「どうして、どうしてパパを見殺しにしたんだ!?」
人の気配のしない町、取り残された生活の名残。それらを洗い流すように降りしきる雨と白壁にへばりついた煤と肉が焼けた臭い。
そして今まで見たことが無いほどの剣幕で俺の胸倉を掴みながら涙を流す少女。
ああ、俺はこれを知っている。あの時の、幼き日のキャロルだ。
俺が私情を優先し、キャロルたちをないがしろにした。そのせいでイザークさんは火あぶりにされて死んだ。
「お前なんか嫌いだ、もう顔もみたくない!どこかへ行け!二度と私の…俺の前にその顔を見せるなっ!」
それを最後に俺はキャロルの声を聞いたことは一度もない。
その後人伝で強力な錬金術になり不老不死も体得したと聞いた時は生きていることに安堵したのと錬金術の深淵に近づいてしまったことに悲しみを覚えたものだ。
だが結局の所俺は少しでもキャロルの力になればと人伝に支援をしたり誕生日に賢者の石を送ったりしていた。
だが、もし俺がそんな回りくどい事をせずにきちんと向き合っていたら、違った未来があったのかもしれない。
目を覚ますと側に目を真っ赤に腫らし、涙にぬれた手で俺の手を握り締めるエルフナインがいた。まだはっきりしない頭で何があったのかを順番に思い出していく。
イグナイトの実験をしていて、立花ちゃんを治して…そうか、呪いに呑まれたのか。それで意識を失ったってわけか。情けないな。
「エルフナイン、手を貸してくれないか?一人で起き上がれそうにない」
「お兄様!目が覚めたんですね!?」
「ああ、どれくらい寝てた」
「いえ、十分くらいですから大丈夫ですよ」
「すまないな、心配をかけてしまったな」
「本当ですよ。でも、目を覚ましてくれてよかったです」
「それもお前が手を握っていてくれたおかげかな」
意識を失っている時、全身が冷たくなり海に沈んでいってしまう感覚に襲われた。一度沈んだら二度と浮かんでこれない、そんな感覚だった。だけどなぜか左手だけは温かかった。その温もりのおかげで俺は意識を引き上げることが出来たのだ。
目が覚めて分かった。どうやらエルフナインがずっと握っていてくれたおかげで助かったようだ。
「いえ、僕はそんな…」
エルフナインは頬を紅らめ謙遜するが俺にとっては十分に効果があった。
「何よりいい夢を見れたんだ」
「夢…ですか?」
「ああ、キャロルの夢だ。久しぶりにあの娘の顔を見れた。おかげで覚悟が決まったよ」
「覚悟…ですか?」
「ああ、二課は世界の平和のためにキャロルを止める。だが俺は、俺の理由で、俺の方法でキャロルを止める。だからエルフナイン、協力してくれ」
「…分かりました。僕の全力を持ってご期待に応えたいと思います!」
「よし、それじゃあ作業に戻るか!」
そういえば気を失う直前聞こえたあの声、口調も声もキャロルそのままだったがあれはやはり…。
収集したデータのおかげで作業がようやく軌道に乗り始めた頃、弦十郎から通信が入った。そこで近況報告と開発状況に進展が見られたことを報告すると今日はもう切り上げるように言われた。
何事も起動に乗り始めた頃に休むことが大切だとやけに力説された。どうやら俺達が来る前にいた女性技術者に相当苦労させられたらしい。
毎度毎度気を失うまで研究にのめり込み、その後始末をいつもしていたようで言葉の節々からその苦労が感じられた。
だが弦十郎よ、その割にはやけに嬉しそうな顔をしているではないか。あれは相当イイ思いをしたに違いない。恐らく偶然を装って胸を触ったりとか尻を撫でたりとかだろうか。それか逆に相手から押し付けてきたかのどちらかだが案外後者だったりしてな。
そう指摘すると顔を赤らめて否定してきた。流石おっぱい星人、職権乱用とはこの事か。
そんなことがあり部屋に戻ると立花ちゃんを除く奏者全員が待っていた。なぜか俺の部屋の中で。
何か用か?そう尋ねようとするがその前にベットに腰掛けている調に手招きされる。招かれるがままに隣に腰掛けるといきなり腕を引かれベットに寝かされる形になった。
