『偽典』とある魔神の主神の槍《グングニル》   作:かり~む

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5話:半端者たち

 以前、至近距離で感じた呼吸が止まるようなプレッシャーは伝わってこない。代わりにそこにあるのは凍えるような冷徹な意志だった。

 

 隻眼の魔神が瞳を開く。

 エメラルドのように輝きながらも、その瞳は仄暗い濁りに染まっていた。

 

 世界と人間、その両方に絶望している目だった。それが示すのは、他者に対する狂的な排他感情だ。

 

 彼女は世界に対するあらゆる人間に怒り、失望し、絶望していた。

 しかし、一度は上条を『グレムリン』の一員として受けいれたからだろう。

 オティヌスは上条のことを拒絶しながらも、それを暴力的な行為であらわす意思はないようだった。

 

 彼女は暴君であっても暗愚ではない。

 仲間を理由なしに罰したりはしない。もっとも、オティヌスひいては『グレムリン』に害となる行動をとれば、その限りではないだろうが。その場合は、腕の一本や二本は覚悟して然るべしだ。

 

「携帯を取りに来ただけだよ。ここに落としてた」

 

 上条は手にあった携帯をオティヌスに見せる。

 

 隻眼の魔神は敵対者に容赦しない。

 最強である彼女にはあらゆる者が適わない。

 

 だがそもそも、上条にはオティヌスを害そう等という意思はないし、彼女に反感も持っていない。一度、自分の右手に『何か』、というかきっと腕を落とそうとしたが、それは結局未遂で終わった。後にぐだぐだと文句を言う必要もないだろう。ならば、必然的に彼女を恐れることもない筈だと、少年は思う。もっとも、そんな敵愾心の薄さこそが、少年の不安定さと色の薄さを表しているのかもしれないが。

 

「………ふん。だったらとっと去れ」

 

 オティヌスは上条のその言葉を聞くと興味なさそうに、心底退屈そうに言った。

 

 その言葉に逆らう理由はない。

 上条はこの朽ちたヴァルハラに落とした携帯を取りに来ただけであり、その要件はすでに済ませている。

 上条は踵を返そうとして、そこでやはり思いとどまった。

 

「なぁ、オティヌス。『グレムリン』って何なんだ?入るのは良いとして、俺はこの組織のことを何も知らないんだけど。アンタ、『グレムリン』のトップなんだろう?」

 

 折角ここに組織の頂点がいるのだから、『グレムリン』について聞けるだけのことは聞いておきたい。

 

「………貴様そんなことも知らなかったのか?」

 

 オティヌスは上条の顔をしかめっ面で見つめた。

 きっと呆れられているんだろうな、と上条は思った。

 

 失礼だがオティヌスは面倒見がいいタイプにも見えない。これは教えてくれないかもしれない。アパートに帰ったらトールたちに聞こうと、上条は思った。だが、上条のそんな予想は、良い意味で裏切られた。

 

「グレムリンの掲げる目的はただ一つ。『主神の槍(グングニル)』の創造だ。その達成をもって、私は完全な魔神となり、面倒極まる無限の可能性ともおさらばできる。『グレムリン』のメンバーは、私が完全な魔神に至るための道を補佐する駒であり、部下であり、契約者だ」

 

 鈴のなるような声は、淀みなく『グレムリン』の設立の目的について述べた。

 上条はその返答を、少し意外に思いながらも尋ねた。

 

「『主神の槍(グングニル)』?無限の可能性?」

「ふん。まさかここまで無知だったとはな。……魔神についての知識は?」

「ええと、確か魔術を極めすぎて、人の限界を超えた魔の神だったっけ。………魔道書を読み込むんで知識を蓄え、独自の理論を作り出すことで、至ることができるとか、できないとか………」

「あまりに幼稚だが、おおむねの理解はそれで間違いない。では、魔神の力についてはどうだ?」

「なんでも、できるんだっけか。それこそなんでも。1メートルを100メートルにしたり、世界のあらゆる都市を同時に攻撃するとんでもミサイルをつくったり」

 

 個人の認識が現実を歪める、それこそが魔神の本領だ。

 

 世界と個人。

 

 その不等号はどんな時代どんな状況においても、世界の方を優先させてきた。しかし魔神はその常識を覆す。世界とは魔神個人の意思の元に変化する舞台でしかなくなり、世界の上に個人が君臨する。それを可能にするのが圧倒的な力の総量と無限の可能性だ。

