『偽典』とある魔神の主神の槍《グングニル》   作:かり~む

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4話:不安定

 ーーーーオールボーのアパートメントの、シミが目立つ薄汚れた天井。

 

 

 それが『少年』にとっての最初の記憶。

 それより以前の記憶は彼には一切存在しない。

 

 

 『少年』は俗に言う記憶喪失だった。

 

 と言っても、右も左も分からない訳ではない。箸の使い方は覚えているし、目の前に携帯電話があれば、迷いなく操作し電話をかけることができる。喪失したのはあくまで『記憶』だ。『少年』がこれまでの人生で蓄えたであろう『知識』は、彼の中でちゃんと生きていた。

 

 人の記憶は大まかに、2種類に大別できるという。

 思い出を司る『エピソード記憶』と、知識を司る『意味記憶』。『少年』はその内の前者、『エピソード記憶』を失っていた。

 

 ベルシが言うのは、頭を強く打ったことが原因らしい。超高度から、北極海に突っ込んだのだ。むしろこの程度の傷で済んだことが幸運であり、命を拾ったことに満足するべきなのだろう。またトールが言うには、大天使ミーシャ=クロイツェフが保有していた莫大なテレズマに、人の身で近づきすぎたのも原因の一つかもしれないらしいが、実際のところは分からない。

 

 

 ーーーー『上条当麻』。

 それが記憶を失った自分に告げられた名だった。

 

 人づての話にはなるが、かつての自分は英傑じみたとてつもなく凄い人物だったらしい。

 

 

 曰く、右腕一つで世界の三大魔術結社、ローマ正教と渡り合い、その企みを何度も粉砕した。

 曰く、イギリスで第二王女の主導の元勃発したクーデターでは、その解決に多大な貢献をした。

 曰く、ほんの1週間前に集結した第三次世界大戦では、ロシアの雪原を駆け抜け、天空に浮かぶ要塞で、敵の首魁の歪んだ野望を打ち砕いた。

 

 自分を北極海から助け出した男、トールは上条が横たわるベッドに腰かけて、そういった過去の彼の活躍を語ってくれた。まさしく、『ヒーロー』だ。

 

 正直な話、トールには悪いが上条はそれらの活躍を最初は、創作の類いではないかと疑った。そうでなくとも、何割か、下手したら半分以上話を盛った誇張した活躍を、記憶を失った上条に吹き込んでいるのではないかと考えた。きらきら輝く瞳と、熱の籠ったトールの語り口からは、『上条当麻』への憧憬が感じ取れたからだ。もっとも、それがなくと、信じるわけがなかっただろうが。

 

 

 上条の右手には、不思議な力が宿っている。

 

 ーーー名は『幻想殺し』。

 触れたあらゆる異能を、それこそ神の奇跡であっても打ち消す摩訶不思議な能力だ。

 

 しかし、上条はそれ以外はただの高校1年生と変わらない。知識の中にある『聖人』のように音速状態での戦闘なんてとてもできないし、学園都市に通う学生のように何か眼に見えてわかる異能を行使することもできない。

 

 身体能力もそこらを歩く同年代の少年の大して変わらないだろう。そんな自分がトールが語って聞かせたような『ヒーロー』の如き行いをできるとは、到底思えなかった。

 

 

 だから、なのかもしれない。

 

 

 漠然とした不安感。

 寝ても覚めても、足元が定まっていないような安定感のなさが常に上条を苛んでいた。

 

 上条が記憶の一部を失うという、重大な事態に陥りながらも特に取り乱したりしなかった最大の理由がこれだろう。最初から己が揺らいでいるのだから、これ以上不安になる必要はない。ある種の諦観めいた後を向いた開き直りの感情を上条は抱いていた。勿論それ以外にも、トールやベルシ、イドゥンといった凡そ善良と言ってて人間が近くで看病してくれた事も理由の一端でもあるのだが。

 

 財布の中には、日本円と交換してもらったなけなしのクローネ硬化と共に、上条当麻の顔写真が印刷された学生証が入っている。そこにある顔は確かにウニのようなツンツン頭をした、毎朝歯磨きの時に鏡の向こう側に映っている自分の顔で、記載されている名前も紛れもなく『上条当麻』だ。

 

 

