「遂にこの日が来たな…」
「ええ、本当にありがとうございます。あなたがいなければここまではこれませんでした」
「Queens of music」開催当日、とある一室に俺とナスターシャは待機していた。壁一面に設置されたモニターには監視カメラの映像がリアルタイムで送られてきており、興奮しきった観客たち表情から作戦開始まであと僅かという事を嫌でも理解させられた。俺も観客にあてられたのか汗を手にかき、時計から目が離せない。
全てはこの日のために。そのために費やした三ヶ月だった。今思えば刺激的で、充実した日々だった。今まで過ごした時間よりもこの三か月の方が何倍も素晴らしい、それこそ人としての幸せを享受できたと錯覚してしまうほどに濃密だった。そのため今の時間の流れにはもどかしさを感じる。一秒一秒が果てしなく思えてしまう。
「ですが…やり過ぎではありませんか?」
作戦開始まで残り僅か、だというのにナスターシャは唐突にそう口にした。今になって作戦に不満でも感じたのだろうか?。とりあえず話を聞いてみるか、もしここで解決せず後々作戦に支障をきたされる方が厄介だろう。それならここで解消、もしくは作戦を変更した方がまだマシだ。
「…何がだ?」
「今回気合入り過ぎではありませんか?それにアジトとして使えるように直してほしいとは言いましたが誰も要塞にしろとは言って無いのですが…」
違った。作戦じゃなくて俺が原因だった。こんな時にそんな話をするのは集中が切れそう気が引けるが…ナスターシャがしこりを抱えたまま作戦に入るよりかはいいか。
確かに俺は今回の依頼に過去類を見ないほどの気合を入れて取り組んだ。まず世界中からの依頼は全てキャンセルしナスターシャの依頼一本に集中した。
そしてアジト周辺のマンションに部屋を借り、連日アジトの改修や作戦のサポートに努めた。その結果浜崎医院は劇的に変化を遂げた。
見た目は以前と変えてないが内部には赤外線、熱センサー、重量センサーに始まり網膜認証や指紋認証といった最先端のセキュリティを搭載している。
さらに外壁を錬金術で加工し戦車が戦闘機でも突破は容易ではない。侵入されても内部には錬金術、呪術、科学技術、妖魔、式神、ありとあらゆる角度からトラップを仕掛けてある。
そして地下には賢者の石を設置し、それを触媒にした障壁・自動修復術式を組み込んである。
これなら侵入される恐れは無いし、仮にシンフォギア奏者が出張ってきても五分は持ちこたえられるだろう。その間に脱出することは十分可能だし、なんなら地下の賢者の石を爆破すれば浜崎医院を奏者ごと海に沈めることもできる。正に完璧の布陣だ。
「アジトも要塞も似たようなもんだろ?サービスだよ、サービス」
「インテリア凝り過ぎでは…」
「青春真っ盛りの女の子が過ごすんだ。それくらい気を使わないとな。サービスだよ、サービス」
「風呂は錆びたシャワー室が使えたはずですが…」
「あんなの使えるに入るかよ。どうせだから温泉引っ張ってきた。サービスだ」
もちろん各部屋もこだわり抜いた。最近のモデルルームや流行を参考にし、錬成に錬成を重ねた。地下には大浴場やスポーツジムを完備、ストレスなく作戦決行まで過ごせるようにした。
「食料品だけでなく日用品まで買っていただいて…」
「生活に潤いは必要だからな。もちろんサービスだ」
これは完全にマリアちゃんと切歌ちゃん対策だ。試しに食べ物で釣ったら驚くほど懐いた。調ちゃんが俺に懐いているのを見ていたのもあるだろうがそれでも驚きの懐き具合だった。今ではみんな名前で呼べるほどの仲である。
そんなやり取りをしているとナスターシャは意外な物を見るような眼で俺を見てきた。
「…なんだよ」
「いえ、ただ本当に変わったな、と思いましてね」
