やはり俺は青春ラブコメがしたい。 作:ルマンド
005
一度義務教育を終えている人間にとって、そして同じことを二度言われるのが嫌いな俺にとって、高校生活の授業というのは大変苦痛だ。なまじ、記憶力が良いばかりに教師に罪はないけれど、どうも授業中にピリッと来てしまう。本当に教師に罪はないけれど。
だからこそ一日の授業日程が全て消化されれば、ため息の一つも出てしまう。やっと終わった、と。だがそれでは俺の高校生としての一日は終わらない。これから奉仕部での仕事が待っているのだ。最も、この高校に迷える子羊が一匹もいないのであれば仕事もなにもないのだが。
鞄を背負い、人気が無い特別棟の廊下を歩く。
昨日見たばかりの教室の引き戸を見、俺は思わずあっ、と声を洩らした。
鍵を持っていない。
返却してから取りに行っていないのだ。
どうしようもない虚脱感が俺を襲うが、まだ職員室に行くのは早い。昨日の俺のうっかりを信じることにしたのだ。
鍵をかけ忘れて――。
いる。
九割ほどの割合で俺を襲うはずだったドアロックの音は聞こえず、呆気なくその扉は動いた。同時に向かい風が俺の頬を撫でる。どうやら鍵をかけ忘れた挙句、窓すら閉めていかなかったらしい。流石の事態に俺もドン引きだ。こんな迂闊さではテロリストが窓から侵入し、授業中に学校を占拠してしまうかも……なんてのは中学生時代の妄想だ。実に懐かしい。
懐かしさに頬を緩ませながらも、教室内に入る。昨日片づけた教室の中は俺流にアレンジされていて、使われていなかった机と椅子を中央を空けて黒板側、ロッカー側に並べている。丁度向き合う形で置かれたそれは、こうしてみるとなにか対戦中のように見えなくもないが、別の意図があった。
ロッカー側は俺が座る席。つまり依頼される側。
黒板側は迷える子羊たちの席。つまり依頼する側。
座る席が多い気がするが、そこは気にしないでおこう。
そして、既に客がいるようだった。
窓辺の席に座る黒髪の少女。背筋を伸ばした座り方は育ちの良さを感じさせ、本に落とす瞳は宝石のように美しい。風になびくカーテンと、差し込む日光で、それはさながら一枚の絵画のようだった。
ひどく
「あら、来たのね」
「ああ、来た」
ドアを閉め、近くの机に放って彼女の目の前の席に腰掛ける。これでは俺が依頼者だが、あくまでも配置はそうあればいいなと思っていただけで、そこまでのこだわりはない。
しかし、どうやらこの高校は俺が思っている以上に仔羊が多いらしい。発足一日目にして一人目とは。確かに出会いはほしいが、こんな調子で毎日来られたらそれはそれで困る。
「それでお悩みは?」
「……そう。そうよね」
問いに対して、彼女は複雑そうな表情を浮かべた。残念そうな、悲しそうな、見ていてなにか失言しただろうかと考え込んでしまうような顔を、した。ここに第三者がいたならば、間違いなく俺が悪者にされるだろう。
「いえ、なんでもないわ。相談はこれよ」
言って、彼女は自分の携帯を取り出して机の上に置いた。見に来いと?
