『偽典』とある魔神の主神の槍《グングニル》   作:かり~む

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7話:槌振るいし雷神v.s.簒奪されし魔術師

人の気配のない夜の公園で2人の男が向きあっていた。

 

 一方の男の名はトール。『グレムリン』の戦闘担当にして、組織のナンバー2である男だ。オティヌスが北欧の森の奥深くの城で、ロキと名乗る男に見いだされていなければ、『グレムリン』の玉座には彼が座っていたことだろう。

 

 相対する男の名は、オッレルス。魔術サイドの一部の魔術師たちの間でその名が囁かれる生きる伝説である。理論上はなることが『可能』だとはされていたものの、その難易度の高さから、未だかつて誰一人至ることのできなかった魔神という一つの頂点。その座に座る筈だった男が彼だった。

 

 両者とも、魔神という座の次点に立っている魔術サイドのトップランカー。

 

 最初に動いたのはトールだった。

 トールの十の指からそれぞれ伸びた一メートルほどのアーク溶断ブレードが、大気を焦がしながらオッレルスを切り裂かんとする。

 

 それから逃れようとオッレルスは後方に跳躍する。人の域にから外れ神の領分に足を突っ込んだ人間は,

その身体能力も人の域を超えるのか、それともあの一瞬でなんらかの魔術を行使したのか。オッレルスは軽く地面を蹴ると、トールから20メートルほど離れた位置に移動していた。

 

 先ほどまで彼が座っていたベンチが火花を散らしながら真っ二つになる。

 

「接続完了!」

 

 トールが吠える。

 変化は如実に表れた。

 

 目に、指先に、髪に、青白い淡い光が灯る。

 嵐の海に帆船のマストに浮かぶセントエルモの火のように。

 

 

 ーーーー前提として、トールは凡人だ。

 

 彼には生まれ持った特別な才などなかった。

 彼は、神の子の身体的特徴を有し、音速での戦闘を可能にするほどの身体能力を持つ『聖人』でもなく、人の原罪を限界まで薄め、神・天使級の魔術を扱う『神の右席』でもなく、人の領域を超え世界の全ての事象を思いのままに支配する『魔神』でもない。

 

 彼はどこにでもいる只人であり、その生来の素養はあくまで平凡だ。

 そんな彼が頭上に輝く星々に手を伸ばすためにはどうすればいいか。

 

 一つは無理をする。

 己の耐久を無視して、寿命と引き換えに限界を超える。

 

 一つは他者の力を借りる。

 己の力が足りないのならば、他所から引っ張ってくればいい。

 自分だけでは届かないのならば、他人の力を借りればいい。

 プライドは無いのかと、人は言うかもしれない。

 

 しかし、魔術師とはそういうものだ。

 

 己の目的を遂げるためならば何だってやる。彼らは、己の本懐を遂げるためならば、泥を啜り、苦渋を耐え、必要ならば世界さえも敵に回す。トールはもはや『魔術名』すら失い己の目的さえ定かではない男だが、そういった魔術師の性質は、彼の中に残っていた。

 

「ミョルニーーーールッッ!」

 

 グレムリンのメンバーに『ミョルニル』と呼称される少女がいる。

 

 黒小人の末裔、マリアン=スリンゲナイヤーに改造されたドラム缶型の魔術師だ。

 彼女は、その身の内に莫大なテレズマを蓄え、マリアンの護衛として彼女に寄り添うとともに、トールのジェネレーターとしても機能していた。

 

 外部から供給されたテレズマにより、トールは己の限界を超えた魔術を行使する。

 

 

 トールの指先から閃光が迸る。

 アークの溶断ブレードの長さが膨張する。

 

 逃れたオッレルスを追いかけるように、光の刃がせまる。

 

 

 しかし。

 

 

「争う気はないよ」

 

 

 ーーーー星が瞬いた。

 

 

 それが数えきれないほどの魔術の行使の結果だと気づいたころには、トールは空中にいた。

 

「ガ、ハッッ!?」

 

 数メートルもの距離をノーバウンドで吹っ飛び、勢いよく木に叩きつけられる。

 

 肺から空気が漏れ衝撃で視界が明滅する。意識が飛びかけるのを、気合で耐えた。次いで背中を中心にして、激痛が身体の端まで駆け巡るが、情けない悲鳴を上げるのは唇を噛むことで我慢する。

 

「別に君たちと事を構える気はないんだ。念のため、人気のないこんなところにやってきたけど、それだって保険みたいなものさ。車の保険に加入する人間が、皆事故を起こす予定があるわけないだろう?それでも、不安だから、用心して、まさかあり得ないけど一応は入っておこう。そんなものだよ」

 

 茶色のベストを手で叩いて埃を払うオッレルスの口調はあくまで穏やかだった。

 今のだって、彼にとっては攻撃というほどのものではないのだろう。子供、いや、子猫に手を噛まれそうになったから、首根っこを掴んで大人しくさせようとした。そんな類の行動なのだろう。

 

 ただ、オッレルスとトールの間の力の差は、人間と子猫で例えるには余りに不適当なほど隔絶していた。

 

