ーイギリス・ロンドンー。
ビック・ベン、世界的にはこの名称で知られる国会議事堂の地下。そこに俺、メルクリアはアジトを構えていた。
俺は基本、依頼が入るとその依頼主に最寄りのアジトで仕事を片付けるようにしている。そのためこのようなアジトは世界中に存在している。その中の一つ、イギリスのアジトは大英帝国時代の調度品で纏めたデザインで仲間内からも『時計塔』の別称で親しまれるほど評判の良かったアジトだ。
だが今ではそれも無残な姿になり果ててしまっている。天井まで積み上げられた書類の山々、散乱するカップ麺や携帯補給食の残骸、そして机に突っ伏す俺。正にザ・徹夜明けといった部屋である。
全ては一か月前に発生した月落下事件、通称『ルナアタック事変』から始まった。それからひっきりなしに事件の事後処理に始まり月の調査依頼や異常災害への対処などの依頼が舞い込んできた。
おまけに世界中から依頼がくるためその数が尋常じゃない。到底一人で捌ききれるはずもなく昔所属していた組織の部下や知り合いに連絡を取り協力してもらった。
もちろん報酬は払うと言ったのだがなぜか受け取りを拒否されてしまった。そのことが気がかりだが今度何かお礼の品でも送っておけばいいだろう。
そんな訳で一か月近く引きこもり生活を送っていたがそれも今日で終わりだ。先ほど纏めた書類でこの一件の仕事は全て片付いた。偶々最初の依頼をここで取り、そのまま流れで缶詰めになっただけだがそれでも愛着は湧く。もうしばらくここに居たいが悲しかな、それ以上に俺は自宅のベットが恋しいのだ。
辛うじて無事なソファが視界に入り睡魔が襲い掛かってくるがなんとか堪え、アジトの出口に足を向ける。だが悲しい事にドアノブに手が届くことは無かった。ポケットに入れてあるスマホが振動を始めたからだ。
俺の電話番号を知っている人間は少ない。そしてかけてくる人間はそれ以上に少ない。最早いないと言っても過言でないくらいだ。
単に俺がプライベート用の番号を教えず仕事用の番号しか教えてないのも理由かもしれないがそれでもプライベートで用事がある奴は少ないのだ。はっきり言ってボッチである。
だが時と場合を考えて欲しい。今の俺は徹夜続きでフラフラなのだ。頭も痛く視界も定まらない。もしくだらない内容だったらブチギレてやろう。そう思い端末を開けばそこには『ナスターシャ』と表示されていた。
ああ、これ厄介事だわ…。名前だけで分かってしまう。嫌な予感がこれでもかと伝わってくる。思わず地下にいることを忘れて天を仰いでしまった。
あいつからのプライベートな依頼は本当に碌な内容じゃない。聖遺物の発掘やネフィリム暴走の事後処理など重手沙汰にできないことがほとんどだ。絶対に出たくない相手の一人だ。だがここで無視すると後がもっとめんどくさい。具体的には馬車馬のようにこき使われる。
散々悩んだ結果、俺は渋々通話ボタンを押すことにした。
「…もしもし」
「久しぶりですね。今時間ありますか?」
「あると思うか?このクソ忙しい時だってのに」
「ええ、あなたならそろそろ片づけ終わったころだと思いましたから」
このババア、そこまで読んで電話してきやがったのか。本当に趣味が悪い。絶対碌な老後を送らねえな。
「んで、どうしたんだよ?よりにもよってこっちにかけてくるなんてよ」
「…あなたに依頼があります。アメリカの人間ではなく私個人からの依頼です。勿論報酬はあなたが望む限り努力します」
言いにくい内容なのか若干渋ったものの、ナスターシャはそう告げた。電話越しながらも不安と悔しさが入り混じった声だった。なるほど、それでプライベート用に電話してきたわけか。
「分かったよ。報酬は依頼内容を聞いて決める。少し準備があるから遅れるが待ち合わせはアメリカのいつもの研究所でいいか?」
「いえ、今は別の場所にいます。そちらにお願いできますか?」
「そうなのか。となるとイギリスか?フランスか?」
「いえ、日本です」
ではお待ちしていますね。そう言い残してナスターシャは電話を切った。
いや、待て。なんかとんでもない場所を指定してこなかったか!?日本。それはつい先日、ルナアタックが起きた世界が今絶賛注目中のホットスポット。ナスターシャはそこにいると。そっか…。
やはり電話に出るべきじゃなかった…。
「なるほど、月が落下する…ねぇ」
数時間後、俺はナスターシャの指示に従って浜崎医院という廃病院にきていた。海に面した見晴らしのいい病院なのだが色々と黒い事をしていて廃業になったらしい。
そこで聞かされた依頼はこうだ。
月の公転軌道がルナアタックの影響により変化、観測データを元にアメリカが計算を行った結果遠くない未来に月は地球に落下することが分かった。にもかかわらずアメリカはそれを隠蔽し、異常はないと全世界に公表した。