立ち上がり、近づいてから携帯を拝借する。ディスプレイに表示されていたのは一枚の写真で、写されていたのは他人の携帯画面だった。所謂メールの確認画面であり、差出人、受取人、件名が写されている。
差し出し人は名前表示ではなく、アドレス表示。ドメインは有名な会員登録すれば使える無料のモノで、受取人は名前表示。件名は――。
「雪ノ下雪乃は金で男を買っている」
「……まったく、低俗ね」
「チェーンメールか」
「そう。私以外のクラスメイトに送られ始めてるらしいわ」
携帯を机に置き、鬱陶しそうに窓の外を見る彼女を見、今回の依頼を把握した。
「チェーンメールの犯人を捜せばいいんだな?」
「ええ、頼めるかしら」
契約完了、依頼受諾である。俺は手立てを考えつつ、気になったことを聞いてみた。
「犯人。探し出してどうする?」
「無論、二度とこんなことが起きないよう徹底的に、叩き、潰す」
ワァーオ、可憐な容姿から想像を絶する憤怒を感じる。
どうやらクールを装っているものの、内心かなりキレているらしい。
「まあ、俺は探し出すだけだ。犯人を煮ようと焼こうと潰そうと、それはお前の――」
「雪乃」
「ん?」
「雪ノ下雪乃。私の名前よ。お前なんて、言わないで」
それは懇願――のようだった。見つめ合う瞳は揺れていて、そんな彼女、雪ノ下を見ていると俺まで変な気持ちになってくる。思わず、「ああ」と返事をしてしまった。
「やっているね、少年少女」
雪ノ下との間に流れる微妙な空気を、教室のドアを開けた平塚女史が吹き飛ばす。
「平塚女史。暇ですね」
「開口一番それか? まあいい。もう話は済んだのか?」
俺の代わりに雪ノ下が「ええ」と涼しげに答えた。それを聞いた平塚女史は満足そうな顔で「よろしい」とハニカムと、
「分かっているとは思うが、彼女が奉仕部の依頼人第一号だ。しっかり働き給えよ、一色」
その働きで生徒が叩き潰されそうなんですが。
そう言いたくなる口を閉じ、俺は適当に返事をした。
「奉仕部……?」
言って、首を傾げる雪ノ下に向き合い俺は口を開く。
「平塚女史の中にだけ存在する架空部活動だ。人間、孤独に飢えると架空生物ならぬ架空部活を生み出してしまうのさ」
「お、それは喧嘩を売っているのか? 言っておくが私は強いぞ」
平塚静、アラサー。未だ独り身。
「孤独云々はともかく、架空の部活動なのは納得ね。聞いたこともないし、そもそも部活動は五人以上から認定されるもの。所属しているのが貴方だけなのだから成立するはずがない」
「……なんで所属が俺だけだってわかるんだ?」
「……ひみつよ」
雪ノ下の笑みはそれはそれは美しく、見ただけで思春期男子の脳内に薔薇の花びらが舞い散ること間違いなしだが、当の俺はカエルを睨む蛇、獲物を捉えたライオンのような悪寒をその笑顔から感じ取った。
いや、気のせいだろう。たぶん。
窓が開いているし、そのせいに決まっている。
「一色、君の言葉を肯定するのは癪だが、その通りだ。この部活は公には存在していない。だが私はこの部活動が今の総武高校に必要だと考えている。理解と賛同を得られるかどうかは別としてな」
「個人の裁量で空き教室まで使って……。バレたら不味いのでは?」
「はっはっは、当たり前だろう。だからこそ慎重に、慎ましく、まるで駅裏の寂れた個人経営本屋のような活動を期待する」
爺さんが店番してそう。
「わかりましたよ。じゃあ、期待に沿って慎ましく、チェーンメールを流した生徒を叩き潰すとします」
「素晴らしくなにもわかってないな、君は」
平塚女史の冷えた声が教室に響いた。
006
くれぐれも頼む、とそう言い残して平塚女史は職員室へと帰っていった。どうやら、様子を見に来ただけらしい。閉じられた教室のドアを一瞥して、俺は雪ノ下へと向き直った。
「とりあえず、クラスメイトのことを教えてくれ」
「それは名前ということかしら? それとも群れた羊のようなグループのこと? あるいは両方?」
「両方」
そうね、と雪ノ下は少しの間黙る。