 

「無限の可能。……聞こえこそは良いがな。それはつまり、成功する可能性と失敗する可能性の両方を、均等に持っているという事に他ならない。どれだけの力を蓄えても、五分と五分。………極端な事を言えばな、私は世界を崩壊させる力を持ちながら、子供にジャンケンで負ける可能性も50パーセント抱えている」

「使いにくいな」

 

 上条の素直な本音だった。

 そして、なんとなく話の行きつく先、彼らの目的も見えてきた。

 

「つまりそんな扱いにくすぎる魔神の力を調節する礼装が『主神の槍』、ってことか」

「そういうことだよ。正と負の釣り合いのとれた天秤を、正の方向に傾ける。それを可能にするのが『主神の槍』。それがあれば私は完全な魔神として君臨できる。この世界のあらゆる法則、あらゆる条理、あらゆる出来事を意のままに操れる。………そして、『グレムリン』は『主神の槍』の製造をサポートする見返りとして、『己の願い』を叶える権利を得るのさ」

「己の願い……」

 

 万全の力を振るう魔神は文字通りの意味で全能だ。

 

 一生で使えきれないほどの札束を生み出す事もできるし、死者の命を冥界から連れ出すこともできる。世界に蔓延る悪と戦争を憂えば、口笛を吹くような気軽さでそれらを一掃できるだろう。

 

 その先に広がっているのは、黄金に輝く新世界。

 『グレムリン』はその理想郷への切符を手に入れようと望む者たち。

 

「上条当麻。貴様は何を望む。金か?女か?それとも世界が平和になって欲しいなどと、ほざく頭に蛆の沸いた夢想家か?だが、良いだろう。貴様の働き次第ではそれらを褒美としてくれてやる」

 

 契約を持ち掛ける悪辣な悪魔のようにオティヌスは上条に語りかける。

 しかし、彼の返答は魔神をもってしても予想できないものだった。

 

 

「----いや。悪いけど、よく………分からない」

 

 願いを叶える。

 そういわれても、上条は叶えたい願いなど見つからなかった。

 

 巨万の富?

 確かにお金は大事だが、身の丈に合わない使いきれない大金を持っても、逆に困るだけだろう。むしろ、そこから派生する気苦労の方が上条は気になる。

 

 絶世の美女?

 上条だって健全な高校生だ。可愛い女の子にモテたいという願いは心の中にあるだろう。しかし、それを魔神の力に頼って叶えるという事は相手の意志を捻じ曲げるという事にならないだろうか。

 

 世界平和?

 あいにく頭の悪いこの身では、世界という大きな枠組みについて考えるのは難しい。しかし、平和というものが尊いという事ぐらいは分かる。それは万人が望むものだ。だからこそ、一個人の思惑で『世界を救ってやる』などと考えることは間違いである気がした。

 

 

 いや、そもそもの話。

 つらつらと言い訳を重ねてきたが、すべての理由はこの一言に集約されるだろう。

 

「ああ。悪いけど、やっぱり俺にはよく分からないよ。叶えたい願いなんて」

 

 不安定な自分に、自分の事もよく分からない自分に、願いなんて生まれるはずがないだろう。

 『願い』とは、きっと人生という険しくどうにもならない道を歩く過程でできるものだから。

 

 オティヌスは上条の言葉に数秒瞑目して。

 

 

 

「………………つまらん」

 

 

 

 やがて、忌々しく吐き捨てた。

 

「人形のようだな、てめえは。私が一番嫌悪する人種だよ」

 

 隻眼の魔女は瓦礫の玉座から上条を見下ろす。

 

「確かに全員が『主神の槍』(グングニル)にかける願いを持つわけではないがな。ロキやトール、ベルシと言った者たちは叶えたい願いなどは持っていない。……………『グレムリン』は謂わば受け皿だ。目的や利害、出自、思想の異なる者たちが集まっている。だが、それでも奴らは奴らなりに『グレムリン』を拠り所とする理由がある」

 

 ある者は愉悦の為に。

 ある者は夜空の星に手を伸ばすために。

 ある者は憎むべき『二者』への復讐を遂げるために。

 

 彼らには魔神に託すべき願いなどない。しかし、それでも『グレムリン』で為すべきことがあり、彼らは『グレムリン』を必要としている。

 