来客がいるとは言えしばらく徹夜が続いていたためすぐに睡魔が襲ってくる。だが現状と向けられる生温かい視線がどうしても意識を落とすことが出来ない。
「それで調さん、これは一体…」
「何ってもちろん、膝枕だよ」
「いや、それは分かるんだけどね、なぜ今?それとなんで俺の部屋に?」
「みんなはイグナイトの開発状況を聞きに来たのとエルフナインと仲良くなれればと思ってきたの。膝枕は…なんとなく?」
「ああ、だからその…私たちには気にせずにどうぞ…」
「そ、そうだな。好きなだけそうしてればいいと思うぞ。うん」
「俺は全く気にしてないんだが…寧ろ気にしてるのはそっちじゃね?」
風鳴ちゃんと雪音ちゃんは顔を赤らめ目を逸らす。と思ったらチラチラとこちらを見てくる。
「見たかったら見ていいんだぞ。俺は気にしない」
「私も別に気にならないから…良かったらどうぞ」
『きょ、興味なんて無い!』
そう言うと二人して更に顔を赤らめ否定する。
そんな二人とは対照的にマリアちゃんと切歌ちゃんはいつも通りだ。これと言って動揺するわけでもなくエルフナインと会話に花を咲かせている。
「マ、マリア!お前たちは平気なのか!?」
「別に…今更よそんなの。この二人所構わず世界を作り出すから。しかも自然とやってのけるから厄介なのよ」
そんな二人に助けを求める風鳴ちゃん、だがこの二人はこの状況に慣れきってしまっているため助け舟を出すのではなく諦めるように説得を始める。
そして雪音ちゃんは一人で悶々とし始めた。きっと弦十郎を膝枕することを考えて恥ずかしくなったのだろう。まあこればっかりは回数こなしていけば自然とできるようになるしな。
「あの、ここはお二人だけにして差し上げた方がよろしいのでは…?」
「そ、そうだな!それがいい。よし、行くぞ雪音!別室でエルフナインと親睦を深めるぞ!」
「そうだな先輩!それがいい!」
そんな二人に助け舟を出したのはエルフナインだった。暗闇の中で見つけた一筋の光、それを掴むために風鳴ちゃんと雪音ちゃんはその提案に乗りすぐに部屋から出ていった。
「それではお兄様、僕はここで。今日はお疲れさまでした」
「ああ、お疲れさま。また明日もよろしくな」
ペコリと頭を下げ部屋を後にするエルフナイン、それに続くように切歌ちゃんとマリアちゃんも調と会話を交わし部屋から出ていった。
次第に足音が遠ざかる。そして完全に聞こえなくなったころ、俺はなけなしの魔力を使って部屋に遮音と侵入阻害の結界を張る。
「んで、どうしたんだ一体?」
そう問いかけるも調は答えない。代わりに俺の頭を撫で始める。カチコチを時計の針が進む音だけが聞こえる。そんな時間が少し続いた。
「聞いたよ。無茶して倒れたんだってね」
「…エルフナインか」
「うん」
なんとなく予想はしていた。部屋に入った時から調の様子がなんとなくおかしかった。だがそれは徹夜明けやイグナイトの連続使用の疲労を見抜かれての事かと思ったがそもそもの事の顛末を聞いていたからみたいだ。
「いつ頃聞いた?」
「響さんが運ばれてきた後かな。でもエルフナインを責めないであげて。偶々通りかかった時に物音が聞こえて入ったらソウ君が気を失ってたの」
「そうだったのか」
「それでソウ君がエルフナインに膝枕されてたから…」
「なるほど、それでこうなったのか」
ということはエルフナインは始めから知っていた訳か。だから二人だけにしてやれと言ったのか。これは気を使わせてしまったな。
「それで、どう?」
「ん?何が?」
「膝枕。私とエルフナインどっちがいい?」
「いや、どっちがいいって聞かれても俺気を失ってたからそんなの覚えてないし…」
「どっちがいい?」
先ほどのしんみりした雰囲気が一転、真面目そうな顔をした調が俺の顔を覗き込むようにそう問い詰めてくる。