 獅子と鼠。

 或いは像と蟻。

 

 それ以上の差が彼らにあった。

 像が地に這う蟻を払いのけようと、足を動かし鼻を振るえば、必然的に蟻はその巨体に潰され絶命する。それと何ら違いがない。

 

「てめえ、イドゥンから情報をしこたま盗んでいって何をぬかしてやがる。それで、俺たちと争う気はありませんだなあ?頭沸いてんのか」

 

 口の端に溜まった血を吐き捨てながら、トールは言う。

 

「争う必要があるかどうかを確認するためさ。俺は知りたかった。オティヌスが何をやろうとしているのかを」

「で、それを知ったアンタはどうするつもりなんだよ」

 

 トールの問いにオッレルスは首を振った。

 

「別に何も」

「あん?」

「彼女が完全な魔神を目指したいなら好きにすればいいさ。それに俺が関与する話じゃない。ただ、彼女が俺が知る通りの邪悪なオティヌスのままだった場合は、槍の完成は全力で止めさせてもらう。それがかつて魔神を目指した者の義務だろう」

「はっ!邪悪かどうかを決めるのはお前の主観じゃねえか」

「だからこそ、まずは静観に徹したいと言ってるんだけどな。君たちの組織……、『グレムリン』だっけ?君らがどういった方法で槍を完成させようとするのか。それを観察してから判断する」

 

 『グレムリン』。

 

 魔神オティヌスを玉座に据えた、『主神の槍』の錬鉄を目論む者たち。明確な思想や主義もなく只槍の完成を目標とする、科学と魔術の双方に精通した新時代の結社。

 

 まだどこの結社にも知られていないその名前を、オッレルスはイドゥンの脳内から抜き取っていた。

 

「ふん。……御託は良いよ。………それになあ。俺の身体と闘争心はもう温まってんだ。今更戦う気はありませんなんて戯言を聞く気にはなれねえよ」

 

 そこでトールの笑みの種類が変わった。

 先ほどまでの、仲間が被害にあったことに憤る『グレムリン』の一員としての顔は影を潜め、代わりにそこには自己満足を至上とする悪童めいた笑みが形成される。

 

「ああ、君はそういう人種か」

 

 オッレルスは納得したように苦笑した。

 

 戦闘狂。

 戦狂い。

 バトルジャンキー。

 

 己の命をチップにして、血沸き肉躍る彼らにとっての最高の娯楽に興じる人間たちがいることをオッレルスは理解していた。

 

 しかし、トールはそんなオッレルスの分析を否定する。

 

 

「勘違いするなよ。俺は別に戦闘狂いって質の人間じゃねえ。戦い自体もそんなに好きじゃあねえし、勝てねえ奴に挑むのはもっと嫌いだ」

 

 トールの本質は求道者だ。

 

 己の限界を見据え、ただ自信を鍛え上げる事に人生を懸ける。

 彼にとって、眼前の敵を倒すのは目的ではなく、あくまで結果でしかない。

 戦いは娯楽ではなく、あくまで『経験値』を蓄えるための手段だ。

 

「だけど、仕方ねえよな。目の前に魔術サイドの伝説がいるんだ。ここで、逃げちゃあ男じゃあねえ。加えてイドゥンを可愛がってくれたようだしよ。生憎だが、理由はそろってる」

 

 そこで、トールは己の後ろで戦いの趨勢を見守っていたイドゥンに声をかけた。

 

「イドゥン、下がってろ。巻き込まない自信はない」

「貴方……使うのね、アレを」

 

 イドゥンは頷き、後ずさりする。

 

「アンタほどの人間なら当然知ってるよな?トールって神様は本来『雷神程度』に収まっていい器じゃねえんだ。初期の伝承では違った側面を見せていた。農耕や金属の精錬から、あらゆる気象・季節・天候・災害まで、ありとあらゆる要素をトールは網羅してたんだ。それこそ今じゃ、北欧神話の主神に据えられている戦争から知識までなんでもござれのオーディンと並ぶくらいにな」

 

 そこで、トールの両手から伸びた溶断ブレードが空気に溶けるように掻き消えた。

 武器も持たない徒手空拳となったトール。しかし、それで彼の脅威も霧散したと考えるのは安易だろう。

 

「見せてやるよ。かつては北欧の神話の主神に据えられていた、『全能神』の力を!ーーーーそして、教えてくれ!俺は今どこにいる?!夜空に輝く星は遠いのか?!」

 

 それとも、すぐそこにまで迫っているのか。あるいはもう掴んだ後なのか。

 その答えを知るために求道者は挑む。

 

 

 そして。

 

 

 次の瞬間、トールの姿が掻き消えた。

 一人公園に取り残されたオッレルスは、ほぼ同時に空を見上げて呟いた。

 

「上?」

 

 次の瞬間。

 光の柱が落ちてきた。

 

 回避も防御も間に合わなかった。

 ただ、己に振り注ぐ一筋の光の審判を見つめることだけが、彼にできた唯一の行動だった。

 

 それは神の怒りを表す雷のようにも見えた。

 

 


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