎を囲んだ。
画面の檻の中で八方を包まれながら、流れる映像の端々を注意深く眺める。
「……?その人は?」
竹林を覘くように見ていると奥にある一つに目がいった。こちらに招き寄せるように手を動かすと指先が光り、画面と指をホログラムの線で繋いだ。
…………………
……………
………
…
職場体験当日、朝。
A組と担任の相澤は最寄の駅に集合していた。
「全員コスチューム持ったな。本来なら公共の場じゃ着用厳禁の身だ、落としたりするなよ」
「はーい!!」
「伸ばすな。"はい"だ、芦戸」
「はい…」
「くれぐれも体験先のヒーローに失礼のないように!じゃあ行け」
「「「「「はい!」」」」」
注意を受けた芦戸は落ち込みながらも応え、生徒達は各々が向かう職場体験先への移動を始めた。
「礎くん…」
「緑谷…と麗日」
出発時刻を確認している礎に二人が話しかけてきた。
「あの…」
二人の視線の先には向こうへ歩く飯田を捉え、礎の脳裏に体育祭後のニュースが過る。
飯田の実兄、ターボヒーロー『インゲニウム』の事件。
逃走中の犯人はステインまたの名を"ヒーロー殺し"、過去17名を殺害、23名ものヒーローを再起不能に陥れた
インゲニウムは幸い命は取りとめたようだが、下半身不随で今後のヒーロー活動は絶望的らしい。
説明を聞き終った飯田は直ぐに動いていたようで、少し離れた所にいた。そのまま無言で行こうとする彼に緑谷は声をかける。
「……飯田くん。……本当にどうしようもなくなったら、言ってね。友達だろ」
緑谷の言葉に麗日も飯田を見つめながらも首を縦に振る。そんな二人を横目に見て礎は僅かに視線を伏せたあと飯田を見た。
「(俺が言えたことじゃないが……)…飯田。…お前も俺も1人じゃないぞ」
「……あぁ」
そう返事をすると飯田は踵を返して再び歩き始めた。
……………
………
…
緑谷たちと別れ、礎は電車に乗り片手で携帯を開いて物思いに耽っていた。
(ヒーロー事務所アステリクス…気になって調べてみたが出て来たのは事務所の公式ホームページと動画と画像が数十件だけ)
最寄り駅に着き、改札口を抜けて外に出る。首都にほど近いこの地域は平日ながら多くの人が歩いていた。
(彼は数年サイドキックを務めて独立して約一年、事件解決数ならヒーローランキング50以内と遜色が無い。にも拘らず実のランクはそれよりも遥かに下だった)
地図アプリで道を確認しつつ事務所を目指して歩く。
("片側一車線の道路でヴィラン5人に囲まれ交戦するも、人にも物にも被害を出さずこれを撃破し逮捕に導いた。"被害が出なかったのは攻撃を誘導し続け自身に集中を向けさせたからだ)
高く聳え立つビル群が青い空を切り取るようになってくると記憶に新しい建物が見えた。
写真通り3階建てのビル、アステリクスの事務所だ。
受付にて挨拶をすると、上階の応接室に行くように案内をされ言われた通りに歩いて部屋の前まで来た。
「'どうぞ'」
(っ!)
ノックをする前に扉の向こうから声がして礎の伸ばしていた手が止まる。
先にいる人物の器をはかりかねながらも扉を開けると画面越しに見ていた人がスーツを着て机の奥に立っていた。
礎よりも少し高い身長、細身の身体、肩先まで伸びた くすんだ藍色の髪、中性的な顔立ち、まさしくここ最近見ていた人物だ。
(…やっぱりこの人……)
「あぁ見ての通り、俺は目が見えていないよ」
「…あ……いえ…それは見れば分かりますし、俺は見れば分かることを口には出しませんよ」
「その割に"見れば分かる"とは2度言うんだな」
心を見透かしたように笑みを浮かべて彼は口を開き、礎に言葉を返すとその笑みを更に深くして机から離れて小さなキッチンに向かった。
「来てくれて嬉しいよ、指名しておいてなんだが選ばれるとは思ってなかった。…お茶でいいかな?」
「あっ…はい」
彼は手慣れた手つきで2人分のお茶を用意する。
その両目は黒色である筈の角膜は白くなっており、殆ど動かない所をみると像を捉えていないことがわかった。
「掛けてくれていいよ。君、指名は多かったろう。なんでウチに?」
「回避能力に優れた人を探したら貴方の動画を見つけて、そこから調べて来ようと。長い警棒で敵5人を倒す動画です」
動いていた手が一瞬止まる。
「……それで俺に教えを乞おうと」
「…はい」
