『偽典』とある魔神の主神の槍《グングニル》   作:かり~む

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8話:世界を繰る者たち

 オッレルスの丁度頭上。

 高度二キロの空中。

 

 

 そこに雷神あらため、全能神トールはいた。

 

 

 2キロメートル。

 それがトールが扱う溶断ブレードの射程距離の限界だ。

 

 その規模と威力は、もはや剣と呼ぶには不相応だろう。触れたものを全て焼き切るその光の柱は、敵対者にとっては神の審判にも等しい。

 

 しかし、己の身体の限界を超えた魔術は当然代償を伴う。

 

「ち、折れたか。まだまだ下手だね俺も。左腕は使いもんに何ねえかな」

 

 痛みにではなくこれから動かない左腕を抱えて、あのオッレルスと戦うことを想像して、トールは顔を顰めた。痛みを感じないわけではない。ただ、痛みとは所詮は身体が発する危険信号であり、トールはそんな危険にいちいちかまけて歩みを止めるほど、暇ではなかった。

 

「『全能神』の魔術が発動していないところを見るに、どうやら左腕を捨てるだけの成果はあったようだな」

 

 空中から自由落下しながら、トールは眼下を見る。

 こちらからはオッレルスの人影すら見えない。

 

 だが、向こうからはそうではないだろう。オッレルスの知覚範囲はトールを遥かに超えている筈だ。本来ならいつ攻撃が飛んで来てもおかしくない。なのに、来るべきそれは一向にやってこなかった。

 

 

「………今日は星が奇麗だな」

 

 上を向くと、そこには満点の星空が広がっていた。

 何万光年もの宇宙の果てから地球に注がれる星の輝き。

 その輝く星の先までもが己の支配域だ。

 

 トールはまだ動く右腕を水平に構える。その指先に灯るのは、金剛石すら容易く溶断する光の剣。そして、それを横に振るう。

 

「こっちだよ」

 

 そこには誰もいない。

 そう。いない筈だった。

 

 

 

 

 

 

 オッレルスは無傷だった。

 少なくとも身体的には。

 だが、その内情は異なっていた。

 

(………何をされた?)

 

 疑問は長らく抱いたことがなかった。

 魔道書を読み漁りあらゆる魔術に精通したオッレルスは、一目見るだけでどんな魔術の系統でもぴたりと言い当てることができた。そんな彼をもってしてもトールの先ほどの攻撃は理解ができなかった。

 

(回避も防御もできなかった。完璧な一撃だった。……だが、なんだこの違和感は?)

 

 

「こっちだよ」

 

 少年の声が耳元に囁かれた。

 

 気づけば、トールはオッレルスの側面にいた。

 右手の溶断ブレードは既に振るわれていた。

 

 やはり回避も防御もできなかった。

 オッレルスの意識の隙をついた完璧な一撃だった。

 

 ブレードはオッレルスを切り裂きこそしなかったものの、代わりに野球のバッドのように、こめかみに奇麗に叩き込まれた。オッレルスは木々を何本も巻き込みながら、公園から続く林道に勢いよく吹き飛んでいく。その先に、トールは移動していた。

 

 

「いくら魔神でも身体の構造は人間と同じだろ。だったら頭を叩き続けてれば、脳も揺れて脳震盪くらいは起こす筈さ」

 

 言葉と同時にオッレルスのこめかみに再度ブレードが叩き込まれた。

 やはりトールはオッレルスの死角に移動していた。

 

 すべてを切り裂く溶断ブレードは、オッレルス相手には鈍らのようにしか機能しない。

 しかし、鈍器としては使うことくらいはできる。

 

 ドゴォ!!という鈍い音が自分の後頭部から発せられるのをオッレルスは認識した。

 オッレルスは再度頭から吹き飛ばされる。

 

(この怪力、なにかしらの術式を行使している。トールの伝承からすると、力帯あたりが妥当か?)

 

 北欧神話のトールの装備と言えば、ミョルニルと呼称される槌が有名だ。しかし、かの雷神はそれ以外にもミョルニルを握るための鉄の手袋、トールの神力を倍にする力帯の3つの宝を持っていたといわれる。

(しかし……問題はそこではない!)