「だが、貴様にはそれがない。貴様が拾ったのが『イギリス清教』であれ、『ローマ正教』であれ、貴様はそこに属そうとしただろうよ。………なあ、おい肉袋。お前は何でグレムリンに入ったんだ?命が惜しかったからか?…………いいや、違うな。それもあるだろうが正確ではない」

 

「……………」

 

 上条は口を挟めなかったし挟むつもりもなかった。

 目の前の少女のいう事が正しいと思ったからだ。

 

「貴様には自分がないからだ。吹けば飛ぶような自我と、世界が変わった程度で変化する意識。………人形みたいだろうが」

 

 世界が変わる程度では変化しない確かなもの。

 それを求めて漆黒の迷宮を永遠に旅する少女。

 

 彼女にとって揺らぎ続ける『透明な少年』は許容できない存在だった。

 

 

 

 数時間後。

 

 上条、イドゥン、トールの3人はデンマークの地方を走る電車の席に座っていた。

 窓からは、デンマークの牧歌的な草原や森を見ることができた。

 地方都市でありショッピングモールも多数あったオールボーからは、既に遠く離れている。

 

「へえ、オティヌスとサシで話したのか、上条ちゃん。まあ、何だかんだあいつは教え好きだしな。機嫌が悪くないときに限定されるが」

 

 おやつのクッキーを箱から取り出しながらトールは言う。

 それらを上条とイドゥンに配る。

 

「いや、それが途中から怒らせちまったみたいでさ。悪い事をしたよ」

 

 受け取ったクッキーを口の中に放りこみながら上条は言った。あの後、上条は追われるようにヴァルハラを去った。何を言っても、オティヌスの気分を逆なでするような気がしたからだ。

 

 何が彼女の気分を害したのかは分からない。

 しかし、罪悪感を感じないわけではなかった。

 

「いいや、それは別に上条ちゃんは悪くないと思うぜ。あいつは結構気分屋だし、キレるポイントも分かりづらい」

 

「良くやるわ。あんなのと二人きりだなんて」

 

 イドゥンはあの魔神と一対一で話したいとはとても思えなかった。

 

「オティヌスと何を話したんだ?」

「ああ、『グレムリン』がどういった組織かについて。………なんでも、『主神の槍』って礼装を創るために活動してるんだって?」

「ああ、そうさ。現在『グレムリン』のメンバーの殆どは、世界に散らばる槍の素材を求めて奔走してる。俺たちの担当は、グングニルの柄の部分であるトネリコだ。槍の機能を担う芯は、また別の素材を使うらしいが、それを覆う外側の部分だって当然必要だ」

 

 そこからの言葉はイドゥンが引き継いだ。

 

「勿論そこらへんに生えてる普通の奴じゃだめ。仮にも神が使う槍だから、素材は厳選しなきゃならない」

 

 魔神の力を調節する礼装の素材に足る特別なトネリコ。

 それが上条たちの目的の場所にあるらしい。

 

 目的地はデンマークでも相当な田舎らしく、電車が近くには通っていないらしい。またバスも一日に何本かしかなく、上条たちが最寄りの街についたときには、最終バスが運行した後だった。

 

「仕方ない。今日はここで、泊まるとしよう」

 

 トールが提案する。夜も遅い。歩いていけない距離ではないようだが、無理をする理由もなかった。

 上条とイドゥンはそれに頷いた。

 

 

 

 宿はあっさりと見つかった。

 時間も遅かったため、夕食は準備できないそうだが、そこは適当に24時間営業のスーパーから買ってくればいい。

 

「じゃあ、俺と上条ちゃんは夜飯の買い出しに行ってくるわ。ハンバーガーで良いだろ?」

「相変わらず、あなたも好きね、ハンバーガー。馬鹿舌なのかしら。まあ、良いけど」

 

 上条とトールはそう言ってホテルから出ていった。

 それを見送ってイドゥンはため息を吐く。

 

 トールは気の良い奴ではあるが、同時に強者特有のどこか歪んだ価値観を有している。日常でそれが出ることはまずないものの、やはり気苦労はある。いつ爆発するか分からない爆弾を前に、日常を過ごすようなものだ。

 

