『偽典』とある魔神の主神の槍《グングニル》   作:かり~む

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6話:玉座に座る筈だった男

 オッレルスとイドゥンは、ホテル近くにあった公園に移動していた。公園と言っても遊具は一切ない。一面に芝生が敷き詰められ、隅の方にベンチが幾つか設置されている。緑地公園の意味合いが強いのだろう。

 

 休日の昼間になると、バスケットにサンドイッチを詰め込んだ家族が芝生の上にレジャーシートを広げてピクニックに興じたり、運動不足を自覚する中年男性が愛犬と共に林道をジョギングに励む光景が見れる筈だ。

 

 とはいえ、今はもう陽がとっくにおちた時間帯だ。公園にはオッレルスとイドゥンの他には誰もおらず、設置された街灯が空しく周囲を照らするだけだった。

 

「悪いね、寒空の下ここまで来てもらって。ホテルは人気があるからさ」

 公園の端を歩きながら、申し訳なさそうにオッレルスは言う。

 

「人払いの魔術を使ってもいいんだけど、あれは一般人を退ける代わりに、逆に同業者からは目立ちやすくなる。まあ、『魔術師』である君に説明するような事でもない、か。………お、あそこに座ろうか?」

 

 ベンチを見つけたオッレルスはそこに座り、イドゥンもそれに倣った。

 疑問の形をとっているが実質的には拒否権などない。

 

「お詫びと言ってはなんだけど」

 

 オッレルスはコンビニのロゴがプリントされたレジ袋から、缶コーヒーを取り出しイドゥンに手渡そうとする。

 

「いいわ。さっき買ったレモンティーがあるから」

「毒なんて入ってないよ?」

 

 それはそうだろう。

 オッレルスがイドゥンを殺すなら毒なんて迂遠な方法に頼る必要はない。それこそ赤子の手をひねるのと変わらない。オッレスは指を鳴らすような気軽さで、イドゥンを屍に変えることができる。

 

「遠慮しなくていいのに」

「貴方から物を受け取りたくないのよ。そんなことも分からないの?」

 

 イドゥンはせせら笑う。

 オッレルスと彼女の力量差を考えれば、それは蛮行にも近い行いだ

 しかし、彼女はそれを理解しながら、平時と変わらぬように振舞った。

 

 力では敵わない。

 だからこそ、虚勢を張る。

 勝てないからと言って、心まで敗北するわけにはいかない。

 

「そうかい」

 

 そんなイドゥンの内心を見透かしたのか、見透かしていないのか、オッレルスは苦笑して肩をすくめた。

 

「じゃあ、これは俺が頂こう。……あれ、難しいなこれ」

 

 缶コーヒーのプルタブに悪戦苦闘すること10秒、ようやく開けることに成功する。缶コーヒーの安っぽい香りがあたりに漂った。イドゥンも自分で買ったレモンティーを飲む。そして鼻を鳴らしながら切り出した。

 

「で、何よ?私みたいなか弱い女の子を、こんな寒空の下に引っ張り出して」

「オティヌス。その名前に心あたりがあるだろう?」

「だったら、どうするのよ」

「それは君たちの目的次第さ」

 

 オッレルスはそこでひとつため息を吐いた。

 その動作はひどくオッレルスに似合っていて、日頃から気苦労の多い生活をしていたことが伺えたが、イドゥンはそんなことより、こんな人外に片足を突っ込んだ男でも、息は白く凍える事実の方が気になった。

 

「偶然。本当に偶然なんだ。…………右方のフィアンマの治療に必要な薬草がこの近辺で採れるからね。それを目的にここに来たんだが、なんともなじみの深い、いや、忘れることのできない気配の残滓があった。………巧妙に隠してはいるが、俺の目は誤魔化せない」

 

 右方のフィアンマ。

 かつて第三次世界大戦を勃発させ、それを隠れ蓑に己の右腕を完成させようとした男。大戦以降、行方が頑として知れず、ついには死亡説が流れていたが、その実彼の身柄はオッレルスが匿っていた。

 

 その事実にイドゥンは驚愕し、しかし同時に納得する。かの半魔神の庇護のもとにあるのなら、イギリス清教と学園都市の追っ手が、彼を発見できない事実にも頷けた。

 