またその話か、と俺はため息をつく。
以前俺はナスターシャに作戦の中核、戦闘面での主力を俺に変えないかと打診したことがある。理由は調ちゃん達が傷つく可能性をできる限り減らしたかったからだ。だがなぜか気恥ずかしさがあり、ナスターシャにはなんとなくだと答えた。その時も同じような事を言われたのだ。
実はこの三か月の間、そう言ってきたのはナスターシャだけではない。部下や同僚にも似たようなことを言われたのだ。
「そんなに変わったか…?」
「ええ、変わりましたよ。あの娘があなたに惹かれたのか、あの娘があなたを変えたのか、どちらにしても柔らかく、優しくなりました。捻くれたところは変わってませんけどね」
自分に投げかけるつもりがいつの間にか口から出ていたその問いに、ナスターシャは笑顔で答えを返してくれた。
柔らかく…優しい…か、そういえば昔はよくそう言ってくれる人がいた。でもいつからかそれじゃ駄目だと思って、そんなのは自分じゃないと思い始めて。でもあの͡娘には優しく接したいと、自分が傷ついても何かしてやりたいと思えて…いや、やめよう。大事な作戦の前に考えることじゃないな。集中が乱れそうだ。
「…悪い、風に当たってくる。ついでに見回りに行ってくるわ」
そう言い残して俺は逃げるように車を出た。
「調ちゃんお疲れ様。疲れたでしょ?これミルクティー」
「ありがとう、メルクリア」
会場地下駐車場、そこを巡回している調ちゃんに先ほど自販機で買った温かいミルクティーを手渡す。まだ九月とはいえこの時間帯は冷え込む。温かいものを選んで正解だった。因みに切歌ちゃんは先ほどホットカフェオレを差し入れ済みだ。この三か月でみんなの好みは完璧に把握した、抜かりは無いのだ。
「…計画、上手くいくかな?」
ミルクティーをチビチビ飲みながら調ちゃんはそう尋ねてきた。だがこればっかりはなんとも言えないな。万全の準備をした。逃走経路も確保した。確率計算も何度も繰り返した。それでも失敗する時は失敗するのだ。俺はそういう場面を何度も経験してきた。だからこそ確答はできない。
だが敢えて言うならば…
「なるようなる。としか言えないな」
「ふふっ、なにそれ」
「いや、マジで。頑張ってもどうにもならない時はあるし努力が実らない時もある。祈ったって叶わない時がほとんどだ。だから流れに身を任せるしかないな。後ヤバくなったら逃げな」
「そうだね、でも今日ばっかりは逃げられないね。逃げて、失敗しちゃったら計画の要を起動させる機会はもうないから。だから…頑張らないとね」
「いいよ、頑張らなくて。ヤバくなったら逃げて。後は俺が何とかしてやるから、助けてやるから、守ってやるからさ」
「…そうだね。じゃあその時は…お願いしようかな」
「お、おう。任せな、絶対守ってやる」
今、「お願いしようかな」の時に見せた笑顔に思わずクラッときた。あの女として意識してしまう笑顔を見るだけで不思議と力が湧いてくる。なんでもできるような気になってしまう。いかんな、今までこんなことは無かったと思うんだがな。一体何に浮かれているのだろうか…。
その後も調ちゃんとの会話は続いた。料理の話、動物の話、マリアちゃんの歌の話。大した中身の無い話がほとんどだ。だがそれでも嬉しくて、楽しかった。
初めて会った日の気まずさも時間の流れも嘘のようだ。こんなにも心躍ることは無い。彼女といるだけで幸せになれる。今では時間がこれでもかというほど早く流れていく。
そうこうしているうちに上階から歓声が聞こえ始めた。どうやらライブが始まったようだ。
俺達はお互いを見つめ頷く。ここからは仕事だと。
予定では一曲目を歌い終わった段階でノイズを操り会場を掌握、マリアちゃんが正体をバラし世界に宣戦布告する算段となっている。