 端的に言うと、何をしでかすか分からないから怖い。

 きっと彼の中で理屈が合えば、雷神は簡単に『グレムリン』を裏切り魔神に反逆するだろう。上条当麻を守るため、オティヌスの頭に指を突き付けた光景がイドゥンの脳裏に浮かぶ。昨晩のあの行動でイドゥンは、それを確信した。

 

 彼が、勝手に死ぬ分には、まだいい。

 だが、そのとばっちりとしてイドゥンに責任を求められたら、溜まったものではない。

 彼女には、何としても叶えたい『願い』があった。そのために、魔神からの評価を落とすわけにはいかない。

 

(これだから強い奴は……。己の力一つで願いを叶えられる。世界を渡っていける。妬ましいわ)

 

 また、『グレムリン』の誰にも知られていないことではあるが、トールとイドゥンは古い顔馴染みでもあった。その事実もイドゥンの心をかき乱す原因の一つだろう。

 

 数年前、まだ彼女が自分を拾った魔術結社に所属していた頃の話だ。

 結社の団長が行き倒れていた少年と少女の2人組を拾い、数日の間、匿った事があった。少年の方が、後の雷神トールである。

 

 その時にトールとイドゥンは二三言、言葉を交わした記憶がある。決して深い付き合いをしたわけではない。だが、彼の行使した(当時はまだ不完全な出来だったが)特異な魔術は頭に残っていた。

 

 もっとも、何年の前の事であるため間違いないといえるほどの確証はない。トールは時折意味深な視線を送ってくるが、何も言ってこないし、イドゥンもあの時拾われた少年は貴方よね、などと確認しようとも思わなかった。

 

 かつてトールの傍にいた少女は、今はもうそこにはおらず、イドゥンが属した魔術結社は既に滅ぼされた。お互い色々なものを失い、奪って『グレムリン』に流れ着いて、その事をお互い理解していたと思うから、余計な詮索はしなかった。

 

 次いで頭に浮かんだ顔はこの任務のもう一人の同行者である、黒髪の少年だ。

 

(『幻想殺し』を持つ、ヒーロー……か)

 

 思うところはある。しかし、いくら考えてもどうしようもない事だ。

 イドゥンは再度ため息を吐き、備え付けの冷蔵庫を開ける。中には何も入っていなかった。

 

「サービス悪いわね。ミネラルウォーターくらい、用意しておきなさいよ。馬鹿ホテルめ」

 

 息を吐くように毒を吐く。

 それは彼女が自分自身を『悪人』と定義し、それに倣おうとしているからだった。 

 

 勢いをつけて冷蔵庫のドアを閉める。

 

 億劫だが、仕方がない。

 部屋を出て、ホテルの一階にあるコンビニにイドゥンは向かう。

 お気に入りのレモンティーのペットボトルを見つけ少し機嫌を直すとそれを買って、店を出た。

 

「やあ」

 

 自分の部屋に戻る廊下の途中で、見知らぬ男が声をかけてきた。

 

 金髪の若い青年だ。

 顔立ちこそ整っているが、どことなく貧乏くさい陰気な雰囲気がある。

 没落貴族、世捨て人、そんな言葉が似合いそうだった。

 

 ナンパか。

 

 イドゥンはいつも通り、なるべく顔を顰めた表情を作って、無視して歩き出すだそうとする。

 

 

 なのに。

 それなのに。

 

 彼女の足は頑として進もうとしなかった。

 足だけではない。彼女の身体は金縛りにあったが如く、指先一つ動かすことができなかった。

 

「別に探してたわけじゃないんだ。最初は気のせいだと思ったし、今でも気のせいだと思いたい。できればね」

 

 彼は碧眼は細めて薄く笑う。

 世界と人間、そのどちらかに絶望した眼だった。

 

「だけど、やっぱり『あの女』の気配を間違う事なんてなかったようだ」

「あ、なたは………」

 

 振るえる舌と唇でやっとの思いで言葉を紡ぐ。

 ようやく彼女は理解した。

 

 目の前の青年が、どういった存在であるかを。

 

 彼こそが、隻眼の魔女の同類。

 北欧の主神に唯一伍する、天の星に手をかけた魔術師。

 魔術の頂、今は魔女が座るその玉座に本来ならば座っていた男。

 

「オッレルス。本来ならば魔神になっていた、その座を隻眼のオティヌスに奪われた哀れな魔術師さ」

 

 

 


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