 なのに、どうしてか。

 写真に存在する過去の自分と現在の自分が、なぜこうまで遠く感じるのか。連続するはずの一続きの『上条当麻』。その間には巨大で分厚い壁が挟まれているような気がしてならない。

 

 記憶をなくしたからだと思っていた。

 それこそがこの不安感の理由だと思っていた。

 

 上条には、それしか理由が思い浮かばなかった。

 

 しかし。

 なのに。

 

「過去の俺も記憶を無くしていた……?」

 

 上条の声は震えていた。

 それがなんの感情に起因しているか、正確な所は彼にもわからなかった。

 

 嫉妬、驚嘆、恐れ、憧れ、興奮、あらゆるそれらがごちゃ混ぜになる。

 誰にその感情を抱いているのかもあやふやだった。

 

「あぁ、間違いないだろう。それも喪失ではなく、破壊。物理的に脳にダメージを負っている為、その時失われた情報が戻る事は決してない」

「いつ…………の話なんですか?」

「1年……も経っていないだろうな。半年、あるいはもっと短い期間。3ヶ月から5ヶ月と言った所だろう」

 

 それはトールが上条の噂を聞き出した時期と大まかに一致する。

 

 つまり。

 

 

 過去の『上条当麻』は記憶を失い、すぐに魔術と科学が交差する戦いに巻き込まれたというのか。そこから立ち上がり、拳を握ったというのか。自分は自己すら曖昧だというのに。

 

「なんだ、そりゃ……」

 

 口の端は上がっていた。笑みというにはあまりに弱弱しい表情だった。

 正しくヒーローだと思った。

 

 ツンツン頭の少年は、思わず自分の右の拳を握った。それをゆっくりと開く。何の変哲もない手のひらだった。『これ』はあくまで付属品がないと、完全に理解した。

 

 第三次世界大戦を駆けぬけたかつての自分は、何を考えていたのだろう。

 何の信条をもって、誰のために戦ったのだろう。

 

 それができたのは、きっと『核』があったからだ。

 

 それが大切な『誰か』であったのか、それとも譲れない『信条』だったのかは分からない。だが、自分には命を懸けるの足る何かが、側にあったのだろう。

 

 

 『核』が欲しい。

 そう、切に願う。

 

 上条の脳裏には一つの名が浮かんだ。

 

 ーーー『グレムリン』。

 

 自分が所属することになった組織の名。相変わらず、上条は『グレムリン』が何を目的にしている組織なのかすら分かっていない。それでも、今の彼に縋るものはこれくらいしか浮かばなかった。だから、上条は特に抵抗することもなく、自身の『グレムリン』への加入をあっさりと認めたのだ。

 

 『グレムリン』は自分が立ち上がるための『核』となるのだろうか。『透明な少年』は己の色を欲していた。

 

 

 

 

「おい、馬鹿野郎メアドを交換するわよおっと勘違いはよしなさいよこれはあくまで連絡の手段のためよ?何聞いてない?この馬鹿め次の任務は私とお前とトールのスリーマンセルよ貴方の価値を見極めようってわけ。だから勘違いをするなよ!そしてとっと携帯を出せ!」

 

 朝の診察が終わり、昼食をトールと取っていた上条の近くにずかずかとブーツを鳴らしてやってきたイドゥンは、そう捲し立てた。

 

 上条の対面で上条作のジャパニーズミソスープを啜っていたトールは、ポンと片手を叩いて感心したように言う。

 

「上条ちゃん、これがツンデレってやつか」

「はあ?何を言ってんの?この女装趣味め」

「だって、イドゥン前に上条ちゃんのこと……」

 

 トールが言葉の続きを言う事はなかった。

 雷神の少年は椅子ごとオールボーの床に転がっていた。イドゥンの見事な蹴りがさく裂したからである。

 

「ぶっ殺すぞ、この女装趣味が」

「いてて。別に蹴ることはねえだろ」

 

 ゴシックロリータのスカートが舞って、その内部が上条の目に飛びこんできた。ストッキング越しのパンツがそこにはあった。とりあえず、上条は祈っておく。幸い万感の思いを込めた動作はイドゥン目には入らなかったようである。

 

「で、携帯だっけ………、あいよっと。………アレ?」

 