俺達の仕事はその補助、主に妨害の阻止や敵奏者が来た時の足止めだ。といっても敵が来たらナスターシャから連絡が入ることになっている。なので今のところ心配はない。
と思っていたら突如足元から透明な何かが多数滲み出してきた。俺達はこれを知っている。なんせ今回の作戦の鍵の一つなのだから。
「なんでノイズがこんなところにっ!?」
突然のノイズ発生に一瞬慌てるも、すぐに落ち着いた調ちゃんは俺の側に駆け寄ってくる。生身ではどれだけ頑張ろうとノイズには勝てない。幸いにも俺たちはそれに打ち勝つ力があるがお互いが離れていると色々行動に支障が出るのだ。主にフレンドリーファイアという意味で。
「メルクリア、マムに連絡は?」
「…駄目だ。妨害されてる」
何度試しても通信は繋がらず、耳元のインカムはノイズを吐き出すばかり。こんなことなら錬金術で通信媒体作っとけばよかったな。
「仕方ない。まずはここを切り抜けるっ!」
「いや、ここは俺がやろう。調ちゃんは後で一戦あるかもしれないし消耗は少ない方がいい」
調ちゃん達はリンカーで適合係数を無理矢理引き上げてギアを纏っている。だがリンカーは使えば使うほど使用者の身体を蝕む。ならばどうしようもない時以外は俺が引き受けた方が賢明だろう。何よりそんな危険な物を彼女には使ってほしくない。
俺は魔法陣から愛用の杖を取り出し床をコツンと突く。すると前方のノイズの足元から魔法陣が展開され、そこから夥しい剣が射出された。
錬金術で生成された物には魔力が通っている。つまり理論上シンフォギアと似たような効果があるはずなのだ。ぶっつけ本番だったが上手くいったようで一安心だ。
さてこの調子で一気に片づけますか!
先ほどの攻撃で俺を危険と判断したのかノイズの群れ全体が俺達に向かって進行を始め。鞭のような腕を持つノイズは先制攻撃を仕掛けてきた。
それに対し俺は再び杖を付き床を錬成、分厚い壁にしてその攻撃を防いだ。続いて三度床を突く。だが錬成するのは床ではない、己の魔力だ。
魔力を決められた術式に流し込み定められた対象を錬成する。これが錬金術の基本だ。今回はその基本に忠実に、それでいて大質量を錬成する。足元から青色の巨大魔法陣が展開され夥しい量の水が噴き出す。俺の特異な水属性の錬金術だ。
そして錬成した水に更なる術式を重ねる。すると大量の水が意思を持つかのように蛇を形どりノイズたちを切り裂いていく。その威力は盾型ノイズも容易く切断できるほどだ。
「とはいってもキリが無いな…」
だが倒しても倒してもノイズは際限なく現れる。その上次第に攻撃を重ねて障壁を突破したりこちらの動きを阻害するようになってきた。先ほどまでとは明らかに違う、統率された軍隊のような動きだ。
正直これからのことを考えるとこのまま戦闘を続けるのは得策ではない。ここは一度転移して逃げることも視野に入れていると、上階から先ほど以上の歓声が聞こえた。どうやら一曲目が終わったようだ。
すると突如その歓声に呼応するかの様にノイズの攻撃の手が止んだ。だがそれは一瞬の事で、すぐに攻撃は再開された。
だがその攻撃が俺達に直撃することは無かった。頭上を越え、車が破壊される音だけが響き渡る。それでもノイズたちは先ほどの統率されて動きはそのままに、俺達には目もくれず無駄玉を吐き出し続ける。
だがそれが無駄などではないことを俺達はすぐに思い知らされた。ノイズの攻撃が放たれた方向から音が聞こえだしたのだ。始めは小さく、だが次第に大きくなっていくその音。そしてそれは遂に亀裂となって姿を現した。
「狙いは支柱かっ!?」
ノイズが必死になって攻撃していたもの、それはこの階を支える支柱だったのだ。車の破砕音はその余波で生じたものだったのだ。