座った礎の前にお茶の入った湯飲みが置かれる。
「ありがとうございます…」
「独自の格闘技を生み出しそれを売りにしてるヒーローはいる。でも生憎、俺はやっていない。なんで教わろうと?」
「自分には防御と攻撃だけで…遅いわけじゃないんですが、択を増やせればあんな醜態を曝さないようにできると考えたんです」
「確かに爆豪くん相手にボロボロだったなぁ…そうだ、茶菓子でもだそうか」
自分の湯呑も置くと振り返り、近くの棚を開いて漆塗りの菓子器を取り出し机に置いた。
彼は個包装のバームクーヘンを袋を開けて口に運び、殆ど時間をかけずに平らげるとお茶を飲んで口を空にして息を整えると口を開いた。
「格闘術の件だが、今から俺の事を少し教えよう。その後で改めて決めてくれ」
「…?わかりました」
「なら行こうか。あぁ荷物は置いてって」
彼はポケットから携帯程の大きさのリモコンを取り出し、ボタンを押した。
するとキッチンとは反対側の棚が扉が開き、エレベーター扉が現れた。
彼は席を立つとまっすぐそちらに歩いていくので礎も続いて後ろに付く。
…………
……
…
二人が乗ったエレベーターは下へ行く。
(地下だな…)
自分が昇ってきた感覚でこのエレベーターが向かう先が地下だと礎は気付いた。
エレベーターが止まって扉が開く。外を見ると長い廊下の先、そこを挟んで対照的に扉があった。
左側の扉の前まで歩くと、扉の横に黒いタッチパネルがあり彼はそこに手を翳した。
(生体認証と暗証番号…)
心地のいい機械音と共に画面が操作され、礎はふいに視線を外す、が。
「別に見ても構わん」
腕から先以外をほとんど動かさずに礎の行動を誡めた。
「アステリクスさん…」
「さん。はいい」
「アステリクス…いいんですか?扉の先に何があるのか存じませんが俺に見せて」
礎の言葉に彼は再び動きを止め、彼は笑みを浮かべた。
「…可笑しな事を。キャプテン・アメリカが君を信用してるんだ、他に理由がいるか?君を指名したのだって彼の弟子だからって知ったからだ」
そういって番号を打ち終えると、外側からの印象とはかけ離れた重厚な音と共にゆっくりと開き始め、ややあって開き切り中の光景が露になった。
「な……」
その光景に唖然とした声が礎の口から洩れる。
そこは銃や刀といった大量の武器で満たされ、且つ完璧と言っていいほどに整頓と整備が行き届いていた。
「使った後と一月毎に警察の監査があるのが面倒だが大したものだろう?」
アステリクスの話を聞きながら礎はおずおずと部屋を見て回る。
こちらの壁には大型のアサルトライフル、反対側には互い違い掛けられた日本刀や明らかに近代的に打たれた刀がある。
「なんでこんなに…」
「俺は非力な方だからな、強力な個性を持った奴らと互角以上にやり合うのに必要だ。とはいえ…」
彼は腰を曲げて膝上ほどの高さの棚から把手を手探りで捉えると、その引き戸から掌ほどの大きさの青い箱を取り出す。
「用途によるがこれを使うことが前提だ」
それを礎に投げた。
「……RBR…ゴム製の低致死性弾ですか。…便利ですね」
「それがあっても実弾も同頻度で使う、皮膚を炭素鋼にできる奴とかにな」
箱を閉じて手渡しで返すと礎は僅かに息を漏らした。
「……向こうでも銃ぐらい使う人はいましたし警棒ぶん回してたんで想定外っていうか…」
「幻滅?」
「いえ……教わりたいって気持ちは変わりません。まだ分からない事もありますし、改めて言いますが俺に貴方の体技を教えて下さい」
読みにくい彼の顔に関心したような表情が浮かぶ。
「勿論いいとも。じゃあs_「アステリクス」
彼の言葉を遮る声がドアの方から聞こえ、そちらを見ると髪の長い小柄な女性が立っていた。
「あぁっ三里さん!彼がいし_「カップもお菓子も出しっぱなし、ご自分で片づけてと何度も言っているでしょう」
ひどく不機嫌な言葉に彼はバツの悪そうな顔をして焦ったように口を開いた。
「あ…ごめん。すぐに片付けるよ、礎くんはその…ちょっと上の部屋で待ってて」
「……はい」
威厳が有るのか無いのかよくわからない謎めいた人だと思いつつも彼らの後に続いて部屋を後にした。
お読みいただきありがとうございました。
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