 北極海に遣った上条の携帯は、当然のように故障していた。幸いベルシが片手間に修理をしてくれて、使えるようにはなったのだが、中のデータはどうにもならなかったらしい。電話帳にはだれの名前も入っていない。

 

 そんな物悲しいデータを有する携帯を上条は、学生服の上着のポケットから取り出そうとして、呆けた声を上げる。彼の顔は、だんだんとしかめっ面に代わっていく。

 

「どうしたのよ」

「携帯が………ない」

 

 学生服のポケットには穴が開いていた。

 そこにあったはずの携帯電話は当然ない。

 

「はあ、何やっってんのよ」

 

 イドゥンが呆れたように言う。

 

 

 携帯電話は、数少ない上条の私物だ。記憶を無くしているため愛着こそないが、無くしていいわけもなかった。

 そこから始まる携帯大捜索。しかし、オールボーのアパートからは結局見つからない。

 

「やっぱ、あそこかあ」

 

 ヴァルハラ。グレムリンの本拠地である朽ちた城。

 恐らく昨晩歩いた時に落としたのだろう。昨晩オールボーのアパートに帰ってきたときは、まだ学生服に携帯の重さを感じていた気がする。

 

「昨日は夜だったからな。落として気づかなかったんだろ。道覚えてるか?」

「いいや、大丈夫でござんす。一人で行けるよ」

 

 トールの申し出をありがたく断る。自分の不注意のこれ以上他人を突き合わせるのも悪い。

 コートを羽織ってキッチンの戸棚を開けると、そこは昨晩と変わらず黄金が渦巻いていた。

 

 躊躇なく、そこに飛び込む。

 

 浮遊感の後、上条は薄暗い部屋に佇んでいた。昨晩は暗くてよく見えなかったが、どうやらここは物置だっったらしい。棚には風化で変色した壺やら皿やらが並べられている。

 

 部屋の外に出ると、凍えた冷気が上条を出迎えて思わず身を震わせた。先ほどまで、暖房のきいたオールボーのアパートにいたため、感じる寒さも一塩だ。

 

「11月の初めでこの寒さかよ。冬が本格的に到来した時の気温は考えたもないな」

 

 上条は床に携帯が落ちていないか、足元に注視しながら城内を進んでいく。今は明るい昼間である分、城の造りがよりはっきり見える。扉がやたらと多いのが特徴でその造形は上条が知る西洋の城とは、微妙に流れを異にしているようだった。

 

 

 やがて目の前にそびえるのは巨大な扉。その扉の下に見覚えのある細長い長方形の物体があった。

 

「ここに落としてたのか」

 

 上条は携帯を拾い適当に画面を弄ってみる。外装に多少の傷がついたものの、幸い落とした衝撃で故障などはしなかったようだ。

 

「うん。問題なく動くな、っと」

 

 安心した上条は視線を上に上げる。そこには変わらず、巨大な扉が佇んでいた。元は技巧を凝らした彫刻が彫られていたのだろうが、その大部分の凹凸が欠けてしまっている。人為的なものではないだろう。きっと長年の風化のせいだ。なんの気なしに上条は左手で壁をなぞる。

 

「うわっ!?えっ!?」

 すると、ゴゴ……と重い音を立てながら扉は自動的に開いていった。

 

「まさかの自動ドアかよ……」

 昨晩トールが片手で扉を開けていて、内心感心していたのだが、そこにあったのは衝撃の事実だった。とはいえ、魔術師の全員がトールのような怪力を誇っているわけではないため、当然と言えば当然の仕掛けなのかもしれない。

 

 

 扉の先にはやはり変わらず、瓦礫の山があった。昨晩と違い頭上に広がっているのは、どこまでも広い大空。

 

 その下に座すのは隻眼の魔神。

 まるで、この城が造られた当時から、あるいはその以前、世界の開闢からそこに座っていたかのようだった。

 

 

 眠っているのだろうか。オティヌスは玉座の間に、無断で侵入してきた上条に何に反応もとらない。気づかないなら、それでもいいかと上条は踵を返そうする。そんな上条の頭上から、鈴のなるような声が投げかけられた。

 

「何の用だ?」




3期がない?
そんなふざけた幻想をこの右手でぶち殺す!!

3期決定おめでとうございます!ついに!ですね!


………19巻の試し読み部分が既にクライマックス展開でヤバイ。

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