あまりの迫力に視線を逸らそうとしても撫でていた手で頭をホールドされているため逃れることが出来ない。
だが本当に覚えていないのだ。エルフナインの膝枕で覚えていることと言われても懐かしい感じだったとしか表現できないのだ。
「寧ろあれはエルフナインの膝枕とは言えない気がするんだが…」
「どういうこと?」
「上手く言えないんだがエルフナインじゃない感じだったな。それに夢みたいなの見てたから本当に覚えてないんだ」
「ふ~ん」
腑に落ちないという顔をしながらジト目を向ける調だがこればかりは仕方ないだろう。とりあえず一度起き上がろうと上半身に力を入れる。
が、再び調の腕によって後ろに引っ張られ膝の上へと頭を預ける体制になってしまった。
「あの…調さん?」
「まだ感想聞いてないんだけど」
「あ、やっぱり覚えてた?」
「当然」
こんなやり取り前にもあったな~と思いつつ真面目に調の問いに対しての回答を模索する。とはいえ答えなんてもう決まっているわけで。
「それはもちろん調だな。どっちがいいとかそういう話じゃなくて兎に角安心する。もちろんエルフナインも安心できたが調の安心感とエルフナインの安心感は別物だったからな」
「というと?」
調は首をコテンと傾け続きを聞いてくる。正直こんなことを本人の前で言うのは流石の俺も恥ずかしいのだが言わないと解放してもらえなさそうだ。
「二人とも根本は同じなんだよ。只それがエルフナインは妹として、調は彼女としてってだけでさ」
「…ふ~ん」
どうやら満足してもらえたようだ。先ほどと同じ反応だが表情が違う。今はニヤケそうになるのを必死で抑えようとしている顔だ。
こうなった調はちょっとしたことでも顔に出てしまう。せっかくだ、日ごろの感謝をここで示しつつ表情豊かな調を楽しむとしよう。
「ちょ、ちょっとソウ君!?」
意識をそっちに集中している調をベットに押し倒す。それにより上下が交代し俺が上になる。そのまま調を抱きしめシーツを被り、部屋の電気を落とす。
「調、いつもありがとう。調がいるから俺はいつも頑張れるんだ」
「ひゃっ!そこ…耳は…」
顔を調の耳に近づけ吐息が当たるように想いの丈を囁く。調は身体を震わせ嬌声を上げる。
「調のためだから頑張れるんだ。調が笑顔でいられるためなら俺は全てを捧げられるんだ」
「あ!…んっ!だ、だめ…!」
それでも俺は囁くのを止めない。そのたびに腕の中で震える調の反応を楽しみながらわざと大きく吐息を吹きかけたり調の耳を食んだりする。今更だが防音の結界張っておいてよかったわ。ついでに録画用の術式も展開しておこう。
「だけど調、俺は心配なんだ。今開発しているイグナイトのせいで調が更に危険なところへ行ってしまうのが。だから調、俺に君を守らせてほしい。いつまでも、どこまでも、どんな手を使ってでも、それを許してくれるだろうか」
「う、うん…!許す、許すから…耳は…んっ!や、やめっ…!」
「ありがとう、調。それじゃあ今日はこのまま寝ようか。俺、今日は疲れているせいか調と寝たい気分なんだよね…」
翌日、顔を真っ赤にした調とスッキリした俺が同じ部屋から出てきたことでまたひと騒動あったがそれは言うまでも無いだろう。自分でもかなりギリギリだったがなんとか手は出していない。そういうのは調が成年と認められるまでは我慢すると二人で話をしてある。
とはいえ弦十郎が言っていた徹夜明けで研究が軌道に乗り始めた頃は必ず休めと言った理由を身をもって理解した。そんな一日だった。
それから一週間、作業は連日夜を徹して続いた。弦十郎のアドバイス通り適度に休みを入れたことで暴走することもなく研究は予定よりも順調に進んだ。
その間にキャロルの襲撃が無かったのは幸運か、それとも嵐の前の静けさなのか、その答えは唐突にやってきた。
鳴り響く警報、そういえば一週間くらい前にも同じようなことがあったなと思い出しつつ弦十郎に回線をつなぐ。
「弦十郎、何があった?」