それを知ったナスターシャは政府から離反、フロンティアを用いて可能な限り救える人間を増やそうという計画を立てた。
そしてそのための潜伏先にここ、浜崎医院を選び俺にここの改修と作戦遂行の補助を頼みたいというものだった。
確かにその目論見は悪くない。一部の特権階級のみが助かるようになっているのはいつの世も同じだ。ならばアメリカとこれ以上交渉しなかったことも他国に協力を要請しなかったのも正解だろう。だが…。
「いや、無理だろ」
「ええ、ですからあなたに協力してもらおうと思ったわけです」
「おい、話聞け」
一体どこにですからの要素があったのかさっぱり分からない。第一なにが悲しくてばあさん一人と少女三人で世界を敵に回さないといけないんだよ。しかもアジトが廃病院って古いわ。
流石にこれは無理だ。他の方法を考えた方がいいだろう。そう言いかけた時、部屋の扉が開き三人の少女が入ってきた。
「紹介しましょう。マリア、切歌、調です。こちらはメルクリア、この作戦の補助をしてくれます」
断ろうとした矢先、まさかの外堀が潰されてしまった。ナスターシャは俺をほくそ笑んで見てやがる。野郎、図りやがったな。
いや、まだだ。まだ立て直せる!彼女たちは作戦の中心戦力、ならば説得すればまだ勝機は見えるはず!
「あ~、お嬢ちゃんたち?この作戦もうちょっと考えた方が…」
いいんじゃない?そう言いかけた俺だったが、一人の少女が目に入り思わず言葉に詰まってしまった。
一番端っこにいる綺麗な黒髪を二つに結んだ一際小さな女の子、くっきりとした目と陶器のように白い肌。思わず吸い込まれそうになる。なんだ、この全身が熱くなる感覚は…。
「どうかしましたか?メルクリア」
「っ!?いや、何でもない」
「…続けますよ、彼女たちはレセプターチルドレン。次代のフィーネの依り代になるはずだった少女達です」
「なるはず…だった?」
「ええ、ルナアタックで先代のフィーネが死亡してから早一か月経ちます。しかしいくらレセプターチルドレンにアウフヴァッヘン波形に接触させても覚醒しませんでした。つまり彼女たちはフィーネには選ばれなかったということです」
「なるほど、つまりこのままいくと…」
「ええ、彼女たちはアメリカにとって闇と成り得ます。処分されるのは時間の問題でしょう」
確かフィーネとアメリカが極秘で結んだ効率良く依り代を見つけるために集められた子供達、それがレセプターチルドレンだったか。それなら時間はあまり残されていないだろう。なんせバレたら一発で国が滅ぶ、それだけ人道的にも外交的にもヤバい内容なのだから。
「ですがこの計画ならそれを回避できるかもしれません。そのためにはあなたの協力が不可欠です。やってくれませんか?」
先ほどとは一変、真剣な表情でナスターシャはそう言い俺に頭を下げてきた。だが俺は知っている。その顔が未だにほくそ笑んでいることを。それを隠すために頭を下げたことを。なぜならこいつは俺がなんと答えるかなんて知った上でこう言ってくるのだから。
「お前、本当に性格悪いな」
「そうですね、でもお互い様ですよ」
仕方ない、ここまで踏み込んでおいて断るのも気が引ける。それになぜかあの娘の事も気になる、そのついでとして付き合ってやってもいいだろう。
この日、俺の武装組織フィーネへの仮参加が決定した。
「ここが入り口、あっちが指令室。こっちが…」
手短に自己紹介を終えた後、俺は病院の中を案内してもらっていた。案内主は幸運にも俺が気になっていた娘、調ちゃんである。だが問題がここで一つ、先ほどから事務的な内容を淡々と話すだけでこれと言った会話が無いのだ。話題を振ってもそっけなく返されるだけで一向に続かない。
そんな得も言えぬ気まずさを感じていると調ちゃんは足を止めこちらを振り返った。
「なにか質問はある?」
「え、いや、大丈夫だ。ありがとう」
「そう、なら修繕は任せた」
「了解…ってちょっと待った!」
どうやら案内は終わってしまったようだ。ならば用は無いと言わんばかりにスタスタと言ってしまう調ちゃんをなんとか引き留める。別にもう少し話していたいというわけではないがそれ以前に聞いておきたいことがいくつかある。
「…何?」
「なにか要望はないかな?デザインとか質感とか、後は…好きな色とか?」
「…別に。あなたの好きにすればいい」
「え~。好きって言われてもな…」
「あなたの仕事はここを直すこと。なら好きなように直せばいい」
「まあ、そうなんだけどさ。できるなら君が気にいる内装にしたいからさ」
そう言うと調ちゃんは一際不機嫌さが増した顔をした。あれ?なにか変な事聞いたっけ?