「オティヌス。あの魔女が動き出したようだね?俺から魔神の座を奪ったあの女が」

「……まずは聞かせて。貴方がどういったスタンスでいるのかを。それを知らなければ、話すことはできないわ」

 

 ここでイドゥンがすべきことは時間を稼ぐことだ。

 

 上条とトールは現在ホテルの外に夕食の買い出しに行っているがじきに帰ってくる。そして、自分が中々帰ってこないことに不審を抱くだろう。そうすれば、必ず自分を捜索しようとする筈だ。

 

  個人の闘争が戦争の規模にまで発展した結果、『戦争屋』と称されるトールと、『幻想殺し』を右手に宿し第三次世界大戦を終結させるなど、様々な逸話を持つ上条当麻。そして、神々から不死の肉体を奪ったといわれる『林檎』の魔術を持つ自分。

 

 この3者がいれば、この圧倒的な不利な状況にも光が見える。

 オッレルスに勝つことは難しいかもしれないが、逃げることは不可能ではないだろう。

 上条当麻が記憶を失っている事実が不安点と言えるが、総合的に見ると、きっと分は悪くないはず。

 

 イドゥンの服の下には銀色のドッグタグにも似た銀色のネックレスがかけられている。それはベルシお手製の発信機だった。トールと上条も同じものを首に下げており、お互いの位置は携帯の画面で確認することができる。彼らがここに来るのは時間の問題だろう。

 

 

「質問しているのは俺の方なんだが……、まあいいか」

「貴方はまだ、魔神の座に執着しているの?」

 

 幸いオッレルスは、力ずくでイドゥンから情報を聞き出すつもりはないようだ。

 

「ふむ。そうだな。魔神にまだなりたいか、と聞かれると返答に困るな。……少なくとも首を気軽に横に振ることはできない。俺はアレに至るために、半生を賭けてきたし、犠牲にしたものも沢山ある。俺が魔神になる過程で、数えきれない人の人生を振りまわした自覚はあるし、多くの人が俺に期待をかけてくれてたことも覚えてるよ」

 

 オッレルスはそこでため息をついた。

 白い息が街頭に照らされながら、天に昇っていった。

 

「だけど。同時にこうもこうも思うんだ。俺が魔神に至っていたらきっと今の俺は無いんだろうって」

 

 缶コーヒーで唇を湿らせながら、オッレルスは続ける。

 

 

「魔神になることに失敗して、俺は色んな方面から追われたよ。元から俺が魔神になることを良く思ってなかった連中は勿論、俺を魔術の道に引き込んで、魔神になることを応援してくれた人たちも俺を殺そうとしてきた。……当然だな。彼らは俺が魔神にする過程で、いろいろな結社を敵に回してた。俺が魔神になれば、一気に逆転できたんだろうが、それも結局ご破算になった。…………追っ手から逃れるため、世界中を這いずり回る羽目になったよ。当時はまだ、『北欧玉座(プリズズキヤヴル)』の論文を利用することなんて考えもつかなかったし」

 

 オッレルスは瞑目し、一度言葉を区切る。

 きっと、かつての逃亡生活を思い出しているのだろう

 

 数秒の沈黙の後、吐き出された言葉は世界と人への、極大の侮蔑に濡れていた。

 

「----世界は汚いよ」

 

 言葉に怒気が困っていたわけでもない。

 語調が荒んでいたわけでもない。

 だが、何気ない、まるで明日の天気の調子でも話すかのような調子で口にしたその言葉には、隠し切れない憎悪が潜んでいた。

 

 

「ああ、世界は汚い。人は簡単に裏切るし、世界は悲劇に溢れている。あれもこれも、すべてがどうしようもなく、腐っている。……でもね」

 

 諦観と絶望を舌に載せながら、魔術の玉座に座る筈だった男は、仄かに笑った。

 暗い笑みだった。

 しかし、それでも笑みは笑みだった。

 

 オッレルスは言う。

 

 それでもと。

 

 

「それでも、奇麗なものも確かにあった。全体に比べればちっぽけかもしれないけど、尊いものは確かに世界にあるんだ。そして、きっとそれは俺が魔神になっていたら、気づけないものだった」

 