 

 大地に足をめり込ませ、ブレーキのように使い、吹っ飛ぶ自分の身体をオッレルスは固定する。 

 間髪入れず、背後にいるトールを背中越しに睨む。

 

 

 そして星が瞬いた。

 

 

 赤、青。黄色、紫、黒、数えきれない色が織りなす極彩色のそれは、幾千幾万を超える魔術の行使の結果だった。球状の爆発が折り重なり、トールの身体を埋め尽くす。逃げ場のない圧倒的な質量と速度による攻撃。たとえ聖人の身体能力をもってしても、無傷での回避は不可能だろう。

 

 オッレルスの顎に鋭い衝撃が奔った。気づけば彼は星空を見上げていた。

 トールに下から殴られたからだと、一瞬遅れてオッレルスは気づいた。

 

(問題は、この移動だ。俺の攻撃に対しても、完璧な位置取りをしてくる)

 

 

 痛みはない。悔しさもない。只、賞賛と驚嘆がそこにあった。

 

(この魔術………)

 

 オッレルスには既にトールの魔術の仕組みが殆ど読めていた。

 

 

 やはり、とオッレルスは唇を動かす。

 追撃を加えようとしていたトールの方眉が上がった。

 

「---ー君は、世界(うちゅう)を操っている訳か。…………座標の指定、いや違うな。君の移動は、俺の反撃の瞬間と『完全』に同時に行われている。それではこの現象は起こせない」

 

 

 例えば、学園都市制の空間移動系統(テレポート)の能力者でも同じような現状は起こせるだろう。しかし、それだけで今トールが起こしている現象は説明できない。ここまでの緻密な位置取り、タイミングでの空間移動はレベル5でも不可能だ。

 

 ならば。

 

「----必ず勝てる位置に世界が移動する。それが君の魔術か」

 

 

 ◆

 

 トールという神は本来は雷神としてではなく、農耕・製鉄・自然といった世界のあらゆる要素を司さどる『全能神』として信仰されていた。つまり世界のを統べていた。その神の名を語る金髪の少年はその伝承を魔術として、昇華させた。

 

 ーーーー絶対に勝てる位置に世界が移動する。

 

 

 それが全能神としてのトールの力。

 拳や蹴りを繰り出せば、敵にクリーンヒットする位置に世界が自動で移動する。

 敵が反撃を繰りだしても、また同じ。それを必ず回避、若しくはカウンターを叩き込める位置に世界が自分を運んでくれる。相手の攻撃は一切届かず、こちらから一方的に攻撃できる魔術。トールは手足を振るうだけでいい。それはどうしようもなく無敵で、どうしようもなく虚しい。得るものが何もない。だから、こそトールは『戦闘の経験値』を狂ったように求める。

 

 ともかく、この地球上、いや宇宙を操作して、攻撃を繰り出すトールは無敵の存在だ。トールを相手にすることは、すなわち世界を敵に回すことと同義だ。

 

 しかし。

 しかし。

 

「----『北欧王座(フリズスキャルヴ)』」

 

 

 トールの相手をしている男は世界という枠組みから、半歩はみ出た男だった。

 世界というちっぽけな存在を壊し、創り変える資格を持った男だった。

 

 オッレルスの真価が解き放たれた。

 それは一言で言うと、説明のできない力だった。

 

 ただ、気づいた時にはトールの身体は吹き飛ばされていた。肉体の表面から芯まで、その全てに均一にダメージが襲う。まるで、布を水面に浸したかのように不自然なダメージが半身に広がっていた。

 

「な、に?」

 

 激痛を受け、トールの身体は糸の切れた人形のように、土の上に転がる。

 トールの胸中の生じたのは痛みに対する悲鳴ではなく、純粋な疑問だった。

 

「どういうことだ?『全能神』の権能が、発動し、ねえ………?」

 

 トールはオッレルスに対して、いつも通り『全能神』の権能を使い回避しようとした。

 なのに、トールはオッレルスの攻撃を回避することはできなかった。そこで、トールは自分の言葉を否定する。

 

「いや、俺の力は自動的に発揮される筈。事実、世界が動いた形跡はあった。だってのに………!」

「この世で最も恐ろしい攻撃は『説明のできない力』だ」

 

 魔神になるはずだった男の唇が開く。

 

「どんなに不可思議な力の源があったとしても、それが剣と同じように振り下ろしてくるなら剣と同じように受け止めればいい。銃と同じように撃ってくるなら、銃と同じように防げばいい。言われて分かる程度の『未知の力』なんて、その程度のものさ」

「それがどうした……!どんな種類の攻撃であっても、『全能神』の力はそれを絶対に回避できる位置に世界を移動させる!」

「確かにそうだ」

 

 オッレルスは苦く笑った。

 