「…私はあなたが嫌い。あなたは偽善者だ」
そう言った調ちゃんの目は俺がよく知っている目をしていた。あれは「疑心」の目だ。
「マムはあなたを古い知り合いで報酬次第でなんでもこなせるすごい人って言ってたけど私はそうは思わない。困っている人から何かを奪って、その代わりに助けるなんて人の痛みを知らない偽善者だから」
彼女は俺をまっすぐに見つめそう言い切った。その瞳の力強さからそれが彼女の本心なのだと嫌でも伝わってくる。
そうか、俺初対面から嫌われちゃってたのか…。なぜだろう、こんなこといくらでも慣れているはずだ。それなのに胸が苦しい、思っていた以上にショックを受けている.何よりそのことに自分でも驚いている。なぜだ、なぜ俺は彼女に嫌われてここまで悲しいと感じているのだろうか…。
だがそれ以上になぜだか高揚感も感じた。彼女はたったそれだけで俺の本質をある程度見抜いてくれたのだと。今までそれができたのは本当に一握りの人間だ。そしてそれをこうも短時間で見抜いたのは彼女が初めてだ。そのことがなぜかとても嬉しく思えた。
だからだろうか、俺は気づけば柄でもなく自分の事を話していた。
「すごいね月読ちゃん、その通り。俺は偽善者だ。利己的で、打算的な…偽善者だ」
「…え?」
いきなり何言ってんだこいつ?という顔で調ちゃんがこちらを見てくる。その蔑んだ目すらもなぜか魅力的に感じるあたり俺は本当にダメかもしれない。
「俺は別に誰かを助けるために~とか誰かのために~なんて理由でこの仕事をしてないよ。ただ俺がしたいことのためにやってるだけだよ」
始めはただ生きるための金を得るために。それが次第に名声を得るために、権力を得るために。次第にはただ目的を果たすために。理由は時間と共に変わっていったがそれでも根幹にあることは同じだった。
人助けも依頼も全て俺の目的を果たすための副産物やついででしかない。それは目的ではなくあくまで手段でしかないのだ。
俺のために。俺がやりたいから。俺に必要な物を得るために。そんな人様に誇れない理由で俺は生きている。
「…なにそれ、偽善者よりも質が悪い」
そう伝えると調ちゃんはムッとした顔で俺に言葉を返した。
まあそれが普通の反応だよな。別にこの反応には慣れている。それでもこれだけは譲れない俺のポリシーだ。本当に柄でもない、言えば間違いなく嫌われるようなことを俺は堂々と言い切った。後悔はない。だがその顔を見ると…少し胸が痛むな…。
「でも…ちょっと好きかも、そういう生き方。偽善者より酷いけど、まっすぐ捻くれてる感じがして…好き」
だが次の瞬間、調ちゃんは今までの不機嫌そうな顔ではなく、見惚れてしまうような笑顔でそう言った。
この娘の笑顔のためにならタダ働きでも悪くないな。そう思えたのは初めてだった。そして気づけば胸の痛みも消えていた。
この時は分からなかった。なぜそう思えたのか、彼女の表情一つでこうまで心が揺れるのか、俺はその理由を知らなかった。気づいていない振りをしていた。
今回も読んでいただきありがとうございました。