『アルカノイズに各地の変電所を襲われている。今はまだ大丈夫だが完全に落ちたら基地機能もダウンする。そうなったら響君の処置も新型ギアの開発もままならなくなる』
「分かった、今はありったけの電力をここに送らせて繋げ。立花ちゃんは前渡した液状賢者の石を点滴しろ。少々負荷がかかるが全快になるはずだ。電力もヤバくなったら同様に錬金術で賄いたい。以前頼んだ魔力発電機の完成度は?」
『五十パーセントといったところだ』
「ならこの一件が片付いたら速攻で完成させろ。電力は指令室とこの研究室だけに回せ」
各地の発電所は正直に言えば無視したい。それが落ちてもこちらとして痛手はそんなにない。むしろそんな遠隔地を襲撃するということは戦力をこちらと分断しようとしてる気がする。
「弦十郎、調と切歌ちゃんを絶対に出撃させるなよ。恐らく敵の狙いは…」
『調ちゃん、切歌ちゃんが敵と交戦中。医務室のリンカーを持ち出したと思われます』
戦力の分断、消耗だ。そう言おうとしたところで最も聞きたくない藤尭の報告が電話越しに聞こえてきた。最悪だ。
「弦十郎、調に繋いでくれ」
『分かった。…繋いだぞ』
「調、聞こえるか?」
『ソウ君…私は…』
「最悪死ぬかもしれない。それは分かってるのか」
『…うん。でも今これができるのは私たちだけだから』
「そうか…」
繋がっているのは音声だけで画像は送られてこない。そのため調がどの様な表情をして今の言葉を口にしたのかは分からない。だが、きっとその表情は覚悟を決めた顔をしているのだろう。それだけの力が画面越しからも伝わってくる。
『それに、守ってくれるんでしょ?いつまでも、どこまでも、どんな手を使ってでもね』
「…そうだったな。調、君は必ず俺が守る。とりあえず調につけている位置確認用と録画用と撮影用の式神全てを護衛モードにする。これである程度はアルカノイズの攻撃も防げるだろう。だがオートスコアラーの攻撃はそんなに長くはもたないぞ」
『うん、分かった』
『…調君、嫌なら嫌だとはっきり言うことも大切だぞ?』
『そうね…はっきり言って変態、オブラートに包んで…やっぱり変態ね』
『確かにちょっと過保護かもだけど…それもソウ君の愛情表現の一つだし…』
随分好き勝手言ってくれるじゃないか、指令と歌姫には後でお話が必要だな。
「…弦十郎、俺とエルフナインはここでイグナイトを完成させる。支援は完成までできない」
『だがメルクリア、調君達が…』
「だからこそだ。あの二人は危険を承知で時間稼ぎのために出撃した。なら俺達のすることはその時間を一秒たりとも無駄にしないことだ」
「メルクリア…お前…」
「それに調には俺特性の防衛術式が詰まった賢者の石ネックレスも持たせてある。だからある程度は大丈夫だ」
「…そうか」
「今急ピッチで天羽々斬、イチイバル、ガングニールの改修を進めている。現状九十五パーセントが完了だ。終わり次第奏者に出撃してもらうから準備させておけ」
『分かった』
「聞いていたなエルフナイン、全開で終わらせるぞ!」
「はい!」
回路の整備、完了。コンバーター、異常なし。イグナイトシステム、正常稼働。セーフティ及びアンダーパス、接続確認。
キーボードを叩く音だけが部屋に充満する。一文字たりともミスは許されない。正確に、最速でプログラムを打ち込む。
そして最後にエンターキーを叩きつけギアの外装が完全に癒着するのを確認する。
「よし、出来たぞ!」
「こっちも完了です!」
「よし、じゃあ後は任せた!」
改修が終わったギアをエルフナインに投げ渡し足元に液体の入ったアンプルのようなものを投げ落とす。すると魔法陣が展開され視界があっと言う間に光に包まれる。
「それってキャロルのっ!?」
「弦十郎達には内緒にしておいてくれよ?」
エルフナインのそんな驚きを最後に俺は調の待つ戦場へと転移した。
朝晩の寒暖差が大きいので皆様ご自愛くださいね。
今回も読んでいただきありがとうございました。