「私のクラスで目立ったグループは一つしかないわ。藤沢真紀、という生徒を中心にしたグループね。大体四、五人で固まっているわ」
「最初にメールを受け取った奴はわかるか?」
「いいえ。でも彼女のグループの人間は全員が受け取っているみたい。私を見る目がとても不愉快だったから」
「……つかぬ事を聞くけど雪ノ下。お前友達は?」
「その話をするにはまず友達の定義を形にするところから始めなければならないのだけれど」
いないらしい。
「いないわけではないわ。決めつけはやめて頂戴」
「ナチュラルに心を読んだな……。いるの?」
「……貴方こそ」
ヒューっと風が俺と雪ノ下の間を通り抜ける。この教室に入る時に感じた風と同じのはずだが、どこか冷たく感じた。
「……やめよう。この話題のダメージは計り知れない」
「……同感よ。それで、このチェーンメールを送り始めた元凶は藤沢真紀なのかしら?」
「可能性は高い、が。証拠がない。雪ノ下は普段通り生活を続けてくれ。俺が周りを探ってみよう」
「相手は電脳世界の住人よ? どう調べるの?」
電脳世界。カッコいいな、ロックマンみたいで。
「送り主はフリーのメールアドレスを使っているけど、
送られた人間を調べ上げ、共通の人間を探せば自ずと答えは出る。
単純だが、一番効果的だ。冷静に考えれば証拠としてのパンチが弱いが、自分が完璧な犯行をしたと思い込んでいる人間ほど小さな証拠がよく効く。それが高校生ならば猶更だ。突き止め、突きつけ、追及すればあっさりと崩れるだろう。
「期待しているわ」
「任せろ」
方針が決まったところで、俺は気になっていた疑問を雪ノ下に投げかけてみた。
最初に会話した時の、複雑そうな表情のことについてだ。
「……」
雪ノ下の信じられない、と言いたげな瞳が俺を貫く。
「……信じられないわ」
どうやら本当に信じられないと思っていたらしい。
「忘れているならまだしも、それを追及してくるなんて」
忘れている? 俺が?
うーん、と頭を捻って記憶の残滓を追う。背筋が伸びた着席姿勢、読書好き、そして
あ。
「もしかして小学校一緒だった?」
「ええ」
「……もしかしてイジメられてた?」
「ええ」
「……もしかしてもしかして、俺助けた?」
「ええ、そう」
「あの時の女の子かぁ――……!」
懐かしい、ひどく懐かしい思いが体中を駆け巡り、同時に俺は忘れていた申し訳なさで雪ノ下から視線を逸らした。言い訳をさせてもらえるならば、小学校の頃に行ったイジメ解消は俺の記憶から一刻も早く消し去りたいモノ(今思い出すと恥ずかしすぎる言動をした)で、加えていろはの親離れならぬ俺離れ(通称いろはショック)によって忘却の彼方へと吹っ飛んでいたのだ。中学生時代忙しかったのも要因の一つだろう。
しかし、そう考えてみてみると、確かにあの頃の女の子を成長させれば今のような雪ノ下になる。
……どうやら胸は過去のままのようだが。
「とても不愉快な視線を感じるのだけれど」
「すまん」
謝る。俺はよく言えば素直で、悪く言えば諦めが良いのだ。
と、そこで俺は教室に備え付けられた時計を見上げる。そろそろ帰宅するには良い時分だ。窓の外も暗くなってきたことだし、帰るとしよう。
立ち上がり、窓を閉めて鞄を拾いに行く。俺、そして時計を見た雪ノ下も猫のブックカバーが付いた本を鞄へとしまい込み、席を立った。
「鍵は私が持っているわ」
「だろうな」
雪ノ下がついてくる足音を聞きながら答える。先に廊下へ出ると、彼女が手際よく施錠し向き直り、
「また、来てもいいかしら」
と言いながら鍵を渡してきた。俺はそれを受け取り、
「勿論」
と軽く笑う。丁度、一人では広すぎると思っていたところだ。物静かで、美しい彼女が来てくれるというのは大変助かる。
俺の返事を聞いた雪ノ下は嬉しそうに微笑むと、
「ありがとう」
そう告げた。その笑顔が記憶の奥深くで埋もれていた小学校時代の彼女の笑みと重なり、当時を思い出した俺はむず痒くなってろくな返事もせず、歩き出す。
静かな特別棟の廊下に二人分の足音が響き渡り、新たな予感を俺に告げていた。
キリが良いので投稿