「君の力だったら、ただ曖昧な攻撃なだけならば、或いは回避できたかもしれない。……実際ね。北欧王座の攻撃が曖昧なのは、ただの副次的な効果に過ぎないんだよ。実は」

 

 うつ伏せになった状態から起き上がろうと、トールは右手に力を籠める。

 オッレルスは動かなかった。手も足も、指先すら動かさなかった。ただ、なんらかの現象が起きて、トールの身体はさらに後方に吹き飛ばされた。

 

「分かりやすく言おう」

 

 『全能神』の力は問題なく働いた。

 ただ、それでもやはりオッレルスの攻撃の回避はできなかった。

 

「君は『世界(うちゅう)』を繰る。ある意味において、それは俺の力とも近い。大したもんだよ。嘘じゃない。世界を広いってのを改めて認識した。君はただ人の身でありながら、魔神の力の片鱗ともいえる魔術を行使している。だけどね。

ーーーー俺の干渉している『世界(いそう)』は君の『世界(うちゅう)』よりもっと広く強大だ」

 

 星の輝く満点の星空を背にして、魔神になる筈だった男は、興奮も愉悦も見せず、只淡々とトールを蹂躙した。

 

 あらゆる要素を無視して、トールの身体に攻撃が加わる。『北欧王座(フリズスキャルヴ)』に距離は意味をなさず、その一撃は因果を超える。結果だけがそこにあった。

 

 三度目の『北欧王座』をトールはその身に受ける。

 

 

「位相の話は知っているよね?この世界は無色透明に見えて、その実、セロハンのような半透明なフィルターが何十何百と数えきれないほど、覆いかぶさっている。ケルトに、オリュンポス、古事記の国産みだってそうだし、君の魔術のベースとなっている北欧神話だって勿論そうだ。人はそういった、神話・宗教の位相で歪んだ世界を現実だと認識して生きている。そして、魔術師はそういった位相の法則を実存世界に引っ張って超常の現象を起こす。それが、魔術だ」

 

 オッレルスが語るのは、この世界の真実。魔術という超常を何故人が行使できるのか、何故魔術は既存の宗教や伝承にのっとたものにしなければならないのか、その答えに他ならない。 

 

「魔神はね。そういった位相に干渉し、新たな位相を生み出すことができるんだよ」

 

 それは即ち世界を自在に操ることと等しい。

 巨万の富でも、絶世の美女でも、世界平和でも、それに対する適切な位相を差し込めば、世界は変わる。所詮、世界なんてものは、神の意志の元に変化するミニチュアサイズの模型に過ぎず、人はそこに住まう、小さな小さな人形だ。人の争いも恋愛も結婚も借金も魔神が指を鳴らせば、好きなように変化する。世界とはとどのつまり、魔神の事で、その手のひらうえで踊る矮小な人間が神に敵う道理はない。

 

 残念ながら、オッレルスとトールでは文字通り、振るう力のスケールが違い過ぎた。

 所詮トールの力の及ぶ範囲は、今も膨張を続ける宇宙の端程度。物質の存在する実存世界にしか干渉できない。対するオッレルスが振るう力はそれらを内包した世界全てを変質させる神の御業だった。

 

「だけど、てめえはっ!」

 

 地面に横たわるトールがオッレルスを睨みつけて、吠えた。

 それにオッレルスは頷いた。そして、目を細めて自嘲するように空を仰ぎ見た。本来支配するはずだった国を追われた、亡国の王のように。彼にはもはや魔神への執着はない。しかし、未だ振り切れない、羨望はあった。

 

「そう、俺は魔神じゃない。所詮はなりそこないさ。俺の力は本物の魔神と比べれば、大きく劣るし、差し込むことのできる位相は一つだけだ」

 

 オッレルスが視線を下ろした。

 目線の先には、神に挑んだ哀れな少年が横たわっていた。しかし、身体は満身創痍でも、その空色の瞳は眼上のオッレルスを睨んでいた。それに心底感心して、笑みを浮かばせて、オッレルスは続ける。

 

 

「ーーーー『敵を倒す』。………それが俺の差し込める唯一の位相さ。それにしたって、根本的な魔力が足りず、北欧王座なんて、本来は戦闘には使えない魔術も応用した弊害で、脆く霞のように曖昧だ。コンマ一秒も持たずに砕けてる。ここらが中途半端な魔神である俺の限界なんだろう」

 

 それが、『説明できない力』、『北欧王座(フリズスキャルヴ)』の正体。

 