もちろんたった一本の支柱が壊れたところでフロア一つ分がまるまる降ってくるわけではない。だが支柱の崩落と共に天井の一部が崩れ落ちることもある。例えば今回のように衝撃で亀裂が全体に走る場合だ。
このままでは直撃は免れない。そう理解した瞬間、俺は調ちゃんを庇うように抱きしめていた。そして背中に鈍痛が走り、倒壊音はどんどん大きくなっていく。そして痛みは背中だけでなく全身に広がる。降り注ぐ瓦礫によって足は潰れ、頭は切れ鮮血が額をつたう。
自分でもなぜこんな行動に出たのか理解できていない。だが気づけば身体が勝手に動いていたのだ。ただ彼女を守りたい、その一心だけで動いていたのだ。
「メルクリア、危ないっ!」
調ちゃんがそう叫んだ先には今までとは比べ物にならない程巨大な瓦礫が俺に向かって降ってきていた。
これは流石に無理だ。俺一人ならともかく調ちゃんは潰れてしまう。すると俺はまたしても無意識に術式を展開していた。これは発動の術式ではない、解除の術式だ。
魔法陣が砕け、全身の魔力が跳ね上がるのを感じる。そしてそれを背中に集め形を成し、鈍く光る白銀の翼を調ちゃんを覆うように展開する。
調ちゃんが何か言っているが俺には聞こえなかった。巨大な瓦礫に押しつぶされ、それが砕ける音でかき消されてしまったからだ。だがそれでも俺は膝をつかなかった。
依頼だからではない。子供だからではない。彼女には傷ついてほしくない、その一心で俺は瓦礫を背中で受け止め続けた。
『調、メルクリア、大丈夫ですか!?』
ナスターシャとの通信が復旧したのは天井の崩落が終わった直後だった。あたり一面が瓦礫にまみれ、ここが駐車場だったとは到底信じられないほどの荒れ具合だ。そしてノイズも一体たりともおらず、残された灰だけがその存在を物語っていた。
『急に通信が途絶したかと思えば駐車場が崩落したとの報告が来たのですが何があったのですか?』
「ああ、ノイズに襲撃された。しかも動きが統率されていた。あれは裏で操っている人間のいる動きだ」
『…そうですか。詳しく話を聞きたいところですが今は時間がありません。先ほどマリアが宣戦布告を行い現在は敵奏者と交戦中です。調はその援護に』
「了解、マム」
『メルクリアは敵奏者の妨害と脱出経路の確保をお願いします』
「了解した」
そう言ってナスターシャは通信を切った。俺達がノイズの相手をしている間に随分と事が動いたようだ、これはうかうかしていられないな。
「調ちゃん、怪我は無いか?」
「うん、私は大丈夫。メルクリアが守ってくれたから。でも…」
「よし、ならここからは別行動だ。後で集合場所で落ち合おう。それじゃあ健闘を祈るよ」
幸いにも傷の自動修復は完了している、これならすぐに動き出せるだろう。俺は調ちゃんにそう言い残して足早にその場を離れた。
なぜだろう、彼女と言葉を交わすことを怖く感じた。翼を見られたからか?それとも再生を見られたからか?
いや、その前になぜ俺は彼女にそんな姿を見られたくないと思ってるんだ?
今まで散々振るってきた、頼りにしていた能力を、なぜ今になって恐れるんだ?
分からない、なぜ彼女の前ではこんなにも自分が狂ってしまったかのような感覚に陥るのかが分からない。
集中しなければならないことは分かっている。依頼だけでなくあのノイズのこともある。あの動きに加え瓦礫の落下位置を計算するなどノイズには到底できない。つまり操っている人間が確実にいる。しかもそいつはそういった計算ができる頭のキレる奴だ。もしくは俺を狙う錬金術師なわけだがどっちにしても厄介だ。
気を引き締めなければならないことは嫌でも分かっている。それでも調ちゃんのあの顔が脳裏から離れないのだ。
上手く言葉にできない悶々とした気持ちは作戦が終了しても、翌日になっても晴れることはなかった。
今回も読んでいただきありがとうございました。