 世界と人、そのどちらかに絶望し、世捨て人めいた雰囲気を纏いながらも、彼がまだ社会の枠組みの中にいたのはそれが理由だった。

 

 それが分からなければ、きっと彼は北欧の森の奥深くに、城でも作って引き籠っていただろう。

 

「つまり、何が言いたいかというとね。俺は魔神になる気はない。……積極的には。だけど、魔神という存在について、思い入れみたいなものは確かにある。………だから、本来俺がなる筈だった魔神の地位に、他者を顧みない奴がついて好き勝手やってるのは我慢ならないって、感じかな」

 

 イドゥンはオッレルスの話を無言で聞いていた。

 彼の言葉に感じ入るところがなかったかと言えば嘘になる。

 

 しかし、彼女にはそれ以上に大事なことがあった。

 

(彼は、『主神の槍』の製造に邪魔になるのか、否か)

 

 

「----ふむ。そうか、『主神の槍』………ね。理解した」

 

 オッレルスは目を細めて呟いた。

 

「っなっっ!」

 

 イドゥンの口から息が漏れる。

 

(なぜオッレルスが知っているの?!)

 

 オティヌスが完全な魔神に至るために、欠かせない礼装。

 無限の可能性が齎す正と負の天秤を、正の方向に傾ける調節器の事を。

 

「無限の可能性。なるほど、生命力を純粋な魔力に変換するとこういう弊害が生まれるのか。………きっと俺でも上手く扱うことはできないだろう。術式と礼装、2つのアプローチがあるけど、あいつは後者を選んだか。」

「どう………して」

「恥に思う事はない。これでも魔神に片足を突っ込んだ魔術師だ」

「まさか……!私の頭の中にある情報を!」

 

 イドゥンは全身の毛が逆立つ錯覚に襲われた。

 それは、それを為したオッレルスに対する驚愕と怒り、そしてこの先に自分に待っている未来に対する恐怖からだった。

 

「…………別に。別に君が喋る気がないならそれでもいいんだ。時間を稼ぎたいならそれに付き合うし、俺から情報を引き出したいのなら、ある程度は開示して見せよう。俺だけ一方的に情報をかすめ取るのは後味が悪いしね」

 

 オッレルスは穏やかに笑う。

 気まぐれに、人間に施しを与える神話の神々も、きっと同じ顔をして笑っていた筈だ。

 

 

「ただ、君はそこに座っているだけでいい。私は必要な情報を君の頭の中から抜き取らせてもらうだけさ」

「オッレルスッッ!」

 

 イドゥンはベンチから勢いよく立ち上がった。

 

「先に言っておく。止めておけ。君じゃ勝てない。万に一つも」

「オッレルスゥゥゥーーー!!」

 

 

 咆哮と共に、イドゥンは目の前に佇む男に対して魔術を行使しようとする。

 無謀である。勝てるわけがない。そんなことは誰に言われずともイドゥンが一番分かっている。

 それでも、やらねばならぬのだ。

 

 そんな少女の殺意に対して。

 

「ふむ。争いごとは別に好きじゃないんだけどね」

 

 

 オッレルスは腕を後方(・・)に振るった。

 そして、轟音が緑地公園に響き渡る。

 木々が爆ぜ、大地が掘り起こされる。

 一秒にも満たない刹那の瞬間で、まるで爆弾でも投下されたかの如く、オッレスの背後の森林は消え失せた。

 

 砂煙とともに、破壊された木々の破片が空中に舞った。

 

 その向こう側に。

 華奢な人影が見えた。

 

「背後からの不意打ちでも難なく反応してくるか。ははっ!そもそも俺が近づいてくるのを分かってやがったな?」

 

「さあね。……君は?」

 

 言いながら、オッレルスはベンチから立ち上がった。

 

 彼の質問に答えるように、シルエットの両手から閃光が迸った。

 五指の指からそれぞれ一本、合計で10本のアーク溶断ブレードが形成される。乱入者はそれらを振るい、砂煙を切り裂いた。

 

 その姿が露になる。

 腰まである金の髪。空のように澄んだ瞳。

 

 

「トール。『戦争代理人』だよ」

 

 金髪の少年は悪童めいた笑みを浮かべながら己の名を告げる。

 

「さあ、『戦争(ケンカ)』を始めようか!」

 

 

 




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