 北欧王座とは伝承ではオーディンが座る世界を見渡すことのできる玉座のことである。オーディンはその玉座に座り、己の住まう神々の故郷であるアースガルドだけでなく、残る8つの世界全てを監視していたとされる。このように、北欧玉座には元は他者を害するような伝承はなく、オッレルスが開発した北欧王座の本来の機能も攻撃とはかけ離れたものだった。

 

 異なる世界、すなわち位相を認識し、管理し、創出する。

 つまり、オティヌスが『主神の槍』に付与しようとしていた機能の魔術版。その一部を為すはずだった。しかし、魔神の座はオティヌスに奪われ、オッレルスには魔神としては余りに不完全な力と、もはや使い道のない『北欧王座』の論文が残された。

 

 そして、残されたものをかき集めて作り出したのが今の『北欧王座』だった。

 限定的な位相への干渉。

 

 『敵を倒す』という位相を世界へ差し込む。世界をもって、敵を抹殺する。

 一切が表現不能、理解不能、説明不能、であり全身の細胞に均等にダメージがいく現象の答えがそれだった。

 

  

「チェックメイトだ。ただ、宇宙を操る程度の魔術じゃ、俺には勝てないよ」

「やっぱり、か」

 

 トールは苦虫を噛みつぶしたような表情をする。

 オッレルスはそんなトールの意識を刈り取ろうとして、首をかしげて己の手を見た。

 

「……?」

 

 それは異常だった。それもいい意味での。なんとなく前より魔術の行使がスムーズだった。僅かな、だが、確かな違和感。

 

 脳裏に浮かんだのは、自分が情報を抜き去った銀髪のゴシックロリータの少女。気づけば、周囲から消えている。

 

「……………イドゥン。林檎を管理する使命をもった女神。林檎は神々に不死を授けたが、其れが失われたとき、神々は急速に老いた、か。なるほど。本命はあっちか」

 

 トールは囮。

 本命のイドゥンの攻撃を気づかせず、なおかつオッレルスと距離を取らせるためのダミー。

 

「やってくれるね」

 

 そう結論付けたオッレルスは、森の奥を見据えた。闇が濃く、先は見えない。音もない。だが、そのどこかにイドゥンが息を殺して潜んでいた。この魔術は厄介だ。イドゥンを探しだし、自分にかけられた呪いを解かせるため、オッレルスは足を一歩前に踏み出す。

 

「いいや、違うよ」

 

 そんなオッレルスの行動はトールは笑った。

 

 

 本来ならば気づいたのだろう。

 

 魔神に足を半歩踏み出したオッレルスの知覚範囲とその鋭敏さは、一般的な『魔術師とは比べ物にならない。

 『その少年』の気配はある意味においては目立ちやすい。

 

 だが、今この近辺はトールの『全能神』の権能により、あらゆる星の動き、ひいては地球にはりめぐらされた地脈が乱れ切っていた。それにより、魔術的な気配が感知しにくい場が形成されていた。また、イドゥンの魔術により、オッレルスのコンディジョンが平時とは異なっていたことも原因があるだろう。

 

 とどのつまり。

 彼は背後から迫る、『それ』に気づかなかった。

 気づいたとしても、いつもより2、3テンポ反応が遅れた。

 

 

 『北欧王座』は位相を創る魔神の力の一端を振るう魔術だ。

 この実存世界の内側の住人である限り、その影響からは逃れられない。

 

 

 しかし。 

 しかし。

 

 

 その『右手』はそんな魔神の生み出す変化に対抗するために、生み出されたものだった。この世界を壊し作り変えたいという魔術師の願望、それを否定するのがその右手だった。

 

 

 幻想を、殺す。

 創造の対極、破壊。

 その名は『幻想殺し』。

 

 それを宿す『透明な少年』が、己の右手を突き出した。

 『幻想殺し』とオッレルスが咄嗟に発動した『北欧王座(フリズスキャルヴ)』が激突する。

 

 

 そして、硝子の割れるような音が響き渡った。

 

 

 




【北欧王座】

 要はネフティスが上里に行おうとした位相による抹殺の劣化版です。
 位相の差し込みにより、『敵を倒す』という結果が先にあるため、防御も回避も意味をなさず、細胞全体にダメージを与えるという常識ではありえない効果になります。

 オッレルスが魔神としては不適格で、位相に干渉するには魔力が余りにも足りず、また元々位相管理のための術式であった『北欧王座』を改造して、強引に攻撃に利用したのも加わって、『説明できない力』という曖昧な攻撃になっています。


 以上、妄想でした。

 
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